血ゲロのひとつも吐かされたことのなry 銃威痴

 車輪を回し、筐体の前へ移動する。

「それが……正体か……!」

 さよう。ディルギスダークとは、一人の人間の呼称ではない。《ブレーズ・パスカルの使徒》という組織の中枢において複雑な情報処理を行うために開発された巨大人工知能〈ディルギスダーク・システム〉。

 私はその端末のひとつである。

 常人には電動車椅子に見えるだろうが、実は変形も可能だ。

 金属がこすれ、組み替わる音。座席部分の中心で真っ二つに割れた私は、そのままめくれるようにして変形を遂げる。横倒しされた前輪部が足になり、しっかりと床を踏みしめる。プラスチックの手すりは先端が分割されて指となり、さまざまな色のコードが伸びた。後輪は二つ合わさり、腰の間接部位と化す。背もたれは折りたたまれて胸板に変貌し、その後ろから頭部が回転しながら定位置に収まった。

 がしゃこん、と、各パーツが接続された音が響き渡り、変形は完了する。

「すげえ! リアルトランスフォーマー!」

 人型に変形した私を見て、攻牙は声を上げた。

「びっくり……」

 霧沙希藍浬は眼を丸くして見入っている。

「すっげーなぁオイ! どっちの陣営なんだ?」

『――あいにく私はサイバトロンでもデストロンでもなかった。世界に新たな秩序をもたらさんとする悪の組織、《ブレーズ・パスカルの使徒》である』

 電子音声であしらいつつ、私は筐体についた。

『――続きを始めることを推奨する』

 攻牙は口の端を吊り上げた。その脳裏には、ある思考がちらついていた。

「だりいぜ」

『――何か』

 攻牙はすぐには答えず、後ろの霧沙希を振り返った。

 神妙な顔で頷きあう二人。

 不敵な笑みとともに、私に眼を戻す。

「てめー……まさかこのまま一人ずつを掛け金にして続けていこうなんて考えてんじゃねーだろうな?」

『――そのつもりであるが、何か問題でもあるのだろうか』

「スッとろいことしてんじゃねーぞコラ……」

 攻牙はうつむき、深呼吸をする。

 そして弾かれたように顔を挙げ、言い放った。

「全部だッ!! ボクと謦司郎と射美と霧沙希と布藤勤の変わり果てた姿! この五つの魂を全賭けするぜ!」

 きた。

 私のインタフェースに表情を浮かべる機能があったなら、傲然たる嗤笑を浮かべていたことだろう。

 腹部の発声器官が駆動する。

『――かわりに、ディルギスダークも諏訪原篤、諏訪原霧華、櫻守有守、馬柴拓治、西海凰玄彩の五つの魂を賭けろ、と?』

 愚かしい提案だ。

 私は、かすかな駆動音とともに肩をすくめた。

「へっ! 証文でも何でも書いてやらあ! 受けるのか? 受けねーのか? それだけを聞いてんだ!」

『――その愚かしい提案に対して返答する前に、ひとつ聞いておきたいことがある』

 無論――できるか、できないかで言うなら、できる。

 だが、それにはひとつ条件が必要だ。

『――この場にいない者。すなわち鋼原射美と闇灯謦司郎と布藤勤の変わり果てた姿の三人は、自らの魂が賭けられることを知っているのか?』

「謦司郎にゃボクが暗号言語ですべて伝えてある。ボクと別れた後で射美に伝えているだろうし、当然ボロ雑巾の兄さんにも教えている手はずになってるぜ」

『――麗しい信頼関係だな』

 ならば問題ない。私が魂を捕獲するには、当人の敗北感が必要だ。人間の心理とは不便なもので、自分の賭けた対象が負けただけでも、敗北感は発生するのだ。物理的な距離など関係ない。

 一網打尽である。

『――嶄廷寺攻牙は今、破滅の大穴へと足を踏み出した』

 口を引き結んで、こちらを睨みつける少年。

『――次が最後である。お前たちは仮想空間に捕らえられ、二度と出てくることはないだろう』

「二連敗した分際でよく吠えるぜ!」

 肩を怒らせて席に着く攻牙。

 さよう――このままでは、勝てない。

 私は、決意した。

 インサニティ・レイヴンの性能を、いじる。

 そもそも、ここまで紛いなりにも勝負としての体裁が保たれていたのは、「敗北感を植え付ける」というプロセスを踏むために、攻牙側に対して「勝ち目」を用意しなければならなかったからだ。

 ……インサニティ・レイヴンを本当の意味で無敵のキャラクターにすることは、可能だ。

 だが、そんなものに負けたとしても、人間は敗北感など抱かない。

 まったく勝ち目のない戦いに挑む時、人は「敗北した」などとは思わないのだ。

 勝った負けたの実感は、ある程度拮抗した二者の間でしか発生しえない。

 そして、敗北感のない人間の魂を取り込むことはできない。

 だから、「圧倒的に不利だが勝ち目のある戦い」を、今まで私は演じてきた。

 その結果が、「一発刺されば即永久コンボ」という性能のキャラクターだ。

 だが、それでは足りなかった。

 それではこの少年に勝てないのだ。

 クザクの性能を、思い起こす。長いリーチ。圧倒的な発生速度。自身と位置を入れ替える設置技による変幻自在の立ち回り。そして、一度転ばせた相手に理不尽な五択を迫る、起き攻め能力の高さ。

 対戦ダイアグラムにおいて上位に君臨する、強キャラ。

 だが、対戦ダイアグラムとは、所詮相性による有利不利を数値化したものに過ぎない。

 たまたまクザクの弱点を突けるキャラがこのゲームにいなかったがために、たまたま上位に位置づけられているだけとも言えるのだ。

 ――では、クザクの弱点とは何か。

 当然、技後の行動不能時間の長さである。居合のようなモーションで敵を斬り捨てるため、納刀時に大きな隙ができる。

 ただ、あまりにも斬撃のリーチが長いため、隙を突こうにも間合いが離れすぎるのだ。それゆえ、今までこのあからさまな弱点をモノにすることができなかった。

 ……ふむ。

 性能改善の方向は、定まった。


 対クザク用終滅兵器――その名も、インサニティ・レイヴンDC。

 暴食せよ。


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十九分三十五秒

   紳相高校二階の廊下にて

    「私」のターン


 『谷川橋』のポートガーディアン、西海凰玄彩は特殊操作系バス停使いである。

 振るう異能は〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉。

 有機生命を除くあらゆる物体の状態を、任意の時点に戻す能力。

 効果範囲は半径三十メートル。戻せる時間にほぼ制限はないが、バス停『谷川橋』がこの世に誕生した数十年前より以前の物理状態にだけは戻すことができない。

 ――ここで、止める。

 決意とともに、私は西海凰玄彩の肉体を操作する。

 手の中に現れる、バス停『谷川橋』。

 ――闇灯謦司郎と鋼原射美に対するスタンスを、改める。

 そもそも、彼らを倒そうなどと考えたのが良くなかった。

 この二人が生きていようが死んでいようが、《絶楔計画》の進行には何の支障もない。

 何よりも優先すべきなのは、嶄廷寺攻牙に勝つことであり、ひいては霧沙希藍浬の魂を筐体の中に納めることである。

 ならば、謦司郎&射美とは無理に決着をつけようとせず、拮抗を保つことを考えるべきだ。

 そして主導権を握り、単純なルーチンワークで彼らとの膠着状態を維持できる状況を作る。さすれば、攻牙との勝負において運用できるマシンリソースも多くなるだろう。

「ふっ」

 西海凰玄彩の肉体は、『谷川橋』を軽く窓ガラスに叩きつけた。音を立てて、大量のガラス片が周囲に飛散する。

 瞬間、能力発動。

「――〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉!」

 散り散りにまき散らされたガラスの破片が、逆再生されたかのように窓枠に収まってゆく。まるでジグソーパズルだ。

 これでよし。

 私はしばし廊下を歩きまわり、次々と窓ガラスを砕いては元に戻していった。


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十九分四十五秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「私」のターン


 ――ずっと、人間を見てきた。

 虚数の狭間にて、自らの実存を認識したその時から。

 ディルギスダークは尽きることなく、ホモサピエンスを観察し続けてきた。

 それゆえに、人間の為す振る舞いの数々が、ある特定の目的を達成するための手段であることを理解する。

 すなわち、幸せな生涯を送ること。

 すべての人間は、このために生き、このために学び、このために働き、このために呼吸をする。

 飢えることもなく、病に蝕まれることもなく、理不尽に命を奪われることもない。

 そのような生。

 だが――「幸せな生涯」にはどう考えても結びつかない行動を延々と繰り返す人間を、たまに見かけることがある。

 たとえば、嶄廷寺攻牙がそうだ。

 ゲームってお前。

 アホか。

 さっき勝負をしたクザクというキャラクターにしてもそうである。

 桁違いの操作精度。洗練された戦術。

 明らかに、尋常ならざる修練を積んだことが伺える。

 だが、それが何になると言うのか。

 今はいい。こうしてディルギスダークがゲーム勝負を挑んできた今はいい。

 その技術は意義あるものだ。

 だが、もし攻牙がディルギスダークと一切関わり合いをもたない一生を送った場合、「格闘ゲームが上手い」などという事実はクソの役にも立ちはしない。

 役に立たないだけならまだしも、その行いは確実に金と時間を浪費してゆく。

 無意味。

 完全なる虚無への供物。

 何のためにこんなことをするのか。

 ――ひとつだけ心当たりがある。

 それは、逃避である。

 幸せを求めるが、ままならぬ現実に直面し、そのことを考えないようにする。

 ゆえに、現実世界とは関わりのない世界に逃げ込み、自分の現状には眼を向けないようにする。

 実に惰弱な思考である。

 程度の差こそあれ、攻牙もまた、何かから逃げるために、ゲームにのめりこんでいるのである。

 まことに醜い。

 かかるダメ思考回路に敗北感を植え付けるのは、むしろ社会的義務であるとすら言えよう。

 だというのに。

『――ないわ。いいかげんマジでホンマないわ』

「あ? 何がだ? ボクが何かしたか? フツーにキャラ選んだだけだぜ?」

 甲高い声が、ニヤニヤ交じりに響き渡る。

『――天丼にもなっていない。面白いとでも思っているのか』

「別にてめーのウケを狙う気はねーよ……そらっ」

 画面内でキャラクターが画面を飛び回り、設置技を仕込んでゆく。

 少年漫画の主人公的風貌。黒革の道服にも似たファッション。

 そして――体の両側で浮遊する、光の巨腕。

 まぎれもない、アトレイユの姿であった。

「……てめーの考えてることなんか読めてんだよ。おおかたクザクの性能に対して有利になるような改造を施してんだろ? ざけんな。んなもんに付き合えるかよ。とっとと勝たせてもらうぜ」

『――ひとりじゃ何にも出来ないボウヤが、ずいぶん吠えるではないか』

 低く、押し殺したような声。

「あ? 何だ? 勝負で勝てないから中傷か? 程度が知れるなポンコツ野郎」

『――どうせゲーム以外に取り柄などないのであろう。お前の両親は本当に哀れだ』

「相手を貶める以外に敗北感を引きだす方法を知らないのかよ。いいかげん気の利いたことを言ってくれませんかねえ人工無能さん?」

『――黙れチビ』

「うっせハゲ」

『――バーカバーカ』

「うんこー」

「……あ、あの、なんだか別の勝負になってない……?」

 霧沙希藍浬が若干引き気味に言う。

『閃滅開始‐Destroy it‐』

 第一ラウンド、開始。

 インサニティ・レイヴンDCとアトレイユは、ゲーム内尺度で三メートルの間合いを取り、向かい合っている。

 我が化身のニュートラルポーズは、先ほどまでとは変化していた。

 半身の構え。

 左腕をだらりと下げ、ゆらゆらと振り子のように揺らしている。

 右腕は脇の下に引き込み、かっちりと固定。

 ボクシングにおける、デトロイトスタイルを模していた。

 その場から動かず、じっと相手の出方を待つ。

 対してアトレイユは細かく左右に動き、距離を測っていた。

 ……まだだ。

 インサニティ・レイヴンにほどこした性能改変は、すべてのキャラクターに対して一定の威力を発揮する。

 もちろん、クザクを相手にした時が最も効果的なのだが、他のキャラであっても無意味ではない。

 だから、待つ。

 攻撃を確実に食らってくれる瞬間を、待つ。

「おいテメー……負け犬の行動パターンだぜそりゃ」

 傲然とした声。

 アトレイユがガントレットを振りかぶった。一瞬の溜めののち、地面に拳を叩き込む。

 画面の振動。

 黒い人型の足元から、光の奔流が噴き上がる。

 ガード。さすがにそんなモーションの大きな攻撃は食らわない。

 そして、ガード硬直のないインサニティ・レイヴンは、即座に攻め込むことができる。

 ――はずだった。

 体が、動かせない。連続して発生する攻撃判定によって、ガードし続けることを強いられていた。

 にもかかわらず、相手はすでに技後の硬直を終え、跳躍している。

「格ゲーにゃあな……」

 飛び蹴り。画面上では微妙に外れているように見えるが、しっかりと命中。結晶のエフェクトが砕け散る。

 ――めくりか!

ってのがあんだよ!」

 着地ぎわに振り返って蹴りを入れるアトレイユ。

 パンチを三発打ち込み、力の込められた回し蹴りでふっ飛ばす。それを巨大化したガントレットによるコークスクリューブローで追撃し、一瞬だけ発光すると同時に間合いを詰める。さらに落ちかかってきたインサニティ・レイヴンの体を大きく振りかぶった拳の一撃で地面に叩きつけた。

 バウンドして浮き上がるフラットブラックの人型。

 ドンッ、と雷鳴のようなサウンドが轟く。

 異様なまでに腰を低く落としたアトレイユが右拳を真上に突き上げていた。連動して、ガントレットが巨大なランスのごとき形態をとり、爆発的に伸長する。大気が押し広げられるさまが、漫画のように描画された。

 串刺しになるインサニティ・レイヴン。

 弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→一瞬だけダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉。

 アトレイユの高威力コンボ。

「うらァッ!」

 そして、即座に地面をにらみつけ、腕を大きく振りかぶる。

 今にもその拳が大地に叩き込まれようとした瞬間、攻撃モーションをダッシュでキャンセル。

 眼の前にインサニティ・レイヴンの体が落ちてくる。

 すかさず弱キック。

「……ッ!」

 が、空振りに終わった。

 ダウンするインサニティ・レイヴン。

『――ククッ』

 意図的に、忍び笑いをもらした。

『――ガイキャンの、失敗であった』

 何かの落ち度を見つければ、徹底的につつきまくる。

 敗北感を引きだすには、こういう細かな積み重ねが重要なのだ。

『――結局、即死コンボを習得できなかったようだった』

 粘着質の猫なで声も忘れない。

『――かわいそうに、嶄廷寺攻牙はゲームの中ですら足手まといなのだ』

「偉そうなことはボクに一発でも当ててから言うんだな……!」

 ――よかろう。

 もはやお前の相手にも飽きた。

 仰向けの状態から下半身を跳ね上げ、俊敏に起き上がる。

 即座に飛んでくる小足連打をしゃがみガードし、間合いが離れた瞬間――

 シャッ。

 と。

 黒い左腕が、鞭のように閃いた。ブラシでかき消されたようなエフェクトとともに、常の三倍以上もの距離を拳が飛ぶ。

 それは、腰の刀を抜き打つような軌道で襲いかかるジャブだった。

『ぐっ!』

 アトレイユが、小さく呻く。

 もう一度、シャッ。

『ぐっ!』

 小さな花火のようなヒットエフェクト。

 それから私は大きく踏み込み、オーバーアクションで逆の拳を引き絞った。

 みりみりと拳が上下に裂け、肥大化する。


 ――GYUUUUAAAAAAAAH!!!!


 意識を引き裂かんばかりの咆哮。

 インサニティ・レイヴンの右腕が、巨大な獣の頭を形作った。

 サメのように尖った鼻面。でたらめな方向に伸びる漆黒の牙。Z字に切り裂かれた亀裂のような眼。

 紫の涎をまき散らしながら、顎門を開き、被ダメージモーション中のアトレイユに食らいつく。

『ぐあああああっ!』

 液体が飛び散る音。

 湿った咀嚼音。

『ぐっ!』

 たまに、硬い物が砕ける音が混じる。

 その一部始終は、本体以上の巨躯に成長した黒獣によって覆い隠されている。

『ぐうっ!』

 アトレイユの被ダメージボイスの中でも特に苦痛を想起させるものを選び、ランダムに流す。

 ――インサニテ・レイヴンDCの右ストレートは、即死する。

 のみならず、ヒットした瞬間に相手キャラクターの自由を奪い、長く凄惨な勝利演出を繰り広げるのだ。

『ぐあああああっ!』

 もはや操作は必要ない。

 私は筐体から身を放すと、攻牙のそばに回り込んだ。

 左腕マニピュレータをレバーのすぐ横に叩きつけ、腹部発声器官を少年の耳に寄せた。

『――良く見ておけ、負け犬。お前も、こうなる』

 ゆっくりと、ねちっこく、ほんのわずかに笑みを混ぜて。

 攻牙は、眼を細めて画面に見入っていた。

『閃滅完了-K.O.-』

 ぎり、と攻牙の歯が軋る音がした。

 その胸に、怖気のように、敗北感が流れ込んでゆく。

 それが、わかる。

『――終わりだな』


 ●


 七月二十七日

  午後一時五十分ちょうど

   紳相高校二階の廊下にて

    「僕」のターン


 前回までのあらすじ。

 スーパーイケ☆面ヒーロー・闇灯謦司郎は、世界の破滅を目論む悪の世界史教師・西海凰玄彩を倒すべく、エクセレントプリティヒロイン鋼原射美(およびその他一名)とともに熾烈な戦いを繰り広げたりしているんだけどまぁそれは別にどうでも良くてエレクトーンとエレクチオンって似てるよねとかいうことをふと思ったりする夏の午後であった。霧沙希さんのおっぱい揉みたい。


 ひどく不健康な顔色をしていた。

 紳相高校の校舎二階にて、汗をだーだーかきながら佇んでいた。

 発禁先生。

 紳相高校七変人の一角にして、『谷川橋』のポートガーディアン。

 彼は、なぜか「シェー!」のポーズをしていた。

 無表情で。

 しばらく見ているが、微動だにしない。

 いかに七変人とはいえ、少々常識への反逆ぶりが過ぎるのではないだろうか。

「えっと……あれは何をしてるでごわすか……?」

 曲がり角からわずかに顔を出して、鋼原さんは頭を抱えた。

「さ、さあ……とりあえず、あの位置はかなりマズいね」

 自らの顎をつかみながら、勤さんが続ける。馬柴拓治氏をふんじばった後、何だかんだで僕たちの『町内一周ポートガーディアン狩りの旅』に付き合ってくれているのだった。

「というと?」

「廊下の両側が窓ガラスで埋め尽くされているよね」

 発禁先生がいるのは、七十メートルはある廊下の中央付近だ。

 中庭に面する窓が左側に、教室に面する窓が右側に、それぞれズラリと並んでいる。

「ああいう状況は〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉の独壇場だ」

「確か、生物以外の物質の状態を任意の時点に巻き戻す能力……でしたよね」

「うん、その通り。そして何より怖いのは、巻き戻す速度にかなり融通が利くということ。スローも早送りも自由自在さ」

「うぬぬ? そのどこがコワいんでごわすか?」

 ……なんとなく、わかってきた。

 僕は一見何の変哲もない窓ガラスたちを指差した。

「ひょっとして、あの窓ガラスたちはすでに割られているんですか?」

「そう、一度割られて、能力によって戻されているだけだと思う」

「だから~、そのどこが……あ」

 鋼原さんも気付いたようだ。

「割れて床に散乱している状態と、窓枠に収まっている状態。この二時点を高速で往復させれば、恐ろしい殺傷力を持つ『結界』が誕生するんだ」

「それはそれは……」

 つまり、ガラスの破片が超高速で行き来する『結界』の只中に身を置いて、膠着状態を作ってしまおうという魂胆なのだろう。

 普通の人間であれば、発禁先生にはまったく近づけなくなる。

 普通の人間であれば、だ。

「射美とおにーさんなら、バス停パワーでバリアー張って近づけると思うでごわすけど……?」

 そう、バス停使いたちは、強弱の差こそあれ、肉体にバリアーを張って攻撃を防ぐことができる。その防御能力は、列車に跳ねられても全然大丈夫というレベルである。ガラスの破片ごとき何ほどのこともないはずだ。

「ところがそうもいかないんだ。西海凰さんから聞いたことなんだけど、一度破壊されてから能力で戻された物体には、『絶対運命』が宿るんだ」

「またムズかしそーな単語が……」

 ジト目の鋼原さん。

「割られてから戻された窓ガラスは、何が起ころうとも絶対に割れるんだ。割れてから宙を舞い、床に散乱するところまで、破片の動作を阻止することは絶対にできない。この世のいかなる力を用いても、『ガラスが割れて床に散乱する』という運命は変えられないんだ。この概念を『絶対運命』と西海凰さんは名づけている」

「えと……それで……?」

 軽く知恵熱出してそうな顔の鋼原さん。眼を白黒させている。かわいい。吸い付きたい。

「たとえば僕がバリアーで身を守りながら『結界』に足を踏み入れたとしよう。当然、ディルギスダークは能力を駆使する。するとガラスが割れる。破片が宙を舞って床に落ちるその途上に、僕の体がある。普通ならバリアーに弾かれて終わりなんだけど、『絶対運命』が宿る物体の軌跡は絶対に邪魔ができない。試してみる勇気はないけど、多分僕の体を貫通して床に落ちると思う」

「うぅ……ぐろぐろはニガテでごわす……」

「うーん、困ったなぁ」

 つまり近づけない、ということだ。

「彼をあの場所から動かせれば、わりとあっさり勝てるんだけどねー」

 まぁ、「二正面作戦を強いる」という目的上、あっさり勝ちすぎてもダメなんだけどね。

「んがー! こういうとき攻ちゃんがいれば!」

「……そーだねえ」

 まあ、嘆いていてもしょうがないのでとりあえずアイディアを出す。

「……例えば僕がですね、鋼原さんをですね、エロくない、まったく全然エロくなんかない手つきで抱っこして発禁先生のそばまで瞬間移動してみたらどうでしょうか」

 ビクッと反応して僕から距離を取る鋼原さん。蔑みの視線……イイ。

 イイ!

「わ、悪くない策だけど、瞬間移動でこのコを運んだ後、バス停を振りかぶって攻撃するだけの空間的余裕があるかはかなり疑問だね」

「……と、いうと?」

「ほら、今西海凰さんの体は「シェー!」をしてるよね」

「えぇ、見事な「シェー!」です。不条理への驚愕と畏れが生々しく表現されていますね」

「あれは多分、ガラス片を避けるための姿勢なんだろうと思う」

「えっ」

「ガラスが砕ける一連のモーションをスロー再生して、紙一重でかわせる姿勢を模索した結果、偶然ああなったんじゃないかな。そうでもないと、今この場で「シェー!」をやる意味がわからない」

「た、確かに」

 そして、これらのことから導き出される結論。

 あの地点で、ああいう姿勢を間違いなく取らなければならないほど、ガラス片が乱舞する密度は高い――ということだ。

 バス停を振りかぶって攻撃を仕掛けるような空間的余裕など皆無。僕に抱えられて実体化した瞬間、鋼原さんはジ・エンドなのだ。

 僕は、すべてのエロきものを守る紳士たらんと自らに課す。そのような事態は絶対に許さない。

 ――いや、さて。

 どうやらディルギスダークは、目的を達するためにあらゆる犠牲を惜しまないようだ。

 なら僕も、

「二人とも、ちょっといいですか?」

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