第35話 生きる
ブリジット様は確かにアーサー様のことを思っているのだろう。
でも、彼女とアーサー様に絆のようなものは見えなかった。
一方的な愛に思えた。
もし、彼女がアーサー様と通じ合っているのなら、お願いを聞いていたのかもしれない。
「申し訳ございませんが、それはできません」
でも、アーサー様は私がいいと言ってくれた。
決闘の時には私を信じてくれた。
私から離れないと言ってくれた。
だから、私も――――――彼を離さない。
「私もアーサー様が好きなんです。アーサー様と一緒に生きていきたいです」
ルイを完全に忘れられたわけじゃない。
まだそれは心の中でひっかかるものはある。
だけど、「一緒にいたい」という思いはきっと私の「好き」なんだろう。
私が強く答えると、ブリジット様は呆れたように深い溜息をつく。
「そう答えると思っていましたわ」
「それはよかったです」
ああ、本当によかった。
断ったら酷いことを言われると思っていたのよね。
ブリジット様も怒っていないようだし、これで一件落着かな。
すると、ブリジット様は黒い目を細めニコリと笑って、話を続けた。
「願いを受けてくれないというのなら、あなたには永遠の眠りについていただきましょう」
「え? 永遠の眠りですか? それって永遠に眠ってしまえるようなぐらい熟睡できるってことですか?」
それはありがたい。
最近はあんまり熟睡できているとは言えなかったし。
「いいえ。そういう意味ではありませんわ。もっと、こう……普通の解釈があるでしょう?」
「普通の解釈と言われましても、絵本に出てくるお姫様じゃあありませんし、眠りについたら朝には起きるものです。だから、永遠の眠りは熟睡って意味で使われたのですよね」
「いいえ! 死んだら、永遠の眠りにつくでしょう!」
「死んだら、寝ていませんよ。お亡くなりになっているんですよ」
「あぁー! もう! この人、比喩が全然通じませんわ!」
「す、すみません……」
「ふん! もういいですわ! あなたはアップルパイも召し上がられたことだし、そろそろですものね!」
ブリジット様の怒っている意味が分からず、私は首を傾げたまま、お茶をすすった。
「こ、紅茶まで飲んだのなら、ええ……効くはずですわ……」
眉間にしわを寄せるブリジット様は小さく呟く。
うーん。効くって元気になる効果とかかな。
これから訓練に行く私のことを思って、紅茶を選んでくれたのかな。
だとしたら、大変ありがたい。
なんて気が利く人なんだ。
私は紅茶をぐびぐび飲んで待っていたが、奥底から力が湧き出てくるなんてことは起きず、いつまで経っても何も起きなかった。
うーん。これはうまく作用しなかったのかな。
仕方ないよね。私の体質的に薬とかは効きずらいし……。
正面に座るブリジット様。
彼女の眉は時間が経てば経つほど寄っていき、眉間にしわができていく。
「レイルロードさん。あなた、ケーキを食べた後に何か体に異常はありませんでした?」
「異常ですか? ……そうですね。舌が少しピリッとはしましたが、それ以外に気になることはありませんでした」
「…………」
「紅茶もケーキと同じようにピリッとはしましたが、とても美味でした。もしかして、今日使われたお茶はスパイス系のものですか?」
使用されたお茶が気になった私は自然に聞いてみたが、ブリジット様は指を噛みながら、「そんなバカな」という悔しそうな声を漏らすだけ。答えてはくれなかった。
うーん、スパイス系のものじゃなかったのかしら。
でも、あの感じはスパイス系のものだと思ったのだけれど…………。
紅茶とアップルパイのピリッとした感覚に、『永遠の眠り』というブリジット様の言葉…………。
振り返って考え直した結果、一つの考えに思い至る。
だけど、それは嫌なものだった。
私は彼女がそんな考えを持っているとは信じたくなかった。
間違いだと思いたかったから……だから、私は彼女に尋ねた。
「ブリジット様」
「何ですの?」
「まさかとは思いますが、私の紅茶……私が食べた物には毒が入っていたのでしょうか?」
「…………」
ブリジット様は黙ったままだった。
すぐに首を横に振って否定してくれなかった。
愚かなことに、私はようやく気付いた。
自分が殺されかけていたことに。
ブリジット様に誘われた時は善意で声をかけられたと思った。
彼女と仲良くなるチャンスだと思っていた。
でも、実際にはお茶のお誘いに裏があった。
彼女は私を殺そうとしていた。理由はアーサー様と婚約するという願いを叶えるためだろう。
ああ……誘われた時は本当に嬉しかったのにな……。
「ブリジット様」
「…………」
「私には毒は効きません」
「…………ええ、そのようね」
私には毒が効かない。
母が生きていた頃、毒で殺されることがないよう、兄様と私は母から毒耐性をつける特訓をしていた。
ちょっとずつ毒を内服して、身体をならしていく。
そんな母の指示を受けながら、日々の体調を管理しつつ、毒を口に含んでいた。
そのため、確認されている毒に対しては全て耐性があった。
母自身、お父様と婚約してから、毒で殺されかけるということが何度かあったらしく、私たちも毒で殺されることがないようにと、特訓をやらされた。
最初はなぜこんなことをしないといけないのかと疑問に思った。
そうして、お母様が亡くなって、軍に入った時のこと。
駐屯地で昼食を取っていると、その最中に少しだけ口の中がピリッとした。
でも、口内炎でもできているのと判断し、お腹も空いていたので食べ続けた。
「エレシュキガル、僕にも一口くれる?」
「ええ、いいわよ」
だが、後からやってきたルイが私のご飯を口にした瞬間、彼は倒れ込んだ。
最初は動揺してしまったが、母が毒でやられた時の話を思い出し、私はルイに解毒魔法をかけた。
幸い魔法は成功し、ルイは大事には至らなかった。
その後、私は気付いた。
自分が毒殺されかけていたんだと。
今回、アップルパイやお茶に入っていた毒はすでに耐性が付いていたから、ピリッとしただけで済んだのだろう。
私は立ち上がり、自分を毒殺しようとしていた彼女に向き合う。
「ブリジット様、私はどんな方法で殺そうとも死にません。例え、殺されそうになっても、魔王が死なない限り、そして、アーサー様が私を求める限り、私は生き続けます。地獄の果てに落とされたとしても、私は這い上がって彼の隣に立ちます」
いつかするであろう魔王との戦闘では死にかけるかもしれない。
それでも、私は生きる。
誰かに殺されそうになっても、絶対に生きる。
だって、アーサー様と一緒に生きたいと思ったんだもの。
私が死んでしまったら、その願いは叶えられない。
「――――だから、あなたの願いには死んでも答えられません。ご容赦ください」
私は頭を下げた。
ブリジット様……どうか理解していただきたい。
あなたがどんなに憎もうと、どんな方法で殺しにかかろうとも、私はあなたの願いを叶えれないと。
顔を上げると、ブリジット様は可愛い顔が台無しなぐらいに険しい表情をしていた。
…………これは納得されていない?
むしろご立腹では?
「ええ! 分かったわ! あなたがそのような返答をするのであれば!」
ブリジット様は右足を上げ、豪快に机を脚で蹴り倒す。お皿やティーカップはパリンっパリンと割れ、机は目の間で横倒れとなった。
それと同時に私は後ろへと下がり、杖を構えた。
「私はあなたを殺して差し上げますわ!」
桃色髪はハチャメチャで、綺麗な黒の瞳は鋭く、息も荒々して歯ぎしりをしているせいか、ブリジット様の姿は獣のようだった。
そして、手にあったのは、彼女には似合わない短剣。
今にも誰かを殺しだしそうなぐらいの殺気が彼女にはあった。
これは戦闘になってしまうのかしら……。
毒殺してきた相手とはいえ、同級生を殺すのは気分が悪い。
いっそのこと魔王軍の手下であれば、容赦なく殺すのだけれど。
でも、きっと彼女は違う。
ただアーサー様に夢中な乙女だ。
あまりにも夢中過ぎて、周りが見えなくなっているのだろう。
……なら、彼女がこれ以上間違えないよう拘束するまで。
私はブリジット様の足元に蔦を生やそうと、杖を振った。
だが、何も起きない。魔力を感じなった。
このまま相手だけが武器がある状態は不利。
なら、一旦距離を取ろう。
と考え、走り出した瞬間、手足に何か巻き付いた。
そして、それに後ろへと引っ張られ、私の体はバラの生け垣へと飛び込まされる。
「くっ!」
全身に棘が刺さり激痛が襲い、思わず目をつぶる。
そっと目を開ければ、腕は真っ赤。赤い血が垂れていた。
私の手足はバラの蔓で拘束されていた。
蔓を燃やそうと、手に意識を集中させるが、炎は出現しない。
魔法は使えないままだった。
むしろ体にだるさが生じていた。
なんか体の動きが鈍い……。
「うふふ! 最初に言ったでしょう? ここを管理しているのはラストナイト家。私以外は魔法なんて使えないのよ」
愉悦の笑みを浮かべたブリジット様は、ゆっくりとした足取りで私に近づいてくる。
短剣を振りながら、歩いてくる。
「あ~あ、そんなぐったりして。まぁ、その薔薇は人間の精力を吸っていますから、疲れるのも当たり前ですわね」
ああ……なんかどっと疲れたと思ったらそういうことだったのか。
魔法を使わせないだけではなく、こちらの体力も奪っていくとは……。
「軍で持ち上げられているのは知っていたけれど、まさかこの程度なんて! 雑魚! 雑魚ですわ!」
棘の痛みに襲われながらも、蔓の拘束から逃れるため、身体を必死に動かす。
「弱いあなたは殿下の近くにいるべきではありませんわ! さっさと死になさい!」
ブリジット様はこちらに真っすぐ走り出し、短剣を持つ手を振りかぶる。
本当に私を殺そうとしていた。
全身に刺さる棘が痛かった。
首を絞めていく蔓で苦しかった。
でも、まだ、私は生きてる。
まだ、致命傷は受けていない。
私はまだ命がある。
棘の痛みが強くとも、蔓がさらに巻き付いてこようとも、私は前へ足を進める。
血が垂れ視界の半分が赤くなろうとも、蔓を引っ張って抜け出そうと歩く。
「まだっ――死ねないぃ――――!!」
こんなところで諦めるわけにはいかない。
私みたいに、誰かに悲しい思いなんてさせたくない!
誰かを失ったあの悲しみを感じるのは私だけでいいから!
アーサー様には幸せでいてほしいから!
「だから、生きるっ――――!!」
その瞬間、私の首元が光を放ち始める。
その光は緑や青に輝いていて、綺麗だった。
だけど、光が強すぎて、私は眩しくて目をつぶった。
――――カキンッ!
その音とともに、ブリジット様の短剣が空へと吹き飛ぶ。
そして、弧を描くように落ち、ぷすりと地面に刺さった。
「――――ああ、君は生きるよ」
どこからともなく現れた彼。
彼が持つ銀のレイピアは太陽の光に照らされ、きらりと輝きを放つ。
それが短剣を吹き飛ばしたのだと分かった。
「君は死なない。絶対に死なせない」
意識が朦朧として、顔に蔓が巻き付ついているせいも視界もよくなかった。
ぼやけた視界の中で、私は懸命に目を見開いた。
「だから、安心して、エレシュキガル」
背中をずっと向けていた彼は、ちらりと振り向き、顔を見せた。
そこでようやく私は彼に気づいた。
「――――もう大丈夫だよ」
私の生きる理由――――アーサー・グレックスラッド。
彼の優しい笑顔がそこにあった。
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