第72話 取引 4

「さっきは俺を助けようとしてくれてありがとう」


 私の上に乗っかり、感謝を述べるセト。顔にあるのは柔らかな微笑みではなく、企みを隠ような妖艶な笑み。


 抵抗しようと、私は何とか力を入れ、手錠の手を動かす。しかし、セトに押えられ、錠をはめる手首は頭の上へあげられてしまった。


「いやぁ、感動しちゃったよ。手錠されてるのに、あんなに俊敏に反応できるなんて。さすが銀翼魔術師だね」


 褒められるのは嫌ではないけれど………。


「すみません、離れてくれませんか」

「うーん………いやだ」


 いやって………この体勢はさすがにちょっと………。


 だが、セトは私の上から離れることなく、私の髪を私の手錠を押さえていない方の手で掬い取る。そして、そのままちゅっと口づけていた。


「本当に綺麗だね。髪もキラキラ輝いてる………肌も雪みたいに白い………」


 私を映す陶酔したエメラルドの瞳。さらに、セトは手で私の頬に触れ、指は唇をなぞった。


「はぁ………やっぱ、好きだな………」


 濡れた声でこぼすセト。

 彼は頬を赤く染めている。

 瞳は蠱惑的に光っていた。


 私をからかっているのだと思った。

 からかって楽しんでいるんだと思っていた。

 だけど、この反応は――――。


 そうして、何も抵抗できず、彼の瞳が近づいた瞬間――――。


 ドゴッ、ドゴッ―――。


「えっ」

「!!」


 その瞬間、音がした方を見ると、あったはずのドアがなく、扉は部屋の隅へ飛んでいた。


「………………」


 壊れた入り口から姿を現したのはイシス。

 入ってくるなり、ジト目で自身の兄を見ていた。


「にぃ、何してるの………」

「いやぁ………エレシュキガルと仲良くなろうとしていまして」

「………鍵を閉めて? それはイーが入らないようにするため?」

「………………」


 セトが黙ると、さらにイシスは目を細める。


「にぃが欲求不満なのは分かってる、よ? 童貞で、相手を求めているのも知ってる」

「え」

「でも、時と場所を選んで………襲うのは今じゃない」


 呆然とするセト。半眼を送るイシス。

 妹の方は随分とご立腹なようだった。


 正直、この小さな子の口から『襲う』などと言う言葉が出たのは信じられないけど………。


 私は突っ込むことなく黙って、ソファに寝ころんだまま2人の話を聞く。


「妹よ………なぜ俺が童貞だと?」

「………にぃ、本当は女子への免疫ない。いつもキョどってる」


 え。そうなの?

 

 クライドみたいに、気になった女性にはすぐ口説こうとしたり、からかったりするチャラそうな人かと思っていたのに。


 だが、セトは反論することなく、イシスの発言に黙った。どうやら真実なようだ。


「エレシュキガ、ルには珍しくぐいぐい行ってる、けど………頑張ってるだけだよ、ね? 今計画遂行中、頑張る必要ないよ、ね?」

「ごもっとです」

「にぃ、反省。ご飯運ぶの手伝って」

「はい」


 イシスに命令され、素直に返事をするセト。正直、どっちが上なのは分からなかった。


 イシスが手ぶらで部屋に戻ってきたのは、ご飯を作り終えたけど、たくさん作りすぎて1人では運べず、人を呼びに来たためなんだとか。


 イシスとともに、セトは厨房へと向かおうと腰を上げ、ようやく離れてくれた。私も手伝おうと思ったが………。


「あ、2人で大丈夫だから。手錠してるし、動くの大変でしょ?」

「すぐに、持ってくるから、待ってて………」


 と言われたので、私はソファに座って、ご飯を待つことにした。




 ★★★★★★★★




 部屋を出たセトとイシス。2人は足幅は異なるものの並んで歩き、食堂へと向かっていた。


 石畳の廊下に2つの足音がコツコツと静かに響く。窓一つなく、灯りは一定間隔に壁にかけられている松明のみ。


「にぃ………分かってるよね?」


 セトがちらりと横を見ると、イシスがいつになく心配そうな顔を浮かべていた。


「にぃがエレシュキガルを好き、なのは分かる、よ………? でも、両想いになったとして、も、苦しくなるのは………にぃなんだよ」


 そう。

 エレシュキガルとは、すぐに

 

 作戦が失敗すれば、彼女は王子の元へ。

 成功すれば、エレシュキガルは………。


「ああ、分かってるさ」


 セトは力のこもった声で答える。だが、エメラルドグリーンの瞳はどこか悲し気だった。

 

 目標のため、イシスのため、みんなのため………。

 ――――自分の心は殺せ。感情は邪魔だ。


「イシスもエレシュキガルに甘えすぎるなよ。もう顔がたるんでるぞ」

「むぅ………」


 イシスにはエレシュキガルがお姉さんに見えて仕方がない。それは彼にも分かっていた。


 本来なら、彼女とは学園で会うはずで………俺たちも学園にいたはずで………。


 セトは小さな妹の頭をよしよし撫でる。その手つきは優しく、イシスも思わず笑みを漏らしていた。


「まだ俺たちの計画は始まったばかりだ。気を緩めずに行くぞ」

「あいあいさー」

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