辺境と城市をめぐる史書断簡

久里 琳

第1話 戦端


 商朝、景帝十三年のことであった。

 北辺の蕃族がてた契泰キタイ国の大軍が、漢口門を侵したとの報が朝議の場に届いたのは閏三月の十五日もちづき。帝は直ちに北伐の勅を発した。


 驃騎将軍劉子洽シコウが率いた商の軍は四月晦日みそか、契泰と激突した。払暁、契泰の左都将軍オノン・バル麾下八千の騎兵の猛襲にはじまった会戦は、みるみる戦域を拡大して両軍一歩も譲らず、広大な草原見わたす限り、砂塵と血煙で埋めつくされるほどの乱戦の様相を呈した。

 六時間にも及んだ死闘は陽が天頂に達するとき、血みどろの搏兵戦を演じていた中央の戦線に右賢王アルトゥ・ウルの騎馬隊が投入されるや、ついに商軍は崩れ、決潰した堤から溢れ暴れる濁流の如く、その混乱の濤は左右の部隊へつぎつぎ伝播した。

 二十万と號する大軍も、驃騎将軍直下の二万足らずを除けばその多くは鄙邑より徴された元農民たちである。未だ襁褓むつきを外さぬうちから男女問わず常住戦場と心得た騎馬遊牧の民を相手に、まともに戦えば相手にならぬとは云うまでもない。進退窮まった農夫の鼻は、数を恃んで鉄壁をなし堅柵を構えて備えることにのみ活路の微薫を嗅いだ。なるほどその活路に縋りついているうちは守りも堅かったが、一度崩れたからにはもはやその壁に固執していてはあやうい。

 俄か仕込みの訓練で兵となった彼らに、敗戦の戦場を生き延びる才覚など望むべくもなかった。革鎧のさねの糸が切れて崩れ散るが如く、一刻前には軍団であったものが纏まりをなくして忽ち烏合の衆と化し、軍の態をなさなくなった農民どもは右往左往すると見る間に討ち取られていった。

 崩れた戦線から七里下がったところで一度は陣を立て直し、追撃に猛る敵を迎え撃たんと試みた驃騎将軍であったが、地平線をゆるがさんばかりの契泰の陣容を望見し、成算がないと悟った。

 三年の空白の後に起こった両軍の対決は、此度も商の敗けと決したのである。


 敗れたりとは云え驃騎将軍は無能の将ではない。前線に突出した城市である甘州への退却を決めると、堂々たる陣を布き再度の決戦に挑むと見せながら、その裏では先ず未熟な兵から退かせる周到ぶり。それでも追い縋る敵の騎兵を斥けつつ城市を目指す退却行は容易ならざる難業だった。

 甘州への途ははるか遠い。初夏の陽ざしは北の国境くにざかいにあってもなお十分な威力を誇り、陽光は恩恵でなく責め苦だった。しかも契泰の追撃は容赦ない。甘州に辿り着く前に命を落とすか、捕らわれ俘虜となる者の数は万余をかぞえた。

 漸く甘州の城壁の内に将兵をやすませると、将軍自身は馬から降りる間もなく城の守りを隈なく点検して堅くするとともに、直ちに都へ伝馬を発して援軍を請うた。帝が報に接したとき既に、甘州城は契泰の軍勢により十重二十重に囲まれていた。



※ 商は古代中国を制した王朝の名(という設定)。殷の別名を商と云うが、この王朝は殷よりはるかに時代が下る。

※ 契泰キタイは蒙古高原に覇を唱えた遊牧民国家(という設定)。名は契丹からりてきたが、風習は必ずしも同じではない。

※ 中華世界での一里は約500m。時代により多少前後する。


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