第26話:閑話・魔海
神暦2492年、王国暦229年6月20日:王都
その日、ウォーターパーク王国を襲う阿鼻叫喚の地獄絵図を思い浮かべていた者は、1人もいなかった。
少なくとも災厄が海からやってくると思っていた者は、ただの1人もいなかった。
多くの人がスタンピードに続く火属性竜災害、噴火や火砕流を恐れていた。
だがそれも、ジェネシス王子がリーズ魔山に討伐に向かった事で、ある程度不安が軽減されていた。
ウォーターパーク王国の人々は、王家王国の直轄領の民ばかりではなく、貴族家や騎士家の領民も、魔山に注意を向けていた。
海に注意を向けていたのは漁師や船乗りくらいだった。
そんな漁師や船乗りも、注意していたのは海上での天気と海魔獣との遭遇だった。
海魔獣との遭遇とは言っても、陸の上でのことではない。
あくまでも船で海に出てからの心配だった。
彼らは忘れてしまっていたのだ。
ウォーターパーク王国の属性竜災害が噴火や火砕流だけではない事を。
地震や津波といった大災害が度々襲い掛かってきた過去を忘れてしまっていた。
最初の災害は魔境のスタンピードと同じだった。
海の魔境、魔海から海魔獣が襲い掛かってきたのだ!
「ギャアアアアア!」
「いたい、いたい、いたい!」
「助けてくれ、喰わないでくれ、俺の身体を喰わないでくれ!」
沖や近海に出ていた船に魔魚や海魔獣が体当たりした。
空を飛べる魔魚が船の上にいる人間に襲い掛かる。
陸上にも上がれる海魔獣が船に乗り込み人間を襲い喰らう。
「キャアアアアア」
「ハリー、逃げなさい!」
「おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん!」
「母さんの事はいいから逃げなさい!」
「キャアアアアア」
「女子供は逃げろ、ここは俺達に任せろ!」
「「「「「ウォオオオオ!」」」」」
船の次に襲われたのは海岸線にある漁村や港だった。
ここでも空を飛べる魔魚が人々に襲い掛かった。
「ウェエエエエン、ウェエエエエン、ウエェエエエエン」
「かあさん、ミリアを、ミリアを頼みます」
「ジュリアさん、逃げなさい、赤ちゃんは私が!」
「オンギャア、オンギャア、オンギャア」
「騎士団、突撃!」
「「「「「おう!」」」」」
水際にいた人々に全長40メートルの巨大海魔獣が襲い掛かる。
水陸両生類の魔獣が人々を襲い喰らう。
助かったのは祖先の教えを守って山手にしか家を建てなかった村だけだ。
幸いというには大被害の後だったが、素早く王都に情報が届けられた。
王都は過去の災害を考え、海岸線から騎馬で1日の場所にあった。
海路で運ばれる荷物は、港から河川をさかのぼって王都に運ばれていた。
歴代の愚かな王が海岸線に遷都しなくて本当に良かった。
火属性竜や土属性竜による災害よりは少ないが、水属性竜による災害も、周囲を海に囲まれたウォーターパーク王国にはとても多かったのだ。
海岸線から騎馬で1日の距離にある王都だが、それでもスタンピードの影響が皆無とは言えなかった。
知性のある海魔獣が河川をさかのぼって襲い掛かってきたのだ。
魔山や魔境からのスタンピードに備えていた王都は、河川から水路を使って入ってきた、魔魚と水陸両生類魔獣に不意を突かれてしまった。
「ギャアアアアア!」
「魚が、魚が空を飛んで襲って来る!」
「たたりだ、魚を喰い過ぎたたたりだ!」
「バケモノだ、にげろ、バケモノが襲ってきたぞ!」
「水路だ、水路から襲ってくるぞ」
「水路から離れろ、水路にはバケモノがいるぞ!」
まず王都に入らせない戦略が最初から破綻してしまっていた。
王都は城門を閉める事ができるし、高い城壁にも守られていたが、水路は鉄格子で敵の侵入を防いでいるだけだった。
大型の魔魚や水陸両生類魔獣は防げても、鉄格子をすり抜けられる小型の魔魚や水陸両生類魔獣は防げなかった。
それでも、海岸線から騎馬で1日の距離があった事で、魔魚や水陸両生類魔獣の数が海岸線よりも圧倒的に少なく、王国軍は数的有利を保つことができていた。
それに、ジェネシスが短期間に行った改革が生かされていた。
商人による旗振り信号で素早く内陸部にも魔海スタンピードが伝えられていた。
馴れない魔魚や水陸両生類魔獣に戸惑ったが、数が少なかったのが幸いして、致命傷に至る前に騎士団側が数的有利を生かす事で斃せていた。
騎士団から卑怯下劣な連中が追放されていたので、派遣された地から逃げる事なく民を護っていた。
王都の騎士団も王城に逃げ込むことなく担当地域を命懸けで守った。
王都以外でも、魔境からのスタンピードに備える準備だったが、代官所や砦、街や村に逃げ込み守備を固める心構えが徹底されていたので、不意を突かれた者以外は助かった。
幸運にも王都は最初のスタンピードを防いだが、沿岸部にある村や街、港は大打撃を受け死傷者も数多くいた。
早急に王家王国の方針を決めなければいけないのだが、現国王は後宮に籠って酒池肉林の日々を繰り返していた。
大臣達が非常時だと伝えても、政務の場に出てこなかった。
ここで何の手も打たなければ、王家王国の威信は地に落ちてしまう。
いや、そんな事よりも、民が魔魚や水陸両生類魔獣に殺されてしまう。
更に心配だったのは、色情狂の現国王を強制的に退位させ、自分が王位に就こうとする王子や王族が複数現れる事だった。
そんな事になれば、魔海スタンピードが起きている時に内乱が勃発してしまう。
引き続き起こる津波によってこの国は壊滅的被害を受けてしまう。
そう考えたのが現国王の正室オリビアとジェネシス王子の生母オードリーだった。
2人は他の側室と協力して表の大臣達を動かした。
3大大公家の後宮にも連絡を取り、形だけ当主についている元王子達が暴走しないように抑えてもらった。
その上で、リーズ魔山の火属性竜を狩りに行っているジェネシスと連絡を取ろうとしたのだが、これがほぼ不可能だった。
魔境の奥深くにあるのが魔山なのだ。
そこまで辿り着くのは、並の騎士どころか古強者の騎士でもほぼ不可能だ。
まして立て直しが始まったばかりの王国騎士団では絶対に不可能だった。
そこで選ばれたのが正室オリビアの実家、ドロヘダ辺境伯家の精鋭騎士団だ。
最強の騎士団は領地に残っていて、王都にいるのは当主を護衛する騎士団と王都屋敷防衛騎士団だったが、王国騎士団とは比較にならない精鋭部隊だ。
普通なら王国の庶子王子を助ける為に、ドロヘダ辺境伯家の精鋭騎士団が死を覚悟して魔境の奥深くにまで入ったりはしない。
だが今回は特別だった。
ウォーターパーク王国自体が未曽有の危機にさらされていた。
このまま放置してしまうと、ドロヘダ辺境伯まで大津波の飲まれてしまうかもしれない。
王都のある本島だけでなく、ドロヘダ辺境伯家のあるサウス島まで大津波に飲み込まれてしまうかもしれない。
ドロヘダ辺境伯領には、常に噴煙をまき散らす魔山と魔境があるのだ。
その火山灰の影響でろくに穀物がとれない領地なのだ。
そこに大津波の被害が重なったら……
ドロヘダ辺境伯や家臣にも思惑があった。
今この国で属性竜を斃せる可能性があるのはジェネシス王子だけだった。
ここで恩を売っておけば、水属性竜を斃した後で、ドロヘダ辺境伯領に住む火属性竜を討伐してもらえるかもしれない。
そうひそかに期待したくなるような行動をジェネシス王子はとっていた。
代々の国王がドロヘダ辺境伯に要求してきた事を詫びはしなかったが、被害を補えるような条件で交易契約を結んでくれた。
直接被害受けた家臣達に名誉と実利を与えてくれた。
王国直轄領内で活性化している火属性竜を討伐した後でも、ドロヘダ辺境伯領の火属性竜を討伐してもらえたら、100年後には穀物の収穫量が倍になる。
当代や子供の時代程度ではたいして収穫量は増えない。
だが、孫や曾孫の時代には飛躍的に収穫量が増えるだろう。
自分達の子孫のために、虎の子の当主護衛騎士団を失う覚悟で魔境に送った。
護衛騎士団はこれまで身に着けてきた技と経験を駆使して魔境に向かった。
魔境や魔山にはそれぞれ特徴がある。
住んでいる魔獣も共通していない場合がある
領内の魔境や魔山で得た技や経験が全て生かせるわけではない。
それでも今日まで生き延びてきた技と経験は使い方次第で大いに役にたつ。
護衛騎士団は傷つきボロボロになりながらも、1人の死者も出さずにジェネシス王子に貴重な情報を届けた。
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