Eater Tamer (イーター・テイマー)

御角

第1章

プロローグ 働きアリ

 カタカタカタ……。暗い室内で無数のディスプレイが、残業に勤しむ社員達の顔を青白く照らし出す。


「よし、もうすぐ終わりそうだ」

「こっちもなんとか。しっかし、アイツがちゃんと書類まとめておいてくれて助かったな……」


 大きく伸びをしながら、男は椅子からゆっくりと立ち上がった。


「まあ、アイツが今日休まなければ、俺達が残業する必要はなかったのかもしれないけどな」

「結果、プラマイゼロだな。今度お詫びに、何か奢らせるか!」

「お、いいなー、それ。明日来たらちょっと誘ってみるか」


 周りの社員の目を気にしつつデータを保存し、パソコンの電源を切ろうとしたその時だった。


「ん?」


 頭の痛みを訴え早退した上司の机が、ふと視界の端に映る。そこにはもう、誰もいないはず。それなのに、明らかに何か、黒くうごめく何かが、そこにいる。


「おい、なあ……」


 隣を見れば、先ほどまで話していたはずの同僚は、いつの間にかキーボードに突っ伏し眠っていた。画面につらつらと増えていく無意味な文字列が、せっかく作り上げたデータを容赦なく侵食していく。


「おい、起きろって。せめて保存してから……」


 肩をゆするが反応はない。無秩序な英字は、すでにディスプレイを覆い尽くし流れていくばかりだ。


「おい、おい!」


 隣の同僚だけではない。周りの同僚も次々と糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、片っ端から眠りについていく。おかしい、なんだこの状況は。一体、何が起きている。わからない。男は何も、理解できない。

 男の目に映るのは、眠りこける同僚達と、その間をゆっくりと闊歩かっぽする怪物の姿。ああ、上司の机にいた何かは決して見間違いなどではなかった。そう悟った時には、もう遅い。


『オまエのきオク、しゴト、タッせイかン……。イイ、すバラしイ! ごウカくダ』


 頭の中で、誰のものともわからない声が響く。男とも女とも、老人とも子供とも言い難い、しかし酷く不快なその声に、一人残された男は思わず顔をしかめてうずくまった。黒い怪物は、一歩一歩、確実にこちらへと歩み寄っている。


『さア、そノきオク、くワセロ』


 腰が抜け、立ちあがろうにも手に力が入らない。体に力が入らず、後ずさることすらままならない。


「く、来るな……。来るな……!」


 つけっぱなしのパソコンに照らされ浮かび上がった、そのおどろおどろしい顔に、男は妙な既視感を覚えた。


「ああ、そうか……。アリだ、働きアリ」


 怪物の手が眼前に迫る瞬間、男はその既視感の正体を思い出し、直後、視界は闇一色に染まった。

 床に転がる男の頭から、歪な手が離れていく。男はもう、今日の仕事が終わったのかどうかも、同僚との約束も、最後に思い出した怪物の既視感も、何一つとして覚えてはいなかった。ただ、残業をしたという事実と苦しい思い出だけが真っ白な脳に深く刻まれ、男は気を失った。


『……たりナイ』


 怪物は手足の先からスーツまで、余すところなく人間を模倣し自らのてのひらをじっと見つめる。そしてそのままオフィスを去り、深く暗い夜の闇へと溶け込んだ。

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