第27話 婚約者 前編

 普段は柔らかで優しい瞳を持つアーサー様。 


 「――エレちゃんが退学なんて、どう話が転んだらそんな結論がでるの?」


 だが、今の彼は氷のように冷たい瞳で、スカーレットさんを睨んでいた。

 周囲の人たちは圧倒され、みんなだんまり。

 中にはあんぐり口を開けている男子学生もいた。


 重いオーラを放つアーサー様はこちらに真っすぐ歩いてくる。

 周りの人たちが避け1つの道ができていく。

 こちらまで来て私を見ると、アーサー様は安心したように柔らかな笑みを浮かべた。


 「僕らが離れた瞬間、こんなことになっているとは……ごめんね、エレちゃん」

 「いえ……」


 手の震えを隠そうとすると、アーサー様は手を取り、ぎゅっと握った。


 「本当に怖い思いさせたね。大丈夫だよ。僕がいるから、安心して」


 優しい口調で話すアーサー様は私の手をさすってくれた。


 さっきまで、私は喉に何かつっかかったように声が出なかった。

 だけど、アーサー様を見つけて、彼が手を握ってくれて、どこか安堵する自分がいた。

 もう怖さはない。手の震えも消えている。


 「ありがとうございます、アーサー様」


 お礼を伝えると、アーサー様はニコリと微笑む。

 その笑みには安心感があった。


 彼が来なかったら、私流れるままに答えていたのかもしれない。

 本当にアーサー様が来てくれてよかった……。


 アーサー様は私と手をつないだまま、スカーレットさんに目を戻す。

 横から見えるアーサー様の顔はさっきとは打って変わって、瞳は冷ややか。

 声も冷酷さがあった。


 「オイレンシュ嬢と……本来なら関わることもないだろうエレちゃんの婚約者さん。なぜエレちゃんが退学しないといけないか説明してくれるかい?」


 アーサー様が「元」という部分を強調して尋ねると、ノーマンはむっと顔を引きつらせる。

 アーサー様が相手であるせいか、意外にも彼は丁寧な口調になっていた。


 「そいつ……エレシュキガルは僕の恋人スカーレットに殴るといった暴行を加えたのです。魔法技術訓練での試合以外での暴力は犯罪であり、スカーレットには暴行を受けた痕が体中にあります。なので、そいつが退学するのは当然でしょう」

 「先生の審議も警察の介入もなしで?」

 「はい。こちらは別に学園長や警察に報告しても構わないと考えておりましたが、そちらは大ごとにしたくないだろうと思い、こちらから提案させてもらいました」

 「エレちゃんがしたという証拠はあるの?」

 「スカーレットが証言してします」

 「それだと自作自演の可能性があるけど?」

 「暴行の様子を他の生徒が見たと話しています」

 「ふーん」


 ノーマンを質問攻めするアーサー様は呆れた表情を浮かべ、ノーマンからスカーレットさんの方に目を移す。

 あまりにも目が鋭いせいか、スカーレットさんは怯えてノーマンの背中に隠れた。


 「オイレンシュ嬢、エレちゃんにいつ殴られたの?」

 「4日前のことで、その女が呼び出して……」


 委縮したスカーレットさんの代わりにノーマンが答える。

 しかし――――。


 「君には聞いてない」

 

 アーサー様はバッサリ彼の言葉を切った。


 「ですが、スカーレットはその女におびえて話もまともにできなく――」

 「うるさい。黙れ」


 私の手を握るアーサー様の手にぎゅっと力が入る。

 横を見ると、いつもとは違う険しい顔をしたアーサー様。

 まるで周りが見えていないような……。


 「……アーサー様?」


 私が名前を呼ぶと、アーサー様はハッと息を飲む。

 目を合わせると、優しい表情に戻った。


 「……ごめん、今の僕怖かったよね? 本当にごめん」

 「いえ、大丈夫です」


 私の髪を優しく撫でると、アーサー様はスカーレットさんたちの方へ向き直った。


 「ねぇ、ノーマン君。エレちゃんを『女』って呼ばないでくれるかな? 正直君みたいな人の口からエレちゃんの名前を出してほしくないけど、呼ぶときは『レイルロード嬢』ね」


 その忠告を受けると、ノーマンは口出しすることなく石像のように黙る。

 そして、アーサー様はスカーレットさんに再度問いただした。


 「じゃあ、もう一度聞くよ。オイレンシュ嬢、君はいつエレちゃんから暴行を受けたの?」

 「4日前の夕方です……4日前の夕方にエレシュキガルさんから殴られました」


 スカーレットさんはもじもじしながらも、小さな声を絞り出す。


 「4日前か……うーん」


 すると、アーサー様は首を傾げた。


 「おかしいな……ねぇ、エレちゃんもそう思わない?」

 「おかしい、ですか?」


 私の問いに、アーサー様はコクリと頷く。


 「うん。だってさ、その頃のエレちゃんは僕と一緒に勉強していたのに、その時間にオイレンシュ嬢はエレちゃんに傷つけられたって話すんだよ」

 「ああ、そういえばそうでした」


 アーサー様に言われて気づいたけど、4日前の放課後は確か私は教室に残って、アーサー様と一緒に課題に取り組んでいた。

 私としたことが……すっかり忘れていた。

 

 「ねぇ、オイレンシュ嬢。君、本当に4日前の夕方に傷つけられたの?」


 その問いにスカーレットさんはくっと苦しそうな声をこぼす。

 そして、牽制する猫のように、アーサー様をきつく睨んだ。

 それに対し、アーサー様は呆れたようにはぁとため息をこぼす。


 「嘘をつくのなら、もう少し練り上げた方がいいよ。オイレンシュ嬢の恋人さんも確実な証拠を持ってから、物を言っていただきたいね」


 ノーマンは顔を逸らし、チッと舌打ちをする。

 ……うわ。この人、なんて失礼な人だろう。

 アーサー様を相手に舌打ちなんて不敬だわ。


 しかし、隣のアーサー様は気にしていないようで、話をそのまま続けていた。


 「あと君たちに言っておきたいことがあるのだけど、僕はエレちゃんをいじめている人がいるのも知ってるよ。女子寮で起きていることも、セレナ嬢たちから全部聞いているからね」


 そう言って、アーサー様は後ろをちらりと見る。

 後ろを見ると、後ろにはセレナとリアムさん、マナミ様がいらっしゃった。

 私と目が合うと、彼女たちはニコリと笑ってくれた。


 「オイレンシュ嬢および彼女に加担した者はしかるべきところに報告させてもらうから……ああ、自首してくれれば、罪は軽くなるかもしれないから、自首つもりならお早めに」


 アーサー様は周囲の人たちに向けてあたりを見渡しながら、そう話す。

 食堂はざわつき始め、先ほど「退学しろ」と言って来ていた人の顔は青くなっていた。


 そんな中、ノーマンの後ろに隠れていたスカーレットさんは、彼の前に立ち、不敬罪で訴えられないかこちらが心配になるぐらいアーサー様を睨む。

 そして、女子寮で話す時の強い声色で話し始めた。


 「殿下……私がエレシュキガルさんをいじめたという証拠はあるのでしょうか?」

 「ハッ、あるから訴えるのよ。当たり前でしょう?」


 そう言ってきたのはマナミ様。

 彼女はいつの間にか私の隣で腕を組み仁王立ちしていた。


 「あなたたちがやったエレシュキガルに対する侮辱、暴行、嫌がらせ、全て私の記録器で撮影してるの……ああ、確かあなたたち、ロクな証拠なしに私の友達を責めていたのだっけ? そんなのじゃあ、当たり前のことすら知らないわよね? ああ、私ったら、気を配れなくてごめんなさい」


 メガネの奥でギラリと光るアンバーの瞳。

 マナミ様は悪魔のような楽し気な笑みを浮かべていた。

 

 「でも、証拠はちゃんとあるから、安心して牢獄にでも行きなさい」


 マナミ様は茶色の髪を後ろに振り払い、ふんっと鼻を鳴らす。

 それに対して、スカーレットさんはピクピクと肩を震わせていた。


 こんな風に一方的に問い詰めるのはなんか悪役みたいだけど、嫌がらせは事実だし、アーサー様が公言した以上、ここで真実をはっきりさせた方がいい。


 すると、スカーレットさんは諦めたように顔を俯かせる。

 赤い髪で覆われ顔は見えなくなったが、彼女が嗚咽をこぼしていたことに気づいた。

 地面にぽたぽたと雫が落ちていた。


 「確かに……私はエレシュキガルさんに嫌なことをたくさんしました。それは本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい……でも、それは全部ブリジット様に命令されてやっていたのです……」


 スカーレットさんが告白した途端、遠くで椅子がガタッと倒れる音が響く。


 「スカーレット? あなた何を言っているの?」


 1人立ち上がっていたのはピンク髪の女子生徒。

 あれは………公爵家のご令嬢ブリジット様。


 彼女は動揺しているのか、声が震えていた。

 すると、スカーレットさんは彼女に指をさし、アーサー様に訴える。

 

 「私、あの方に命令されて……本当は嫌だったんですけど、しなかったら、私の家を滅ぼすとか言われて……」

 「で、殿下! そんな酷い命令などしておりません! だいたい、私はあの子との関わりはありません!」


 無関係だと訴えるブリジット様。

 しかし、アーサー様は表情一つ変えることない。


 「ラストナイトさん、こっちはオイレンシュ嬢が君の部屋に入っていたことは確認しているけど?」

 「そ、それは単なる交流として……」


 アーサー様の問いに、なんとか答えようとするブリジット様。

 だが、自分で矛盾となる発言をしたことに気づき、ブリジット様の口は徐々に動かなくなる。


 「関わっていないと言っていたのに、交流とは。ラストナイト嬢は1分も経たないうちに矛盾発言をされていますね」

 「ええ、滑稽なぐらい矛盾するのが速かったですわ」


 後ろにいたリアムさんとセレナは楽しそうにうふふと笑みをこぼしていた。


 「……まぁいいや。君の処分は後で考えることにしよう。リアム、後でよろしく」

 「ええ、お任せを」


 指示を受けたリアムさんはアーサー様に丁寧に頭を下げる。

 その姿は宰相の息子のオーラを感じさせた。

 それにしても、リアムさん、誰よりも笑顔だわ。

 どこかスカッとしているような……。


 一方で、アーサー様は深い溜息をされていて。


 「はぁ……全く僕がいるというのに、エレちゃんを罠にはめようとするなんてね……困ったものだね、エレちゃん」

 「え? あ、はい」


 突然話を振られ、ぎこちない返事になる。

 そんな私に、アーサー様は優しく微笑し、握っていた手を放す。

 だが、その手はそのまま私の腰へと回り、気づけばアーサー様に抱き寄せられた。


 「ア、アーサー様?」


 手を繋いでいた時もパーソナルスペースがないくらいに近かったが、今は私と彼との間はゼロ距離。体が密着していた。


 「ふふっ、本当にエレちゃんはかわいいね。顔をまた赤くして……ああ、でも、だからこそ、君が傷くのは嫌だな……誰かに取られるのももう嫌だよ。取られたくない」


 そんなことを言いながら、アーサー様は私の髪をクルクルと指でいじる。

 宝石のように輝くアーサー様の水色の瞳は私を捉えていた。

 

 「ああ、そうだ。もういっそのこと僕とエレちゃんが――」


 アーサー様の話の最後の方はあまりにも声が小さくて、聞き取れなかった。

 だが、アーサー様は何か1人決意すると、あたりを見渡し、そして、食堂全体に聞こえるよう大きな声で話し始めた。


 「本当はもう少し後で話すつもりだったけど、この際だから、みんなに話しておくよ」


 アーサー様は私に優しい笑みを向けると、周囲に視線を戻し、こう宣言した。


 「エレシュキガル・レイルロードは僕の婚約者だ。彼女を傷つけようとする者がいれば、僕は絶対に許さないから」

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