第30話 軍人令嬢のお兄様
婚約して1週間後のこと。
放課後になり、アーサー様やマナミ様と一緒に図書館で勉強しようとしていた時のことだった。
「見かけない人がいるね」
「制服ではありませんね……誰でしょう?」
校門近くでそわそわしている男性。
銀髪の彼は両手で抱えるぐらいの大きな花束を持っていた。
あんなにキョロキョロして……なんだか誰かを探しているみたい。
だが、そのままスルーして、私たちはそのまま図書館へと向かおうとした。
図書館に行くためには、校門前を通らないといけないため、私は自然と男性の方に目が向く。
私は不審者の場合に備えて警戒していた。
紺色のジャケットに同じく紺色のベスト、その下から見えるのは淡い水色のカッターシャツ。首元には深い紫色の柄のないネクタイ。パンツは上と同じ紺色のもので、靴は鏡かと思うぐらいに磨かれた茶色の革靴だった。
格好だけ見れば、どこかのお偉いさんなのだろうと判断する。
だからと言って、警戒は怠らない。
お偉いさんなら、1人であんなところにいないし、もう学園に入って、案内されているはずだ。
でも、途中で不審者なんかではないことに気づく。
丸メガネに、ウルフカットの銀髪、あの立ち姿。
あれはもしかして――――。
「お兄様?」
そう呟いた瞬間、男性と目が合う。
彼はこちらに気づいたのか、ぱぁと顔を明るくさせた。
「エレシュキガル!」
私の名前を呼んだ兄様はこちらに向かって全力ダッシュ。
だが、大きな花束を揺らすことはなく、花弁一つ落とさず息を切らすこともなくやってきた。
「兄様、お久しぶりです」
「久しぶり〜。元気にしてた?」
「はい。兄様もお元気そうで」
そう答えると、兄様はクシャっと笑みを浮かべる。
私と同じ銀髪を持つ彼は私の兄シン・レイルロード。
丸メガネからのぞかせる深い紫の瞳はいつも以上にハイライトが輝いていた。
お父様の仕事を手伝っていて多忙だと聞いていたけど、兄様もお元気そうだ。
よかった。
「兄様、今日は学園に用があってお越しになられたのですか?」
「いや、学園には特に用はないね」
「?」
ではなぜ学園にいらしたんだろう?
不思議に思って、首を傾げていると、兄様は手に抱えていた花束を私に差し出した。
星のような形の花のブルースター、快晴の空のような青の薔薇、白のガーベラに、可愛らしい小さな花の白のカスミソウで構成されたその花束。
花束を受け取ると、花の香りが漂ってきた。とてもいい香りだ。
でも、大きすぎて前が見えなくなりそう。
「あの……兄様、この花束は?」
「それは俺からの婚約祝いさ。可愛い妹と友人が婚約したのに、プレゼントもお祝いの言葉もなしなのはどうかと思ってね」
「それで学園まで来られたのですか?」
「うん。本当はもう少し早くに来たかったんだけどね。遅れてごめんね」
と兄様は私に謝り、申し訳なさそうに苦笑い。
兄様もお忙しいだろうに、学園まで来てくださって、花束まで用意してくださるなんて。
「2人ともおめでとう」
「ありがとうございます、兄様」
「ありがとう、シン」
感謝を述べると、兄様は優しく微笑む。
その微笑みはまるで自分が婚約したかのように、幸せそうでこちらまで嬉しくなった。
ああ、そうだ。兄様には学園まで来てもらったのだ。
何もせず帰すのは失礼だろう。
「兄様、お時間があるのであれば、一緒にお茶でもいかがですか?」
これからの予定もあるかもと思い、尋ねてみたが、兄様は黙ったまま。
ただ目を見開いていた。
「兄様?」
「シン?」
アーサー様も心配になったのか、兄様に声をかける。
すると、兄様は眼鏡をゆっくり外し、目に手を当てすすり泣き始めた。
えっ? えっ?
どうして泣くの?
私とのお茶そんなに嫌だった……?
「うぅ……エレからそんなお誘いをされる日が来るなんて思っていなくて……お兄ちゃん感動……」
私からのお茶のお誘いがよほど嬉しかったのか、兄様は顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくっていた。
…………全く、大げさな。
心配した私が愚かだったわ。
「今すぐにでも、可愛い妹とお茶をしたい。したいんだけど……でも、その前にアーサーと話したいことがあるんだ」
「兄様とアーサー様で話したいこと、ですか?」
「うん、ちょっーと2人きりでね。だから、先に行ってくれる? 僕もアーサーも話が終わったら行くからさ」
確認のため、私がアーサー様の方に視線を送ると、彼もコクリと頷いた。
「分かりました。サロンの場所は分かりますか?」
「あー、忘れているけど……まぁ、アーサーがいるし、2人で一緒に行くよ」
「分かりました。では後程」
「うん、また後で~」
そうして、私はアーサー様と兄様をおいて、セレナたちとサロンへと歩き出す。
兄様と久しぶりのお茶だ。
実家でもお茶をすることはあったが、軍にいる間は会うこともなかったので、する機会がなかった。
実家でお茶をするにしても、全部兄様から誘われてしていた。
私から誘うことは決してなく、お茶を淹れるのも兄様がしてくれることが多かった。
アーサー様ばかりしてもらうのも申し訳ないと思い、教えていただきながら、私もお茶を淹れる練習をしていた。だから、今は私もお茶を淹れることができる。
よしっ、今日はいつもよりもいいお茶を作らなければ。
私は小さく気合を入れて、サロンへと向かった。
★★★★★★★★
エレちゃんたちが去った後、僕はシンとその場に残っていた。
シンは相変わらずニコニコ笑顔で、エレちゃんの姿が見えなくなるまでじっと見ていた。
妹に会えたことがよほど嬉しかったみたいだ。
「それで、シン。僕に話って?」
「大事な話があるんだよ。でも、ここは場所が悪いから、移動してからにしよう」
「分かった」
内密にしたい話なのか、シンは周囲を警戒しており、彼の視線は色んな所に行ったり来たりしていた。
そのため、僕らは人が少ない庭の端まで行き、木の下にあったベンチに腰を掛けた。
一応盗聴されないよう、僕は静かに結界を張った。
「アーサー、改めて婚約おめでとう。いやぁ、エレシュキガルの婚約相手が君になってよかったよ」
「エレちゃんと婚約できたのはシンのおかげだよ。本当にありがとう」
「あははー、やだな。俺は何もしてないよー」
「アーサーが頑張ったから、婚約できたのさ」と笑顔で言うシン。
でも、シンがいなかったら、学園でエレちゃんに会うことも婚約を申し込むこともきっとできなかった。
シンには感謝しきれないだろう。
「それで話したいことって? 婚約の話だけではないよね?」
「ああ、ちょっとアーサーに伝えておきたいことがあってさ」
すると、シンはさっきとは打って変わって、キリっと真剣な表情に変わる。
「エレシュキガルは誰かに狙われている――それを言っておきたかったんだ」
「……」
「あ、もしかして気づいてた?」
「……まあ。シンの部下らしい人がエレちゃんをつけていたし」
「へぇ、君が僕の優秀な護衛に気づいていたとは、やるねぇ」
正直、あれで気づかないはずがない。
レイルロードの裏の人たちの顔は見たことがあるし、色々お世話になったし、エレちゃんをつけているとなったら、僕が彼らに気づかないはずもない。
「その護衛の話はエレちゃんには話してないの?」
デートの時、エレちゃんにレイルロードの人間が付いてきていることを話したが、彼女はピンときていないようだった。
すると、シンは斜め上に視線を移し、「あー」と気の抜けた声を漏らす。
「その話はしたことがあるんだけど……」
「だけど?」
「エレに『護衛はいらない』と言われてしまってね」
「ああ……それで隠してるんだ」
「そー」
確かにエレちゃんが『いらない』といえば、いくら護衛をつけようとしても、頑固拒否。きっと突き返されるだろう。
それでエレちゃんには秘密で護衛をつけてる……シンらしいといえば、らしいけど。
「エレちゃんを狙っている誰かって誰?」
「それは分からない。調査しているけど、正体が掴めてないのさ」
「シンの部下の人は犯人と接触しているんだよね?」
「ああ、護衛の人間が何度か交戦してるよ。寮に入ってからずっとエレに護衛をつけているんだけど、入学してすぐの日にエレが眠っているところを襲撃しようとしていた奴がいたんだ」
「え」
それってエレちゃんが暗殺されかけたってことじゃないか。
「あはは。報告受けた時にはめちゃくちゃひやっとしたね。でも、同時に俺の判断は間違ってなかったと思ったよ」
エレちゃんは職柄上用心のために、自室に結界を張っているとは言っていた。
でも、それにも限界がある。
相手によっては効かない時もあるし、場合によっては相手が結界自体を壊してしまう。
エレちゃんが状態異常系の魔法をかけられて眠らされた場合も危ない。
そう考えると、シンの判断はよかった。
しかし、シンに安堵のようすはなく、逆に深刻そうな表情を浮かべる。
「でも、襲撃犯は捕獲できなかった。部下が10人がかりぐらいで追跡したんだが、相手の逃げ足が速すぎた」
「相手の顔は見えなかったの?」
「報告によれば、深いフードを被っていて尚且つ口元をストールで隠していたみたい。だから、確認はできなかった。それでも分かったことはあったよ。身長は僕らと同じぐらいだったらしい」
「となると、犯人は男?」
「うーん……そう断言したいけど、ローブを着て居たようだし、身長のある女性って可能性は捨てきれないね」
「その犯人がラストナイト家からの刺客とかは?」
最近の出来事を踏まえると、彼らがエレちゃんを襲撃していてもおかしくないだろう。
しかし、シンは横に首を振った。
「それはないと思う。あそこの家からなら、学園に来る前に俺の部下がさっさと捕まえているさ」
よほど自信があるのかシンは強く主張する。
シン、さてはラストナイト家にスパイでも置いているな……。
まぁ、レイルロード家とラストナイト家の仲はいいとは言えないし、当然と言えば当然か。
でも、ラストナイト家ではないとなると、ラストナイト家以外の貴族の人間、あるいは――――。
「魔王軍か……」
エレちゃんは前線で戦う軍の人間。
当然、敵対している魔王軍としては、強い敵を潰しておきたいだろう。
功績を残しているエレちゃんが標的にされてもおかしくはない。
これは前々から考えてはいたけど、ラストナイト家じゃないとなると、魔王軍の可能性は強くなる。
「でも、犯人が魔王軍の者となると、学園に魔王軍の者がいるということになる……」
「そう。だから、気を付けて。どの子が敵なのか分かってないから」
「うん、エレちゃんの周りは警戒しておくよ」
「エレだけでなく、君もね。君がいなくなったら、エレは本当に悲しむだろうから」
これまで多くの仲間を失ってきたエレちゃん。
『私が誰かを好きになったら、相手がどこかに行ってしまう、死んでしまうのではないかって思ってしまうんです……』
あの言葉は仲間を失いすぎて、潜在的に出てきたエレちゃんの不安だろう。
いなくならないと約束した婚約者の僕までいなくなったら、彼女の心は壊れてしまう。
彼女の心の安寧のためにも、僕も用心しておこう。
「これで話はおしまいさ。じゃあ、エレのところへ行こうか! お菓子はもちろん君が作ったものだろう? 楽しみだなー!」
全部話し切ったのか、シンは満面の笑みに戻り、僕の背中をバシバシ叩く。
でも、僕はシンのようにはなかなか切り替えができなかった。
一体誰が魔王軍側の人間なのだろう……。
その疑問が頭の中でいっぱいになっていた。
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