第2章 星が見えない
~大親友~
♥♥♥
どうしよう……。
どうしようどうしようどうしよう……どうしよう……。
真っ暗な中に不安の種がたくさん芽を出して、わたしの心に迷いを生む。迷いを助長するように生温かい風が森の木々をざわつかせた。葉が落ちて泉の水面に波紋を生む。葉は次々と落ちて波紋が消えることはない。
ここは生まれ育った村の外れ……森の中の隠れ泉。
わたしは泉の中心に聳え立つ大樹……水面から顔を出す根に座り膝を抱えていた。真夜中の泉で一人、自問を続ける。
どうして見てしまったの……? 必要ない行動だった……どう考えても余計だった……。
今日の城の防衛戦で敵の……デルクスの心を覗き見てしまった。
見えたのは小さな部屋。散らかり放題だけど食卓だけは整っている。スープの皿が三人分。でも中身は腐っていて虫がたかってる。食卓には誰も座っていない。
部屋の隅には子供……そして母親と思われる女性。女性はいくつもの傷を抱えて子供を抱いている。母親が囁く言葉は愛情たっぷり……でも、優しい言葉を呟きながら包丁を……その後に真っ黒の魔物が現れて……。
同情……? そんなのしちゃダメだ……心が鈍る……迷う……。
でもこのビジョンが本物なら……デルクスを動かしてるのは悪意じゃない……。
そうだ……前に言ってた……あの人は【声】が聞こえるんだ……。
わたしにも聞こえる……でも、わたしが聞いてる声とは別の……。
——マホ、だいじょうぶ?
【声】が聞こえた。幼い少年のような、弱々しく今にも消え入りそうな声。暗闇にぽっと灯った火のように、わたしの心に小さく煌めく。
「大丈夫」
わたしは膝に顔を埋めたまま【彼】に応えた。
——デルクスの心を見たんだね?
「……うん。でも心配しないで。明日はきっと……」
——明日がどうなろうと、ボクはそれを受け入れるよ。だからキミの判断に任せる。あの旅の魔法を使うかどうかも……。
「使わない、絶対に。わたしの弱さが生みだした魔法だから。旅の先で、また悲劇を生み出すことになるだろうし。この世界のことはこの世界で終わらせなきゃいけない」
——もっと自分に優しくしていいんだよ? ボクのわがままにずーっと付き合ってくれたんだ。クリスのことだって……最後くらい……。
「いいの。あなたに付き合ったのはわたしの勝手だし……それに、そのわがままのおかげで強くなれた。最後までだれかのために生きたい」
——……ゴメンね。
「あなたが謝る必要なんてない。本当はわたしたちが謝らなきゃいけないのに」
——ううん。だれかが悪いんじゃないんだ。デルクス……彼は敵だ。ボクにとっても生きるため倒すべき相手だ。それでも、ボクは彼を悪だとは思わない。
「そう……あなたがそう言うなら、そうなんだろうね」
わたしにとっては悪だ。過去になにが起きてようとも、デルクスは人を殺し、国を滅ぼし、世界を壊し……わたしの大切な人々もどんどんいなくなる。この隠れ泉も明日無くなってるかもしれない……。
——……ボクらが最初にお話したのもこの泉だったね。キミ、今と同じ根っこに座ってた。
「……そうね……あなたは泣いてた」
——キミだって泣きそうな顔してたよ? すぐ怒った顔になってたけど。
「そうだったそうだった……懐かしい……」
——結局ボクのお父さんとお母さんは見つからなかったなぁ……。
「ピンチに駆けつけてくれるかもよ?」
——だとしたら遅すぎるよ。とっくにピンチなのにさ。ピンチの時、助けてくれたのはいつだってキミだった。ここで出会った時からずっとね。
「あれから一〇年か……ここは変わらないね」
——そお? 最初はキミとボクだけの場所だったのに、気付けばクリスとかキミの友達も加わって秘密の砦になったよね? 立派なツリーハウス作っちゃって……なんて言ってたっけ? 秘密の合言葉……。
「合言葉か……それも懐かしい……確か——」
『てのひら!』
頭の中に声が響く。わたしでも【彼】のでもない。もっと瑞々しい溌剌とした声だ。
「……石ころ。ノーラ、普通に話しかけてくれない?」
伝心魔法【キューリン】……心を伝え合う魔法だ。わたしがデルクスの心を覗き見たのもこの同系統の魔法。
「だってーなんか独り言言いながら物思いに耽ってんだモン。昔っから独り言多かったよね~」
今度は頭に直接じゃなく、空から声が降りてくる。見上げると大樹に作ったツリーハウスの窓から女の子が見下ろしていた。
女の子——ノーラは窓から飛び降り、わたしの座る根っこに降り立つ。隣にちょこんと座って足をぶらぶら。優しい風を受け、彼女の赤いくりんくりんの髪がふわりと靡く。
彼女が座ると同時に【彼】の声の灯が消える。友達との会話を優先してくれたようだ。
「でもよく合言葉覚えてたねー?」
「だって簡単でしょ。【てのひら】と【石ころ】なんて」
「ホントにかんたーん! 小さい頃から聞いてるアタシたち共通の言葉だしねー!」
「クリスも忘れなくて済むしね」
「出たー! いつもの子供扱い―!」
「実際あの頃は子供だったでしょ」
「確かにー! あははははー!」
大口開けて笑うノーラにわたしも控えめに声を出して笑い返す。ノーラと話してると湿っぽいのが馬鹿らしくなってくる。
二人の笑い声が風に溶けて夜空に抜けていった。
「星見えないねー」
ノーラが空を見上げて言った。わたしも見上げて溜め息を吐く。空は分厚い雲に覆われ月の位置が朧げな光でわかるくらいだ。
「そうね……最後の夜くらい綺麗なものに浸りたかったな……」
「じゃーアタシを見るといいよー!」
ノーラはくりんくりんの赤毛をいじりながら胸を張った。ウインクして、真っ赤な大きな瞳で私を見ている。彼女は「綺麗」というより「かわいい」だ。
「はいはい、綺麗綺麗」
「アタシもキレイなの見たいなー。どこかにちょーキレイなものー……あー! みーっけ!」
ノーラがわたしの前髪をササッと横に流した。長い前髪で隠れていた視界が開ける。
「髪もきんきらきんでキレイだけどー、瞳もきんぴかですっごくキレイだよー!」
「……ありがと……ノーラはどうしてここに?」
「明日死んじゃうかも~~~! って考えたら昔思い出しちゃってー……マホちゃんは?」
「わたしも同じ」
「やっぱりー! 考えること一緒なんて素敵! やっぱ大親友だねー!」
「そうね」
「……なんか暗ーい……もっと笑おうよー、ねー?」
ノーラがニコニコしながらわたしの口角を両手の人差指で上げた。
「明日死んじゃうかもしれないのに?」
「だからこそ笑うんでしょー? クリスくんなんてずーっと笑ってたよー?」
「あいつは状況わかってないだけじゃない?」
「う~んそうかな~……そういえばクリスくんはここに来てないのー?」
「あいつはお城でバカ騒ぎしてた。兵士や民衆は最後の晩餐って感じで騒いでたけど、あいつだけお祭り気分だと思うわ」
「勝つ気まんまんーってことじゃなーいー?」
「だとしたら楽観的過ぎ。もう世界中破壊し尽くされて、残ってるのこの国だけなのに」
わたしたちの国が最後の砦。明日は市民や他国から逃れた人々も兵士になる。総力戦だ。
「マホちゃんは逆に悲観しすぎー! ほらーもっと笑って笑って―!」
ぐいぐい口角が上げられてちょっと痛い。わたしは手で払ってノーラの強制笑顔を解いた。
「ノーラ、あなたも充分楽観的」
「えー? でも泣き顔で戦うなんてできないモーン」
「わたしも笑いながらなんて戦えない」
「なら泣いてたほうが損だよー! それにー明日死ぬなんて決まってないしークリスくん見習って勝利を信じようよー! だから笑おー? マホちゃん笑ったほうがかわいーんだからさー」
「来世ではそうする」
「だ~か~ら~!」
「あーはいはいわかった。明日からそうする」
「そーそーそれでいーの。見た目も明るくなろうよー。髪はきんきらきんの金色なんだからもっさりロングじゃなくて元気なショートにしたら? せめて前髪ちょびっと切っちゃおうよー! 目もきんきらきんだから絶対見せたほうがいーモン! 服もさーそんな分厚くて地味めのローブじゃなくてアタシみたいに肌出せば~?」
ノーラはくりんくりんの赤毛を揺らして立ち上がる。背筋を伸ばすと大きめの胸が揺れた。ノーラの身体は艶めかしく凹凸も顕著だ。対してわたしは……なんか細いだけ。
「髪は考えとく。服は……どうしよう。ノーラの服って、その……エロエロだし」
「そ~お~? 一応王様の近衛兵団の正式兵装なんだけどー」
「足もお腹も肩も腋も出てるしほぼ下着じゃん。陛下の趣味だよね。近衛兵も女性ばっかだし」
「エロじーじだよねー。でも今日の防衛戦開戦の時の鼓舞はカッコよかったよー? ふだんのエロエロで女の子の敵って感じじゃなくて―。『我、聖帝アルベレト! 地を焦がし天を穿つ槍とならん!』って言って敵に突っ込んでったりー『光の子らよ! 大地の怒りたちよ! 我ら一陣の風、雷! 猛る炎を宿せ!』って先陣で剣を振ってるの見てカンドーしちゃったもん!」
「開戦前も士気を高める演説みたいなのしてたね」
「普段ダメダメな人ってー、ここぞ! って時に頼りになるとーなんか見直しちゃうよねー。陛下あんまり強くないから周りに護衛いっぱいいたけどー」
「あんなでも王なんだから護衛いて当たり前でしょ? でも確かに兵士や民たちの士気は上がったわね。エロエロな服も許せちゃう?」
「許す許さないとか別に無いよー? アタシそもそもエロエロの服好きだモーン。開放感あるとさーキモチ良くて魔法の出力がいいんだよー。普通の魔法もワンランク上がるっていうかさー。今だったら天才マホちゃんにも勝てるかもー! マホちゃんもエロエロになれば強くなれるかもだしークリスくんもエロエロになって襲ってくるかもよー?」
「それはないでしょ。あいつガキンチョだし」
「どうかな~?」
「もう……エロエロは置いといて。この服自体は気に入ってるの。おばあちゃんが仕立ててくれたやつだから」
「あー【ミコル】おばあちゃんね~」
ノーラは少しだけ目を伏せたけどすぐに笑顔に戻った。
先日故郷の村が襲撃された時、ミコルおばあちゃんは亡くなった。村では多くの人が死んでしまった。ノーラのお母さんだって亡くなった。それでもノーラは私に笑顔を振りまいている。本当に優しくて強い子だ。
「マホちゃんちょーおばあちゃん子だモンねー。じゃーどんな服も敵わないかー」
「……ううん。やっぱりわたしもいろんな服着てみたい。選んでくれる?」
「ホントー!? 選ぶ選ぶー! エロエロなヤツねー!」
「それは……控えめでね?」
またお互い笑い合い、一緒に空を見上げた。
ほんの少し雲が開けたところが見える。さっきは見えなかった小さな星の煌めきが、少しだけ心の陰りを消してくれた気がした。
「マホちゃん」
「なに?」
「クリスくんに言わなくていーのー?」
「なにを?」
「わかってるくせに~」
少し頬が熱くなるのがわかった。先ほど【彼】からも少し触れられたが、女の子のノーラから言われると、なんとなく意識してしまう。
ノーラから視線を反らし、自分の指先を見つめた。
「……言わない」
「なんでー? 最後かもしれないのに」
「だって、返事がなんであれ枷になるでしょ。邪魔したくない」
明日がきっと世界存続の分かれ目。わたしたちが要。勝つことだけ考えなくちゃいけない。デルクスの過去のこともそう……余計な感情は要らないんだ。
「そっか……ねぇマホちゃん。ホントはね、アタシ……」
何か言いかけたノーラがわたしの顔を見て言葉を飲み込んだ。頬を伝って雫が落ちて、初めて泣いていたと気付いた。慌てて涙を拭い笑みを取り戻す。
「ごめん、せっかく元気もらったのに……それで、なに?」
「……ううん。また……明日ね」
「うん、また明日……」
——また明日……。
再び火を灯した【彼】の声に、心で同じように返した。
空を見る。星はもう見えない。でも心は晴れていた。
♥♥♥
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