第22話 教会
「なあアニキ!」
「おい
「この吹雪だ! 看守には聞こえんべ。それより、
とそこへ、誰がしゃべっているのか分からないが、別の囚人の声が聞こえる。
「俺はここらで働いていた者だからよくわかる。さっき立ち寄ったのは、
「幌内? どこでもいいけどよ、そこでは俺たち、何をするんだべか」
「炭鉱を掘るのよ!」
囚人は、悠々と答えた。
「俺たちは、石炭っちゅう、石を掘るんだ」
「石炭? 石炭っちゅうのは、あの、燃えるという石だべか?」
「そうよ!」
「はは、オラまだ信じられねーべさ。石が燃えるわけないべさ」
「いいや、燃えるんじゃ。おまえさん、汽車にのってきたんじゃろ。あの汽車、いったいどうやって動いているか知らんじゃろ」
「うん? そりゃ、先頭は見えなかったけんど、馬か何かにひかせとるんだべ?」
「馬鹿いっちゃいけねぇ。あの汽車は、石炭を燃やして、蒸気を造りだして動いているんじゃ」
「なに、蒸気? なんじゃそりゃ」
「まあ、お前さんのような学のない者には分からんかもしれん。ただ、この石炭は、汽車だけじゃない。軍艦、鉄づくり、これからの国家を支える重要なものになるのじゃ。
「まあ何か知らんが、穴を掘ればいいんだべ。昔
「それがただの隧道掘りとはわけがちがう。この石炭は地下深くに埋まっていてな、穴の中は外が今日みたいに真冬だろうと、
「そりゃ、まるで地獄だべさ」
「地獄の方がまだましじゃ。怖いのはそれだけじゃねぇ。この穴の中にはガスがたまっていてな。ツルハシやタガネで
「なんじゃそれ、おっかねぇ」
「そうよ。だから誰も掘りたがらねぇ。だから俺たち囚人が送られたのよ。幌内に送られた囚人は決して生きて帰れねぇ。俺たちは虫けらのように、使いつぶされるんじゃよ」
そこまで言って、前の方から、ピーっと笛の音が聞こえた。止まれの合図だ。
「ついたんだべか?」
いぜん、地吹雪はやまず、轟音と冷気が容赦なく打ち付けるが、進行を止めると、大声くらいは聞こえる。
「本日は、ご厚意により、ここ幌内教会を宿とする。教会であるがゆえに
看守がそう言うと、先頭のものから、その建物に入っていくのが見えた。
「アニキ、教会だってよ」
木造造りのその建物は、全体像は分からないが、入口の上には巨大な十字架が立っている。
中に入ると、ところどころ隙間風は入っているが、
「こりゃ天国だべ。俺、デウス様の洗礼でも受けてみてもいいべかの」
「馬鹿なこと言うな徳三。そうやすやすと受け入れるやつがあるか」
とそこへ、看守がやってきて、
「おい野口。貴様はこっちだ」
舌打ちしながら、野口茂と他の囚人がつながれた鎖を分けた。
「看守さん、俺が一体どうしたっていうんだよ」
「俺も知らん。しかし、牧師がお前を知っているようで、話をしたいということだ」
こんな蝦夷地で自分を知っている牧師とは一体誰なのか、野口にはピンとこなかった。それに、民間人との接触はしてはいけないが、どうやらその牧師は、看守に命じることができるくらいの身分の人間らしい。
いぶかしがりながら、野口茂は、看守に連れられ、別の部屋の前にきた。
「お前一人でとのことだ。くれぐれも
野口が入った部屋は、とても立派とはいえない部屋だった。木のベッドと、その前に椅子だけが置かれている。壁はせり出し、人が二人入れば、いっぱいになる。きれいに掃除が行き届いているだけが自慢できるような部屋だった。それも、これだけの狭い部屋では、散らかす方が難しいだろう。
「お前が野口茂か」
ベッドに座っていた男が言った。男は、イエスに仕えるものらしく、黒い礼服に身を包み、首からは十字架のペンダントを下げている。
「そういうそちらさんはどなたで」
野口は、答えるのが
「そう警戒するな。俺は神に仕える身だ。囚人の
「親胤? おやに、たねですか。神は神でも、神社の方みたいな名前だ」
「はは。元はそうだ。俺の家は神社の
親胤は、手で、椅子に座るように野口にうながした。
「見ての通り、椅子が一つしかない。俺は寝台に座るがいいか」
「男と一緒の布団にはいる趣味はありませんよ」
野口はうながされるままに椅子に腰かけた。
「天塩という名字に心当たりがあるだろ」
「俺を呼び出して、天塩の性でなぞかけをするってことは、
「そうだ。俺はあそこの出だ」
野口は、ふーん、と息を吐いた。
「俺はお前とは干支が一周り違う。お前が赤ん坊の時、何度か見たことがある。それからすぐに東京に出た。そこで洗礼を受けて、あちこち転々とした。今はここ、最果ての地で神の教えを説いている」
「もの好きなことで」
「そうだ。俺は神道っていうのが肌に合わなかった。東京に出て身を立てようとしたのだ。ただ、結局は神の道に落ち着いてしまった」
「仏で言うところの、
「はは、仏で言うところのか。まあ、それでもよい」
「で、あっしを呼びつけたのはどういう訳で。まさか、同郷のよしみというだけではないんでしょう」
親胤は、黒服の内ポケットから手紙を取り出した。
「お前を釈放してほしいと言う嘆願がきている」
「余計なことを……」
それは、富詩木村で自由民権運動をともに盛り上げてきた同志からのものだった。
「人の好意をそうむげに言ってはいかん」
親胤は、暖炉の前に置いていた菓子を一つまみとり、野口に差し出した。
しかし、野口はそれを取ろうとしない。
「食べないのか」
「今俺がそれをいただいちゃ、他の者に面目がたたないです」
親胤は菓子を暖炉の前に戻した。
「俺はこの街では相当に高い身分になっている。開拓使の中には知り合いもいるし、
「それで、あっしの釈放を願い出ようっていうんですか。やめてくださいよ。蝦夷地に送られた時点で、覚悟をしてきたんです。いまさら帰るなんて言っちゃ、ここにいるやつらに顔が立たねえし、帰ったところで、どのツラ下げてと思われるだけです」
「野口。神は人が死ぬことを望んではいない。それに、自暴自棄になることも赦さない」
「あいにくあっしは、イエス様の家来ではないんでね」
「まあお前がどういおうが、俺はお前を富詩木に戻そうと思う」
野口は、フンと鼻で笑ったが、親胤は構わず続ける。
「だが問題がある。ここへの手紙は全て集治監に
「それが、炭鉱送りってわけですか」
「そうだ。ここにきた囚人は、生きては帰れない」
ううぅっ、とみんなはうめき声をあげて起きた。
体が
「なんだ、今のは……」
スズのお父さんが、頭を抑えながら言う。どうやら頭痛があるようだ。
「もしかして、みんな、いつもこんな夢を見ていたの?」
サナエ先生も、具合悪そうにみんなを見回している。
「きっと、この日記のせいだな」
スズのお父さんが床に転がった日記を拾い上げる。
「天塩親胤さんか……お
「ダメよ」
まだ夢から目覚めたばかりで、だるさからか力はなかったが、スズが否定する。
「それよりお父さん、天塩親胤って知ってるの?」
しかし、スズのお父さんはそれには答えず、
「とにかくスズ、今日は家に帰ろう」
「……」
夢を見たことで体がだるくなり、気力を奪われたせいか、眠る前のスズの怒りは収まっていた。夢を見る前に、サナエ先生とセンナにきつく当たったことを恥ずかしく思ったのか、スズはみんなの顔を一度素早く見回して、うつむいて部室を出ていった。
スズのお父さんは、日記を持ったまま、みんなに一礼して部室を出て行った。
マイはとてもスズが心配だった。
これだけの怖ろしい夢に、お父さんとの
「あの、きっとスズ先輩、本心じゃないと思います」
とっさに、マイが、センナとサナエ先生に向かって言った。
「はぁ」
センナが深くため息をする。
「わたし、スズ先輩に嫌われちゃったよね……」
「そんなこと……」
「ううん、いいんだ。だけど、スズ先輩、ストレスになっていなければいいけど。心配だな」
マイは、センナがやはりスズのことを想っていることが分かって、なんだかほっとした。
「わたしも、スズちゃんに悪いこと言っちゃったかしらね」
サナエ先生も、落ち込んだようだ。
「スズちゃんがあんなふうに言うなんてね。意外だったわ」
みんながうつむく。
ただ、その沈黙をいつまでも続けるわけにはいかないと思ったのか、
「まずは、説明してくれるかしら」
サナエ先生がみんなのことを見回す。
みんなは、サナエ先生に、野口茂の日記のこと。そして、その日記とスズが一緒にいる時に、あの夢を見ること。そして、スズが理科室の骸骨の前で見た夢のことを、詳しく話した。
「みんな。今回ばかりは、かなり危険だったと思うの」
サナエ先生は、いつになく厳しい口調だ。
「この世界には、たくさんの不思議なことがあると思うの。ほとんどは、不思議だってだけで終わることがほとんどだけれど、中には何かの事件に発展しちゃうこともあると思うの。今回のことは、どちらかというと、事件に発展しちゃうことね」
マイは、この日記を怖いと思った。でも、同時に興味もわいていた。いまさらながら、自分の軽率さを恥じ入った。
「でも、そうした経験をしてこそ、判断ができるようになるとも思うの。どこまでがセーフで、どこからがアウトかってね。今回は、この段階で話してくれてよかったわ」
そこまで言って、サナエ先生は、いつもの笑顔に戻った。ただ、少し力がない。
「やっぱり、スズちゃんが心配よね。わたしも、ご家庭の事情だからなんて、軽率なこと言っちゃったわ。反省ね」
マイは、先生でも反省することがあるんだ、と思った。
大人になっても、こうして反省できる人はえらいと思った。
「わたしも、今回のことについては、考えてみるわ。みんなとも、もっと意見を交換したいけど、もう遅い時間になっちゃったわ。今日のところは、みんな帰りましょう」
サナエ先生に言われるままに、マイ達は帰宅した。
センナは、元気なさそうに、マイとリンと別れていった。
「リンちゃん。スズ先輩とセンナ先輩、このまま仲直りしないなんてこと、ないよね」
マイは、心配だった。
「うん、そう思いたいよね。マイ、もしもの時は、わたしたちでなんとかしよう」
リンが二人のことを想ってくれていて、心強い。
「それにしても、スズ先輩、大丈夫かなぁ」
まずは、スズと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます