第29話 私ばかり

 あの騒動があってその後、正式に婚約したことが発表された。


 新聞の一面に乗り、私たちの婚約話は国中に広まった。

 また、父からの手紙には「婚約おめでとう。殿下と懇意になっているとは知らなくて、少し驚いた」とのこと。

 いつもは軍に戻らないでそのまま学園にいてくれと、しつこい文章が書いてあったのだけど、今回の手紙では、父が私の婚約を嬉しく思っているのが明確に分かった。


 まぁ、相変わらず最後には「軍に戻る気はなくなったかい?」とは聞いてきたけれど。

 でも、今は前ほど今すぐ軍に戻りたいという気持ちはない。

 前の私だったら、学園を中退してでも戻ろうという計画もこっそり考えていたはず。

 今のところは卒業まではちゃんと勉強して、その後帰るつもり。

 軍に戻るのは絶対。あの魔王との決着は自分で決めたい。

 誰かに任せることはしたくない。

 

 あの騒動以来、私はアーサー様と一緒に契約書を書いたり、陛下に謁見をしたりと数日は少しバタバタしていた。

 数日経った今はそれも落ち着き、いつも通りの日常へと戻った。


 でも、変わったこともある。

 あの騒動があってから、スカーレットさんたちからの嫌がらせはなくなり、早起きして席を確保することが必要なくなっていた。

 

 今は朝日が昇ると同時に目が覚め、とても心地いい朝が送れるようになった。

 私は起きるとすぐに、ベット脇に置かれているサイドテーブルに目をやる。

 そこには小さなとんがり帽子のような白のリングスタンドを置いていた。


 そのリングスタンドに飾られているのはアーサー様から頂いた婚約指輪。

 指輪についている青緑の宝石はカーテンから覗く朝日に照らされてキラリと光っていた。


 私はその指輪を手に取り、左手の薬指につける。


 そんな朝から始まり、準備を済ませると、女子寮1階フロアでセレナと合流。

 食堂でマナミ様と合流して、朝食をとる。

 今日の朝食は「朝からトンカツモーニング」というトンカツと山盛りの千切りキャベツ、ミソスープ、ライス、ヨーグルトがセットになっているもの。


 これは男子に人気な朝食メニューだが、朝からガツンとしたものが食べたい私のお気に入りでもある。

 その朝食をとっている間、なぜか2人は私の手を見て、にやにやとしていた。


 「指輪をつけるようになってからのエレシュキガルは、なんだか楽しそうにしてるわね」


 トンカツにかぶりついていると、正面でお茶を飲むマナミ様がそんなことを言ってきた。


 「そうですか?」

 「ええ、幸せオーラ全開って感じですわね」


 マナミ様に続いてセレナがそう言うと、マナミ様はうんうんと大きく頷く。

 

 そ、そうなのか。

 そんなオーラをまき散らしていたとは。

 婚約には不安の方が大きかったのだけれど、気づかないうちに浮かれていたのか。


 もちろん、以前婚約した時に婚約指輪をいただくことがあった。

 でも、その時は別に何の感情もなかった。

 ただの契約だとしか思えなかった。


 アーサー様の婚約は違う気がする。

 

 不安のなのは確かだけれど、それ以上に安心感があった。

 アーサー様は私の気持ちを大切にしてくれている。


 だから、私も彼にちゃんと向き合うつもり……ルイに対する気持ちも整理する。


 でも、もし気が緩んでいるのなら、気を引き締めていかないと……いつかに備えて授業も訓練もしっかりとしなくちゃ。


 そう決意しトンカツを食べ終えた私は、トレイを持って勢いよく立ち上がった。



 

 ★★★★★★★★




 朝食を終えた私たちは教室へと移動した。

 席に着いたら1人で予習を始める――――ことはせず、最近影魔法に興味を持っていた私は、マナミ様から影魔法の初級魔法について教えてもらっていた。


 影魔法の理論は簡単。

 影魔法は影に潜ることができ、他の影へと移動ができるというもの。

 ただ地上に出る際に、脱出場所を間違えると。


 「月の影に出た時は死んだと思ったわ。息ができなかったもの」

 

 とマナミ様がおっしゃったように、出た先が危険な場所だった場合、命の危機に陥る。

 マナミ様は幼い頃から影魔法を使っていたようで、魔法を使って自国から出て遊ぶことがあったらしい。

 理論は簡単だが、扱いは非常に難しく、ほとんどの呪文の難易度はⅥ。

 そのため、影魔法は学園では詳しくは学習しない。


 でも、影魔法を使えれば、転移魔法を使わずとも影魔法を使って、敵の死角に入れる。

 うん、ぜひとも使いこなせるようになりたい。

 と、影魔法の勉強に熱が入っていると。


 「え?」


 私の視界が突然真っ暗になった。

 目に何かあたっているような……目を手で隠されているのか?


 「エレちゃんに問題です。今目を隠しているのは誰でしょう?」


 目を手で塞いでいるであろう彼は、私の耳元近くでそう尋ねる。

 彼の声はとても優しく、妖艶さがあった。


 なんか距離が近いような……。


 私はどぎまぎしながらも、小さく答えた。


 「アーサー様です」

 「せいかーい」


 正解すると、私の目を覆っていた手が離された。

 振り返ると、後ろにいたのは笑顔のアーサー様。


 「おはよう、エレちゃん」

 「おはようございます」


 彼はいつも通り私の隣に座る。

 そして、アーサー様は私の手元をちらりと目をやると、こちらをじっーと見つめ始めた。

 どうしていいか分からず、私も首を傾げつつ見つめ返すが、アーサー様は何も言わず目を合わせ続ける。


 だが、その見つめ合いに耐えきれなくなって、私は目をパッと逸らした。

 

 「あ、あの……アーサー様、どうかされましたか? 何か変なところでもありましたか?」

 「いや、今日も僕の婚約者フィアンセが綺麗だなって思って、見とれていました」

 

 その瞬間、私の脳がボッと爆発する。

 頬が熱くなっていくのを感じる。


 綺麗だなんて……うぅ、心臓が持たないわ。

 ……全く、そういうのは2人きりの時にしてほしい。


 他の人が気にする様子はなく、近くのセレナたちは「あらあら」とニヤニヤするだけ。嫌な目を向けてくる人は誰一人いない。


 教室にスカーレットさんの姿はなく、彼女に加担していた何人かの生徒の姿もない。

 アーサー様やマナミ様から聞いた話によると、彼女たちは事情聴取のため拘留場に送られたそう。

 私も少しではあったが、検察から事情聴取をされた。

 

 検察の方からは、これまでスカーレットさんにどのような嫌がらせをされたか、スカーレットさん以外に誰が嫌がらせを行っていたかなどを尋ねられた。

 慣れないこともあって緊張していた。だが、向こうは私の顔を知っていたようで、雑談を混ぜてくれながら尋ねてくれたので、比較的話しやすかった。


 彼らはすでにマナミ様が入手した証拠を持っており、その証拠をもとに調べているようだ。

 これまでのスカーレットさんたちの行いはさらに詳しく取り調べを行っていくらしい。

 なので、これからの学生生活は安心して過ごしてほしいと言われた。


 また、食堂での騒動で証拠を提示したマナミ様は証拠が集めていたこともあり、検察に全面的に協力している。

 正直、いつ証拠なんて集めていたのか気になったが、マナミ様に尋ねても「アーサーあいつに頼まれただけよ」とだけ。 

 でも、捜査の状況を教えてくれた。


 「昨日教えてもらったことなんだけど、嫌がらせに関わった人のほとんどが『当時の記憶がない』って言っているらしいわ」


 スカーレットさん以外の嫌がらせを行った方に事情聴取をしたところ、全員がそう言ってきたらしい。

 スカーレットさんが魔法で人を操っていた可能性も考えているようだ。

 

 嫌がらせをしてくる人も陰口を言ってくる人もいなくなり、平穏な日々を送っていた。

 ただ――――。


 「エレちゃんが食べてみたいケーキ、お菓子ってある?」

 「えっと……バウムクーヘンを食べてみたいです」


 婚約を申し込まれた時と同じ、いやそれ以上に、アーサー様は積極的だった。

 隣の席に座るのはいつも通りだとして、色んなお菓子を作ってくれようとしてくれたり、服をもらったり、「何かしてほしいことはない?」としきりに聞いてきたり……。


 好きになってもらうよう頑張るっておっしゃられていたけど、これだと私の気持ちが追い付かない。

 もちろん、お菓子を作っていただくのはとっても嬉しい。


 そして、今日の放課後もリンゴのクッキーをいただいた。

 クッキーはリンゴの形をしたもので、ほんのりとりんごの香りがした。

 とても美味しそうだけれど…。


 「僕はエレちゃんがずっと好きだよ」


 と言って、アーサー様は私の手をそっと取る。

 その手は温かく柔らかい。

 見上げると、アーサー様の水色の瞳が私を捉えていた。

 その瞳は心酔しているように見えた。


 「困ったことがあったら、なんでも言ってね」

 「……はい」

 

 …………うーん。

 私ばかりがもらっていいのだろうか。

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