抑止力の力

「抑止力…?」



 その単語を聞いたウォルノンドが、さらに眉を険しく寄せた。



「なんだ、それは?」

「………っ」



 その問いに、実は思わず息をつまらせた。



 ウォルノンドは、〝抑止力〟という概念を知らない。

 レティルが、何度もこの話をおさにしたと言っていたにもかかわらずだ。



「……ねぇ。」



 実は静かに、ウォルノンドへ声をかけた。



「人間には触れてはいけないはずなのに、どうして精霊神たちは普通に人間と触れ合ってるの? なんで許可なんか出したの?」



 訊ねてみる。



 レティルとウォルノンド。

 この二人の認識には、どれだけの違いがあるのか。



「フィルドーネが精霊の説得に困り果てていたら、通りかかった人間が手助けしたと聞いている。そしたら、荒れやすかった地の力が一気に安定したものでな。魔力バランス維持のためには致し方ないと、われが許しを与えたのだ。」



「………」



 実は黙して考える。



 レティルが話していたこととは、完全に異なるそのきっかけ。

 これは、どちらが正しいのか。



「……ん?」



 その時、ふいにエリオスが声をあげた。



「人間が助けた…? そんな記録……」

「城にも〝知恵の園〟にもなかったな。」



 言葉の続きを拓也が引き継ぐ。

 すると、エリオスはこくりと頷いた。



「ああ。城に伝わっている記録では、行方不明者の激増に城が頭を悩ませていたところに、あの方がフィルドーネを連れてきたとあったはずだ。」



「!!」



 実はエリオスと拓也を見る。



 二人とも、至って真剣な顔。

 とても嘘をついているようには見えないし、彼らにここで嘘をつくメリットはない。



 四大芯柱の筆頭であり、レティルのお気に入りでもあるエリオス。

 城や〝知恵の園〟にある書物はほぼ読破して、内容を頭に叩き込んであるという拓也。



 この二人が揃って違和感を呈したという事実は、実の中では大きな情報だった。



 レティルをあそこまで崇めているアズバドルだ。

 レティルの功績なら、記録に残さないはずがない。

 そこに脚色は加えても、事実無根の嘘は記さないだろう。



 ならば、城に残っているというその記録が真実だと判断するのが道理というもの。



(これが……抑止力の力……)



 レティルの話を全部信じるつもりはなかったのだが、こうして得られた事実を組み合わせていけば、どちらに真実があるのかが明確になっていく。



「何故、急にそんなことを訊くのだ?」

「……いや。単なる事実確認。」

「事実確認? ……まあよい。今はそこに焦点を当てても、意味などあるまい。」



 あっさりと身を引くウォルノンド。



 ほら。



 こういう彼の態度だって、これ以上は深掘りされたくないという世界の意志が、ウォルノンドに抑止力が働かせた結果にしか見えないじゃないか。



「さて。これで、我々に言えることは全てだ。次は、我々の話に移らさせてもらおう。」



 胸ぐらに伸びる拓也の手をほどき、ウォルノンドはなかば強引に話を切り替えた。



「ウォル、結局どうするの?」



 ルードリアが問う。

 それに、ウォルノンドは小さく肩をすくめるだけだった。



「不測の事態は起こったが、我々がやるべきことは変わらぬ。いずれにせよ、どんな形にしろ、この子が我々の世界にかえることはけようもないからな。むしろ、今の今までよく肉体がもったものだ。」



 そんなことを告げたウォルノンドは、実に向かってすいっと指を振った。



「いった…っ」



 途端に激しい頭痛に襲われ、実は両手で頭を抱える。



「ルティ!?」



 驚いた拓也が、実の元へとんぼ返りをする。



 そして、拓也と同じく顔色を変えたエリオスが、拓也と入れ替わりになるように慌ててウォルノンドに掴みかかった。



「何をするんだ! まさか……まさか、ルティにを思い出させようとしているのか!?」



「そうだが? また一から説明するより、思い出してもらった方が効率的であろう?」



 エリオスの問いを、ウォルノンドは片眉すら動かさずに認める。

 その瞬間、エリオスの顔からざっと血の気が引いていった。



「やめてくれ!! この子はもう、残酷なくらい思い出してきたんだ! あんなむごい記憶まで思い出させないでくれ!! 忘れたって許されるくらい昔のことじゃないか!!」



「何を言う。もはや、一刻の猶予ゆうよもないのだ。それに……そもそもこれは、?」



「お願いだ!! これだけは……これだけはやめてくれ!!」



 エリオスが必死に訴える。



(俺たち……二人で…?)



 痛む頭で嫌がる父の声を聞きながら、実はウォルノンドの言葉に疑問を持つ。



 まだ自分が思い出していない記憶。

 忘れたって許されるくらい昔のこと。



 ――― 一つだけ、心当たりがあった。



 そういえば、レティルも言っていた。

 自分が自身の運命も、父と二人で背負った代償のことも忘れさせられてしまったと。



 そしてもう一つの手がかりは、レティルと話している時に脳裏をよぎったあの声。



『さあ―――そなたの役目は、分かっておるな?』



 ああ、そうか。

 あれが、今から思い出そうとしている記憶の欠片かけらだったのか。





 だってあの声は―――ウォルノンドの声じゃないか。





 それに気付いた瞬間、意識がぐっと現実から遠退いた。



「……ん?」



 ウォルノンドの表情が微かに揺れる。



「なんだ。記憶のふたは、すでに緩んでいるではないか。われが手助けするまでもなく、自ら思い出しにいっているようだ。」



「!?」



 その発言に驚いたエリオスが、実を振り返る。

 実は頭から手を下ろし、静かに目を閉じて拓也に身を預けていた。



「ルティ、やめなさい! あんなことまで、思い出さなくていいんだ!!」



 きびすを返して実の傍に駆け寄ったエリオスが、実を止めようと手を伸ばす。



 その手が実の肩に触れた瞬間、そこからまぶしい光が放たれた。



「―――っ!?」



 なすすべもなく、全員の意識が白く染まる―――


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