殺し屋会社 コルクボード

佐伯僚佑

第1話 コルクボード

「私のモットーは一日一善です」

「殺し屋なのに?」

 初夏の夕方から夜に変わる時間帯、僕は社長と二人、スターバックスでそれぞれのタブレット端末を覗き込んでいた。僕たちの端末には隠しカメラの映像が四台分ずつ流れていて、今回の標的の動向を教えてくれる。

 仕事帰りの会社員たちが行き交う世の中、僕らは混じらず、浮き上がる。

「玉城さんの方は動きありませんか」

「ええ、はい」

 社長は声だけで僕の端末の様子を窺った。実際、僕の方はさっきから、通りを三本ほど内に入った住宅街の無人の道を映しており、退屈の極みである。

「こんな仕事をしていると、どこかでバランスを取りたくなります」

「バランス」

 意味がわからなくて聞き返す。この女社長は僕にも敬語を使うが、僕はあまりきちんと敬語を使わない。そっちの方がよほど気になっていた。

 突然説教されるようなことは御免被りたい。

「このコーヒーだって、いただきますと言って飲みますよね。淹れてくれてありがとう。豆農家さん、ありがとうって」

「スターバックスのコーヒーにいただきますと言ったことはないかもしれません」

「では、次からは言った方が良いですね。いいことをしてもらったら、礼を返すのがあるべき姿です」

「わかりました」

 僕は遅まきながら、いただいております、と呟いた。社長はそれを聞いて口元を綻ばせる。目だけはカメラに貼り付くように向けられたままだ。

「我々の仕事は、お礼を言われることがありません。依頼を請けた後は、手順に従って、お互いに顔を合わせないままお金を頂き、終了です」

「それは、まあ、仕方ありませんよね」

 殺し屋全般に言えることだが、依頼人とは最小限の接触で済ませるべきだ。涙ながらに手を握ってお礼を言われ、感謝の雨を降らされたくないわけではないが、実際にされたらむず痒くてたまらないだろうと思う。

 依頼人とドライな関係で済むこの仕事は、そういう意味でも自分に合っているかもしれない。

「そう。仕方ないので、私も仕事にそういったことを求めはしません。代わりに、お礼を言われる機会をつくっているのですよ。言葉にして言われなくても、ああ、いいことをしたなあ、と思えるのは精神衛生上とても良いことです」

「大人になったら褒められませんからね」

 僕は大きく頷く。ほんの一か月前まで、僕は一国一城の主として会社を持っていた。社員は無しの、一人会社である。そこでも僕は殺し屋を生業としていたわけだが、褒められることも、お礼を言われる機会も皆無だった。丸一日無言で過ごす日だって珍しくなくて、最終的に、閑古鳥と仲良くなって会社を畳んだ。一応借金はないが、貯金額は会社を始めたときより減った。総合的に赤字でフィニッシュしたわけである。

 僕に経営の才能はないと判断し、また、事務手続きが死ぬほど面倒で、僕は雇われ殺し屋に戻ることにした。元々勉強は得意じゃない。学校の成績は壊滅的だった。法務や経理、役所関係の書類について調べるのは苦労したし、殺し屋となれば、さらに各種隠蔽工作が必要になってくる。仕事が来ないことよりも、事務仕事の辛さで泣いた。

 そうして転職活動を行い、「有限会社 コルクボード」に拾ってもらった次第である。

 今日は僕の初仕事。社長である三上と組んで、標的の男を殺す。依頼人から日付と時間帯を指定されている点が珍しい。

「大人になったら褒められない。それはまさにその通りです。私たちは自分の能力の粋を尽くして他者の依頼に応えているのに、あまりにも乾いた日本銀行券しか手に入りません。それは、とても切ないと思うのですよ」

 僕は曖昧に頷いた。お金は僕の心を潤してくれる。お金を手に入れて満足感を得ることはあれど、切なさを感じたことはない。ちょっと共感しかねる。

「玉城さんはまだお若いので、この感覚はわからないかもしれませんね。私はもう四十五歳になります。この手に何も残っていないと思うと、小さな感謝や人の想いの積み重ねが、生きた証になるような、そんな気がするのです」

「失礼ですが、お子さんやご家族は?」

「独り身のまま、この歳になってしまいました。仕事柄、これも仕方のないことではあります」

 寂しそうに微笑む社長を見ていると、結婚相手なんていくらでも湧いてきそうに思えてくる。憂いを帯びた白い顔と細い体。気障な言い方で好みじゃないが、男が放っておかないだろう。

「社長、モテそうなのに」

「それ、セクハラですよ」

「……」

 耳を疑い、言葉が出なかった。

「どうしました?」

「いえ、失礼しました」

 セクハラだと。セクハラ、だと?

 僕は衝撃のあまり、一瞬目線をタブレットから離してしまった。

 僕がかつて新人だった時代、雇ってもらっていた殺し屋会社があった。「コルクボード」とほとんど変わらない規模の会社だったが、そこではハラスメントなんて一言も聞いたことがなかったし、僕もそれで納得していた。

 だって、ハラスメントどころじゃない犯罪を日々行っているから。

 僕は記憶をぐるぐると飛び回り、殺し屋として採用されたことを繰り返し思い返した。うん、間違っても営業や経理で雇われたわけではない。

 僕は困って頭を掻く。まともな社会人を送ったことがない僕は、ハラスメントが何なのか、いまいちわかっていないところがある。そもそも、ハラスメントだとして、どこに訴えるんだ。調査が入って困るのは会社側じゃないのか。

 これは、後で僕の苦手な勉強をしなければならない。殺すメント、みたいな業界専用ハラスメントがあるかもしれない。

 とにかく、この会社は僕にとって未知の倫理観で動いている。もしくは、ただのジョーク。どっちだ。

 判断がつかなくて、社長を盗み見る。

 社長は笑っても怒ってもいない。多分、真面目に言っている。

「あの、すいませんでした。その、モテそうとか言って」

 初仕事でいきなり反感を買いたくなくて、素直に謝った。よく勘違いされるが、殺し屋だからって常識や協調性が無いわけではない。無いのは倫理感だ。

 社長はふっと、唇を緩める。この人の笑い方は酷く上品だ。和菓子が解けるように笑う。

「怒ってはいませんよ。ただ、常識的に、そういった発言が危険な世の中ですから」

「そうですね」

 今度は常識的と来たか。僕たちに常識を当てはめていいものか、殺し屋業界に問うたら呆れられそうだ。

「世知辛いですよね。モテそうだと言われて嬉しくないわけがないのに、何でもハラスメントになってしまって」

「はあ。そうですね」

「冗談の一つも飛ばせない職場なんて、息が詰まるじゃないですか」

「でも、不快に思う人が多いから、セクハラを無くそうって、世の中はなっているわけですよね」

 言いながら苦笑した。世の中のことなんて、分かった風に語れるほど知っているわけではないくせによく言う。

「そうですね。でも、玉城さんは私が入社させたわけですから」

 社長は静かに椅子を引いて立ち上がった。

「不快な人は会社に入れませんよ。さて、行きましょう。動きがありました」

 やはり、社長のカメラの方が当たりだったようだ。静かに、かつ颯爽と店を出て行く社長の後を追う。

 ひょっとして今のは、褒められたのだろうか。店を出た後、ようやく気付いた。


 依頼人は若い女性だったと聞いている。標的は恋人。近々プロポーズされるから、その前に殺してほしいという依頼だ。「コルクボード」では社長が依頼人と話し、社員に仕事を振る。だから僕は依頼人を直接知らない。

 三上社長の方針は知らないが、基本的に僕たち殺し屋は依頼人のプライベートに踏み込まない。仕事をこなす上では関係ないからだ。だが今回は少しばかり気になる。

 殺すタイミングを細かく指定されたのだ。

 五月三十日、六時半から七時。このルートを通るはずだからそこで殺してほしい、と。

 言うまでもなく、それは殺し屋の動きを限定するもので、仕事が警察に露見するリスクが大きくなる。僕が一人会社をやっていた頃なら、間違いなく断った。

 だが、社長は請けた。

 依頼人いわく、そのタイミングでなら報酬が用意できるから、だそうだ。どういう理由かわからないが、社長がそれで請けたのならば文句はない。雇われの気楽なところだ。

 そういうわけで、僕と社長はペアを組んで仕事にあたることになった。予想される標的の移動ルートに沿ってカメラを設置。標的の動きに合わせてこちらも計画を微調整していく。

 スターバックスを車で出た僕たちは、途中で社長だけ降ろして行動を別にした。僕はポイントへ向かい、待機する。社長が標的を一人きりでポイントに送り込む、そういう打ち合わせだった。

 社長は、厳密に言えば殺し屋ではない。標的を一人きりにする「場」をつくることに特化したスキルを持っているらしい。

 工作員という表現の方が近いだろう。

 内藤という同僚は、

「殺すより遥かに難しいことをしているのに、殺すことだけはできないなんて、おかしな話だよな。でも、社長と組むときは楽勝だぜ」

 と言っていた。

 殺すことは簡単だ。躊躇わなければ誰でもできる。僕に言わせれば、世の中の大半の労働者は、殺しよりも難しいことを日常的にやってのけている。殺し屋に必要なものは、技術云々よりも、先天的な素質の方が大きいと思う。

 僕は得物の、握りが付いた細長い杭の感触を確かめる。巨大アイスピックのようなものだ。道具はその都度、仕事に合わせて変えるのが僕の流儀で、今回は街中の路地、目立たず一撃で済ませられ、血が出にくい物を選んだ。車を出て運転を休憩している風を装い、ストレッチをする。

 街中で仕事をすることがないわけではないが、できれば避けたい。標的が一人で現れない、もしくは他の通行人が居合わせる可能性だってある。そうなれば難易度は跳ね上がってしまう。

 ふと気づけば、人通りが無くなっていた。僕は内藤が言っていたことを半信半疑で聞いていたが、まさか、と思う。遠くには雑踏の声と車の行き交う音が聞こえるが、ここには人の声一つない。

 明らかに不自然な、でも偶然の範囲でも済まされるような無人のスポットが僕の周りにできていた。

 その道に、一人の男が迷い込むように現れた。写真で見た出っ歯の男。今回の標的である、依頼人の恋人だ。顔に出さないように驚いて、素早く周囲を確認する。本当に、人払いされたかのように僕と標的しかいない。何をすればこの状況をつくれるのか非常に気になる。

 標的はリュックタイプの鞄を背負い、無警戒に歩きスマホをしながら歩いている。新米じゃないので、リュックがある分の間合いも調整し、自分の歩幅で三歩分を目測した。

 すれ違い様、僕は動き出す。右足で踏み出して三歩分、最後は右足で踏み込んで、右手に持った杭を標的の側頭部に突き刺した。

 頭蓋骨を支点に杭を動かし、脳内をえぐり切る。これで即死だ。

 倒れる間も与えず、杭も刺したまま、標的を抱えてトランクに放り込んだ。トランクには大きなジッパー付きビニール袋が開いてセットされており、そこに死体を詰め、ジッパーを閉める。

 標的のスマートフォンを探して、見つけた。握ったまま死んでいる。

 最後に一枚のメモ用紙を近くにあったエアコンの室外機に挟み、車を出した。ここまで、踏み出してから二十秒、男が路地に現れてから三十秒ほど。悪くない。

 最初の信号機で止まり、大きく息をつく。適度に緊張していた証拠だ。リラックスしているよりもパフォーマンスが高まる、いい心理状態。

 初仕事はこれでほぼ完了。誰にも見られていない。あとは社長を拾って、処理業者に持っていくだけ。

 信号が青に変わってブレーキを放した瞬間、後部座席から声がかかった。

「よう、お疲れさん」

 文字通りシートから飛び上がるほど驚いた。ハンドルが僅かにぐらつく。

「危ないな。しっかり運転しろ」

「内藤さん、どうしてここに」

 後部座席にいたのは、同僚の内藤だった。僕より体格が良く、髪が天然パーマなのか、くるくると巻いている。フロントミラー越しにくしゃりと笑われた。

「後輩の初仕事が心配だから、見に来てやったんだろ」

「じゃなくて、いつ乗り込んだんですか」

「お前が標的をトランクに入れているときだよ」

「嘘でしょう」

 全く気付かなかった。

「ま、やり方があってな。機会があれば教えてやるよ」

 内藤はリラックスした様子で座っているが、僕は今、心の底から肝を冷やしている。その気になれば、内藤はいつでも僕を殺せたのだ。不意打ちならともかく、全神経を張り巡らせていたあの状況で。

 すなわち、僕より遥かに格上だ。

「見ていたが、悪くないな。迷いがないし、やることが体に染みついている感じだ。年の割に場数踏んでいるのか」

「フリーランスだったので、いろいろな現場を一人でこなしましたから」

「なるほどねえ」

 合流ポイントで社長を拾うと、「どうして内藤さんが?」「見物に」の二言だけで納得していた。


   ◇


「コルクボード」の事務所は大きくない。外に看板を出しているわけでもない。築二十年の雑居ビル二階の隅にこじんまりと構えている。

 中には接客スペースとミーティングスペース、そしてデスクが六つある。小さなキッチンスペースもある。六つのデスクのうち二つは大きい。一つは社長の三上用、そしてもう一つは晴海用だ。そこだけ書類の山が築かれている。

 晴海は総務担当の女性社員だ。そう、僕が死ぬほど嫌いな仕事をやってくれている方だ。感謝、感謝。今日も今日とて、表と裏の経理をこなしてくれている。

 そんな晴海さんに合掌しつつ、僕と内藤は社長に貰ったお小遣いでお酒とつまみを買い、ミーティングスペースで祝勝会をしていた。

「お前の前にはな、社長と組んでいた光定っていうじいさんがいたんだよ。この会社は元々、その二人の会社だった。そこに俺や晴美ちゃんが加わり、まあ、多少の人の出入りがあって、今のメンバーになった」

「光定って、名字ですか」

「そう。変わった名前だろ。凄腕のじいさんでな、俺もいろいろと教わった。そんな人が社長と組むんだ。どんな仕事でもやってのけていたよ」

 今日の昼間のことを思い出す。まるで魔法のように無人のスポットが形成されていた。人を殺す方法はわかるが、たった一人で、標的に勘づかれることなく人払いする、「場」をつくるスキルは想像することもできない。

 そこに凄腕の殺し屋が加われば、失敗する確率は限りなく0に近づくだろう。内藤だって僕より格上で、その内藤が凄腕と呼ぶほどなのだから、相当なものだ。

「そのじいさんはこの度晴れて引退された。それで、求人を出して、来たのが玉城だったわけ。だから、俺があの場にいたのもただの興味本位じゃないんだよ。社長は普通の殺し屋の腕を知らないし、玉城も社長のやり方を知らない。それでいきなり組むなんて言うから、心配になるのもわかるだろ?」

 そういうことか。相変わらず後部座席に乗り込んだ方法は教えてくれないが、内藤があの場にいた理由は納得した。社長が「場」をつくることしかできないのに殺し屋会社の社長をしている理由もついでにわかった。

「社長はどうやってあんなことを実現しているのでしょうね」

「さあな。基本的な理論は聞いたことがあるが、マジシャンが使うテクニックの応用だとかなんとか。とりあえず、俺に真似できるものじゃないことはわかった」

 内藤は、カハハ、と笑った。

 たしかに、聞いても何のことやら、といった感じだ。マジシャンは観客の動作を誘導するテクニックを持っていると聞いたことがある。僕も視線誘導くらいは使うことがあるが、それでは到底社長の「場」を再現できない。

「社長は、必ず標的が一人になる空間をつくる。俺は一人でも仕事をすることが多いんだけどな、社長と組む時の方が百倍楽だよ」

「内藤さんは、一撃で決められない人だもんね」

 晴海が「休憩」と言ってミーティングスペースに入ってきてピーナッツをかじり始める。晴海は僕と同年代らしいが、なんとなく年上に見える。老けているというより、雰囲気が強い。

「晴海ちゃんも飲む?」

 晴海は、内藤が差し出したビールを押し返した。

「仕事終わっていないし、家で子供とご飯食べるから遠慮します」

「お子さんがいるんですか」

「そう。小学五年生の子供がね」

 その言葉で僕は納得する。感じたものは、母の強さだ。守るものがある人はしっかり立っていて、強い。逆に僕のような何も背負っていない人間は、軽い。いつでも逃げ出せる。

 殺し屋の足が鈍っては仕事にならない。社長が言っていたのは、多分そういうことも含んでいるのだろうと思う。

「教育に良くない職場ですね」

 思わず口から零れてしまい、しまったと思ったが、晴海は意外と大笑いした。

「まったくだよ。お母さんの仕事って何? 何やっている会社なの? って聞かれたときはどうしようかと思ったね」

「なんて答えたんですか」

「事務仕事を代理する会社だよって言っておいた。前にいた職場がそうだったから、嘘つきやすくてね」

 事務作業員の派遣か。無難ではある。

「子供に誇れる仕事じゃないのは重々承知なんだけど、やっぱり、お金が無いからさ。ここ、待遇いいし、社長が子育てに理解あるし。女手一つで子供を育てるとなると、一番重要なのはそこだよね」

 こちらも訳ありか。僕は二十七歳で、晴海も同年代。そして小学五年生の子供がいるということは、どう見積もっても成人する前に出産していることになる。

「僕は、ここに来る前はフリーランスだったからわかりますけど、一社の総務を一人でやるの、大変じゃないですか」

 晴海は、おお、と呟き、身を乗り出した。

「そうなの。そうなの、そうなの。わかってくれる? 社長も手伝ってくれるけどさ、全然楽じゃないの」

「そうですよね。僕はそれが嫌でフリーランス辞めましたから」

 途端に晴海の顔が曇る。

「ちょっと気持ちわかっちゃうわ。私はこれしかできないから逃げられないけど、どう見ても内藤さんの方が暇なんだもん」

「その分危険なことをしているからな」

 内藤に飛び火したが、全く熱そうじゃない。晴海はその反応が不満だったようで、苦い顔になる。

「玉城さん、知っていますか。内藤さん、一発で殺せないんですよ」

「さっきも言っていましたね。どういう意味ですか」

 晴海さんは唇を片方上げて横の内藤を見た。内藤の方は素知らぬ顔でビールを飲んでいる。

「どういうわけか、一撃で殺せないんだって。必ず二撃かかるって社長が言っていたの」

 内藤は苦笑する。

「なんでかな。一発目では殺しきれなくて、もう一撃、必要になる。アンラッキーなんだな。標的が予想外の方向に踏み出すとか、服の下の物に得物がぶつかって致命傷に至らないとか、いろいろと起こった」

「それは、大変ですね」

 相手は人間なので、必ず想定外は起こる。一応先輩なので形式的にフォローしたが、それを含めて対応できる間合いと速度で動くのがプロだ。

 うっすらと内藤の癖が見えた気がする。速すぎて、行動しながらの調整が効かないのではなかろうか。最初に決め打ちした動作を実行するから、急な変化に対応し辛い。また、それほど速ければ、僕の車に忍び込んでいたことも不可能ではないかもしれない。

「社長の言うことは大げさなんだよ。若いときにそういうことが何度かあったから、俺は二撃入れるようにしてんの。確実に仕留めるようにしてんの」

「それは合理的ですね。仕留めたか不安になるくらいなら、もう一秒かけてとどめを刺すべきです」

「そうだろ。玉城はわかっているな」

 晴海がチータラを親指と人差し指でクルクルと回す。

「玉城さんって、ぼんやりしているようで、理屈っぽく喋るね」

「ぼんやり、していますか」

「うん。落ち着いている、とはちょっと違うかな」

「浮世離れしてんだよ。この仕事していればよくある」

 内藤の言葉に、晴海は合点がいったようだった。ああ、と手を叩く。

「俺たちはどうしても、普通のサラリーマンみたいにはなれないからな。どっかズレて見えるんだ。そういや、聞きたかったことがある」

 内藤はそこで首を伸ばして事務所を見回した。つられて僕も首を動かす。今は僕たちしかいない。

「あの時は黙っていたけどな、お前、殺した後、何かを現場に残していただろ。エアコンの室外機に挟んでいるの、見たぜ」

 そうか。そのときには内藤は後部座席にいたわけだから、見られていたのか。

「あれ、何だよ?」

 僕が言い淀むと、内藤は僕と肩を組んで顔を寄せてきた。

「安心しろって。その気ならすぐに社長に報告している。黙っておいてやるから、何していたのか話せよ」

 これは弱った。ここで黙秘すれば、内藤は社長に報告するかもしれない。そんな大ごとにしたいわけではない。

 数秒考えて、無理に隠すほどでもないか、と結論付けた。

「これです」

 僕は尻ポケットから一枚のメモ用紙を抜いてテーブルに出した。晴海と内藤の顔が乗り出す。

「なんじゃこりゃ」

 そこには、「たまたま参上」と書かれている。内藤は裏面まで確認して、他に何も書かれていないことがわかると、腕を組んだ。

「これを現場に残して、何をしたかったんだ。誰かへの暗号か?」

「そういうわけではないです」

 晴海が手を挙げた。

「キャッツアイに憧れた、とか?」

「アニメを見たこともありません」

 そして二人は悩み始めてしまった。大きな秘密があるわけでもないのに。

「まず、文面の意味を解読する必要があるな。同僚が現場に下ネタを残す変態だとは思いたくない」

「下ネタじゃありませんよ、失礼な。僕の名前は玉城たましろ御魂みたまと言います。略してたまたま、です」

 フラットな音程で言うのがポイントだ。変に抑揚をつけると、それこそ下ネタになってしまう。

「お前、御魂って言うのか。厳かな名前だな」

「名前負けしています」

 本当に、もっとカジュアルな名前にしてほしかった。御魂なんていうと、祀り上げられた神様みたいで名乗るのに気が引ける。

「待て待て、ということはお前、現場に、自分がやりましたって名前入りカードを残してきたってわけか。怪盗みたいに」

「怪盗と言われると、気恥ずかしいですね。そんなに大した人間ではないので」

「クズっぷりではいい勝負だと思うが、論点はそこじゃねえよ。なんでわざわざ証拠を残してんだ」

「僕たちの仕事って、誰にも見られないじゃないですか」

「あん? まあ、そりゃあな」

 言い始めて、最近どこかで似た話をした気がした。

「自分の仕事を認められたい、お前は凄いぞって褒められたい。承認欲求っていうか。それってそんなに不思議なことですかね」

 晴海は、わかる、と頷いた。内藤は腕を組んで、わからん、と言った後唸った。

「リスクの方が大きいとは思うが、まあ、社長には黙っていてやるよ」


「今回、大黒字なんじゃねえの」

 僕の書置きには一旦決着がついたようで、内藤はさきイカを振って晴海を指した。晴海も、思い返すように目線が動き、頷く。

「そうね。経費、人件費、死体処分費を差し引いても半分は余ったかな。あれ、どういうことよ。どうして今回、こんなに太っ腹に払ってもらったわけさ」

「俺もそれが気になっているんだよ」

 二人の目線が僕を向く。

「いや、僕も知りませんよ。社長ならわかるかもしれませんが」

 僕だって依頼人と会話はしていない。今回の仕事はいろいろとイレギュラーだったが、それで支障はなかったからだ。

 今回の最も不思議だった点は、報酬金の渡し方だ。なんと、標的が持っているからそこから全額持って行ってくれ、という依頼だったのである。

 殺した後持ち物を確認すると、たしかに現金二百万円が鞄から出て来た。ありがたく全額を頂戴し、今にいたる。この酒代もそこから出ている。

 内藤がスマートフォンを操作して読み上げ始めた。

「今回の標的は、アトモスホーンという株式会社の社長の跡取り息子だ。依頼人にプロポーズすると、周りにも言いふらしていたらしい」

「内藤さん、なんでそんなこと知っているんですか」

 僕が驚くと、晴海があきれたように、いつの間にか淹れていたコーヒーを飲んで言う。

「この人の趣味。用もないのに事務所に来ては、依頼人と社長の会話を盗み聞きして、調べ回るの」

「だってよ、気になるだろ。殺すほど恨むなんて、そこそこのドラマがあったに違いないじゃないか。ありふれた二時間ドラマよりも面白いぜ。あと、用もないのにってのは余計だ。俺が留守番している間に請けた仕事だって多いんだからよ」

 はいはい、と晴海は聞き流す。

「で、だ。依頼人の両親が、そのボンクラ息子の会社の社員なんだわ」

「ボンクラだったんですか」

「二代目って大抵ボンクラだろ」

 そうなのか? 内藤の偏見が見えている気がする。

「ボンクラ君は、社員の家族も呼ぶような盛大な会社のパーティーで依頼人を見初め、自分の立場を乱用して依頼人と交際することに成功した」

「最低のボンクラ息子ね」

「そうだろ。そんな方法で交際をスタートさせたものだから、当然依頼人からの好感度は低い。その一方で、依頼人は両親の立場もあるから無下には扱えない。曖昧な態度を取っているうちに、ボンクラ息子は舞い上がって、プロポーズすると周囲に言い始めた」

 晴海がピーナッツを僕に投げつけた。

「最悪の男じゃん」

「僕に当たらないでください」

「ごめん。つい、男が全員敵に見えて」

 つい、で敵視されてはたまらない。服に落ちたピーナッツを食べる。

「でもまあ、なんとなく事情は察したわ。プロポーズされて、断ると両親の立場が危うくなり、受けると嫌いな男の身内になってしまう。だからプロポーズされる前に消しちゃおうってことでウチに依頼をしたわけね」

「そういうこと」

「それで、どうして大黒字になったの」

「ああ、そういえばその話をしていたんだったな」

 内藤は忘れていたように昨日のことを話し始めた。同時に僕も、昨日のことを思い出す。


   ◇


 内藤は手袋を嵌めて、意気揚々とトランクを開けた。

「これが標的の鞄ね。ここから報酬を持って行ってくれとは、ずいぶん面白い依頼だ」

 死体処分業者に引き渡す前に、車は人気の無い山中で停車していた。時間はまだ七時を過ぎた頃だが、街灯もなく車内灯だけが唯一の光源になっている。

 トランクを開けると、頭に杭が刺さった死体が一つ。それにくっついているリュックを内藤は引っ張り出した。社長は死体の顔と写真を照らし合わせ、本人確認している。僕は内藤の方を手伝うことにした。

「まずは財布。十万円弱ってところか」

 内藤が投げてくる。開くと数枚の一万円札が暗がりの中で見えた。キャッシュレスのこの時代、持ち歩くにしては多額だ。

「ノートパソコンが入っているかと思ったけど、無いな。他に金目の物は……お?」

 内藤の声が変わり、目を向ける。そこには分厚い銀行の封筒が掴まれていた。内藤と目が合い、思わずにやけてしまう。

 内藤がわざとらしく目を細めて中身を確認する。

「当たりだ」

 封筒の中からは、一万円札の束が出て来た。白帯で括られた束が二つ。二百万円だ。

「凄いですね」

 一人殺して二百万円。コストパフォーマンスは最高に近い。

「封筒がもう一つある」

 内藤の声が弾む。僕も期待を込めて一緒に覗き込むが、出て来たのは、細いチェーンで繋がった二つの指輪だった。宝石の類もついていない、ステンレスらしいシンプルな指輪。

 内藤がスマートフォンのライトで照らすと、内側にイニシャルの刻印が見えた。

「これは金にならないな」

 他には家の鍵、タブレット、ティッシュペーパーや着替え、避妊具が出て来た。

「何するつもりだったのか、はっきりわかりますね」

「ま、今日はデートだったんだろ。だから誘い出すのに適していたってわけだ」

 僕は標的のスマートフォンを起動してみた。頭に刺した杭は抜いていないので、血はほとんど流れておらず、スマートフォンも綺麗なものだ。

 知っているメッセンジャーアプリがあったので開いてみると、悪寒が走った。

「内藤さん、これ」

「何? うわ」

 そこには、依頼人に向けたメッセージがずらずらと並んでいた。ほぼ十分おきにメッセージが送られている。そのうち、返信があるのは二、三十通に一度。それも「はい」や「そうですね」といった短い返信がほとんどだ。

「うわうわうわ。これ、彼氏じゃなくてストーカーと呼んだ方がいいタイプじゃね。滅茶苦茶怖いわ」

「依頼人の方もお気の毒に。こんなのを毎日毎日送られたら、そりゃあ殺したくもなりますよね」

 そのとき、内藤が指を鳴らした。

「なるほど。わかったぞ」

「何がですか」

「殺す時間を指定した理由だ。見て見ろ、このメッセージの最後。お前に殺される直前で止まっているだろう」

「そりゃあ、その後も送信されていたら不思議ですが。それがどうしました」

「この時間、依頼人は誰かの目に触れる場所にいたんだな。標的を殺すことはできないと証明する、いわゆるアリバイってやつをつくるために、殺す時間を指定したんだ」

 僕は想像してみる。もしもこれが殺人事件であると警察が気づき、動機がありそうな人物を調べていくとする。真っ先に候補に挙がるのは依頼人だろう。一番近い人間が一番恨みを抱えるというのは、この仕事をやっていればよくわかる。警察もそれくらいは簡単に思いつくはずだ。

 依頼人、つまり被害者の交際相手のスマートフォンにはメッセージがずらりと並び、絶え間なく受信している。そのメッセージが急に止まっていれば、それが死亡推定時刻だとアタリをつけてもおかしくない。実際、正しい。

 その時間帯、例えば依頼人が同僚と何かしていたとか、誰かと電話していたとか、記録に残るようなことをしていれば、殺害は不可能であると推測できる。

「なるほど。殺す時間を指定されたのは、ちゃんと理由があったんですね。自分が疑われたときの保険ですか」

「こんな変質者まがいのメッセージ魔じゃなきゃ使えない手だがな。ま、死体が見つからなきゃ捜査もされないから、あまり必要のないアリバイ工作だったわけだけどよ」

 そうして僕たちは、現金二百万円と少々を抜き取り、死体処分業者に残りを引き渡した。


   ◇


「ということで、二百万円を我々は手にしたのだよ」

 内藤の話は僕の記憶と食い違うことなく、晴海はふんふんと聞いていた。

「ストーカー気質の人っているんですよね」

 やけに実感がこもった言い方に、晴海の人生の闇を覗いたような気がした。

「社割で安く殺してやろうか」

 弊社には社割制度があったのか。

 晴海は手の平を突き出す。

「今は結構です。それよりも気になることがあるんですが、標的の男性は、どうしてそんな大金を持っていたんでしょう。依頼者の方も、昨日の夜なら大金を持っていると確信していたようじゃないですか。普通、二百万円なんて持ち歩きます?」

 僕と内藤は顔を合わせ、同時に首を傾げた。

「どうしてでしょう。先輩ならわかりますよね」

「いきなり先輩を立てようとして無茶ぶりすんな」

 ううむ、と内藤は腕組みしてしばらく唸った。僕も頭の中を整理してみる。

 今回の依頼は、いくつか妙な点があった。殺害する日付、時刻、場所を細かく指定されたこと。そして、報酬は標的の鞄から持って行けという依頼者からの指示。その結果得た、過剰なまでの金額。本来ならば半額以下で依頼を請けている。社長はそれを説明しているはずだが、その上で標的にお金を持たせ、高い金額を出すことを選んだ。

 日付と時刻を指定された理由は、昨日の時点で解決した。自分が怪しまれたときのためのアリバイづくりだ。

「あの二百万円は、依頼者のお金じゃなかったのではないでしょうか」

「うん」

 内藤も同じことを考えていたようで、相槌一つで続きを促してくる。

「依頼者は、何らかの理由で、男があの日、大金を持っていることを知っていた。今回、依頼者はほぼ完全に被害者というか、とばっちりです。ならば、そのために身銭をはたくことを良しとせず、男の財産から、男を殺害するお金を捻出することにした。社長が請けた以上、仮に男がお金を持っていなかったら、そのとき初めて自分のお金を出すつもりだった」

 殺し屋への依頼料は決して安くない。ストーカーまがいの彼氏を葬るためにお金を出すのは勿体ないと思っても、それは共感できる。だが、普通は自分が出すしかない。

「何らかの理由って、何だろうな。大金を持っていることを知っている事情なんて、あまり日常的にあることじゃないぞ」

 内藤も同じ地点までは来ていたらしい。

「普通に考えれば、何かを買うためですよね」

 二百万円という大金が必要な買い物とは、何だ。

「わかりました!」

 突如、晴海が大声を出した。

「わかりましたよ。全てわかりました。男は依頼人にプロポーズするつもりだったんです」

 ビシ、と僕と内藤の間を指さして晴海は立ち上がった。

「周囲に言っていたのだから、それは間違いありません。そして昨日は、婚約指輪を購入しに行く日だったんですよ。だから大金を持っていたんです。私の推理では、デートの待ち合わせだったのだと思います。時刻を指定してきたのは、デートの待ち合わせをしておけば、男が移動する時間帯をある程度推測できるためです。ウチに依頼するにも、アリバイづくりにも、とても向いていたと思いませんか」

 ふんふんと、鼻息荒く晴海は語り、僕らを交互に見た。

 どちらが言うか目線を交わし、内藤に譲った。

「晴海ちゃんの言う通り、あの日はデートの待ち合わせだったと思う。持ち物がそれっぽかった。外泊する気満々だった」

「じゃあ」

 勢い込む晴海を、両手を突き出して落ち着かせた。

「待て待て。肝心な所がおかしい」

 僕も頷く。そう、おかしいのだ。

「だって、玉城が殺した時点で、男は既に指輪を持っていたんだ」

「え?」

「男の持ち物を調べた際に、指輪が出て来た。イニシャルを刻印した品だ。もう処分しちまったけど、たしかにあった」

「み、見間違いでは……?」

「俺たち二人とも見間違えるわけがないだろう」

 内藤は呆れたように言い、晴海は萎れていった。

 プロポーズを控えた男、大金を使う買い物。この二点から、僕も婚約指輪を連想した。デートの待ち合わせも、アリバイ作りをしやすいことも間違いないだろう。だが、指輪は既に持っていた。

 二百万円には、他に使い道があったのだ。

「いいアイデアだと思ったんだけどな」

 晴海は溜息混じりにピーナッツを食べる。結構カロリーがある食べ物なのだが、気にしないのだろうか。

「上手くいきませんね。ピーナッツしかないし」

「ピーナッツを食べて何を言っているんだ」

「私、ピーナッツと、辛いお菓子が混ざったやつが好きなんですよ。どちらか片方ではなくて、両方混ざったものが好きなんです」

「そりゃ悪かったな。ピーナッツだけなのは俺の好みだ」

「分かっていませんね。片方だけなんて物足りなくないですか」

 二人のお菓子談義は進んでいく。

「そもそも、混ぜるのがおかしいんだよ。それぞれが単体で独立したものだろ。混ぜた状態で売られたのがポピュラーだからそれが当たり前になっているだけで、それがバラバラに戻っただけじゃねえか」

 そのとき、ちらりと頭をよぎるものがあった。

「二つで一つ。両方あって完成なんですよ。ピーナッツだけなんて、格好がつきません」

 なるほど。

「誰に格好つけてんだよ、誰に」

 その通りだ。

「誰にって、そりゃあ、求める人たちにですよ」

「そうですね。この場合は依頼人だ」

 僕が急に話に入ってきたからか、二人の視線が向く。

「依頼人がどうした」

「二百万円の使いみちですよ」

 数秒、内藤と晴海は口を開けて目が右往左往した。

「どうしました」

「もう、その話は終わったものだと思っていた」

 ひどいな。こっちは一応真剣に考えていたのに。

「玉城さん、何に気付いたんですか」

 終わった話だとしても聞いてくれるらしい。

 考えをまとめながら、晴海に聞く。

「晴海さん、婚約指輪って貰ったことありますか」

 晴海は記憶を辿るように眉間に皺を寄せた。意外に悩み、腕を組んで唸り始める。

「ええ? もう十年くらい前だからなあ……。ああ、でも貰っていないわ。二人ともお金なかったから。十代だったし」

 意図せず、十代で婚約したことを知ってしまったが、まあいいだろう。本人も隠している様子がないし。

 ひとまず、晴海が気づかなかった理由はわかった。貰ったことがないのであれば仕方ない。

「箱がありません」

「「箱?」」

 僕は両手の平を貝のように合わせ、縦に開いた。

「プロポーズで指輪を渡すときの定番といえば、こう、箱をパカッと開けて差し出すものではないですか」

「ああ、そういうイメージあるな」

 内藤が顎を撫でる。僕たち殺し屋には無縁の動作だろう。仕込み毒針を箱に入れておいて不意打ちで殺すことはあるかもしれない。今度つくってみようか。

「金持ちがプロポーズするときに格好つけて指輪を渡すなら、指輪とセットで、箱も必要じゃないですか。男の持ち物には箱がありませんでした」

 内藤はしばらく思い出すように指を額に当てていたが、やがて外した。

「無かった。たしかに箱は無かった。男が持っていた指輪は、細いチェーンで二つを繋いだものが封筒に入っていたんだ。リングケースがあったなら、それに入れないわけがない。じゃあ、あの指輪は婚約指輪じゃなかったのか」

「そうだと思います。多分、指輪のサイズを決めるために、昔買ったものを指輪店に持って行ったのでしょう。それがそのまま鞄に入れていたのだと思います」

 ほう、と晴海が息を吐いた。

「それだね、間違いないよ。やるね、期待の新人君」

「ありがとうございます。あの日の男の行動予定をまとめると、仕事終わりに指輪を受け取り、そのとき支払い。デートの待ち合わせ場所に行って、公言通り結婚のプロポーズをする。こんな予定だったのでしょう。依頼人はそれを逆手にとり、指輪の購入前に持っているお金を報酬にすることで、ウチに殺害を依頼した」

 上手く説明できて、僕は少し誇らしく笑う。今まで、仕事とは殺すかどうかだけだった。依頼の背景まで頭を捻るのは少し楽しいかもしれない。

 そう、浮かれているところに内藤が割り込んだ。

「それ、少し無理があるな」

「無理?」

「仕事終わりからデートの間に支払う必要がない。俺なら、前日以前に購入して鞄に忍ばせておく。もちろん、当日購入して当日渡したって問題はないわけだが、そうする保証はないわけだろ。依頼人はどうして、昨日購入することを知っていたんだ」

 言われて、はた、と考えが止まる。

 晴海が口を開いた。

「本人から聞いていたんじゃないの? 五月三十日に指輪を買ってプロポーズしますって」

「そんなプロポーズ、あるか? サプライズ要素皆無だぞ」

「ごめん、ないね」

 笑いながら自分で否定する晴海を見ながら、僕はその違和感から目を離せなくなっていた。僕が描いたストーリーは大枠を外していないように思う。過去に作った指輪を使ってサイズを測り、婚約指輪を隠れてつくる。それを示唆するものがあり、大金を持っていた。

 ガシガシと頭を掻いていると、内藤が指を鳴らした。

「俺は閃いた。安心しろ、玉城。お前の仮説に必要なものは、あと一つだけだ」

「何です?」

「指輪店の店員がグルなんだ。いや、もしかしたら、依頼者が、自分の協力者がいる店に男を誘導したのかもな。ここのブランドが好きだ、とか言って。そして協力者に、現金で払えば安くなると言わせたり、いつ購入しにくるのか確認させたりすれば、いつ、どこで、どのルートを現金を持って通るか、依頼者は手に取るようにわかるってわけだ」

「ちょっと待ってください。それならたしかに筋が通りますけど、協力者にとっては損しかなくないですか? 製作した指輪の分、見込んでいた売り上げが消えるんですよ」

 内藤は両手を広げた。

「雇われ店員にとっちゃ関係ねえよ。それが売れようが売れまいが給料は変わらない。注文者失踪なんて、店員の責任でもない。なんとかするのは会社の問題だ」

 僕は口を開け、「あ、あ……」と息を漏らした。たしかにそうだ。僕はまだ、自分が経営者の気持ちでいたらしい。

 店員に責任の無い売り上げロスなんて、人によってはリスクじゃないのだ。

「内藤さん、自分も雇われだからって正直すぎますよ」

 お金周りも担当しているであろう晴海が不満そうに言う。

「大丈夫。俺、ここ結構気に入っているから、社の不利益を意図的に出したりなんかしないよ」

「ふうん。まあ、私は来月にでも辞めて、子供の教育に良い職場に行きたいと思っていますけどね」

 晴海はそう言って立ち上がり、自席に戻っていった。

 内藤はビールを一口飲む。

「あれは口癖みたいなものだから。どうせ来年の今も同じこと言っているぞ。金が必要なことは変わらないんだから」

 僕もビールを啜り、内藤が言うことに納得する。女手一つで子供を育てているのならば、お金は重要だ。生活費のみならず、学費だって山ほど必要になる。そして、転職はお金がかかる。ボーナス一回分が消えたり、場合によっては引っ越したり、制服代が必要になる職場だってあると聞いた。晴海が気楽に言うほど、簡単に職場を変えられはしないはずだった。

 ふと僕は、いつまで殺し屋をやるのだろうと思った。社長の元相方のように老いて引退するケースは非常に珍しい。大抵、いつの間にか消えていく。

 でも、今は少なくともお金が必要で、雇われる必要もあって、僕はここにいる。続く限りは続けていく。

 いつか、この稼業を辞める時が来るとしたら、そのときは潔く受け入れよう。

「ただいま戻りました」

 やけに丁寧な挨拶で社長が戻ってきた。祝勝会中の僕と内藤を見つけ、微笑む。

「ちょうど皆さんいらっしゃいますね。次のお仕事の依頼が入りました。次は内藤さんのサポートで玉城さんにお願いします。内藤さん、玉城さんがウチのやり方に慣れるよう、よろしくお願いしますね」

「承知しました。ということだ。よろしくな」

「よろしくお願いします」

 内藤はお菓子と酒を素早く片付けていく。手を動かしながら声を張った。

「社長、どんな依頼ですか」

 社長は優雅にも見える動作で上着をハンガーラックにかけると、鞄からクリアファイルを取り出した。

「息子さんを殺されたから、その復讐だそうです。正確には、息子さんが突如失踪されました。依頼主が仰るには、きっと既に殺されていて、犯人の女性の目星もついているそうで、彼女の殺害をご依頼です」

 社長はクスクスと笑う。内藤も、おや、という表情で僕を見た。僕は肩を竦めることしかできない。

「アトモスホーンという会社の社長さんが依頼主です」

「やっぱりですか」

 思わず突っ込んでしまった。心当たりのある話だと思った。

「標的はその元婚約者さんです。なんでも、息子さんが注文した高い指輪を買い取らされたのですが、その指輪に彼女のイニシャルが彫ってあったから確信したとか」

 愉快で笑える。いくらなんでも昨日の今日で性急すぎる。

 たった一日連絡が取れないだけでこの反応、殺されるような息子だったと言っているようなものだ。ストーカーまがいの行為も知っていたのではないだろうか。復讐相手がすぐに思いつくのも異常である。そんな相手と大事な息子を付き合わせるんじゃないよ、と言いたい。

 論理が通じない相手には、せっかくアリバイをつくろうと真犯人でなかろうと、関係がない。事故や災害に遭うようなものだ。

「指輪店に損失がなかったようでよかったです」

 内藤は的外れなフォローを入れ、社長は明らかに事情をわかっている顔で微笑んだ。僕たちがああだこうだと頭を捻ったことも、社長は依頼人から聞いていたのだろう。でなければ報酬を取りっぱぐれてしまう。

 指輪店の損失については、まあ、たしかにちょっと気にはなっていた。自分で会社をやってから、いくらの損失なのか計算する癖ができてしまった。それを取り返すための売り上げなんかも。

 二百万円の損失を取り戻すためには一体何人に指輪を売る必要があるやら。

「私は標的に顔がばれていますので、今回は動けません」

「標的に面が割れたら諦めろ」とは、弊社の社訓の一つである。それに従えば、たしかに僕と内藤のペアが適任となる。

「彼女も、自分が依頼した殺し屋から逆に狙われるとは思っていないでしょうね」

 さすがに背筋が寒くなった。僕だっていつどこで恨みを買われているかわかったものじゃない。

 内藤も苦笑していた。飲み切らなかった酒を冷蔵庫に収めていく。

「深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いているのだ」

「それを言うなら、人を呪わば穴二つじゃないですか」

「そっちだな」

 誰かの死を望むなら、その反動が来る覚悟を持たなければならない。

「僕たちは、どれだけの穴が空くんでしょうね」

 いつかまとめて、穴二つどころか蜂の巣にされる日が来るのかもしれない。

 内藤は「安心しろ」と含み笑いで言った。

「多少穴が空いても大丈夫なように、ウチの社名は「コルクボード」なんだよ」

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