第4話 縮まる距離。

 わずかに聞こえる包丁の音、それは野菜を切る時の音だった。

 てか、俺はいつから寝てたんだ…。確かに花田さんからお茶をもらって…、二人でゆっくり飲みながら話をしていたよな…。でもそれから何かあったのか、全然覚えていない。その間の記憶がなくなったような気がする。


 そして、目が覚めた時はもう朝になってしまった…。


「あら…、起きたの? 尚くん」

「は、はい…? どうして、花田さんがここに…? あれ?」


 も、もしかして帰らなかったのか…?

 休日の朝、エプロン姿をしている花田さんがうちのキッチンで朝食を作っていた。目をパチパチしてこの状況を理解しようとしたけど、俺の頭では理解できない不思議な展開だった。それより、体のあちこちが痛い…。昨日は何もしてないはずなのに…なぜか筋肉痛になって、そのままベッドに横たわる俺だった。


「もっと寝てもいいのに、今日は土曜日だから…」

「いいえ…。普通、この時間に起きますので…。それより、どうして朝食を…」

「あっ、うん…。尚くん、昨日疲れてるように見えてね…? それと寝る時にもすごかったし…、調子が悪いんじゃないのかな…って心配になって…。朝食くらいだけど、私が作ってあげたくて…。余計なことをしてごめんね…」

「い、いいえ! こちらこそ、あ…、ありがとうございます…!」


 でも、俺そんなに疲れていたのか…? よく分からない…。

 そういえば…、俺…着替えた覚えもないのに…。自分がパジャマを着ていることに気づいてしまった。あれ…? 俺、昨日制服のままじゃなかったっけ…?


 すると、テーブルに朝食を持ってくる花田さんが震えてる声で話してくれた。


「あっ…、パジャマのことね! き、昨日の尚くん…、汗がすごかったから…。私が勝手に着替えてあげたの…。べ、別に…、いやらしいこととかしてないから…! き、気持ち悪かったら…ごめんね」

「い、いいえ。た、助かりました…! ありがとうございます!」

「き、気にしなくてもいいよ…! 私、本当にいやらしいことしてないからね!」「は…、はい。信じてますから、花田さんのこと」


 笑顔で朝ご飯を食べる尚に、こっそり顔を赤める菜月だった。


「美味しい…? 尚くん…」

「涙が出るほど美味しいんです…。それに…温かくて、なんっていうか…こんな風にご飯を食べるのは花田さんが初めてかもしれません。私、この時間がちょっと好きです…」

「わ、私が初めてなの…?」

「は、はい…」

「へへ…」


 花田さん、今朝から気分よさそうに見える…。

 それにしても…、付き合ってる関係でもない二人がこんなことをしてもいいのか。花田さんのことは何一つ知らないけど、外見だけじゃすごくモテそうな人に見えるからな…。俺みたいな高校生と大事な土曜日を過ごすのは、時間が惜しい…。


「ねえ…。食べながら何を考えてるのかな〜。尚くん」

「えっ…? 何も…ないんです」


 すぐ俺のそばにくる花田さんが、さりげなく体をくっつけた。


「……っ」

「うん?」


 その純粋な瞳はちょっとやばい…。

 なんで俺は花田さんのそばにいると、こんなに緊張するんだろう…? 普通に話せばいいのに、声が震えてちゃんと話すのも難しかった。


「あの、花田さんは…。その…、だ、大学生ですか?」

「うん。大学生だよ! そういえば、まだ名前しか知らないよね? 私、〇〇女子大学の大学生で今年二十歳になるからね。よろしく———!」

「ウッソ…、すごいエリートじゃないですか…? しかも、こんな美人が勉強までできるなんて…」

「は、恥ずかしいよ…。私は普通の人だから…、尚くんも頑張ればできるはず!」

「……は、はい!」

「尚くんは、近所にある〇〇高校に通ってるんでしょう?」

「えっ…? 知ってましたか…」

「ちなみに、高校2年生! どう! 正解かな?」

「え…、すごい! 正解です」

「制服と教科書を見れば分かるからね〜。フフフッ」


 なんか…、この穏やかな雰囲気がすごく好き…。

 まだ体のあちこちがズキズキして痛いけど、明日になればすぐ治るんだろう。特に下半身のところが痛いからな…、もしかして寝ているうちに転んだりしたのか…俺。


「あのね…。尚くん、今日は暇かな…?」

「はい…? 予定はないんですけど、何かありますか?」

「引っ越す時に掃除道具とかいろいろ…、必要なものを捨てちゃってね…。私のか、買い物に付き合って…! お礼に今日の夕飯も作ってあげるから…!」

「絶対、行きます! 昨日の夕飯も今日の朝食も…、すごく美味しかったし。花田さんの役に立つことならなんでもします! 重いのを持つのは私に任せてください!」


 少しでもいいから、彼女の力になりたかった。


「本当に…? 嬉しい…。へえ…、なんでもやってくれんだ…」

「はい!」

「じゃあ…、私着替えてくるからね。準備できたら連絡する! あっ…! その前にL○NEの交換をしよう!」

「はい!」


 休日の昼ごろ…。


 俺は花田さんとL○NEを交換し、二人っきりで買い物をしに行く。

 不思議だ…。花田さんはすごく優しい人で、明るい人だから…俺も知らないうちに「行く」って答えてしまった…。そしてこんなことも…、初めてだ…。俺が女性とこんな風に仲良く話したり、ご飯を食べたりするのは…。本当に…不思議だった。


「……」


 嬉しい顔で微笑む尚。


 ……


 ガチャ…。


「フン…、やっぱり覚えてないんだ…。昨日の夜…」


 自分の家に帰ってきた菜月は、尚の家から持ってきた物を取り出す。


「……」


 そして、微笑む菜月。


「わぁ…、尚くんのだ…」


 独り言を言う彼女の左手には、使用済みのゴムが握られていた。


「フフフッ。実は尚くんのこと…、めちゃくちゃにしたけどね…。その体は覚えているのに、本人は何も覚えていないんだ…。はあ…、昨日の夜は本当に気持ちよかったよ…」


 そしてスマホを出した菜月は、画面の中にある尚の裸に顔を赤める。


「その顔、可愛いよ…。甘い、甘い、甘いよ…尚くん! しかも、私の役に立つことならなんでもするなんて…。そんなことを言われたら…、もう我慢できなくなるんでしょう? 興奮しちゃうよ…私」


 少しの間、自分を慰める菜月…。


「や、やっぱり…。家を出る前に、襲った方が良かったかもしれない。……っ…!」


 ぼとぼと…。


「はあ…、はあ…。尚くん…好き」


 薄暗い部屋の中に響く彼女の喘ぎ声。

 菜月の部屋は何一つ片付けられていないまま、放置されていた。

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