介護クエスト
鷹山トシキ
第1話 勾玉
20000字以上60000字以下
桜の雨が降っている。2009年4月のある日、叔父が亡くなった。叔父は兄貴みたいに僕を可愛がってくれた。小学一年生のとき、母が妊娠して祇園病院に入院することになった。父は警察官の仕事をしているので泊まり勤務などがある。そんなことでしばらく、祖父母の家で預かってもらうことになった。
祖母の
右京は子供だった僕に優しく教えてくれた。
「
江戸氏は、日本の氏族。武蔵国の国人領主であった武蔵江戸氏と、後に戦国大名に成長した常陸江戸氏が知られる。
武蔵江戸氏は、武蔵国を発祥とする武家。鎌倉幕府の御家人にして武蔵の国人領主。本姓は桓武平氏。家系は鎮守府将軍・平良文の孫・将恒を祖とする秩父氏の支流の一族。通字は主に「重」の字を用いた。
後三年の役で先陣を務めた平武綱の子・秩父重綱の四男秩父重継(江戸重継)は平安時代の末(12世紀半ば)に武蔵江戸郷を領して「江戸四郎」を称し、江戸氏を興した。江戸氏は後の江戸城の本丸、二の丸周辺の台地上に居館を構えていたと推定されているが正確な位置は不明である。しかし、近年になって山田邦和は江戸城のある地は平安時代以前には荏原郡桜田郷に属しているため、豊島郡江戸郷の領主である江戸氏の居館があった場所としては不適切であるとし、古代の江戸郷の中心地であった平川流域、現在の水道橋付近にあったとする説を提示している。 重継は関政家(小山政光の叔父)の娘を室に迎え、その子・重長は猪俣党の藤田政行の娘を室に迎えるなど、江戸氏は武蔵国内の御家人との間に婚姻関係を展開した。
常陸江戸氏は、常陸国を発祥とする武家。本姓は藤原氏。鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする那珂氏が祖である。「通」を通字とする。
平安時代末期、秀郷の子孫・藤原公道の子・通直が河辺大夫を名乗り、その子・通資が那珂郡を領し那珂氏を名乗った。しかしその後の家系は傍証無く定まらない。鎌倉時代は御家人だったとみられる。 南北朝時代になると那珂氏は南朝方につき、常陸瓜連城の楠木正家に従い活動したが、北朝の佐竹氏らに攻められ、一族の殆どが滅亡した。しかし、那珂通辰の子・通泰は生き残り、その後は北朝方について活動、那珂郡江戸郷を封ぜられた。子の通高の代に江戸氏を称するようになる。通高は守護佐竹義篤(佐竹氏9代当主)の娘(中御前)を娶り、度々軍功をあげた。
通高は小田氏の乱の最中、難台城[注釈 10]攻めで戦死し、その子・通景は父の戦功により、戦で活躍できなかった大掾氏旧領の河和田(現・水戸市内)周辺を足利氏満より与えられて移った。その子通房の代には上杉禅秀の乱が勃発し、鎌倉公方足利持氏についた通房は、禅秀方に味方して共に没落した大掾氏一族の馬場氏の拠点である馬場城(後の水戸城)方面へ進出した。応永33年(1426年)または応永29年(1422年)、通房は馬場城主・大掾満幹の留守中に馬場城を攻め落とした。その後は馬場城(水戸城)を本拠地として那珂川中下流部で勢力を振るう。その後、守護・佐竹氏内部で山入の乱と呼ばれる内訌が発生すると積極的に介入し、江戸氏の立場を高めていった。
通房の後から通雅までは系図に混乱が見られる。通房の長子・修理亮通秀が早世したためで、通房・修理亮通秀・通長・通雅の世代関係に諸説あり、それに伴い彼らの兄弟たちの系譜関係も変動している。中山信名本では「通房-修理亮-通長-通雅」と直系、宮本茶村本では「通房-修理亮-通長、通長の弟・通雅」、小宮山楓軒本では通房の子が修理亮・通長・通雅の兄弟となっている。
江戸通長・通雅の代には、それまでの佐竹氏勢力下での拡大から、自力で南方へと進出した。このため南部の小幡氏・小田氏・鹿島氏一族の烟田氏、徳宿氏などと衝突した。
江戸通雅は晩年、江戸氏は佐竹氏から「一家同位」の家格を認められ、江戸氏の名誉が高まった。次代・通泰は佐竹氏に従っていたが、古河公方家の家督争いなどには独自路線をとって介入するなど、混乱が続く常陸西部及び南部に進出した。その子・忠通の代に佐竹義昭が佐竹氏を継いだのちに佐竹氏と江戸氏の関係が急速に悪化、天文20年(1551年)に忠通は佐竹氏に従った。忠通の跡は病弱な嫡男・通政ではなく孫・重通が継ぎ、佐竹氏に従い後北条氏とも戦っている。一方佐竹氏とは関係なく南部への進出は続けており、重通は常陸府中に拠点を置く大掾氏を激しく攻めている。
天正16年(1588年)、家臣の神生氏と一門の江戸通澄が対立し、神生氏が江戸氏を離反する「神生の乱」が起こった。神生氏側に鯉淵氏一族が付いており、旧来の一族と新興の一門の対立があった可能性が指摘されている。この鎮圧の際に江戸重通の長男・通升が戦死、神生氏は額田小野崎氏に保護された。このため江戸氏と額田小野崎氏の対立となり、江戸氏は佐竹氏の支援を受け額田城を攻めたが、神生・額田小野崎氏側は伊達氏が支援し決着がつかなかった。翌年和平が成立し神生氏が額田城を退去、また当事者の江戸通澄も同年に死去、この騒乱は終息したが、江戸氏の勢力は衰退した。
天正18年(1590年)小田原征伐がおこり、豊臣秀吉は小田原城を包囲し、関東地方・東北地方の諸氏に参陣を命じた。佐竹氏は後北条氏と対立し、秀吉と結びついていたことから参陣したが、江戸氏は北条氏の働きかけもあって参陣しなかった。秀吉は佐竹義重に常陸21万貫の所領安堵状を発給する。これを楯に佐竹義重は一気に南下、水戸城及び周辺諸城を落とした。重通は妻の兄で娘を養女としていた結城晴朝の許に逃げのび、これにより江戸氏は滅亡した。のち重通の次男・水戸宣通は結城秀康に仕え1,000石を有した。その後、水戸氏は福井藩士として高家100俵となった。
僕は叔父の話を聞いてから戦国時代に興味を抱くようになった。ファミコンソフト『信長の野望群雄割拠』を買ってもらい、勉強そっちのけで遊んだ。
敵地に攻め込むときに馬のマークが出るのだが、それがまたカッコいいのだ。🐎
叔父はその後、考古学者となった。
僕が高校生のとき、他の奴は彼女を作ったりエンジョイしていたが僕はダメダメだった。3年のとき、同じクラスの
時代劇の殺陣ショーや俳優のトークショー・撮影会・握手会などのほか、スーパー戦隊シリーズ、仮面ライダーシリーズといったキャラクターショー、殺陣講座などの体験企画なども行なわれている。
舞妓、姫、殿様、武士、町人、町娘など、時代劇の登場人物への変身体験ができる変身スタジオもある。また、駕籠屋体験として実際の駕籠を運行している。あのときはこのまま大人な関係になれるんじゃ?と、思ったりした。ケータイも交換したりした。当時はJホンってメーカーのケータイでメールが届くと紙飛行機のマークがついた。
実家に帰って(京都御苑の近くにある)食卓で母の作ったカレーを食べてるとメールが鳴った。
『
九条は父方の姓、父の名は
僕は思わず笑みをこぼした。
「何笑ってんの?気持ち悪い」
そう言って母はグラスに注いだ烏龍茶を飲んだ。
『そうだね〜、また遊ぼうね☺』と返信した。
2001年、高校を卒業して僕は
『君のことが好きだ。よかったらつきあってほしい』
その夜から返信は来なくなった。
大学を卒業した僕は中高のときに剣道をしていたことや、大学時代にボクシングジムに通っていたこともありガードマンになった。
警備員は民間企業の従業員たる私人で、公務員たる警察官とは異なり特別な権限を一切有さない。警備業法においても職務質問またはそれに類する行為、検問、現行犯以外の逮捕、取調べなどの権限は認められていない。
職務の性質上、事件、事故、強盗、火災、交通事故など遭遇機会が多く、緊急事態対処、防犯装備の取扱い、護身術、消火器の使用、避難誘導、負傷者や急病人に対する応急手当、事件・事故の現場保存など、多岐の知識や遂行能力が期待される。
面接の時に人事部の
知らないって答えたら採用されないのかな?などとビクビクしながら、「いいえ、知りません」と答えたら、「そりゃそうだよなぁ?考えてみたら、君が生まれる前のドラマだもんなぁ?イヤぁ、あれはエロいドラマだった。ア〜、スマンスマン」と笑っていた。
『東京警備指令 ザ・ガードマン』および『ザ・ガードマン』は、1965年4月から1971年12月にかけて延べ6年9か月(全350話)にわたり、毎週金曜21:30 - 22:30に放送されたTBSのテレビドラマである。主演は
警察の逮捕術教範を元にした護身術教範があり、指導教育がなされているが、これを活用できるのは正当防衛に該当する場合だけである。この護身術教範では一応のところ攻撃・制圧技も制定されてはいるが、重点は防御・離脱技に置かれている。この教範は警備業界全般で広く使用されているが、綜合警備保障の綜警護身術のように自社で独自に護身術体系を考案し、教育訓練を行っている警備会社も存在する。また、最近では全国警備業協会も前述の警察の逮捕術教範を元にした護身術とは全く別系統の、防御・離脱技を最重視した独自の護身術や合気道を基にした護身術を考案し、普及を計っている。
仕事があまりにもキツイので2008年7月、27歳のときにガードマンの仕事を辞めた。両親にはメチャクチャ叱られた。普段、あまり怒ることのない父親からは庭でぶん殴られた。
「世の中を舐めてんじゃない!これからおまえどうすんだ!?家に金を入れない奴、置いておけないからな?野垂れ死ぬしかねーな!」
僕は鋭い目つきで睨みつけた。
父はヤクザみたいな眼光で睨み返してきた。このとき、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの
「何だその目は!?やるのかよ、おう!?」
「お父さん、その辺でやめといてあげて」
僕には母親が女神のように思えた。母親はエド・はるみに似てる。グ〜👍
僕はハローワークに出かけ失業給付を受けるための手続きを受けた。1ヶ月以内に合計3回の就職活動をする必要がある。スーパーのパート(給付中は4時間しか働けない)をしながら幼い頃からの夢だったライターになりたいために出版社に応募したが、どこもかしこもダメだった。
中書島駅(最寄りに坂本龍馬と幕吏が戦ったことで有名な寺田屋がある)のホームで京阪本線を待っていると人身事故のアナウンスが聞こえてきた。
翌日の新聞に転活に失敗した30代男性が飛び込んで死亡したと載っていた。自分も数年後そうなるのかな~と思ったら夜も眠れなくなり、セミナー(履歴書の書き方や電話応対の仕方、面接を上達させるテクニックなどなど)をたくさん受けたがナカナカうまくいかなかった。
同年、12月26日に叔父の右京(早逝した歌手、
「どうしたの?こんな夜遅くに」
食器洗いをしていた母がキッチンから顔を覗かせた。
「姉さん、スゴイものを見つけたんだ」
右京はリュックから赤銅色に輝く勾玉を出してテーブルに置いた。
「どうしたの?それ?まさか、盗んだんじゃないでしょうね!?」
「ルパン三世じゃあるまいし……西本願寺の近くで見つけたんだ。あの辺りは幕末時代、新選組の屯所があったんだ」
「大河ドラマは面白かったわね〜
階段で話を聞いていた僕は「新選組を脱走して切腹しちゃうんだろ?」と話に割り込んだ。
「アンタいつからいたの?そーいや、アンタ若い頃の神田正輝に似てるわね?よく見たら美男子ね〜」
「そりゃあ、俺の甥だもん」
「嫌だ右京ったら、ナルシスト〜。超キモい〜」
母の若者言葉はかなり痛かった。
「話をもとに戻そう。この勾玉は持ち主のスキルが上がるに連れて様々な時代にタイムスリップすることが出来る」
「そんな子供騙し、通用すると思う?」
「本当なんだって、僕は幕末にタイムスリップした。沖田総司ってのはマンガみたいに美男子じゃなかったよ。チビで目が離れていた」
「そーいや、アンタちょっと痩せたわね。どこか悪いの?」と、母。
「イヤ、どこも……」
このとき叔父は肺の癌に蝕まれはじめていた。
最後には脳にまで転移してしまい、病院に見舞いに行ったときはガリガリにやせ細り、痛み止めとして使ってるモルヒネの影響なのか床に虫がたくさんいるとか言っていた。
3月27日、がんセンターに見舞いに行ったときは不思議と冴えて見えた。
「統君、これを受け取ってくれ」
そういって叔父は骸骨みたいに細い手を伸ばしてきた。赤銅色に輝く勾玉が握られていた。
「でも、僕なんかでいいのかな?」
「君はきっとそのうち世界を変える。君しかこれを
「分かった預かっておく」
「早く仕事を見つけるんだ。そして、お父さんやお母さんを楽にさせてやれ」
その数日後、叔父は逝った。不思議なことだが、叔父が亡くなったその日、勾玉は赤銅色から黒に色を変えた。
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