第37話 精霊王の契約者

 永遠とも思えるような長い時間、私は暗闇の中にいた。

 どこを見ても、真っ暗で、誰もいない。光もない。


 私の体もどこにあるのか分からない。

 感触はあるのに、手すら見えない。

 

 もしかして、私死んでしまった?

 そんな、そんな…………。


 私、死なないって決めたのに。

 アーサー様と生きるって決意したのに。


 なのに、死んでしまうなんて…………。


 1人絶望し目をつぶる。

 つぶっても暗いことには変わりがないけれど、まだこの方が安心できた。

 

 ――――何時間ぐらい経っただろう。


 遠くから、小鳥の声が聞こえてきた。

 不思議と温かな風を感じた。


 瞼の向こう側に光を感じた。

 そっと目を開ける。


 その世界は眩しく、久しぶりに感じた光が私の目を刺す。

 眩しすぎて、また目をつぶってしまったが、その後は細めながらも、ゆっくりと目を開けていく。


 ここは…………。

 

 木々には色とりどりの小鳥が止まり、美しいメロディーを奏でる。

 また、柔らかな太陽の光が差し込み、心地の良い風が吹く。


 太陽の光は虹色の輝きを放ち、木々を照らし、そのこぼれ日が私に届く。


 地面には、名前は分からないけれど青、赤、黄、橙、桃色の花々が咲き誇っていた。その花弁が風に乗って舞って、花の香りが広がっていく。

 花の周りには小さな妖精たちが踊っている。彼女たちのからからと楽しそうな声が響いていた。

 空気中には星座のような形の光たちが煌めく。

 

 そこは普通の世界とはまた違う、幻想的な空間だった。


 そんな中、私はボロボロの訓練服――――ではなく、しわ一つない綺麗な制服を着て、椅子に座っていた。

 丸机を挟んだ私の真向かいには、1人の男性が椅子に座っていた。


 男は美しかった。美形だった。


 真っ白な髪に、日焼けを知らない透明感のある肌。

 私をじっと見つめるアースアイは、虹のような輝きを放っている。

 一枚の大きな布を羽織っただけであるためか、布の隙間からはたくましい体が見え、年齢も20代前半に思わせる。


 「娘よ、また無茶をしたな」


 知らない人ではなかった。

 私は彼をよく知っていた。


 彼の年齢は20代ではない。そんな短いものではない。


 「お久しぶりです、ソロモン王」


 彼の名前はソロモン。

 全ての精霊の頂点に立つ精霊王ソロモン様。

 彼はかつては母と契約していたが、現在は私と契約していた。

 お母様の契約を私が引き継いだような形だ。


 色々文句はいいたいことはあるけれど、でも、ソロモン様のおかげで、私は結界魔法を難なく使えるのよね。


 もし、彼がいなかったら、結界魔法はおろか、魔法もままならなかった。

 私は軍に入ることもできなかった。

 今回、ブリジット様にかかっていた支配魔法の解除ができたのも、彼のおかげ。


 でも、なぜ精霊界彼の世界に私がいるのだろう?


 契約関係にあるとはいえ、普段からこうして彼と対面することはない。

 彼が私に用事がない限り、精霊界に呼び出されることはなかった。


 だが、その彼が今目の前にいる。

 

 …………うーん。なぜだろう。

 最近は戦場に行っていなかったのに。


 もちろん、過去にソロモン様に呼び出されることはあった。

 だが、大半は私が戦場に行って帰ってきた時。

 たまに、ソロモン様が魔王軍の情報を手に入れたから、私にも提供したいという場合もあったけれど…………。


 最近は現場に行く私の方が事情を知っていることが多いし、最近は軍からも戦場からも離れていた。

 だから、その類の呼び出しではない。


 なら、何か?


 もしかしてだけど、契約についてかしら…………。


 彼との契約にはいくつかの条件があるのだが、その中でも大切な条件が2つあった。

 1つは、この契約について何人たりとも教えてはならないということ。精霊王と契約していることを誰かに話せば、即刻結界魔法が使えなくなる。

 精霊王に謁見するのはおろか精霊たちから拒絶される。

 また、誰かに魔法をかけられ、強制的に契約について話させようとすると、私の脳は一時的に精霊王と彼との契約について忘れるようになっている。


 もう1つの条件は、魔王を倒し、現在魔王の領地となっている精霊たちの地を元に戻すこと。

 母の契約時には、この条件がなかったらしいのだが、私の契約時にはこれが加われていた。

 恐らく、精霊たちが魔王の存在を許さなかったためであろう。


 魔王もかつては精霊の子だった。

 精霊たちは彼を見放されず、更生させようとした。

 だが、それは逆効果。


 更生させようとした精霊たちはみんな死んだ。殺された。

 生き残った精霊たちに、魔王は言った。「貴様らの言う通りにしない」と。


 そして、魔王の力は精霊たちには抑えきれなくなり、精霊たちの地を自分の物にした。その勢いのままグレックスラッド王国の一部とアイトラー群島の一部を支配した。

 こういった経緯があるため、私の母がしたことは疑問を持つ精霊たちが多かった。

 

 私も精霊たちと同じ気持ちだった。

 あの魔王だけは、私たちと共存していくことはできない。


 と話が逸れたけれど…………。


 こうして、振り返ってみると、私が彼との契約を破っているようには思えない。

 だいたい破っていたら、ここに呼び出されることもない。


 なら、何? 何が原因で呼び出されたの?


 もしかして、魔王が操っていた相手に、危うく殺されそうになったこと?

 ああ……彼に呼び出されたのは、それが理由かもしれない。

 確かに、あれは私の失態。もっと予見できていたはずよ。


 うぅ……これは怒られるかも…………。

 

 「そんなの理由ではない。確かに、貴様の油断は許せるものではないが、今は置いておく」

 「では、なぜ?」

 「貴様が危篤状態にあるからだ」

 「危篤……?」


 私が?

 毒には耐性があって異常はなかったし、傷もアーサー様に治してもらった。

 特に問題はなかったと思うけれど。


 「精力を吸われたうえで、魔力を全力で使っただろうが」


 ソロモン様は私の心を読み、呆れながら答えてくる。

 そういえばそうだった。

 ブリジット様を救いたい一心で、動けていたけれど、私ほぼ力がない状態で、呪いの解除をしたんだった。


 「だいたい、貴様があそこまですることはなかったのだ。グレックスラッド王国の王子に任せておけば、こんなことには……」

 「でも、解除は私にしかできませんでした。それはソロモン様もご存知でしょう」

 「…………」


 彼は何か言いたそうだったが、何も言ってくることはなかった。

 私しか解除方法を知らないし、おそらくアーサー様にはできなかった。

 だから、あの時の判断は…………最善だったと思うわ。


 「それはそうと、ソロモン様。ブリジット様はご無事でしょうか?」


 そう問うと、なぜかソロモン様に大きなため息をつかれた。


 「貴様、敵だったやつの心配をするとは………母親と似てこやつも本当にア……」

 「無事ですか? 無事じゃないんですか?」

 「…………無事だ。もう元気に動き回っておる。監獄の中ではあるがな」


 え、監獄?

 

 「なぜ監獄にいるのです? ブリジット様は魔王軍に操られていたから私を殺そうとしていたのでしょう?」

 「それはそうだが、殺そうとしたのは事実だ。毒を使って、魔法を禁じて、貴様を亡き者にするという考えはあの娘の意思だった。監獄に入れられて当然であろう」


 そんな…………。


 ブリジット様は、殺しなんてしたくなかったはずだ。

 あんなことをしてしまったのは、魔王軍に通じている誰かにそそのかされたせいで……。


 「いいや、あれはあの娘の本心だっただろう」

 「…………」

 「だが、今は知らないがな。反省ぐらいはしているかもしれん」


 ソロモン様はそっぽを向いて、そう話す。

 私を気遣って、言ってくれているのだと分かった。


 「私、ブリジット様とお友達になれると思いますか?」

 「…………あんなことがあっても、貴様はあの娘と友人になりたいのか」

 「はい」

 「相手は監獄にいて、障害も多い。相手が貴様を好いてくれるかもわからん。それでも友人になりたいというのか?」

 「はい」


 私は強く返事をする。

 すると、ソロモン様は呆れながらも、笑みを漏らして。


 「なら、我が答えるまでもなかろう。すでに貴様は答えを持っておる」


 と私の胸を指さす。


 「我がなれると答えても、なれないと答えても、貴様はあの娘を友人になるまで全力を尽くすということだ」


 そうだ。

 たとえ、なれないと言われても、ブリジット様から「嫌い」だと言われても、全部乗り越えて、彼女に手を差し出すのだと思う。

 ソロモン様のいうとおり、質問しなくてもよかったのかも。


 「まぁ、頑張ることだな、エレシュキガル」

 「はい」

 「まぁ、こんな話をする前に、自分の体の心配をしたらどうだ? 貴様の体はボロボロだったぞ」

 「大丈夫です。寝ていれば、治ります」

 「『寝ていれば、治ります』じゃない……レイリアルがおるから、それができているだけで、本来の貴様は体が弱いのだ。油断するでない」

 

 なぜかソロモン様は怒り、彼の美しい顔に、しわができる。


 レイリアル様というのはソロモン様のお妃様のこと。

 彼女と私は契約関係にはないのだが、こうして私がピンチの時は助けてくれる。

 お優しい精霊王妃だ。


 今回もまた王妃様に助けてもらったようだ。


 「どのみち、今の貴様は危篤状態にある。いつあの世に行ってもおかしくはない状況だ。だから、精霊界ここに意識を飛ばしている」

 「そうだったのですか。レイリアル様にはいつもご迷惑をおかけしますが……でも、治るんですよね? レイリアル様はどんな異常も治してくださいますし……ええ、大丈夫ですよ。レイリアル様を信じましょう」

 「…………相変わらず、貴様の図々しいところは母親と似ているな」


 え、お母様と似ているの。


 「あ、ありがとうございます……」

 「喜ぶな。我は別に褒めてはない」

 

 そうだったの。お母様みたいだって褒められたと思ったのに…………。


 「にしてもだ、エレシュキガル。あの男はダメだ。力がついたと思えば、こんなありさまだ」

 「あの……ソロモン様。あの男というのはどなたのことを話しておられるのですか?」

 「最近貴様の近くにいるあの王子だ。全く……我と約束したにもかかわらず、守れずにいるとは」


 ソロモン様が話している王子って、たぶんアーサー様のことかしら?


 …………うーん。ソロモン様、一体アーサー様と何の約束をしたのだろう。

 というか、彼とアーサー様は接点があったの? 初耳だわ。


 「あの、ソロモン様はいつアーサー様と会われたのです?」

 「…………」


 だが、彼は黙ったまま返答することなく、右手でぱちんと指を鳴らした。


 ………………え、なんで急に指鳴らしを? 


 その指鳴らしは、私が眠りにつく合図。

 その音を聞いた瞬間、私の瞼は重くなる。急激な眠気に襲われた。


 「……ま、待ってください、ソロモン様。眠りにつく前に、私の質問に答えてください」

 「…………」

 「こ、答えてください」


 そう強く言うと、ソロモン様は「うぅ……」とうめき声を漏らす。

 そして、顔を逸らして言った。


 「あやつとは……会ってなどいない……」

 「それは嘘ですね。さすがの私もその嘘には気づきます」

 「…………嘘ではない。アーサーという男とは会っていない……ああ、あの男に聞いても意味がないからな。だから、貴様はさっさと眠れ」


 ソロモン様はもう一度指を鳴らす。

 またさらに、眠気に襲われ、首ががくんと揺れる。


 「ソ、ソロモン様、待ってください……最後に1つだけ聞きたいことが……」

 「なんだ」

 「アーサー様は……ご無事でしょうか」


 ブリジット様の呪いが解除されたとはいえ、あの後どうなったのか分からない。

 アーサー様のお付きの人との通信にあったように、私たちがいたのはサロンではなく、別の場所だった。

 安全な場所とはいえなかった。


 すると、ソロモン様はフヒっと目を細めて笑った。


 「そんなこと、我に聞かずとも貴様の目で確かめればよかろう」


 ああ…………。

 彼がそう答えるということは、おそらくご無事なのだろう。

 ソロモン様も素直に「無事だ」って言ってくれればいいのに。


 契約関係にある私の心の声が聞こえてたのか、「全部聞こえておるぞ」とソロモン様は睨みながらボソッと言ってきた。


 「だがまぁ、エレシュキガル。あと4時間は眠っておけ。それぐらいには上体を動かすことぐらいはできるだろう」

 「え、4時間も待つのですか? なら、ソロモン様。私とお話をしてください。暇です」

 「我を暇つぶしに使うな。不敬であるぞ」


 そう言いながらも、彼の口角は上がっていた。楽しそうだった。

 楽しいのなら、私ともう少し話していてほしいけれど、でも、私がもう限界かも…………。


 「またな、エレシュキガル」


 ソロモン様に「魔法を解いて」と頼もうとするが、口が動かず。

 抗おうするが、眠気の波が徐々に強くなり。


 「貴様には期待しているぞ」


 そして、私はまた眠りについた。

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