第97話 どうして。

 あ…、目の前に尚くんがいる。

 いつかこうなるのを予想していたけど、やはり死ぬのは怖い…。でも、死んだ方が楽になるかもしれないと、私はそう思っていた。今まで抱えていた全てを捨てて、自由になりたい。そして、また尚くんといろんな思い出を作りたかった。生まれ変わったらね…。


 ごめんね…。

 私だって、こんなことしたくなかったのに…。


「……」


 燃え盛る部屋の中で、笑みを浮かべた。

 これが最後だと…。


 ……


「菜月が頑張ってくれれば、みんな幸せになるから」

「はい…」


 お父さんは焦っていた。なぜそんなに焦っていたのかは私にもよく分からない。

 多分、中学生の時からだと思う。私は花田家の長女として、お父さんにほとんど毎日怒られていた。人の上に立つためには、もっと頑張るべきだと…。私は学校の勉強以外にも、会社の仕事を少しずつ学ぶように強いられていた。それが私の青春、何かをずっと学び続けて身につけることだけの人生…。


 中学生の時はそれが普通だと思っていた。

 そして普通ってなんなのか…、一度だけお父さんに聞いたことがある。


「普通は、俺の話通り生きていくこと。俺に従えば、菜月は幸せになる。それだけを心に刻んどけ」

「はい」


 よく分からない。

 私はお父さんの話通り生きればよかったのかな…?


「〇〇ちゃん! ごめん! 先生に呼ばれて…」

「ううん…。大丈夫! 今日はどこに行く? 私甘いのが食べたい!」

「うん! 行こう行こう!」


 二人の男女がお互いを見つめて笑っている。

 どうして、そんなことができるのかな…? でも、あの人たちが私よりもっと幸せに見える。私は普通に生きているのに、どうして幸せという感情を知らないのかな? 中学生の時はただお父さんの話通り生きていた。特に好きな人もいなかったから、いつかあんな人が現れると思っていた。ただそれだけ…。


 そして私には可愛い妹がいた。


 花田葵。小さくていつも私の後ろで「お姉ちゃん!」と言ってくれる妹…。私はそんな葵ちゃんがとても可愛くて、当時小学生だった葵ちゃんといっぱい遊んでいた。でも、それが嫌だったお父さんは遊ぶ暇があったら勉強をしろって言い放つ。まだ小さい女の子なのに、どうしてそんなことを言う? それはいまだによく分からないことだった。


 どうして、そんなに嫌がっていたのかを…。

 ただ妹と一緒にいるのが楽しくて、勉強を教えたり、遊んだりしただけなのに…。


「今はそんなことをする時じゃないはず」


 いつもそんな話をした。


 私は決して頭がいい人ではない、それは私が一番よく知っている…。ただ、他人より勉強に使う時間が多かったから、そんなことができると思うだけだった。成績を良ければ、お父さんもそれに満足するから…。そしてまた葵ちゃんと遊ぶ日が増えるかもしれないから…。ずっとそうだと思っていた。


 でも、私が高校生になった時…。

 なぜか、今度は葵ちゃんがお父さんに怒られていた。


「はあ…」


 こっそりその話を聞いてみたら、葵ちゃんの成績が悪くて怒ってるようだった。

 なんで、そんなことに執着をするのか私は分からない。葵ちゃんにはそんなことを言わなくてもいいんじゃない…? まだ中学生だし、いろんなことをしてみたい歳だから…。私だけが頑張れば、それでいいと思っていた。


「お父さん。なんで、葵ちゃんにそんなことを言ったの?」

「菜月と同じ道を歩ませるつもりだから」

「頑張るのは私だけでいい…。だから、葵ちゃんにはそんなことを言わないで」

「もし、葵が菜月みたいなことができないなら…。いらないかもしれない…」

「……」


 それは葵ちゃんを捨てるってこと…?


「どうして、いつもそんな風に言うの? 私たちは家族でしょう?」

「今更、家族など…。役に立たない人は淘汰される。それだけだ」


 あの時の言葉はずっと心の底に残っていた。


「もっと上を目指せ!」


 強圧的な言い方、それに葵ちゃんは耐えられなかったと思う。

 数日間、そうやって怒られる葵ちゃんを見つめるしかなかった。


 そのままお父さんが言う普通の日々を過ごしていた。

 そしてある日、私を呼んだお父さんはとんでもないことを口に出してしまった。お父さんの口から出た言葉はとても理不尽で、私はどんな答えをすればいいのかを迷っていた。


「菜月がもっと頑張ってくれれば、葵のことを考えてみる」

「それって…?」

「ただし、俺が決めた基準に合わせてくれた時だけ。そうしてくれると、葵を自由にさせる」

「私だけが頑張れば、いいってこと?」

「そう、どうやら葵は勉強に向いていないみたいだ。正確には曖昧な点数、順位が問題になる。それだけじゃ、満足できない。菜月も知ってると思うけど…?」


 私のそばでずっと頑張っていた葵だったから、知らないとは言えない。

 でも、そんなテストだけで人の価値を決めるのは悪いと思っていた。お父さんには言えなかったけど、すごく悲しい言葉だったと思う…。どうしてだよ…。


「じゃあ、私が頑張るから…。今後、葵ちゃんには何も言わないで…」

「約束する」


 私は…、なんのために生きてるのかな…?

 あの時だった。私が少しずつ変わっていくような気がしたのは…。

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