ねずみの件
端役 あるく
前編
「ピンポーン、ピンポーン、ピンポ、ピンポ、ピンポーン」
高校一年、春、朝、7時34分
私は音に起こされた。
正確には声だが…細かなことを気にしていると全くダメだ。
近所じゅうに響くであろう大きな声の主はそう言うたぐいの人間だ。
これからの近隣住民との距離感を想像すると、自然とまだ寒い空気の中にベットから跳ねるように飛び込むことが出来た。
階段を一気に駆け下り、その速度を維持したまま、玄関ドアを開く。
刺すような日光に目をぱちくりさせながら、声を出す。
「玄関チャイムで聞こえるので、ほら、ドアの横の壁についてるでしょう。朝早くから大きな声を出さないでください。」
壁についている、少し古びた玄関チャイムを指さしながら、声を出した。心なしか、大きすぎる声が声帯から飛び出したことに驚く。
「まぁ、いいじゃんかよ、電気代の節約ってことで。ピンポーン、ピンポーン」
続けざまに、壁の何もない場所を押し、チャイムの音の真似を行う奇人に、何か言い返そうと考えを巡らせるが、深く考えようとも何も思いつかないくらいの時間帯、何も言わずに大きな声の彼女を家に引き入れた。
………
カップを持ち上げ、息を吹く、小さな丸眼鏡が曇る。
手首を傾けて、スッと一口。
「これは…まさか…ダージリンかい?」
「いいえ、マンデリンです。スマトラ島で栽培された、インドネシア産のコーヒー豆です。」
自分が「今日は午後から忙しくなるだろうから、コーヒーにしてくれ」と言ったにもかかわらず、彼女は紅茶の茶葉名を口する。この人はついに紅茶か、コーヒーかの区別さえつけることが出来なくなったのか?
からかわれているだけだと分かっていれど、何故か強く返さざるを得なくなる、そんな私の姿を見て、さらに彼女は口を大きく開けて笑う。
彼女の名前は 神代 ちはや
職業 情報通
職業名も意味不明だが、それ以上にその他のことは何も教えられていないし、語らない。年齢は見た目からは20代前半のように感じる。情報の隠し様はミステリアス、そう言えば聞こえはいいが、態度、行動共に言葉とは真逆である。
一体、何が隠せているのやら。
「先ほどの話に戻りますけど…」
「待ち…」
チャイムの話をしようと話を持ちなおそうとするが、口を挟まれる。
「さっき?なんのことや…あーっと?」
それから「うーん」とか「あーん」とか言って十数秒
あぁ!と大きな声を上げると、手をポンと打ち付ける。
「入り口横にあった、居間の掛け軸のことかい?そうだろう?」
全然違う。
呆然と立ち尽くす姿がそこにはあった。
そんなことは気にもせずに彼女は話を続ける。
「あぁ、あぁ、あれは実に見事な賛だった。見事、見事。これで結構かい?」
言うと、彼女はまたコーヒーをすする。
「そんな話をしようとはしていません。それに居間にある掛け軸は賛ではありません。」
「じゃあ、詩かはたまた悟か。これなら当たるだろう?」
どれほどボケればこの人は気が済むのか、また彼女のテンポに飲まれていることを頭で理解しつつも、呆れながら言葉を返す。
「どこをどう見て、言葉が書いてたんですか。ただの水墨画だったでしょう、虎の」
「そうだった、そうだった。虎だったな。」
うん、うんと頷き、白いカップに入れられたコーヒーを飲み込む。
何故か、彼女のコーヒーの飲む姿に目を奪われる。
「ところで…」
そう枕を置いて、彼女が声を出す。
「さっきの虎と聞いて思い出したんだが、こんな話を仕入れてきた。」
「鼠と虎のお話だ。」
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