無賃乗車

福基紺

第1話

 いやあ、今朝は愉快なものを見ました。ええ、通勤途中でね。始業まで時間がありますし、ちょっと僕の話を聞いてくださいよ。


 僕は通勤の足に電車を使ってるんです。神谷知崎って知ってます?とんでもない田舎で、見渡す限り畑と田んぼで、家も点々としか建ってないんです。そんな場所なんで、この会社の最寄駅までは何度か乗り換えをしないといけなくて。僕が利用する鉄道会社は4つですが、そのうち僕の自宅の最寄駅を含む路線を運行するイハラ鉄道が、愉快な一件を起こしてくれました。尤も、イハラ鉄道(特にあの車掌の彼)にとっては、非常に恥ずかしかったことでしょうが。

 神谷知崎にはバスが通っていないので、唯一の公共交通機関であるイハラ鉄道は非常に重要なんですが、僕の家の最寄駅が含まれるカミヤチサキ線は何というか、廃れています。さっきも言った通り、絵に描いたような田舎なので仕方ありませんけど。路線内の駅は全部で二十で、そのうち無人駅が十七。駅員さんが常駐するのは、別の路線や鉄道会社への乗り換えが発生する駅と、カミヤチサキ線の端っこの二駅だけです。神谷知崎はいわゆる過疎地域ですから、開通した当時から無人駅ばかりだったらしいんですが、神谷知崎は最近になって大都会並みにネットワーク環境が整ったおかげで人口が増えたので、カミヤチサキ線の利用客の数も移住者の数に比例して増加してるんです。通勤・通学の時間帯ならどこの電車も混み合いますから、カミヤチサキ線も毎朝その例に漏れない乗車率になっています。

 移住者の増加のおかげで定期券購入客が増えるのはイハラ鉄道にとっては間違いなく嬉しいことだったはずなんですが、利用客の増加に伴って無賃乗車が横行するようになりました。まさか、駅員がいる駅で堂々と無賃乗車をやる奴はいないでしょう。標的にされるのは無論、改札がない無人駅です。無人駅には「集札箱」というのが置いてあって、電車を降りた際、そこに使用した切符を入れることになっているのですが、電子定期券のチェック機械を素通りして集札箱に見向きもしないというのが無賃乗車の行動です。定期券は全て電子カード化されたのでチェック機械に通さない以上は切符を持っていなければおかしいのですが、奴らは非常に堂々たる態度で犯罪をやってのけるそうです。まあ、挙動不審では他の乗客に怪しまれやすくなりますから、堂々とする方が賢いのでしょう。

 僕の最寄駅も無人ですから、定期券のチェック機械も集札箱も無視する男を見かけたことがあります。確かに、驚くほど自然な様子でしたが、その男は僕の視線に気がついたのか、駅を走り出て行ったので咎める隙もなかったのです。

 一部の勇敢なる乗客に無賃乗車の撲滅を任せるなど不可能ですから、イハラ鉄道はついに対策を打ち出しました。

 外国で使用されているという、無賃乗車発見ロボットなるものを導入したんです。ロボットは真っ白な、高さ一メートルほどで、直径は二十センチほどの円柱です。その天辺から赤外線が出て、切符や定期券の中に埋め込まれた特別な素材を感知するそうです。小さなタイヤで車両内を動き回って乗客を一人ずつチェックしていき、切符を持っていない者を見つけると、まずは警報が鳴り、乗車駅までの料金を支払うよう求めます。しかし、その乗客が指示を無視して何もしなければ、ニョキニョキと腕が出てきて客を次の駅で無理やり降ろしてしまうのだとか。少々暴力的すぎるのではないかと思いましたが、古代中国の法家思想に基づくなら合理的な対策でしょう。普通の人なら、後ろめたい犯罪を他人の前で晒されたくないでしょうから。


 僕が乗る始発電車で、早速試験運用が始められることになりました。田舎なので始発と言っても六時は過ぎていますので、車内は満員に近い状態です。この車内にいる乗客たちは、大半が毎日この始発に乗っている人です。別に今日ロボットが試験運用されようがされまいが、ここにいる人たちです。しかし、やはりロボットが使われることにワクワクしていたり訝しんだりしているのか、普段より少し落ち着かない雰囲気を感じます。

 じきに、発車時刻が来て、電車が動き始めました。狭い中、果たしてロボットが動けるのだろうかと思っていましたが、ロボットは乗客に「Excuse me.」と断りながら、ゆっくりと車両内を動き回りました。ロボットは僕がいたのとは反対の端から順に乗客を確認していき、僕がいる端っこまでやって来て、僕の前で数秒だけ止まって他の乗客のところへ行きました。当然です、僕は定期券を持っていますから。

 始発からわざわざ利用する客に、定期券も切符も持っていない無法者はいやしないだろうと、車内の皆が思っていた時でした。突然、ロボットが大きな音で騒ぎました。

 ビィッビィッとけたたましい音が響き渡り、僕を含め乗客は驚いてロボットの方を見ました。ロボットに警報を鳴らされているのは、非常にうろたえた様子の車掌の男性でした。どうして車掌の彼が?と首を傾げていると、ロボットは

「ムチンジョウシャ!」

と叫んだのです。更に「乗車駅マデノ料金ヲ支払イナサイ」と続けました。しかし車掌は仕事で乗っているのですから、料金を払うのはおかしな話です。彼も、払わなくてもどうにかなるだろうと思ったのか、ロボットに向かって弁明を始めました。

「いや、あの、私は社員だから…」

「料金ヲ!」

「社員だから切符は持っていなくて当然じゃないか!」

「支払イ!支払イ!」

 ロボットは聞く耳など持っていない様でした。焦って大声を出す車掌に張り合うように警報音を響かせ、そのうち「支払イ!」と言うのをやめ、「Get off!」と叫び始めました。車掌の彼とロボットの大騒ぎはヘッドホンをも突き抜けたようで、僕の隣に座っていた学生はヘッドホンを外して耳を塞ぎました。元気な幼児が腹の底から叫んでいるよりよほどうるさかったのですが、車内の誰もが、その様子を静かに、茫然として見ていました。

 押し問答とも呼べないようなやりとりが続き、痺れを切らしたのでしょうか。ついにロボットからニョキニョキと腕が出てきて、車掌をぐいぐいとドアの方へ押しやりました。車掌は「こら、こら!」とか「助けてくれ!」とか叫んでいましたが、誰もロボットのことは詳しくありませんから助けられないのです。結局、車掌の彼は二つ目の駅で追い出されてしまいました。無人駅のホームに取り残される車掌は非常にかわいそうな様子でしたが、僕は乗務員を見分けるよう設定しておかなかったイハラ鉄道の間抜けさがバカバカしくって笑ってしまいました。しばらくの間静かだった車内には次第に笑い声が広がって、ついにみんな笑い出しました。駅に着くたび新しく乗ってくる客を検査してゆくロボットは、乗客の笑いなど気にも留めないようでした。

 このことを受けて、ロボットのプログラムが早々に変更されればいいですが、しばらくの間、車掌や運転士は切符を持たされるのかもしれません。ロボットが乗務員を認識するようになるまで車掌たちの間に新たな習慣ができるのかもしれないことを想像し、降車駅に来るまで口角が上がりっぱなしでした。

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無賃乗車 福基紺 @Naybe_Lemon

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