血ゲロのひとつも吐かされたことのない野郎がヒーローを名乗ろうなんておこがましいにもほどがある 戮

 ムーングラム:


 必殺技

・〈ラビッティアの誇り・ハック〉 ↓↓+AorB

 発生4F。硬直22F。上段判定。光刃が生えたウサ耳を円の形に振るい、敵を斬り裂く。無敵時間あり。対空や切り返しに有効。

・〈ラビッティアの誇り・レイド〉 ↓↘→+AorB

 発生15F。硬直18F。上段判定。突進しつつ光刃が生えた耳で切り裂く。高威力。差し込みや連続技のシメに。

・〈電磁発振砲〉 ←↙↓↘→+XorY(押しっぱなしで射角の変更)

 発生25F。硬直32F。上段判定。周囲に浮遊する球体群を砲身のように配置して、超高速弾を撃つ。ボタン押しっぱなしで射角の変更が可能。設置技〈ディラックのひとすくい〉を通過するとガード不能になる。

・〈エルワーの守護衛星〉 R

 発生5F。硬直5F。中段判定。常時展開型設置技。球体の一つを空中に配置する。十個まで配置可能。触れた相手は逆ベクトルへ吹っ飛ぶ。

・〈ディラックのひとすくい〉 →←+R(その後↓↓+Rで爆発)

 発生5F。硬直5F。中段判定。任意発動型設置技。ブラックホールを思わせる闇の球体を配置する。追加入力で爆発し、ダメージを与える。三個まで設置可能。高威力。


 ルミナスドライヴ(超必殺技)

・〈宇宙の天秤〉 →↘↓↙←→+A+B

 発生12F。硬直40F。上段判定。両耳から非常に長い光刃を伸ばし、羽ばたくように上昇。浮かした相手を空中でX字に斬り裂く。無敵時間あり。

・〈かくて我は思考せり〉 →←↑↓+R

 発生5F。硬直5F。中段判定。配置したすべての〈エルワーの守護衛星〉の間に電撃のラインが発生し、ダメージを与える。


 エオウィン:


 必殺技

・〈あんまり見ないでください……〉 ↓↑+XorY

 発生5F。硬直45F。上段判定。宙返りしながら大剣になっている下半身を振り上げる。上空への攻撃範囲が非常に広い。しかしいつも着地に失敗して涙目になり、膨大な隙をさらす。

・〈がんばります〉 ↓↓+AorB

 発生7F。硬直50F。上段判定。頭からミサイルを発射する。ミサイルは一旦上空に舞い上がり、二秒後に敵を追尾する。しかし頭が燃えだしてあたふたと消火するので膨大な隙をさらす。

・〈どきどきです〉 ↓↘→+AorB

 発生17F。硬直40F。上段判定。いきなり手が外れて銃口が現れ、火炎放射。異様なまでに攻撃範囲が広い。しかし落ちた手をいちいち拾ってつけ直すので膨大な隙をさらす。

・〈ローハンの科学は、まぁそこそこ!〉 ↓↙←+AorB(連打)

 発生10F。硬直19F。上段判定。胸がパカッと開き、現れたガトリングガンをぶっ放す。何事かと思うほど隙が少ないが、反動で大きく後ろに下がってしまうので、背後に敵の設置技があったりすると自滅する。

・〈後で拾うのが大変です〉 R

 発生5F。硬直20F。下段判定。常時展開型設置技。足元に地雷を置く。当たると相手は大きく浮く。エオウィンの生命線とも言うべき技。空中で出すと、真下に地雷を落とす。五つまで設置可能。

・〈こんな使い方じゃありません〉 ←or↙or↓or↘or→or↗or↑or↖+R

 発生5F。硬直5F。中段判定。常時展開型設置技。扇風機の羽根みたいな形状のメカを配置する。空中可。メカは高速回転しながら浮遊し、触れた相手を巻き込んで吹き飛ばす。方向キー入力によって吹き飛ばす向きを指定できる。二つまで設置可能。


 超必殺技

・〈ネズミ捕り用です〉 ↓↘→↓↘→+A+B

 発生27F。硬直65F。上段判定。全身のポッドを展開し、どう見てもネズミ捕り用ではない威力のミサイルを大量発射。地雷で浮いた相手に叩き込むのがベター。しかしヒット数が安定しない上に、変形した体を戻すのに一秒以上かかるため、運が悪いと反撃確定。

・〈ドロボウさんはおしおきです〉 方向キー一回転+AorB

 発生5F。硬直5F。投げ判定。敵に抱きついて電撃を流し込む。威力は控えめだが、相手のゲージをゼロにする。違和感を感じるほど優秀な技。エウィンのくせに生意気である。

・〈対神用覚醒型追憶剣アングマール〉 ↓↓+A+B+X+Y

 発生76F。硬直220F。3ゲージ消費のガード不能即死技。下半身の大剣が巨大化。大きく宙転しながら振り下ろし、相手を叩き潰す。ほとんど全画面を覆うほど範囲が広いが、背後に回り込まれると当たらない。しかもこのゲームで最も遅い部類に入る攻撃である。


「覚えらんないでごわす~……」

 射美が頭を抱えた。

 篤に至っては眼を白黒させながら硬直している。

「この……矢印と英字の羅列は何なのだ……?」

「いきなり全部理解しろとは言わねえよ。とりあえずほとんどの格ゲーに共通する基本的な仕様から教えるぜ」

 その後、攻牙はまったくゲーム慣れしていない生徒(主に篤)に根気良く格闘ゲームの何たるかを教え込んでいった。

 まず基本的なルール。相手に攻撃を当てることによって、画面上部に存在する敵体力ゲージをゼロにすることがゲームの目的である。二ラウンド先取制なので、相手を二回倒す必要がある。

 そして攻撃手段。

 ボタンを押しただけで出る通常技。相手に密着した状態でボタンを押すと発動する投げ技。

 特定の十字キー操作+ボタンで出る必殺技。

 画面下部のパワーゲージを消費して放たれる強力な超必殺技。(一応、パワーゲージは「EL粒子残量計」、超必殺技は「ルミナスドライヴ」という正式名称があるのだが、その名でよばれることはまずない)

 さらに、コンボと呼ばれるテクニックが超重要であることもどうにか飲み込ませた。まず何らかの攻撃を当て、相手の食らいモーションが終わらないうちに次の攻撃を当てる。これを繰り返すことで、防御も回避も許さずに大ダメージを与えることが出来るのである。

「ううむ、複雑だな」

「あとはダッシュだ! 方向ボタンをタイミングよくタタンッと押せ!」

「あいあい~」

 画面内で、ムーングラムは発光エフェクトを伴って物凄いスピードで突進。エオウィンと密着した状態で停止した。

「うおっ、速っ!」

「このゲームのダッシュはめっちゃ速いぞ」

 ステージの端から端まで一秒程度で走破してしまえるほどの超高速移動。言ってみればただそれだけのアクションなのだが、とにかく速いので立ち回りの根幹を成す重要行動である。

「うおー、速い~!」

 画面では、ムーングラムがビカビカ光りながら縦横無尽に飛び回っていた。突進の軌跡には蛍光色の粒子が飛び散り、非常に美しい。

 基本的に、ダッシュは方向キーを入れている方向に加速する。左右のみならず、上下や斜め方向にも行けるのだ。重力を無視した機動で飛び回るウサギの姿に、射美がはしゃぐ。

「……攻牙よ」

 ふいに、篤の重々しい声がした。

「あんだよ」

「ダッシュしてもすぐに止まってしまうのは何故だ」

「タタンッの二回目は押しっぱなしにしろ!」

 頭を抱える。


 ●


 七月二十一日

  午後五時五十七分一秒

   霧沙希家リビングにて

    「わたし」のターン


 それからわたしたち四人は、ローテーションを組んで、入れ替わり立ち替わり練習試合を重ねています。

 わたしと闇灯くんの二人は、わりあい簡単に基本操作をマスターしてしまいました。

 最初は「できるわけないっ」って思いこんでいたけれど、実際にコントローラーを握ってみれば拍子抜けするほど簡単でした。ゲームを開発した方々だって、ユーザーがわかりやすいよう工夫して作っているのですから当然ですね。

 わたしが選んだキャラクターは、マアナというお名前のようです。

 翡翠色の大きな球体を中心に、巨大な金属の手足が組み合わさって、ずんぐりとした機械人形を形作っています。その佇まいがなんだかとても愛らしくて、一目で気に入ってしまいました。丸くて大きいものが世界を平和に導くというのは、わたしの持論のひとつです。

「選んだ基準は?」

 攻牙くんが、つぶらな瞳を瞬かせて聞いてきました。

「だってかわいいんだもの」

「……」

 眉をきゅっと下げて怪訝そうなそのお顔がまた愛らしく、小さきものも世界を平和に導くんだなぁと感服することしきりです。

 闇灯くんが選んだのは、ヴァズドルーという方のようです。

 ゆらゆらと水草のようにゆらめく光のたてがみが雄々しい、騎士甲冑の男性です。バイザーから覗く紅い単眼が何やら睨んでいるようで、ちょっと身がすくんでしまいます。

「しょく」

「理由なんか聞いてねえし言ったら殴る」

「ええー」

 やりとりの意味はよくわかりませんが、なんだかとても微笑ましい光景です。

 射美ちゃんは相変わらずウサギさんを使い続けていました。とても白くてふくふくしていて、抱きしめたらとても気持ち良さそうです。

 それから諏訪原くんは相変わらず、近世大英帝国の香りただよう女の子を愛用しているようです。むぅ、ちょっと嫉妬してしまいます。

 わたしたち四人は何時間か練習試合を繰り返し、少しずつ『装光兵飢フェイタルウィザード』の戦い方を肌に理解させてゆきます。

 そのさまを監督しているちっちゃな熱血教師・攻牙くんは、折に触れては格闘ゲームの概論を教授してくれました。

 格闘ゲームとは要するに「先読みが可能な高速じゃんけん」とでも称すべきもののようです。

 パンチはガードすることで防げますが、いくら防御を固めても投げ技を防ぐことはできません。ところが投げ技をかけるには至近距離まで近づかないといけないので、パンチを連発されるとにっちもさっちもいかなくなってしまいます。

 つまり『打撃<ガード<投げ<打撃』という三すくみの形です。

 また、打撃技には「上段」「中段」「下段」の三種類が存在し、それに対応するようにガードにも「立ちガード」「しゃがみガード」「空中ガード」の三種類が存在しています。

 上段攻撃は空中ガード不能。

 中段攻撃はしゃがみガード不能。

 下段攻撃は立ちガード不能。

 と、このようなルールになっているため、ある程度経験を積んだプレイヤー同士の対戦だと、複雑な読み合いが発生するわけですね。

 うーん、これまでちらりと視界の端に流れるばかりだった格闘ゲームの勝負には、かくのごとき整然とした理論の裏付けがあったようです。

 そうこうしているうちに、六時を回りました。真夏なのでまだまだ外は明るいようですが、そろそろみんなのお夕飯について考えなければいけません。

 冷蔵庫の在庫状況を思い起こし、最適なメニューを考案します。

「攻牙せんせ? そろそろ休憩に入らない?」

 ひととおり考えもまとまったので、わたしはそう声をかけました。

「そーだなぁ。じゃあここらで休憩とす! オラッ! てめーら場所かわれ! ボクが練習する!」

「むお」

「へいへい」

「うふふ、それじゃあわたしはお夕飯の支度をしなくちゃ。射美ちゃん、手伝って?」

「ふあ~い」


 ●


 七月二十一日

  午後六時三十九分四十四秒

   霧沙希家リビングにて

    「俺」のターン


 俺は、眉間にしわを寄せながら、スマッホホンホンホーン!! を耳に押し当てていた。

 単調なコール音。攻牙に電話のかけ方を詳細に教えてもらったので、さっそく試しているのだ。

 やがて音が止み、大気のざわめきが聞こえてきた。

『はいはい。もしもし? 何の用だ息子よ?』

「うむ、実は今日、悪の組織の襲撃によって我が家が破壊されてしまったのだ」

『そうか、もうそんな季節か……』

「どんな季節だ?」

『まいったなぁ、またかぁ。まだローン残ってんだけど』

「父上と母上が帰宅した時に家がないのを見て驚くといかんから、先に報告しておこうと思った次第である」

『あぁ、まあ、そうだなぁ。俺はともかく真希ちゃんと霧華ちゃんは気が小さいからなぁ。卒倒するだろうなぁ」

「母上と霧華は感受性が繊細なのだ。我々が気を使わねばなるまい」

『そうだな。そんなところがまた可愛いんだけどねあの二人は。……それで篤、つまりお前はま~た危ない奴らと諍いを起こしてるのか』

「面目ない。争うことでしか事態を解決できぬ我が身の不明を恥じ入るばかりだ」

『まあいいさ。命より大事な俺ルールをしっかり持っているようで何よりだ。だけど真希ちゃんと霧華ちゃんを泣かすようなマネだけはするなよ?』

「肝に銘じておこう。それで、今後についてなのだが……父上と母上には一週間だけ待ってもらえるだろうか? それまでどこぞの宿にでも泊まってくれていると助かる。一週間経てばすべてに片がつき、我が家も元に戻っていることだろう」

『ふふん? 一週間か。今回はずいぶん長いな』

「西海凰先生が正気を取り戻せば、彼の特殊操作系能力によってすぐにでも非生物の破壊は修復できるのだがな」

『なんだかよくわからんが、まあいいや。健闘を祈る。ひさびさに真希ちゃんと二人きりキャッキャウフフというわけですねオッホゥ!』

「それから、霧華は現在、俺と一緒に安全な場所に潜伏している。こちらも心配は無用だ」

『何なら霧華ちゃんはこっちで預かるぞ?』

「いや、それはやめておく。今は動ける状況ではない」

『わかった。それじゃあな、我が息子よ。せいぜい気張りたまえ?』

「うむ、一週間後にまた会おう、父上」

 俺は通話を切った。

「お前の親父さん物分り良すぎだろ! なんつーラノベ的空気親父だ!」

 攻牙が突っ込んでくる。

「いやなに、我が父は今までも二度ほど家を破壊される憂き目にあっているのだ。しかしそのたびに『いつの間にか家が直っている』という怪現象を経験しているので、すでに慣れているのだろう」

「そういう問題じゃねえ気がするんだがな……」

「我が母と霧華は、過去二度の破壊には気付いていない。『谷川橋』のポートガーディアン、西海凰先生が有能な方である証拠だな。彼のおかげでこのあたりの人里は平穏を保っていたのだ」

「あの発禁野郎がねえ……」

 西海凰先生と、彼のバス停『谷川橋』が行使する特殊操作系能力、〈懐古厨乙イエスタデイ・ワンスモア〉は、あらゆる物質の状態を任意の時点に戻すことが出来るというものだ。しかしながら生きている動植物だけは能力の対象外であり、負傷を治すことはできないし、死んだ者を生き帰すこともできない。

 発禁先生は今までずっと、この能力で朱鷺沢町を守ってきたのだ。

「でもなんか尊敬できねえー!」

「センパイがた、夕ご飯できたでごわすよ~! ダイニングに集合でごわす~!」


 というわけで、霧沙希お手製のオムライス&オニオンスープ&海鮮サラダを御馳走になる。

 あっくんは魚介類を抜いたサラダをモヒモヒ齧っていた。

 うむ、たくさん食べて大きくなるのだぞ、あっくん。

「ごちそうさまであった」

「ゴチになりました~」

 手を合わせる一同。

「あ~食った食った」

「麦茶いるひと~♪」

「くれ~」

「僕もー」

 その様子を見る霧沙希の瞳が、潤み始めた。

「……ふや……」

 部屋の明かりを反射して、澄んだ水面のように揺れている。

「どうした? 霧沙希」

 俺の声に、ぴくりと反応する。

 見る見る頬が赤く染まってゆく。白い繊手が持ち上がって両頬を押さえた。

「……なんだか……なんだか……」

 胸の中に生じた感情を持て余しているのか、もじもじと身を縮こまらせる。

「いいな……すっごく……」

 はにかむように微笑む。

「なにがだ?」

「こうやって、みんなでごはんを食べたりすること」

「ふむ」

「わたし……ちょっと前までは一人でごはん食べてたから……余計に感無量なの」

 あっくんが来たのが一週間前で、鋼原が来たのがその二日後だ。それまで、霧沙希はこの巨大な邸宅の中で、ひとりで暮らしていたのだ。

 もちろん姉君の紅深殿もいるのだが、部屋に篭って出てこない。当然、触れ合える機会も限られているのだろう。事実上、一人だ。

「自分のじゃなくて、みんなのごはんを作って、それをワイワイやりながら目の前で食べてもらえるって、すっごく、その、いいなって」

 柔らかに眼を細め、物凄い勢いで攻牙が射美と謦司郎にツッコミを入れまくるさまを見つめる。

「一週間といわず、ずっと居てくれないかしら」

「いや……それは難しかろう」

「ふふ、冗談よ」

 去ってゆく船を見送るような、憧れと寂寥が混じった瞳だった。


 ●


 七月二十一日

  午後七時六分五十一秒

   霧沙希家リビングにて

    「 」のターン


 食後、ふたたび特訓を開始する一同であった。

 四人は時間を忘れて対戦に没頭した。単なる遊びではなく大きな目的意識があるのでやる気は十分だったし、誰かが偶然初心者殺しの戦法を編み出しても、即座に攻牙が対処法を飛ばすので、勝率に大きな差がつかないのもプラスに作用した。

 攻牙の眼から見ても、予想以上の上達ぶりである。

 今日格闘ゲームを始めたばかりの初心者どもが、すでにダッシュと設置技の重要性を体感的に理解し始めていた。普通ではありえない成長速度だ。

「次はガーキャンとルミナスイレイズを教えるぞ!」

「え、まだあるのかい?」

 ガードキャンセル。通称ガーキャン。

 ガードしながらいきなり反撃に転じるアクションである。ゲージを一本消費し、特定の反撃モーションで敵を吹っ飛ばす。一瞬時間が止まる演出が入るのであまり速そうに見えないが、実際には2F(三十分の一秒)で攻撃判定が発生するので、見てから防御なり回避なりすることは不可能である。

「まあ上手い奴はガーキャンのタイミングを先読みして無敵技を捻じ込んでくるから過信はできねーがな」

 で、ルミナスイレイズ。通称イレイズ。

 これは全キャラに標準装備されている、大威力の打撃技である。攻撃手段としてはハイリスクハイリターンだが、敵の設置技を打ち消して自分のゲージを回復させる機能を持つ。設置技で堅牢な「要塞」を構築できるこのゲームにおいては、非常に重要な行動だ。

「ただし隙はデカい! 注意して使え!」

「ほいほい~」

 ――こりゃあ……イケるかもしれねえな!

 口に出すとこいつら調子に乗るので言わないが。

 そして、数時間後。

「ふあ~……ふぅ」

 弱パンチ→弱パンチ→弱パンチ……などというしょっぱいコンボを入れながら、射美は大きなあくびをかます。

「あんだよ射美てめー今のコンボはありえねーやよ……」

 舟をこぎながら、攻牙はふにゃふにゃと叱咤する。その眼は半眼どころか三分の一眼であった。

 射美もほとんど眼を閉じてうっつらうっつらしている。

 2P側のコントローラーを握っていた謦司郎は、かすかに苦笑する。

「おやおや、二人はお眠のようだね。まったく、まだ夜の九時だというのに困ったものだ。ねえ、篤?」

 篤は眼をカッと見開いたまま微動だにしない。頭の上のあっくんが髪の毛をモヒモヒとかじっているが、特に気にしていないようだった。

「ふふ、しょうがないわ。今日は一日いろんなことがあったもの。疲れて当然よ」

 ベッドの支度をしなくちゃ、と言い残して、藍浬はリビングから姿を消した。

「まぁ、そうかもねえ……そういや篤? ふと思ったんだけど、霧華ちゃんのごはんってどうするの?」

 篤は微動だにしない。

「篤?」

 謦司郎はその顔を覗き込んだ。

「……し、死んでる……」

 篤の穏やかで深い寝息が、射美と攻牙の意識をも完全に夢の世界へと引きずり込んでいるようだった。


 ●


 七月二十二日

  午前一時三分二十四秒

   霧沙希家リビングにて

    「僕」のターン


 時刻は午前一時を回った。すでに篤たちは寝静まっている。

 リビングに、もはや人の気配はない。

 海底のような静寂の中、虫の声だけがかすかに漂ってくる。

 ガラス張りの壁から、青白い月光が差し込んだ。

 弱弱しい光に照らされて、攻牙の家から持ち出されてきた白いゲーム機が浮かびあがる。

 そんな中、僕はぼんやりとソファに身を沈めていた。

 ……こそりと、物音がした。

 木目調のフローリングを、妙なものが這い進んでいる。

 四足歩行。奇怪な蜘蛛の動き。

 夜天の照明に包まれるゲーム機のそばへと近づいてゆく。

 その者の姿が、徐々に露になっていった。

 跳ね癖のあるショートカット。やや日焼けをした肌。ランニングシャツとキュロットスカート。

 諏訪原霧華。

 篤におぶさって霧沙希邸に来てから、ずっと寝室の一つをあてがわれ、昏々と眠り続けていたはずの女の子。

 だが、目覚めたのではなかった。その眼は空虚。マネキン人形のように表情がない。

 ひたりひたりとゲーム機に這い寄り、止まる。

 ぎちい、とその頬が歪む。

 植物の成長をストップモーションで撮った映像のように、細かく震えながら二本の腕が伸びていった。長方形の機体を掴み、持ち上げる。

 頭上まで高々と掲げ、勢いをつける。

「……個人的にはね」

 僕は、そう声をかけた。

 一瞬、霧華ちゃんの体が硬直する。

「キミたちの、そういうどんな手を使ってでも生き足掻く必死さは、とても愛すべきものだと思うんだ」

 彼女は持ち上げたゲーム機を急いで床に叩きつけようとするが、たいした力じゃない。

 僕はゲーム機をがっちりと保持し、彼女の手をもぎ離した。

「だけど、ダメだね。これを壊させるわけにはいかない」

 霧華ちゃんこっちを振り返る。

 僕は柔和な微笑を見せてあげる。

「やあ霧華ちゃん。すべてのXY染色体を愛でる不断のリビドー、闇灯謦司郎だよ」

「――ないわ。マジないわ」

 霧華ちゃんはぽつりとつぶやいた。その声色は重々しく沈んでいて、普段の溌剌さは見る影もない。

 いかんなぁ、これは。

「――ディルギスダークは、唐突に現れた闇灯謦司郎をねめつけると、不快げに歯を軋らせた。明らかに不自然な接触であった。あらかじめ破壊工作の事実が露呈していなければ、ありえないタイミングであった」

「いやいや、そんな高尚な話じゃないんだよ。まさか霧華ちゃんがあらかじめディルギスダークに洗脳されていて、夜中にゲーム機を壊しに来るなんて、予想だにしていなかったよ。まいったね。やられたよ。危ない危ない」

「――不可解な言葉であった。予想していなかったのなら、一体何故この男は夜中の一時に電気もつけずにこんなところにいるというのか」

「答えは簡単。僕は眠りを必要としない。眠気なんていう感覚を、本当に長いこと経験していない。朝も昼も夜も意識はスッキリおめめはパッチリさ」

 白い機体をゆっくりと床に置くと、僕は苦笑した。

 そして――こんな体になった因果を思い出し、ちくりと胸が痛んだ。

「まあそのせいで、夜はいつも一人寂しくぼ~っとしてるんだけどね。今回ばかりは自分の体質に感謝だよ」

「――読めた」

 楔を撃ち込むような断定口調。

「え、何が?」

「――闇灯謦司郎の正体」

「ええっ?」

「――不可解な神出鬼没。自分以外の者を瞬間移動させることを好まない性格。そして眠りを必要としない体。これらの情報を総合すれば、ディルギスダークの中に、かなり信憑性の高い仮説が構築される」

「それはそれは」

「――

 自分の口元から、微笑が消えるのがわかった。

 それほどまでに、ディルギスダークの言葉は胸に突き刺さった。

「……必ず……」

 あぁ。

 いかんなぁ。

「……必ず後悔してもらうよ、その言葉……」

 こんなセリフ、僕には合わないよなぁ。

 霧華ちゃんは禍々しい笑みを返してきた。

「――散滅すべし。お前たちに勝機はない」

 いきなりその体から力が抜けた。

「おっとと」

 倒れ掛かる彼女を抱き止める。すでに、憑き物が落ちたかのようにあどけない顔で眠っていた。

「……やれやれ、悪霊退散エッサイム~」

 アーメンアーメンなんまいだ~、とバチ当たりな呪文を唱えて、霧華ちゃんの体を抱えあげる。

 お姫様抱っこ。すばやく両手がさわさわと動いて骨格の成長具合と肉づきを確認。

「う、ウッフゥーッ! 成長途中のッ! 青い果実ウッフゥーッ! いやー、かわいいなぁ霧華ちゃん。やっぱりあんなリアル『エクソシスト』みたいなイベントは大変よろしくないですよね、うん」

 しきりにうなずき、歩み始める。

「……背中の感触からすると、ブラはまだか……ぐふふ、ぐふっ」

 一人悶々とほくそ笑みながら、彼女にあてがわれた寝室へと足を向けた。


 ●


 七月二十二日

  午前八時六分三十四秒

   霧沙希家ダイニングにて

    「 」のターン


「……という夢を見たんだ!」

「夢なら言わんでいい!」

「いやウソウソ、ホントです」

 どっちだよ。

 朝一で謦司郎が語った出来事は、一同に少なからぬ衝撃を与えた。

 霧華はすでにディルギスダークのしもべとなっていたのだ。

「くっ、霧華……」

 歯を噛みしめ、俯く篤。

「まあ……」

 眉尻を下げる藍浬。

 重苦しい沈黙。

「それ……なんかおかしくねえか?」

 やがて、首を傾げながら攻牙が口を開いた。

「うぬ? なにがでごわすか?」

 まったく同じ角度に首を傾げる射美。

「霧沙希のねーちゃんの特殊能力はどうなったんだよ。範囲内ど真ん中だろここ」

 霧沙希紅深のバス停無効化能力を無視して、堂々と洗脳効果が現れている。よくよく考えるとあり得ないことだ。

「いや、それに関しては説明できる……と思う」

 篤が眉をひそめながら言った。

「恐らく紅深殿の結界は、純粋に〈BUS〉のみによる攻撃に対しては無敵だが……なんと言えばよいかな、〈BUS〉のエネルギーが原因となって誘発される二次的な物理現象までは防げないのではないか」

「炎を防いでも酸欠でやられる……みたいな感じか」

 ……要するに。

 紅深結界は、洗脳を施す行為そのものを防ぐことはできる。

 しかしすでに別の場所で洗脳されていた人間を正気に戻す力はないのではないか。

「そりゃあ……まいったなオイ」

 絶対に安全かと思われた霧沙希邸だが、穴はあったようだった。

 今後いつ脅威となるかわからない霧華ではあるが、謦司郎の話によれば別段身体能力がアップしているということはないらしい。当然、その戦闘能力は普通の女子中学生レベルであるわけで、直接的に危害を加えられる可能性は低い。せいぜいゲーム機を壊されないよう気をつけるぐらいだろう……という方向で話がまとまりかけた時、篤が首を振った。

「寝台に、縛り付けるべきだ」

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