二話「私はなぜ部室に来るのが遅くなったのでしょうか」

 なかば愛の告白のような入部騒動を経て(起こしたのは自分ですが)私はアームチェアーディテクティブ部、略してデ部に入部しました。その日は自分の無謀とも言える言動に、帰宅途中頭が沸騰しそうになったり布団の中で足をばたばたとする羽目になりましたが、部長さんも部長さんで同じ様だったのか、次の日には寝不足の印である目の下のくまをくっきりと付けて部活にやってきました。

 ともあれ、最初はぎくしゃくしていた我々ですが、数週間も経てば慣れるものです。年齢は二つ違えど室内を好む似たような二人ですから、話してみれば意外な所で馬が合いすっかり打ち解けたように(私は)思います。


「こんにちはー」

「お、来たな。遅かったね」


 部長さんは私が来たことに気づくと、すぐにポットのお湯を急須に入れてくれました。まず部員(総勢二名)が揃うと先に居る方がお茶を淹れるというのが我々の慣習です。部長さんと私だけの慣習です。二人だけの。愛の巣ので行われる。慣習。


「お茶頂きます。すみません遅くなって」

「いやいや、別に義務とかじゃないんだから。そうそう、一年ちゃんは今日までずっと来てるけど、休む時は休んで良いんだよ」

「ありがとうございます。でも、ここはエデン……こほん。楽しいので」

「それは良かった」

「はい」

「……」

「どうされました?」

「いや、そっちこそ」


 普段は豪快な部長さんですが、こうして少し押すと押した分だけそのまま引っ込んでしまうのが可愛い所でもあります。今日は少しだけ、眼力を強めに押させていただきました。ちょっとだけ、照れ隠しの所もあるんですが。


「……」

「……」

「……あー、今日はやけに見てくるね?」

「いつも見ていますよ」


 にこりと笑いかけると、部長さんは目をそらします。この反応が可愛くて毎日やってしまいます。


「さて部長さん、私が今日部活の参加が遅くなった理由は三つあります。何だと思いますか?」

「三つ。……うーん、一つは例の?」

「はい、『元』顧問に確認してきました。我がアームチェアーディテクティブ部は研究会に降格とのことです」

「まあ、仕方ないか。でも謎解きに部費はいらない。無くならなかっただけマシといったところか」

「そして『研究会名』ですが、今まで通りの名で問題ないと」

「ほう」


 私が先程元顧問に確認した所「『アームチェアーディテクティブ部』という名前の研究会」で良いとのことでした。部費は出ず、顧問もつかない。ですが、名前はそのままで良いと。部長さんの言う通り我々の活動にお金は必要ありません。先輩らの遺産も残っていますし、お話しているだけで事足りてしまうのです。そして名前の件。私は今年入った身なのでその名前に愛着があるわけではないのですが、部長さんはぜひその名前を残して欲しいと希望をしたのです。


「いやあ良かった良かった。我々はこれからもアームチェアーディテクティブ部、略してデ部と名乗れるんだな」

「……もしかして、何かあるんですか?」

「ん?」

「その名前に愛着があるとか、先輩に残してくれと頼まれたとか」


 そう言うと、部長さんはにやりといったように笑いました。


「だって、ね」

「なんですか。焦らさないで教えてくださいよ」

「ふふ、だって……格好いいでしょう! アームチェアー、ディテクティブ! 部!」

「……なるほど?」

「それに略称」

「はい」

「面白いでしょう!」

「……はい?」

「格好いいし、面白い。そんな部活名はわが校広しと言えど二つと無い。ぜひ残したかったんだよねー。あと部長となると色々手続きがある。部活名が変わると面倒だったりするんだ」

「……格好いいし、面白い」

「でしょう!」

「……」

「……」

「……」

「……もしかして、格好良くないし、面白くない?」

「あー……」

「……」

「ちょっとは」

「でしょう!」


 かわいい。


「こほん。さて、遅れた理由の二つ目です。実は今困っていまして部長さんの力を借りたいんです」

「それはもしや」


 私は「長くなりますよ」と言ってお茶で唇を湿らせました。それを聞いた途端、部長さんの目はらんらんと輝き出しました。そう、私が持ち込んだ困っていること、というのがまさに我がデ部の活動にふさわしい内容なのです。


「まず前提として。私のテニス部の友人は覚えていますか?」

「あの体験入部から即本入部した」

「そうです、中学と続けて高校でもテニスをやると決めた彼女です。まあまあうまくやれているようですよ」

「それは何より」


 私はお昼にその友人からもらった小分けのチョコレートを取り出しました。部長さんはそれを見ると本棚の横に置いてあるバスケットを持ってきました。おせんべいやビスケット、クッキーやパイなど部長さんの好みのものが入ってるお菓子のバスケットです。


「そんな彼女が、同じテニス部の恋人と別れようとしているんです」

「……」

「そんなに驚きます?」


 嬉しそうにチョコレートの包装を開けようとしていた部長さんは、私の言葉を聞いて目を丸くし固まっていました。


「いや、別れるってことは、付き合ってたってことだ」

「まあそうですね」

「……君ら、まだ入学して一ヶ月も経ってないだろう」

「ああ確かに。流石に早いですね。たしか入部して、一週間かそこらでと聞きました」

「うーん、若い。若さを感じる」

「部長さんと二つしか変わらないでしょう」

「でも、私にはあまり理解できない感覚だ」

「それも理由があります。そのテニス部の彼女……ここではテニスさんと言いましょう。テニスさんが付き合った彼というのが、たまたま再会した幼なじみだったんです」

「ほう」


 幼稚園、小学生と一緒で中学を入学する際に別々になり、高校でまた同じ学校に通う。近所だったのもあり、更には同じ部活。運命的なきっかけから、二人が付き合うのは自然の流れだったように思います。


「それなら理解出来る。幼なじみとの再会か」

「運命的ですよね。まさに私たちの出会いと同じ様に」

「つづけて」

「あはい」


 ここ一ヶ月程度のやりとりで、部長さんは私の流し方を覚えてしまったようです。つれないです。


「テニスさんと彼は結構目立つタイプなので、それがきっかけで一年生のカップルが増えたように思います」

「へえ、すごいな。最近の若い子と来たら」

「部長さんも十分若いですよ」

「でも、テニスさんらは別れてしまったと」

「いえ、別れることになる、という感じでしょうか」

「というと?」


 私はカバンから「遠足のしおり」と書かれた冊子を取り出します。


「うわ、懐かしい」

「我々一年生は、この時期親睦を深めるとかなんとかで、遠足に行くんです」

「私も行ったよ。今年はどこに行くの?」

「有名な牧場とかですかね。そこでバーベキューしてアトラクションで遊んでちょっと自由時間、みたいな感じです」

「まあ、変わってないか」


 どうやら部長さんの時も同じ場所、同じスケジュールだったようです。そもそも毎年行われる日帰りのバス旅行です。先生たちからしても毎年毎年変わったことをやるというより、恒例の行事という扱いなのでしょう。計画も楽になりますし、旅行先の手配も簡単だし。


「思い出した。我々の時はそのタイミングだった」

「というと?」

「君らはテニスさんらかもしれないが、我々の時はその遠足でカップルが増えだしたんだ。この学校の一年遠足で告白するとうまくいくだの、二年の林間学校で出来たカップルはすぐ別れるだの。そういう様々なジンクスが流行ったのもその頃だ」

「へえ、初耳ですね」

「まあ、そんなジンクスなんて一過性のものでしかない。私も今思い出したくらいなんだから一年の君の耳には入らないでしょうね」

「あれ、ということは部長さんはこの一年遠足で告白されたんですか?」

「……私は、そういうの興味ないから」

「なるほど、告白されて断ったんですね?」

「……君は何事も堂々というね」

「はい、友人には長所であり短所と言われています」

「……敵は作らないように。はっきりと物を言う事は大事な時もあるし、人を傷つけるときもある」

「善処します」

「それは何も変化しないやつの言い方だ」


 さて、と私はクッキーを飲み込んで続けます。


「遠足で一番重要な時間はどこかわかりますか、部長さん」

「一番重要な時間……? そんなの、自由時間じゃないのか? 決められた課程をこなした後の」

「いえ、違います。正解はバス移動の時間です。実は行きと帰りの往復で遠足の三分の一以上の時間、我々はバスに乗っているんです」

「な、なるほど?」

「ここもまた、別の意味としての自由時間と言えます。うまいように座席が決まったら、の話ですが」


 その、最も重要なバス移動の座席決めの時間に事件は起きました。


「ここからは聞いた話になります。というのも私とテニスさんは、テニスさんの彼とクラスが違うんです」

「ふむ」

「バスの座席決めなんてものは荒れに荒れます。誰と隣合いたい、皆で固まりたい、あいつの近くは嫌など」

「……私はそういうの苦手だったから、いつも先頭にしてたな。先生の近く」

「すっごくイメージ通りですね」

「褒めてる?」

「はい。誰にも干渉しない孤高の存在のようで素敵です」

「そう」


 ちょっと照れています。そういえば、部長さんの交友関係はどうなっているのでしょうか。あまり話さないので、話したくないのか、それとも。ともあれ今は関係ないので、問い詰める(表現はこれで合っています)のはまた今度にしましょう。


「実は、そのテニスさんの彼も部長さんと同じ様に、その先頭の席を希望したんです」

「ほう?」

「テニスさんの彼はどちらかというと明るい性格です。運動神経も良くて勉強も出来る、自然と友達も多い。誰彼構わず話しかけてしまうような、いわゆる陽キャの部類に入ります」

「私とは正反対だ」

「リアクションは控えておきます。そんな彼が、先生や添乗員さんの近くである一番前の席を希望したんです」

「それは妙だね。そういう人間はバスの最後尾で群れをなして騒ぎ立てるイメージだ」

「まさにその通りです。実際彼の友人らは一番後ろの席を陣取る計画を立てていたようで、残念そうだったと聞いています」

「でも、それで何で別れる別れないの話になる?」

「その彼が希望した席の隣、その隣の席はすでに女子が居たんです」

「ふむ」

「バスの座席は二つ隣り合って並んでいて、通路を挟んでまた二つ。一列に四つの席が並んでいます。今回は先頭なので、左側の二つは先生と添乗員さん。右側にその彼と女子という席になったようです」

「そういえば、私の席もそんな感じだった気がする。……今思い出したが」

「何か?」

「いや、話を続けて」

「では。そうとなってはクラスは騒然です。人気者の彼が、友人らの誘いを断ってその女子の隣が良いと希望したんですから」

「なるほど、そしてその噂が君のクラスにもやってきた、というわけか」

「はい、その通りです。その話を聞いていたために、今日は少し遅れたというわけです」


 私はすでにぬるくなったお茶を飲み「以上が、今私が困っていることです」という台詞とともに大きく息を吐き出しました。


「なるほど、なるほど」

「その話を聞いたテニスさんはショックを受けたようで、さっきは少し涙ぐんでいました」

「それは、そうだろうな」

「友人らでいくらか慰めて落ち着いたのですが、あまり見たくない姿でしたよ」

「でも、その時に君が居てテニスさんも幸せだ」

「全く、彼氏はどういうつもりなんでしょう」

「ふむ……よっぽど彼と隣になりたかったのか。それとも」


 部長さんは親指と人差し指でブイの字を作ってあごにやりました。その眼差しは真剣そのもので、油断していると飲み込まれそうなくらいに空を見つめていました。まるで、部室の壁のそのさきを見通しているような。


「部長さんは、この話どう思います?」

「考えるには、情報が足りない」


 私の問いに、部長さんは間髪入れずそう答えます。お気に入りのチョコレートでクリームを挟んだパイを一口大きくかぶりついてから、大きな椅子に背中を預けます。部長さんが座っているのは代々このデ部に受け継がれてきた部長専用の椅子です。まだ私は座ったことはありませんが、部長さんはこの椅子が大変お気に入りで、時たま布巾で綺麗に磨いているという話を聞きました。


「その女子だ。その女子は一体何者なんだ?」

「もちろん聞きました。でも、彼とはおろか他のクラスメイトもあまり話したことが無い女子でして。内向的な子で、こういうイベントはあまり得意ではないような感じの子らしいです。なのでその子は真っ先にその一番前を選んだと」

「なるほど、私みたいな子なのか。しかし知り合いですらない。それは、君もテニスさんも同様に?」

「ええ、先程彼女がいる吹奏楽部へ覗きに行ったのですが、私もテニスさんも見たこと無い子でした。そして少し悔しいことに……」

「悔しいことに?」

「結構可愛かったです、その子」


 部長さんは苦く笑ったかと思うと「なるほど」と息を吐きました。


「ああ心配しないでくださいね。私は部長さん一筋です。他の子に興味なんてありません。一ミリも。クラスメイトの名前も数人しかおぼえてないですし」

「それはもっと興味を持ったほうが良いな」

「友人らにも言われてます。お前は一部の友人と部長さん以外興味がなさすぎだって」

「……私?」

「すみません、自覚は無いのですが私は気づいたらスキあらば部長さんの話をしているらしくて、友人らは部長さんのこと結構詳しいんです」

「……なんか、こしょばいな」


 好きな人には好きな事の話をしたいというやつでしょうか。ともあれ無意識なのでやめてと言われてもやめられません。人が好きなアイドルやタレントの話をするように、私は部長さんを語り尽くします。友人らが呆れるまでは。


「でもわかった。……さて、お茶を淹れてくる」

「ああ、そんなの私が」

「考えるためだから。君は座ってて。そこのお菓子、食べていいからね」


 部長さんは空になったポットを持って、部室の扉を開けました。そこでしばらく止まったかと思うと、私の方を振り向いてこう言いました。


「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

「はい?」

「私の他に、三年……もしくは二年の知り合いいる?」

「いや、私は部長さんしか眼中にないですが」

「そう……なら、仕方ないか」


 部長さんはそう言うと、部室の扉をしめて水道へと歩いていきました。私の遠回しの愛の告白はいつものように流しています。くすん。

 私もこの事件、というには大仰過ぎる今回の出来事の顛末を考えてみようかと思いましたが、どうにもなにも一切閃きません。とはいえ手持ち無沙汰のため、ブレザーからスマートフォンを取り出して電源を入れ、通知の一覧をぼうと眺めました。


「あ、テニスさんからメッセージ来てる」


 先程までしっかりと落ち込んでいた彼女は、この後部活に行き彼に理由を聞いてみると弱々しく語っていました。いつもは元気で私のほうが振り回されることの多い彼女ですが、やはり恋というのは人をここまで夢中にさせるのでしょう。身をもってわかります。


「『彼は今は何も言えないとしか言ってくれなかった、どう思う? もう別れたほうが良いよね』ですか……」


 私は口を尖らせて少し逡巡しましたが、やはり結論付けるのは早計な気がして、メッセージを打ち込みました。せめて、部長さんの考えを聞いてからの方が良いかも知れません。


「『まだ結論を出すのは早い。せめて放課後まで待って』と」

「おまたせ」


 メッセージを送ったと同時に部長さんが部屋に戻ってきました。ポットを電源につなぐと、部室の真ん中に鎮座している部長さん専用の椅子に静かに体を預けました。


「もしかしてテニスさん?」

「ええ、彼に話を聞いても『今は何も言えない』とのことで」

「……それじゃあ、合ってそうだ」


 一瞬額に皺を寄せて、部長さんは大きく息を吐きました。最初は何を言っているか理解出来ませんでした。が、すぐに思考は追いつきます。部長さんは「合ってそう」、そう言ったのです。


「もしかして、ですが」

「もしかして、だよ」

「わかったんですか?! テニスさんの彼の真意が」

「うん、これはそうだね……私にかなり有利な話だった」


 ちゃんと話すよ。部長さんはそう言って新しいお茶っ葉を急須に入れました。私は急いでテニスさんにメッセージを送りました。「私の部長さんがわかったって言ってる。必ず電話する」と。


「一つ確認だけど、この話は私が知っててもいいの? ……その、君が私に話してもテニスさんは怒らない?」

「もちろんです。許可は取っていますし、もし彼の真意がわかるなら願ったり叶ったりだとも言っていました。それに、部長さんの事は何度も伝えているので大丈夫です」

「ずいぶん信頼されてるんだね」

「私がいっぱい話していますから!」

「違うよ、君の事をだよ。君が信じている私だからテニスさんは私の事を信じてくれているんだろう。良い友人だね」

「……はい、自慢の友人です」


 さらっと素敵なことを言う方です。こんなの惚れてしまいます。もう惚れていますけど。


「最後の確認……たしかこの辺に」


 部長さんは棚の中から一冊の本を取り出して私に視線をちらりと向けました。


「一年ちゃん、テニスさんの彼の名字を教えて」


 私は記憶の隅の隅にあるテニスさんの彼の名前を上げました。その名前を上げると部長さんは一瞬だけ口元を歪めました。「確認するまでもなかった」と本を棚にしまい、椅子に戻りました。


「……部長さん、こちら期間限定、栗が入ったチョコのパイにございます」

「わあ」


 きっと長い話になるでしょう。私は部長さんの好物をカバンから取り出し両手で献上しました。頭を深く下げははーと頭を垂れてみせます。


「我が友人のため、ぜひお話聞かせてください」

「そんなしなくても話すつもりだよ。……ただまあ、今回の話は少し話しづらいんだよなあ」


 大きく二口でパイを食べたかと思うと、部長さんはまだ熱めのお茶を一気にあおりました。


「他言無用……いや、テニスさん以外に禁止で」

「もちろんです」


 そもそもこういう話を言いふらす性分でもありません。


「多分、六人だったんだ」

「え?」

「テニスさんの彼がよくつるんでいる仲間、それがきっと彼らは六人組なんだ。これが席を先頭にした理由」

「ど、どういうことですか?」

「テニスさんの彼、ここでは彼氏くんと呼ぼう。彼氏くんは自身を除いた五人の誰かを『ジンクスに当てはめないため』に席を吹奏楽部さんの横にしたんだ」


 よっぽと目を白黒させていたのか、部長さんは私の顔を見ると「すまない」と頭に手をやりました。一から説明するね、と優しく笑います。


「まずこの一年遠足にはジンクスがある」

「さっき部長さんが言ってた『一年遠足で告白するとうまくいく』というやつですか?」

「うん、それともうひとつ」

「もうひとつ?」

「『バスの席の隣になった人に告白すると失敗する』」


 そんなピンポイントなジンクスがあるものか、と少し笑ってしまいました。


「あるんだよ。……あったんだよ」

「あった、とは。……ううん、すみません、ちょっと黙ってますね」

「いや、分かりづらくてごめん。それで、さっき話したように彼氏くんがいつもつるんでいるのは六人だ。……彼氏くんの友人は最後尾に乗ろうと計画していたね。バスの最後尾は何人乗れる?」


 私は先程自分が言った台詞を思い出します。「バスの座席は二つ隣り合って並んでいて、通路を挟んでまた二つ」。しかしこれは、最後尾以外の話です。


「ああ、最後尾は五人ですね。通路が無いから真ん中に一人座れます」

「そうだよね。だから六人組の彼らは一人余る可能性が出てくる。それに彼氏くんは気づいたんだ。余ったらどうなるのかということに」

「……既に一人だけ決まっている人の隣になる?」

「その可能性が高い。だから彼氏くんは自分が率先して件の吹奏楽部さんがいる一番前に座ったんだ。自分はもうテニスさんという彼女がいるからね」

「ということは」

「きっと彼らの中に吹奏楽部さんに好意を持っている人が居た。そしてこの一年遠足で告白することも彼氏くんは知っていた、と考えられる」


 推測だけどね、と部長さんはお茶を飲みながら言いました。


「でも、彼氏くんはなんでそんなジンクス知ってたんです? 私はそんなジンクス聞いたことないですけど」

「だからさっき彼氏くんの名字を聞いたんだ。もしかしたら『ジンクスが生まれた』私の学年に兄か姉がいるかと思ってね」

「いたんですか?」

「いや、……まあ、いたんだけど」


 そう言って部長さんは口ごもってしまいました。そういえば、さっき私が名字を言ったら「確認するまでもない」と言っていましたが……


「ああ! ……わかりました、なるほど、なるほど! 部長さんがそのジンクスを生み出した張本人なんですね」

「……正確には、彼氏くんの兄が、だけどね」


 先の話からわかるように部長さんは一年遠足の時、一番前の席に座っていました。もちろん隣には誰かが座っているわけで。一つ目のジンクス「一年遠足で告白するとうまくいく」、二つ目のジンクス「バスの席の隣になった人に告白すると失敗する」これがもし、部長さんの代で出来たジンクスとなると、自ずと結果は見えてきます。


「部長さんの隣に座っていた、彼氏くんのお兄さん以外は全てカップルになった、つまり告白は成功したんですね」

「……そうみたいだね。私も知らなかったけど、彼氏くんの兄以外がうまくいったとなるとこんなジンクスが生まれるのも理解できる」

「……ん、知らなかったとは?」

「さっき、ポットに水を入れに廊下に出た時、友人に電話して聞いたんだ。一年遠足にまつわるジンクスを覚えていないか、と」


 なんと。部長さんに友人がいらしたとは。これは後ほど問い詰めないと(表現は合ってます!)いけません。ただ今は話の腰をおるので口はばってんです。


「そして先程の彼氏くんの『今は何も言えない』発言。そりゃあ、友人が誰かに告白するなんて話せないでしょう」

「……すごいですね。よくここまで、話を聞いただけで」


 私は先程覗いた吹奏楽部さんの顔を思い出します。背筋をぴんと伸ばし楽譜一点に集中してトランペットを吹く彼女、端麗すぎるわけでもない、でもその親権でまっすぐな眼差しを持つ彼女は、同性の私でも(私の嗜好は置いといても)素敵に見えました。並の一般男子ならきっと一目で陥落するでしょう。きっと、彼氏くんの友人はそれを見て。


「……すぐにテニスさんに知らせます」

「あくまでも仮説だということを伝えてね」


 スマートフォンを取り出し電源を入れると、着信が来ていることに気付きました。基本的に部活のときは部長さんとのやりとりに集中するため電源をオフにしているので、まったく気付きませんでした。相手はテニスさん。先程のメッセージを見て居ても立っても居られなくなり電話してきたのでしょう。


「少し電話を。廊下行ってきます」

「うん」


 部長さんは静かに手を振ってくれました。廊下に出てすぐにテニスさんに発信した私は、部長さんから聞いた話をしっかりとテニスさんに伝えました。彼氏くんは彼女の隣が良かったのではなく、悪いジンクスから友人を守るためにその席を選んだのだと。


「うん、わかった。それじゃあ。……一応聞いてみるよ。きっと何も言わないと思うけど」


 私はテニスさんとの通話を切り、部室に戻りました。部長さんは嬉々としてチョコのパイの包を開けている所でした。それにしても食べ過ぎな気がします。……脂肪にはなっていないようなので、良いとは思いますが。


「ふぉうふぁっふぁ?」

「だいぶん落ち着いていました。冷静になって彼と話してみる、と」

「……うん。それがいい。男女の付き合いで起きるいざこざのほとんどは、意思疎通の不足が原因だ。感情的になっては話し合い出来ないからね」

「完全に同意ですね」


 私も一緒にチョコのパイをいただくことにしました。一口かじると中からマシュマロが。ああ、これはハズレのやつです。こうやって客観的に、一歩引いて物事を見ることが出来る。そんな部長さんが言うとしっくりくるのは、やはり私の想いが寄っているせいだからでしょうか。誤魔化すようにハズレのパイを飲み込みました。


「そういえば、テニスさんが部長さんにお礼をしたいと言っていました」

「そんな。ただ私は仮説を述べただけなのに」

「それでも彼女は部長さんに感謝していたんです。きっと藁にもすがりたい気持ちだったんですから」

「とは言ってもな」


 部長さんはちらりとお菓子の量が減ったバスケットを見やりました。


「じゃあ、何かお菓子を買ってきてくれると嬉しいと伝えておいてくれ」

「そんなんでいいんですか?」

「テニスさんおすすめのやつをお願い。チョコ系が良いな」


 ささやかすぎる要望に、私は思わず笑みをこぼしました。部長さんはそれに気づいたのか恥ずかしそうに視線をそらしました。しみじみ思います。私が好きになった人が、部長さんで良かったと。


「あ、そうだ。ずっと気になっていたんだ」

「なんですか?」

「君がここに来たときに言ってたことだよ。今日部活に遅れた理由は三つあると。今のが二つ目だったから、最後の一つはなんだったの?」


 「もう考えるのは疲れたから教えてよ」と部長さんはコアラの絵が書かれたチョコ菓子をぱっくんちょと口に放り込みました。確かに、最初にそんな事を言ったような気がします。でも、それは些細すぎるし、改めてとなると話すのは少し恥ずかしいです。今更という感じで今日の起きた事からすると、冗長というか蛇足というか。


「いや、気にしないでください。結構どうでもいいことなんで」

「そう?

「ええ。気にするだけ無駄というやつです」

「ならいっか」

「はい、気にしないのが一番です」


 そう言って笑いかけると、放送部が部活終了を告げる放送が入りました。今日の部活はここまで、部長さんとの情事も終了です。情事というのはこういう事を意味する訳では無いとはわかっています。


「それじゃあ帰りの準備をしましょうか」

「そうだね。……ああ、今日も脳を動かした」

「本当に、いつもすごいです」

「なんのなんの。一年ちゃんもすぐこうなるよ。探偵脳ってやつ」

「私の頭がそうなるとは思いませんけどねえ」

「あ、頭で思い出した」

「え?」


 部長さんは荷物を片付ける私のもとへやってきて、頭をぽすんと叩きました。叩いた、というよりも撫でたの方が近いかも知れません。一気に鼓動が早くなるのを感じます。


「少しだけど切ったでしょ。前髪と後ろんとこ。いいね。私は長いから短くても似合う人が羨ましいよ」

「……あ」

「あ?」

「……あう」

「あう?」


 まさか、最後にそんな言葉が待ってるとは思いませんでした。それこそが、私が先程誤魔化した『理由の三つ目』だと言うのに。そのストレート過ぎる言葉に思考が固まって、体の動きも固まってしまいました。


「どした。早くしないと先生来るよ?」

「……す、すぐ準備します!」


 しかしながら、話を聞くだけでいろいろなことがわかっても乙女心はわからない部長さんです。本当に、私が滅多にしないイメチェンを、似合うかどうか気になって何度か部室を入るのをためらったことを、私は一生黙っていることを誓いました。本当にこの人は。


「部長さんは、本当に、そういうところが、もう」

「えー? 私先行くよー」

「待ってください一緒に帰りましょうよ!」


 私は部長さんを追って、部室を飛び出しました。口はそんなこと言っても、部長さんはしっかり私を待ってくれています。


「部長さん、今日は百点満点でしたね」

「……私はいつも百点満点だけど?」

「そういう所、ありますよねー」


 今は気づいてくれなくてはいいですが、きっといつかは気付かせてやります。聡明だけど、本当に鈍感な、私の愛する部長さんへ。きっといつか。見ててください。いつかはぎゃふんと言わせてやるんですから。



 ……あれ、少しだけ目的が変わってる? まあいいか。今日の私の好きな人は、百点満点だったんだから。

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