第12話 週末の約束(アーサー視点)

 エレちゃんが婚約破棄された後、僕はすぐに彼女に話しかけた。

 僕が王族であるためか、エレちゃんはとても礼儀正しくて、少し動揺。

 もちろん、軍で出会った頃の僕は『ルイ』だったから、以前のようには関われない。

 当たり前と言えば、当たり前。 


 そういう事実を理解しながらも、寂しさを感じた。


 …………分かってる。

 今の僕はアーサー。

 エレちゃんと仲良く話せていたルイ・ノースではない。


 別に悪いことじゃない。

 これからはエレちゃんに本当の名前を呼んでもらえるんだ。

 ここはポジティブにいこうじゃないか。


 幸いにも、僕は彼女の隣に座ることができた。

 心中ウキウキしながらも、冷静を装う。

 しかし、エレちゃんは僕に興味を示さず、教科書へと視線を戻していた。


 初めに会った時もこんな感じだったな……懐かしい。

 それよりも、隣にエレちゃんがいるんだ。


 ずっと話したかった彼女がいることに、気持ちが昂り、僕は授業が始まっても、ずっとエレちゃんを見ていた。


 いつもなら、自分の行動が他の人にどのように見られるか、考えた上で動く。

 しかし、今は周囲の視線なんて気にしていなかった。

 エレちゃんのことで頭いっぱい。

 

 だって、だって。

 こんな近くにいるエレちゃんの横顔を見れるんだよ? 

 他のことなんて考えてらんない。

 ほんとエレちゃん、かわいい、かわいい、かわいい……。


 そうして、じっと見つめていると、エレちゃんがちらりと訝しげな目を向けてきた。


 「あの……どうかされましたか?」

 「えっと……ノート取らないのかなーと思って」


 エレちゃんの問いに、返答を大急ぎで思いつく。

 だが、適当には作っていない。


 事実、さっきからエレちゃんは全然ノートを取っていなかった。

 いつもの彼女ならきちんと取って、次の日にはそのノートと教科書で復習する。

 そこまでがエレちゃんのルーティーン。

 だが、授業が始まっても、彼女はノートを取ることはない。

 そんなエレちゃんに少し違和感があった。


 「そうしたいの山々なのですが、ペンがないので」


 と言いながら、彼女は少し困った顔を浮かべた。


 「ペンがない?」

 「はい。どうやら筆箱を盗られたようです」

 「え? 盗られた?」


 エレちゃんの一言に、僕は思わず動揺してしまう。

 筆箱が盗まれたって、盗難されたってことだよね?

 それって大丈夫なの?


 しかし、彼女は平然としており、ノートを取らずに授業をしようとしていたため、僕はペンを貸した。

 ペンを渡すと、エレちゃんの顔は少しだけ明るくなる。

 どこか安心しているようだった。


 その後、彼女は大急ぎでノートを取り始める。

 僕は必死にノートを取るエレちゃんを見守った。


 もしかして、こういうのって、エレちゃんには日常茶飯事なのかな……。

 気になった僕は授業が終わると、エレちゃんの筆箱盗難について友人のリアムに話した。

 すると、彼は。


 『アーサーは気づいていなかったんですか?』


 と驚かれる。

 ちょっとだけ、知っていたのに教えてくれなかったリアムを恨みたくなった。

 だが、そもそも彼には最近まで『戦場で出会った天使=エレちゃん』であることを話していなかったので、仕方ないといえば仕方ない。 


 だから、気づけなかった自分が悔しい。


 エレちゃんがいつも1人で過ごしていたことは知っていた。

 でも、それは軍での癖が抜けない、もしくは同世代の人との関わり方が掴めていないのが原因だと思っていた。


 だけど、実際はみんなから避けられ、加えて嫌がらせを受けていた。


 いつもの僕なら、エレちゃんへの嫌がらせぐらいすぐに気づけただろう。

 でも、それができなかったのは、嫌がらせが僕の視界の中では行われなかったせい。


 もちろん、自分の婚約話に気に取られていたこともある。

 でも、思い返せば、エレちゃんへの嫌がらせを一度も見たことがない。

 僕が、エレちゃんを見ている時には絶対嫌がらせが実行されることはなかった。


 本当にあくどい。

 でも、それでも自分が気づけていたら、エレちゃんが嫌な思いをせずに済んだはずだ……。


 分かってはいる。

 後悔したところで、エレちゃんが嫌がらせを受けてしまったことはどうしようもない。


 …………これからだ。

 これからエレちゃんが嫌な思いをしないように動かなければ。

 彼女が笑って過ごせるようにしなければ。


 嫌がらせに関しては逆に考えると、僕がエレちゃんを見ている限り行われない。


 「エレちゃん、おはよう」

 「おはようございます、殿下」


 だから、僕はできる限りエレちゃんから離れなかった。

 最初は戸惑っていたところもあったけど、過ごすうちにエレちゃんも慣れてくれた。


 これなら、少なくとも教室にいる時は嫌がらせは生じない。

 僕がエレちゃんといれば、どんな相手だろうと引き下がって、いじめは消えてくれるだろう。


 また、リアムからエレちゃんの婚約の裏事情を聞かされた。

 どうやらエレちゃんは軍人であるがゆえに、婚約しずらかった状況にあったらしい。

 その中、ようやく婚約できた相手はあの伯爵家の男。


 でも、エレちゃん自身は婚約なんて望んでいなかった。


 『私にどこかに嫁いでほしいなんて叶わない願いは捨てくださいませ』


 とお父様に話していたらしい。

 婚約者がいなくなってくれたが、婚約することを望んでいないエレちゃんに婚約を申し込めない。

 無理に婚約してしまえば、それこそエレちゃんの意思を無視することになる。

 そんなことは絶対にしたくない。

 でも、エレちゃんと婚約して、他の男に取られることだけは防ぎたい。

 

 もう遠くでエレちゃんを見つめるのは嫌だから。


 だから、まずはエレちゃんと仲良くなる。僕を受け入れてもらいたい。

 今は、僕が王族であるせいか、エレちゃんとの関係は少し距離がある。

 立場を重んじる彼女は、僕が何を提案しても「はい。構いません」だ。


 もちろん、エレちゃんの本心で答えているのならいい。

 でも、今は自分の思いよりも他の人の願いに沿えるような発言ばかり。

 できれば、昔みたいに……エレちゃんが気楽に話してくれればいいけれど。


 だが、関わっていくうちに、エレちゃんの態度は徐々に変わっていた。

 最初は、僕が話を振るばかりだったが、エレちゃんも話題を出してくれるようになって、あまり関わろうとしなかったリアムにも話を振るようになっていた。


 リアムに少しだけ嫉妬してしまったけど。

 でも、エレちゃんがどんどん話してくれるようになったから、嬉しい気持ちでいっぱいだった。


 …………うん。今ならいける気がする。

 この前は断られたけど、今なら断られないだろう。


 そうして、ある日の朝。

 僕はいつもより早く教室に向かった。

 早すぎたせいか、エレちゃんの姿はない。

 待っていると、エレちゃんの足音が聞こえてきた。

 バッと足音の方を見ると、教室に入ってきたのはエレちゃん。


 ああ……今日のエレちゃんもかわいい。

 可憐で美しいね、エレちゃん。

 今すぐにでも抱きしめたいな。


 こちらに気づいたエレちゃんは、すぐにこちらに来てくれた。


 「おはようございます、殿下」

 「おはよう、エレちゃん」

 「今日の殿下はお早いのですね。びっくりしました」


 しかし、エレちゃんは僕の隣に座ることはなく。

 僕の横を通り過ぎようとする。


 「ちょっ、ちょっ」

 「?」


 僕は思わずエレちゃんの手を掴む。

 なぜ引き留めたのか分からないのか、彼女は首を傾げていた。

 

 「殿下、どうかいたしましたか?」

 「いや、なんでいつもの席に座らないかなと思って」

 「それはいつもの場所は殿下が座っておられるので、別の所にしようと……」


 なるほど。そういうことか。

 僕は荷物を移動させ、左にスペースを開ける。


 「ここはエレちゃんの特等席」

 「隣はよいのですか? ウィリアムさんは……」

 「大丈夫。リアムは僕の右に座るよ。だから、エレちゃんはここに座って」

 

 そう話すと、エレちゃんは訝しげな表情を浮かべながらも、座ってくれた。


 「いつもエレちゃんはここに座ってるよね。ここが好きなの?」

 「いえ、別に好きとかはありません。座れれば席はどこでもいいのですが……本音を言えば、最前列に座りたいです」


 そうだったのか。


 「なら、前に座ればいいのに。どうして、エレちゃんは前に座らないの? 早く来るならいつも空いているだろうに」


 すると、エレちゃんは少しだけ困った表情を浮かべた。


 「それは物を投げられることがあって、授業に集中できない可能性があるからです」

 「物を投げられる? 授業中に?」

 「はい」


 授業中、エレちゃんに物を投げる人なんていただろうか。

 …………見かけた覚えがないな。


 せっかく早く来ているのだし、エレちゃんが望む場所に座ってほしい。

 以前は1人で座っていたために物を投げられた。

 でも、僕が隣にいればそんなことは起きないだろう。


 「じゃあ、僕と前の席に座る?」

 「え?」

 「大丈夫。物を投げられることはないと思うよ」

 「殿下は前の席でよいのですか」

 「うん。僕はエレちゃんの隣ならどこでもいいし」

 「そうですか」


 そうして、僕らは前の席へと移動した。

 授業が始まって、鏡を駆使して物を投げてこないか見張っていると、後ろの方から1人の女性とが紙くずを投げようとしていた。


 僕が隣に座っているのに、よくしようと思えるな……。

 まぁ、エレちゃんの邪魔をする人は大罪を犯しているのも同等。

 絶対に邪魔は許さない。


 僕は静かに魔法を使い、紙くずを燃やす。

 女生徒は驚いていたが、僕の視線に気づくと、「ひっ」と悲鳴を上げていた。

 

 その時は相手が怯えるほど、怖い顔をしていたかもしれない。

 怒りの感情が抑えられずに、かなり睨んだ気もする。

 しかし、エレちゃんは集中していて気づくことはなく、授業は無事に終わった。


 「物を投げられなかったね」


 そう言うと、ほんのほんの少しだけ、少しだけどエレちゃんは微笑んでくれた。

 今ならいけるかも…………。


 「ねぇ、エレちゃん」

 「なんでしょう、殿下」

 「今度一緒にお茶をしませんか?」


 エレちゃんとお茶をすれば、彼女に美味しいお菓子も食べてもらえるし、教室よりもそれほど時間を気にせず話せるだろう。

 

 「今度というのはいつでしょう?」

 「!」


 この返事はエレちゃんが僕と一緒にお茶をしてくれる!

 なんてことだ……エレちゃんとお茶なんて……軍にいる頃はしたことなかったから、嬉しい。


 心中興奮しながらも、僕は落ち着いて答える。


 「エレちゃんの都合のいい日でいいよ」

 「今週末でも構いませんか?」

 「もちろん!」


 …………やった。やった!

 エレちゃんとお茶ができるんだ。


 放課後、エレちゃんと別れてからというものの、お茶のことで頭いっぱいだった。

 どんなお茶を用意しようか、とか。

 どんなお菓子を用意しようか……いや、自分でお菓子を作ったほうがいいだろうか、とか。


 自室に戻って勉強している間も、そればかり。

 気づけば、ノートや教科書だけだった机にマイレシピ本を開いていた。

 

 「ああ……週末が楽しみだな」


 そう呟きながら、レシピ本のページをめくっていた。

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