第6話 バンプロナ侯爵家(侯爵視点)

 帰宅してコートを脱ぎ、一番にするのが玄関先の女神像への挨拶。

 女神様は今日も美しい。

 祖父が病に伏した時にこの女神像を作って祈りを捧げると、祖父の病はたちどころに回復した。それ以来、祖父は我が家が所有する全ての邸宅に女神像を安置したのだ。

 落雷が逸れて近くの木に落ちたのも、使用人が誤って庭の池に落ちて無事に助かったのも、全て女神様の恩寵おんちょう賜物たまもの

 ありがたいことだ。


「侯爵様、神殿から書簡が届いております」

「神殿から! すぐに読まなければな」

 家令から渡された手紙には封蝋がされており、確かに神殿の印璽いんじされていた。

 最近は火山の噴火が近いと騒がれている。この関係だろうか。考えを巡らせつつ、手紙を開いた。

 そこには現時点では文字に残せない大事な話があるから、なるべく早く大聖堂に来て欲しいと書かれていた。そして大司教様と面会できる日時の候補が、幾つか並んでいる。


 こんな急な呼び出しを受けるなんて、初めてだ。緊急事態に違いない。

 私は書かれた中で一番近い時間に行くと返信をし、その時を待った。

 家では普通に振る舞おうと努めたが、とにかく落ち着かない時間だった。婚約破棄がどうこうとか、新しい婚約がどうとか、そんな報告を受けていたが、から返事をしてしまっていた。


 当日、私は従者を連れて大聖堂へ急いだ。

 急ぎ過ぎて一時間も早く到着してしまったほど。

 神殿の入り口で掃除をしていた神官見習いが、私の来訪を告げて応接室へ案内してくれた。神官見習いは緊張した面持ちで、私の相手をしてくれる。彼は事情を知らないようで、大事な来客があるとだけ聞かされていた。

 三十分ほど待ってから、大司教様の部屋へ案内された。


 そこでも誰にも漏らさないよう、しっかりと念を押される。

「大司教様、私も国に仕える身です。不利益になるような真似はしません。ましてや女神様のお言葉に背くなど、あり得ません」

「バンプロナ侯爵閣下が信心深い方なのは、よく存じております。では本題に入りましょう」

 大司教様はゆっくり頷き、人払いをして私の護衛騎士さえ下がらせた。扉の前で、彼らは待機する。

 少しの沈黙が、緊張をかき立てる。


「神託が下りました。女神様が聖女を選定され、未解明だった回復魔法の全文が解き明かされました」

「なんと、めでたいではないですか! なぜ厳重に秘密になさるんですか?」

 悪い事態ばかり想定していたので、思いがけない朗報に声が大きくなってしまった。いかんいかん。私は咳払いをして、落ち着きを取り戻した。

「まだ時期ではないからです。来年、大々的に聖女の認定式をします。それまで秘密にして欲しいと、聖女様からのご意向でもあります。複雑な事情のある方でして」

「……なるほど。それを私に明かしてくれたのは……」

 信頼している私に、お願いがあるのか!

 いくらでも頼って欲しいと胸を張る。


「聖女様が、侯爵様のご子息である、次男のロドリゴ様の元婚約者、イライア・パストール様なのです。今や後妻の奸計かんけいで伯爵家を出奔しゅっぽんされている、イライア様です」

「素晴らしい、イライア嬢が! ……はて、元婚約者とは? 伯爵家を……出奔???」

 イライア嬢と我が息子ロドリゴは結婚して、ロドリゴがパストール伯爵家の当主として収まる予定のはず。貴族位を継げるのは基本的に直系の男子だけなので、正式な当主とは少し違うのだが。

 息子さえ生まれれば安泰だ。


 私の疑問に、大司教様は不可解だというような表情を浮かべた。

「ご子息から婚約破棄をされて、義妹の……名前は失念しましたが、彼女に乗り換えたことをご存じないので?」

「婚約破棄……どこかで聞いた単語ですな」

 つい最近も耳にしたような。私は記憶をたぐり寄せた。


『ロドリゴ様が勝手に婚約を破棄し、イライア様の義妹のモニカ様と再度婚約を結ぼうとしています。伯爵家を継げなくなってしまいますよ』


 そうだ!!!

 家令がそんな感じの報告をしていた。上の空で、深く考えていなかった。神殿の呼び出しが気になりすぎていた……。

 今、ハッキリと思い出したぞ。

 神殿側は信心深い私を心配して、事前に事実を明かしてくれたのか……!

 回復魔法を解明した聡明な聖女との婚約を破棄して義妹に乗り換えたなど、知れ渡ったら我が家は社交界に顔を出せなくなる……!!!

 これは何か手を打たなければならない。

 

「ありがとうございます。息子に、婚約破棄の真意を問いただします」

「くれぐれも、彼女が聖女であることは内密になさってください。聖女様はご実家で辛い目に遭われたようで、連れ戻されるのを酷く警戒されているとか」

「もちろんです、穏便に済ませるよう振る舞います。パストール伯爵家の内情も、遅ればせながら調査致します。義妹のモニカと我が息子を婚約させたいのなら、疑われずに調査できるでしょう。しかし、確かに姉の婚約者を義妹に乗り換えさせるなど、尋常ではありませんな……」


 パストール伯爵は前妻と不仲だったらしいからな。恥知らずにも亡くなってすぐ、愛人を後妻として迎え入れた。愛人との娘まで連れて。

 娘のイライア嬢が不当な扱いを受ける可能性を、もっと考慮するのだった。ロドリゴが上手くやっているとばかり……。まさか、婚約者に会いに行ったはずの伯爵邸で、義妹と遊び呆けていたんではないだろうな。

 私は来た足で邸宅へ帰り、ロドリゴの護衛やメイド達を集めた。

 言いにくいこともあるだろう。どんな報告をしても処罰しないし、必ず秘密にすると約束して、一人ずつ執務室に呼ぶ。

 耳を疑う証言が、わんさか出てみた。


『伯爵邸を訪問しても、ロドリゴ様は婚約者であるイライア様と会わず、義妹のモニカ様にプレゼントまで持って会いに行っていましたよ』


『モニカ様はロドリゴ様に、家でいじめられる、自分のものが奪われたり壊されたりすると仰ってましたが……、豪華なドレスに常に新しいアクセサリーを着けていて、姉のイライア様のものだった宝飾品まで堂々と身に着けておられました』


『モニカ様は、最初からロドリゴ様を奪うつもりだったのでしょう。あからさまなアピールをしていて、よくこれに引っかかるなと内心呆れてました』


『学校をサボってまでモニカ様と会ってましたね。注意をしても、聞く耳を持っておられません』


 ロドリゴは近侍の苦言にも耳を傾けず、モニカ嬢と親しくしてイライア嬢をないがしろにしていたようだ。婚約がなくなれば、困るのは自身だというのに。

 もしや、『婚外子は養子に入れても爵位の継承権を持たない』という法律を忘れているのではないか。

 これは昔、愛人の子供に爵位を継がせたいと、正妻と子供を殺そうとした貴族がいたから作られた法律だ。悲劇を起こさない為に制定されたのだ。

 バカだった。

 私の息子は本物のバカだった。

 妻はどの程度、把握しているんだろうか。これからの対応も考えねばならない。妻と話し合わねば。


 使用人を呼び集めた私を不思議に思って、ちょうど妻が執務室を覗いた。

「みんなに聞いていたところだ。ロドリゴがイライアさんとの婚約を、勝手に破棄したらしい。何か知っているか?」

「破棄ですって? ロドリゴはイライアさんに贈りものをしたいからと、時々お金を無心していましたわよ。投資だと思って、渡していましたが……」

 妻からデートや贈りもの資金を、婚約者へのものだと偽って受け取っていたらしい。信じてしまっていた妻は、二人の仲は良好だと勘違いしていた。

「それが義妹に流れていたようだな」

 聖女のくだりを省いて説明すると、妻は持っていた扇をバキンとまっぷたつに折った。


「婚約者を放っておいて、愛人に貢いでいたんですって……!!!」

 予想以上の怒りっぷりだ。これはどうしたら。

「落ち着け、これからのことを考えよう。人が集まるパーティー会場で婚約破棄を宣言したんだ、醜聞は避けられない。しかも理由が言いがかりだ。家門に泥を塗られたな……」

「……どうしてくれましょうねえ……」

 勘当するしかないな。だが、それだけでこちらが逃れられるかだ。


「……そうね、こうしましょう」

 妻が冷たく言い放った。

 嘘をつかれていたのが、よほど気に障ったのだろう。

 こちらが動く前に、神殿に確認を取るか。関係がこじれても大変だ。

 先に長男に軽く説明しておかねば、侯爵を継ぐ身だからな。将来的な不安でもある。


「……好きなように生きて、勝手に身を滅ぼすんです。俺の関知するところじゃありませんね。学園では成績も評判も悪いようですよ、ロドリゴは。同学年の弟妹がいる友人から教えられて、恥ずかしかったですよ」

 長男にはもう見捨てられていたのか……!!!


 最後の親の情けだ。身分がなくても暮らせるよう、勉学でも何でも今から励めと、発破を掛けておこう……。

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