あいつと私

堤 万優

第1話

皆、日々何かと戦っている。

酷く重いプレッシャーに負けそうになりながらも、生きている。

この学校、このコースにいる多くの生徒は親や先生からの、または自分からの重圧に押しつぶされそうになっている者ばかりだ。


いつからこんなに面倒くさい性格になってしまったのだろう。

小南伊織は日直の仕事である黒板をただ無心に消していた。

「伊織、久瑠美ちゃんが来てるよ」

4年間同じクラスの仲の良い歩美が私に声をかける。廊下を見ると久瑠美がくりくりした大きな目をこちらを向けていた。

「久瑠美、珍しいね」

「今クラスに人いなくて暇だったから来たの」

心地よい声と可愛らしい仕草に思わず惚れそうになる。佐田久瑠美は私と同じく中学受験で失敗して、中高持ち上がりの進学コースに在籍していたが、中学から高校の学校内コース変更というチャンスを掴んで久瑠美は有名私立大学へエスカレーター式でいけるコースに行ってしまった。中学1年生の頃から帰り道が途中まで一緒ということで、毎日一緒に帰る度にどんどんと仲が良くなっていった。同じ“道”を同じ速度で歩いていた。ただ最近、コース変更により友達関係や大学のことなど全てに関して先を歩いている久瑠美に劣等感を抱くようになっていた。

「ねえ聞いてよ。ナナちゃんがさ」

と久瑠美は話を続ける。“ナナちゃん”という初めて聞く名前「誰?」という疑問と多少の嫉妬心を感じながらそれを見せないように振る舞うのに必死であった。やがて予鈴がなるとはっとして久瑠美は自教室に帰る。久瑠美から解放されて、少しばかりの安心に自分でも驚く。窓側の自分の席から少し左下を見れば久瑠美の教室がある。ひらりと人影が見えるとその周りに3.4人くらいの取り巻きが見える。久瑠美、可愛いからコース変更しても人気者なのだ。ただ自分との差に目を背けた。


「お母さん。夏休み、久瑠美とホテルでお泊まり会しようって話だけど、いい?」

「別にいいけど。伊織、大丈夫なの?久瑠美ちゃんは大学決まってるからいいけどさ」

また始まった。最近久瑠美と遊ぶことを報告する度に久瑠美の大学のことを言われる。うんざりするし私はその言葉に対して何を返せばいいのか分からない。何も聞こえなかったと言わんばかりに無視して、久瑠美に親の許可を貰ったことを報告した。


親からの期待以上に自分を苦しめるものってないと思っている。

有名政治家を父に持つ小桜雪乃は重い扉を引いて、「ただいま」と呟く。

「中間テストの成績表、返ってきたでしょう?学校からメールが来たわ。見せなさい」

私の帰りに気付いて、母は「おかえり」の言葉もなく成績表を見せるよう促す。渋々と成績表をカバンから取り出して見せると途端に母の表情は一変する。

「この成績、なに?」

「ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃないの、どうしてこんな成績とったの?」

「勉強不足です」

母は大きくため息をついてから口を開いた。

「郁人と小百合は雪乃と同じくらいの時から毎日欠かさず勉強していたわ。こんな点数と順位を取って焦らないの?花香は大学が決まっているからとにかく私はあなたが一番心配なの。とりあえずこの成績はお父さんに見せます」

こういう時だけ母は早口でよく喋る。耳を塞ぎたくなるような甲高い声に意気消沈する。高3の兄、大学生の姉と比べられ、差別する。両親自身、高校は県内トップ校に在籍しており、大学は有名国公立大学に進学している。私の中学受験で入った学校とはレベルが違う。姉と兄も、両親と同じ高校、妹は大学まで持ち上がりの学校にいる分私の心配、そして微かなる期待をされていた。その期待を裏切りたくはないが、勉強なんてもちろん嫌いだ。動かない手、働かない頭に自分って意外とちっぽけなんだな、と感じる。どうせ父さんは今日も仕事で帰ってこない。起きていても勉強はしないし、精神的にも疲れたのでいつもより早い時間に寝てしまった。


「雪乃、昨日勉強した?」

自席に着いた瞬間前の席の西野咲月が話しかける。

「してないよ。昨日親に成績見せたら兄妹と比べられて本当に疲れてさ、早く寝たよ」

「でも雪乃、兄妹多くて楽しそう」

「そうでもないよ」

兄妹多くても「楽しそう」の一言で済まされて、周りに共感者はいない。皆もそれぞれの悩みを抱えていて、それで手一杯なのだから他人事で終わるのは仕方がない。

「家、帰りたくない」

「ごめん今日塾だから雪乃と寄り道できない」

「えー、わかった」


相変わらず重い扉を引いて「ただいま」と呟く。靴を脱ごうと下を見ると父さんの大きな、綺麗に磨かれた革靴を見つけて一気に足取りが重くなる。リビングへ行くと大きく椅子に座って、私の目を真っ直ぐ見る。

「お前、こんなので大学どうするつもりだ」

「まだ私、高1だよ? 」

「もう高校1年生だろ。小百合と郁人を見習えよ」

悔しい。親は口を開けば兄と姉のことしか出てこないの?

何も言葉が出てこず、リビングを飛び出し、自室に鍵をかけて閉じこもる。この気持ちをスマホを見て現実逃避することしかできなかった。


先生からいい意味で目をつけられるのは嬉しい。だが、度が過ぎると話は別だ。

立川歩美は今日も先生と話していた。

「先生のネイル可愛いですね!」

など最初は愛嬌を振りまきながら世間話をして、その後に勉強の悩みを言う。そうすれば大体の先生は私のことを気にかけ、可愛がってくれる。案の定、私たちの担任である奥村に気に入ってもらうことはできたし、成績で判断すると有名な奥村が成績も普通な私を受け入れてもらえることはすごく嬉しかった。


「伊織、おはよう」

4年間ずっと仲の良い伊織が教室に入ってくるのを見るとすぐに伊織の元へ駆け寄る。

「おはよう、歩美、二者面談いつ?」

「明日。伊織は?」

「今日だよ。期末前に二者面談しておこうって思って。奥村と1対1とか本当にむり」

「伊織、奥村から嫌われているもんね」

少し伊織に対しての優越感に浸りながら笑う。

「本当にそうなんだよね。よく私たち3年間も耐えてるわ」

ふと奥村が担任を持った中学2年生の頃を思い出す。あの時はただ先生に気に入られるために放課後に奥村の担当教科である数学の問題を質問したり、コース変更のことや雑談までたくさんしていつの間にか先生のことを大好きになっていた。だが、最近になって大学受験のことを本気で意識する時期になったからか成績が上がらない私は奥村からもっと目をかけられていることに気付いてから奥村とはあまり話さないでいた。だから二者面談が気まずくて、嫌だ。


「伊織、おはよう」

「おはよう」

「二者面談どうだった?」

少しニヤつきながら聞いてみる。

「怒られなかった。高校初めての面談だからあまり成績のことは言わないみたい。脂肪の大学と学部のこと聞かれて終わったよ」

奥村が成績について口出さないのは意外だ。ただ、高校の初めから大学と学部を言わされることに対して“受験”を真っ向に思い知らされた気分になり、少し気分が下がる。

「そっか。私も頑張ってくるね」

そう言って笑顔を貼り付けた。


「失礼します」

恐る恐る生徒指導室の扉を開く。

「立川さん、どうぞ。立川さんと2人きりで話すのは久々だね」

そう言い、奥村は笑顔を見せる。少し圧倒されつつも、頑張って口を開ける。

「はい、最近友達と話すことが多くなって」

「いい事だね。じゃあ早速二者面談始めます。まず、高校でこのコースを選んだ理由を教えてください」

「行きたい大学があるからです」

奥村が頷きながらノートにメモをとる。

「じゃあ行きたい大学と学部を教えてください」

「外国語大学に行きたくて。学部も外国語学部を目指しています」

そう言うと奥村は大きな紙を取りだし、机に広げる。

「ここの外大は立川さんの偏差値なら行きやすいんじゃない?」

そこは自分のめざしている大学とは偏差値がどんと下の大学だった。

「あー!いいですね!」

本当のことを言えずに声を高くして頷く。結局私は、何もかも奥村のためになってしまう。そんな自分が嫌いだ。

その後も少し雑談をしたが笑顔で頷いていたことしか覚えていない。進路指導室を出て一息つく。早く家に帰りたくて仕方なかった。

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