血ゲロのひとつも吐かされたことのry 獣煮

 七月二十七日

  午後一時五十二分九秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「三人称視点」のターン


 ゲームしかなかった。

 成績は、悪かった。

 運動も、得意ではなかった。

 ただ負けん気ばかりが強く、よくケンカをしたが、勝ったことなど一度もない。

 やればできる――などと大人は言う。

 その欺瞞に気付けないほど、愚かではなかった。

 彼らには責任があり、「やってもできない奴はいる」という事実を子供の前で認めるわけにはいかないのだ。

 あぁ、だけど。

 それでも。

 馬鹿にされたくは、なかった。

 嶄廷寺攻牙は、思い出す。

 挫折に満ちた自らの命を、痛みと共に思い出す。

 だから、歯を食いしばる。

 ――もうイヤだ。

 小さな拳を、誰も倒せそうにない弱い拳を握り締め。

 ――もうウンザリだ。

 眼をぎゅっとつむって、首を振る。

『――なら、逃げてしまえ』

 耳元から聞こえてくる、無機質な電子音声。

『――大丈夫だ。誰もお前を責めない。誰もお前を引き止めない』

 しかしてその声色は悪意に満ちた猫なで声。

『――お前はいらないのだ。早く家に帰って布団ひっかぶって寝ろ、足手まとい』

「……っ」

 怖気のように、込み上がってくる何か。

『――この負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め負け犬め』

「あの、やめてください」

 横から、決然とした声。

 かつかつと、涼しげな気配が、歩み寄ってくる。

「攻牙くんにひどいこと言うのは、やめてください」

 普段はとろん、と弛緩しているその口調が、今は硬くなっている。

「攻牙くんのすごいところ、ぜんぜん知らないのに、どうしてそんなこと言うんですか」

『――知っている。今回のためにいろいろと小細工を弄したらしいこともな。哀れな弱者の戦術だ。強者の気まぐれに寄りかかる、不完全で穴だらけな策だ。実に眠気を催す』

「限られた手札の中で最善を尽くしているんです! 攻牙くんがいなきゃ、わたしたち何もできずにあなたにやられていたもの」

『――結果ではなく過程を誇るのは、負け惜しみ以外の何者でもない。見ろ、この敗北に打ちのめされた哀れな少年を。もう間もなく筐体に魂を取り込まれるだろう。そしてお前たちも全員運命を共にするのだ』

 右から左から、そんな声が聞こえてくる。

 だが、それらに意識を割いている余裕はない。

 ――そうだ。もうウンザリなんだ。

 もう二度と、あの時みたいな、惨めな思いはしたくない。

 胸に去来する、いくつもの情景。

 そのすべてに、拳を叩き込む。

「……え?」

 藍浬は、思わず攻牙の口元に耳を近づけた。

「……ボクは最高マジ男前超天才実はすげー強い……」

「こ、攻牙くん……!」

 息を呑む藍浬。

 自己肯定暗示法アファメーション

 攻牙は敗北感と死力を尽くして闘っていた。

「……ぶっちゃけ今のってただのハンデだし予想通りだしボク負けてねーし……」

「そ、そうだよっ! 全然負けてないよ! まだ二ラウンド目があるんだよっ!」

「……もう対策とか出来てるしはっきり言って敵しゃねーしマジ楽勝だし……」

「その通りだよっ! あんなの即死コンボが即死技に変わっただけだよ! 全然怖くないよっ!」

「……背だってこれから超伸びるし声も超渋くなるし実は今でも超強いんだけど本気出したら殺しちまうから力をセーブしてるだけだし……」

「う、うーん……」

 藍浬は一瞬、眉尻を下げる。

「ね、攻牙くん」

 呼びかけてくる。

 構わず、自己暗示を続け――

「今の自分を、嫌いにならないで?」

 ビクッ、と。

 体が震えた。

「きっと攻牙くんは、理想の自分になるために、これからも頑張っていくんだと思う。それはとても素敵なことだけど……でもね」

 白い手が伸び、攻牙の頬を包み込んできた。

「たまには、立ち止まってもいいんだよ?」

「う……」

 反射的に、攻牙はその言葉に反発する。

 それは、怠惰を許す考え方だ。

 ……でも。

 呻く。

「……霧沙希」

「うん」

「ボクとは違う考えだ」

「……うん」

「でも……うれしかった」

「うん」

 ゆっくりと、手を離す藍浬。

「さしあたっては、今の攻牙くんにしかできないことをしましょ?」

「うん……りょーかいだぜ!」

 額をぬぐう攻牙。

 そしてディルギスダークを見てニヤリ。

「で……さっきなんか言ったか?」

『……』

 ディルギスダークは無言。

「よく聞こえなかったんだけどよ~~~もっかい言ってくれるか? あぁん?」

『……』

 ノーリアクション。

 そのまま踵を返し、自分の席に戻っていった。

 ――まだ、浅かった。

 攻牙は、戦慄とともに息をつく。

 篤であれば速攻で魂を捕られていたこの状況を、攻牙が生き延びたのは、極論すればそういうこと。

 自らの敗北を絶対に認めない意気地。

 ――それだけだ。

 ボクにあるのは、それだけだ!

『閃滅開始-Destroy it-』

 システムヴォイスが流れる。

 ――即座に、来た。

 漆黒の鞭が、乱舞する。インサニティ・レイヴンDCの腕が、のたうちながら襲いかかってくる。

 フリッカージャブ。

 ――間柴リスペクトかよ!

 波紋のようなガードエフェクトが何重にも展開され、ノックバックによって両者の間合いは離れてゆく。

 凄まじい伸長速度によって、腕が霞んで見えるさまが、漫画的に描写されている。

 ――即席で作ったにしちゃあクオリティ高いスプライトじゃねーか。

 格ゲー慣れしている攻牙の眼をもってしても、見てから反応することは難しい速さだ。

 その上、多彩な軌道で高速連射される

 さらに、画面の半分以上まで届く、問答無用の長射程。

 クザクのままなら瞬殺されていた。そう確信させるだけの性能。

 長いリーチと優秀な発生速度を誇る剣技の数々で、相手を寄せ付けずに闘うのがクザクのスタイルだ。

 しかし、漆黒の毒蛇はその長所をすべて帳消しにして、「技後の硬直が長い」という弱点を悠々と突くことができる。

 ――負けたくねえ。

 その一念だけを胸に燃やす。

 それ以外の感情は、いらない。

 攻牙はガード硬直中にレバーを前に倒し、強パンチボタンを叩いた。

 刹那、画面が暗転する。

 一瞬だけゲームの時間が停止し、ガーキャンの成立を知らせる。

 アトレイユは発光しながらガントレットを振り抜く。

 カウンターヒットを表す重い打撃音。

 ほとんど画面の両端にいながら、ガーキャン攻撃がインサニティ・レイヴンDCをふっ飛ばし、ダウンさせた。

 起き攻めは自重し、脳内で作戦を立てる。

 ――想像通りだぜ。

 ガーキャン攻撃のリーチは、そこまで長くない。

 さっきの間合いで反撃が成立したということは……どうやらこのフリッカージャブ、腕の部分すべてにやられ判定があるようだ。

 技の見た目と実際の判定が一致しないことの多い格ゲー界隈において、珍しいほど律儀な設定だ。

 ――というより……その種のズルをするほど格ゲーに精通してないだけかな。

 地上での行動がほとんど封じられるので、大きな脅威には違いないが……

 ――わかっちまえばどうということもねえ。

 攻牙は、変則ジャブの連射が途切れた瞬間を見計らって、空高く跳躍する。

 仮に上段攻撃だったとしても、見た目からして対空攻撃として機能するとは思えない。

「らぁっ!」

 とび蹴り。

 相手を飛び越すか否か微妙なラインで放たれる、表裏二択。

 青いガードエフェクトが弾ける。

 ――見切りやがった。

 即座に着地して小足小足小足。

 しゃがみガードガードガード。

 ならばと小ジャンプからの空中攻撃。

 当然のように立ちガード。

 ――ガードテクニックを学習してやがる!

 ぞわりと、背中に広がる悪寒。

 濃厚な、死の匂い。

 とっさの機転。着地硬直をガイキャンしてバックダッシュ。

 設置技〈スローターヴォイド〉を置きつつ間合いを取る。


 ――GYUUUUAAAAAAAAH!!!!


 狂喚。

 魔獣が鎌首をもたげ、オーバースイング気味に襲い掛かった。

 直前までアトレイユのいた地点で、がちり、と顎門が閉じあわされる。

 〈スローターヴォイド〉が、喰い潰された。

 ――ルミナスイレイズ!

 このゲームのシステムについて、急速に理解を深めているようだ。

 本当ならば〈スローターヴォイド〉に接触させてステージ端までふっ飛ばし、コンボに持っていくつもりだったのだが、完全にあてが外れた。

 間髪いれずに飛んでくる鞭撃をガード。間合いが離れる。

 仕切りなおし。

「やりづれえ……」

 DCになってから、立ち回りに隙がなくなってきている。

 ――あのクソうっおとしい伸びーるパンチを封じねえとな。


 ●


 七月二十七日

  午後一時五十三分十秒

   紳相高校二階の廊下にて

    「僕」のターン


 ひょっとしたら僕は、二度と登ることのできない階段を、段飛ばしで降りようとしているのかも知れない。

 あぁ、だけど。

 僕はそれでも。

「へ、ヘンタイさん!?」

「ちょちょちょ! 待ちなって! 君は今錯乱している!」

 背後で鋼原さんと勤さんが慌てふためいている。

 だけど僕は、かまわず歩みを進めた。

 ――『絶対運命』。

 特殊操作系能力〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉によって時を戻された物体が見せる、奇妙な性質。

 この世のいかなる力も、『絶対運命』が宿る物質の運動を止めることは出来ない。

 一度砕けたガラスは、何が起ころうとも必ず砕ける。その途中でどんなモノが割り込もうと、砕けたガラスは何の抵抗もなく障害物を破壊・貫通して、定められた軌跡をなぞることだろう。

 ディルギスダークはこの性質を巧みに利用している。

 窓枠に収まっている状態と、廊下に散乱している状態。この二つの時間を高速で往復することにより、殺傷力と防御力を兼ね備えた凶悪な結界が誕生するのだ。何人たりとも、発禁先生に近寄ることはできない。

 ――だが。

 僕は。

 足を、踏み入れた。

「――〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉!」

 即座に、ディルギスダークは能力発動。

 無数のガラス片が、左右から襲い掛かってきた。

 ――ひとつ、疑問がある。

 宿

 それを、今、試す。

 僕の想像が正しければ、恐らくは――

「……いてて」

 ――煌めくシャワーのようなガラス片が、全身に降り注ぐ。

 痛みが、脳に突き刺さってくる。

 硬いものが、僕の腕や頬にぶつかってきて、そのうちのいくらかが皮膚を切り裂いていった。

 ガラス片は、僕の体に接触した瞬間、跳ね返って床に落ちてゆく。

「――馬鹿な」

「うそぉ!?」

「どーなってるんでごわすか!?」

 あぁ、みんな驚いてるなぁ。

 チクリと、胸が痛む。

 これで、彼らは気づいてしまった。僕の超常的な性質が、別にギャグキャラ補正でもなんでもないことに。

 この様を見た後で、彼らが今まで通り友達でいてくれるかは、ちょっと自信がない。

 感傷を振りはらい、僕は歩みを進めた。

 別段、瞬間移動して発禁先生のそばに直接現れてもよかったんだけど、それだとすぐ終わってしまう。

 なるべく長時間、ディルギスダークの意識をこちらに引き付けておきたい。

「『絶対運命』が宿る物体同士がぶつかった場合、普通の物体同士が衝突するのと同じように弾かれ合うみたいだね」

 そこかしこで激突するガラスの悲鳴を聞きながら、僕は悠然と歩みを進める。

 全身、傷だらけだ。

 だけどもちろん、それは大した問題じゃない。

 ゆっくりと、歩みを進める。

 僕以外の人間であれば即死してしまうような殺傷力のただなかを、悠然と前進する。

「――何故……だ」

 ディルギスダークは、「シェー!」したまま、こちらをじっと睨みつけていた。

「わからないかい? 僕の正体については推測が立っているんだろう? それでも理解できないかい?」

 一瞬の沈黙。

 そして、発禁先生の目が、くわっと開かれた。怖い。

「――ないわ。マジないわ。闇灯謦司郎は、自分の行いがいかに罪深いことであるか、自覚しているのであろうか。それではまるで、終わってしまった物語に後から筆を加えるかのごとき愚行である。

 やめてくれ。

 人がいるところで、その話をしないでくれ。

「それは少なくとも、外からやってきた君たちが決めることではないよ」

 手を伸ばし、発禁先生の腕を掴む。

 奇妙な手ごたえ。まるで掴む力を押し返すような磁場が、発禁先生の腕を覆っているようだった。

 なるほど、これがバス停使いの纏う〈BUS〉のバリアーか。

 ……問題ないな。

「贖罪こそが、僕の存在する意味だ。そのためなら、〈第四の壁〉を踏み越える程度の禁忌、いくらでも侵してみせる」

 ――暗転。


 僕は次の瞬間、茫漠とした荒野の中に、ただひとりで立っていた。

 ぬるく乾いた風が、髪を撫でてゆく。

 ついさっき捕まえたはずの発禁先生は、姿を消していた。

「……ふむ、こうなるわけか。肉体は発禁先生なんだから当然かな」

 ひとりごちると、即座に暗転。


 押し寄せてくる真夏の熱気。

 手の中に、他人の手首を掴んでいる感触が戻ってくる。

「――瞬間移動。そしてここは紳相高校の屋上であった」

 ディルギスダークは言った。

 即座に唸りを上げて迫りくるバス停の一撃を、僕は再び暗転することでかわした。

「――愚かな選択であった。殺傷結界から強制的に移動させるまでは良かったが、鋼原射美も布藤勤もいない場所に連れ込んだ所で、闇灯謦司郎には何も出来はしない」

「確かに、僕は基本的にはただの傍観者だ。君たちバス停使いみたいなすごい力は持っていない。僕がなにをしたって、傷一つつけることもできないだろうね」

 僕は口の端を持ち上げる。

「だからね、僕じゃないんだ」

「――なに?」

 勿体つけながら、僕はポケットに手を突っ込んだ。

「――なんだ、それは」

 取り出したのは、なんか自爆装置っぽいというか、クイズ番組の押すトコみたいというか、赤いキノコ型のボタンがついた小箱だった。

「君を倒すのは僕じゃないし、鋼原さんでも勤さんでもない」

 小箱をこれ見よがしに掲げ、ゆっくりと人差し指を近づける。

 そして、ボタンを、

「攻牙だ。君は攻牙の小賢しさに負けるんだ」

 押し込んだ。


 ●


 七月二十七日

  午後一時五十三分四十九秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「三人称視点」のターン


 負けたくねえ。

 攻牙は、その言葉を難度も口の中で繰り返した。

 その口が、獰猛な笑みを浮かべる。

「よーどうしたよ。謦司郎がなんかやってんのか? 動きが鈍ってるぜ?」

 手元はせわしなくレバーを回し、ボタンを叩きながら、しきりにディルギスダークへと語りかける。

 戦況は、膠着状態に陥っていた。

 発生速度、硬直時間、射程距離、すべてにおいて凶悪な性能を誇るフリッカージャブ。

 これによって絶大な制空権を得たかに見えたインサニティ・レイヴンDCであるが――

「そらよっ」

 爆発。

 黒い影が吹き飛ぶ。

 ……アトレイユの設置技は、相手を左右いずれかに吹き飛ばす〈スローターヴォイド〉と、上下いずれかに吹き飛ばす〈バーティカルヴォイド〉の二種類が存在する。

 見た目は半透明のカラーコーンが浮いているような感じである。

 発生5F。硬直5F。

 任意発動型(設置した後に特定の操作を行うことで初めて攻撃判定が発生するタイプ)であることをのぞけば、非常に使いやすい部類に入る。

 漆黒の魔人が腕を伸ばした瞬間、設置技を起爆して吹っ飛ばす。

 間合いが離れすぎているので追撃は間に合わないが、問題ない。

 体力的にはこちらがリードしているのだ。

 膠着状態。

 だが、これは攻牙が自分の意志で作り出した状況だ。

 ――二度とてめーに主導権は握らせねえ。

「ボクはこのままタイムアップでもいいんだぜこの野郎」

『――ありえない』

「んあ?」

『――伸びーるパンチの初撃は10Fで着弾する』

「だから?」

『――なぜそれに反応できるのだ』

「……へっ」

 攻牙は頬を歪めた。

 ゲーム内時間の最小単位である1Fは、現実の時間に換算すると六十分の一秒となる。

 そして、人間が見て反応できる限界速度は、どれだけ訓練したとしても12F程度が限界であると言われている。

「自分で考えな。ボクは奥の手をベラベラ喋るようなマヌケじゃねーんだ……おりゃっ」

 起爆。

 横向きのカラーコーンが爆発し、フラットブラックの人型が宙を舞う。

 アトレイユは、いくつか〈スローターヴォイド〉を置きながら、距離を取る。

 ――さぁて……ここからが重要だ。

 攻牙が限りない敬意を捧げる偉人(架空)はかく語りき。

『「もし自分が敵なら」と、相手の立場に身を置く思考!』

 これこそが大切なのである。

 今この状況で、ディルギスダークはどんな行動を取るだろうか?

 まず前提として、ラウンド中に自キャラの性能を変化させることはできない。

 これはかなり自信を持って断言できる。

 もしゲーム中にリアルタイムで性能変化させられるのなら、攻牙はとっくの昔に不意を突かれて敗れ去っているはずである。

 してみると、ディルギスダークは今ある技のみによって現状に対処しなければならない。

 ジャンプ攻撃を仕掛けてくる……か?

 ――いや……ねえな。それだけはねえ。

 対空技〈ルミナスピアサー〉の存在はすでにディルギスダークの知るところだ。

 わざわざ分の悪い賭けをしてくるとは思えない。

 恐らく、こちらの隙を見て間合いを詰め、即死噛みつきによって設置技を打ち消すのではないか。

 そうすることによって、伸びーるパンチが機能する状況を作るつもりだろう。

「ふふん」

 例のやたらグロい即死噛みつき攻撃は、オーバーアクションな上に発生も遅い。

 ダッシュ小足を差し込むには十分な隙である。

 ――きやがれこの野郎!

 心胆の置きどころを定めた攻牙は、やや目を細めて敵の挙動を見据える。

 案の定、インサニティ・レイヴンDCはジリジリと間合いを詰めてきた。

 地表近くを浮遊する〈スローターヴォイド〉に肉薄。腕を振りかぶり、力を込めて、

 ――その動きをキャンセル。

「はぁっ!?」

 ジャンプした。

 動揺した声を上げる攻牙。

 何故かインサニティ・レイヴンは即死噛みつき攻撃のモーションを中断して突如跳躍しやがった。設置技をギリギリで飛び越える程度の小ジャンプ。そして地上のアトレイユに向けて足を伸ばし――


 キュドッ! と独特の効果音。

 致死の直線が垂直に伸びる。


 体をねじり、腕を真上に突き上げるアトレイユ。空中の黒影は槍状に伸長したガントレットで撃ち抜かれていた。

「……なーんてな!」

 快哉を上げる攻牙。

 ――頭の中で行われるフェイント。

 ディルギスダークは、こちらの思考を読める。

 そんなことは昨日の時点でわかっていたのだ。

 策士を気取るならこれぐらい逆手に取れなくてどうするか!

 今まで長々と巡らせ続けてきた「敵の行動予測」は、すべてディルギスダークを釣るためのエサである。

 本当はそんなつもりなどないのに、頭の中で延々とそう思考し続けたのだ。

 ディルギスダークはまんまと釣られた。

 こうでもしないとコンボを叩き込む隙が作れなかった。

 そして――

 アトレイユは光の槍をひっこめると、地面を睨みつけ、腕を振りかぶった。

 〈ガイアプレッシャー〉の予備動作。

 ――キャンセルダッシュ!

 アトレイユはモーションを中断して一瞬だけ発光。一キャラ分ほど前進した。

 目の前には丁度落下してくるインサニティ・レイヴンDCの姿。

 ――弱キック!

 早すぎても遅すぎてもいけない。

 命中のタイミングはガイキャン成立から4F後。

 許されるズレはたったの2F。

 高難度目押し。

 ――使うぜ……切り札!



 攻牙がそんなことを叫んだ瞬間――

 大気が、

 粘度を帯びた。

『――何、だ……?』

 まるで闘いの場が突如水没したかのように、

 画面のあらゆる動きが鈍くなった。

 インサニティ・レイヴンDCの落下。

 アトレイユのニュートラルポーズ。

 背景の吹き荒ぶ風のアニメーション。

 すべてがコマ送りのように、

 のろのろと進んでゆく。

『――何だ……!?』

 ビシッ……と。

 会心の打撃音。

 線香花火のようなヒットエフェクト。

 普段は一瞬だけ閃く花にしか見えなかったが、

 今は衝撃波が四方に広がって散ってゆくさまが、

 はっきりと認識できた。

 瞬間、時の流れが元に戻った。

 あとは最速入力で安定する。

 弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉。

 怒涛のコンビネーション。

 そして。

「鈍れッ!」

 再び時間の進みが遅れる。

 何倍にも引き延ばされた時の狭間で、

 攻牙はフレームの移り変わりを観る。

 ひとつながりの動きではなく、

 パラパラマンガのひとコマひとコマとして、

 アトレイユの動作を認識する。

 おもむろにダッシュ入力(→→)。

 一瞬のタイムラグののち、

 アトレイユは前傾姿勢をとりはじめる。

 顎を前に突き出し、

 両腕は後方に流し、

 大地を蹴る。

 そして蹴り足が地面から離れた瞬間――

 発光。

 次のコマではかなり前の方に進んでいる。

 通常ではいきなり光ってバピューンと飛び出すようにしか認識できないが、

 今この時だけは細かな動作の段取りがわかる。

 フレーム単位でタイミングの見切りが可能となる。

 すでにダッシュ入力をやめているので、

 少し進んだところで減速。

 両脚を前方に突っ張り、

 地面に突き立てた。

 ガントレットでバランスを取りながら姿勢を回復。

 アトレイユはニュートラルポーズを取る。

 ――今だ!

 すかさず強パンチボタンを叩く。

 わずかな間をおいてアトレイユは体をひねり、

 満身の力を込めた拳を打ち下ろす。

 ヒットエフェクトが炸裂する。

 黒い敵が地面に叩きつけられ、

 バウンドする。

「いよしっ! 解除ッ!」

 時間が正常な速度を取り戻す。

 とにかくダッシュ後の強パンチが鬼門だったので、ここさえクリアしてしまえばもうクロックアップの必要はない。

 最速で〈ルミナスピアサー〉。

 当然のように命中。

『閃滅完了-K.O.-』

 無慈悲にして平等なシステムヴォイスが、攻牙の勝利を決定づける。

「『話にならないな』」

 攻牙とアトレイユの声がハモった。

 ラウンドは、1-1のイーブン。

『――何だ、今のは』

 ディルギスダークの声は、少し、平静を失っているように聞こえた。

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