第22話 教会

 藁蓑わらみのを来た集団が、くさりにつながれて一列に歩いている。数人いるようなのだが、猛吹雪もうふぶきで三人目くらいがようやくかすんで見えるくらいだ。強風は藁蓑を粉砕していき、その下のオレンジの囚人服がところどころに空いた穴から見えている。足には辛うじてカンジキをしているが、歩を進めるごとに雪に埋まり、かんじきの端から重たい雪がのしかかってくる。また次の一歩と足を上げるのを、重たい雪が妨げる。


「なあアニキ!」


「おい徳三とくぞう! 私語をすると、着いたとたんに懲罰房ちょうばつぼう送りだぞ」


「この吹雪だ! 看守には聞こえんべ。それより、空知集治監そらちしゅうちかんに着いたと思ったら、今度はまた、どこに連れていかれるんだべ」


 野口茂のぐちしげるもそれは分からない。


 とそこへ、誰がしゃべっているのか分からないが、別の囚人の声が聞こえる。


「俺はここらで働いていた者だからよくわかる。さっき立ち寄ったのは、市来知いちきしりの空知集治監の本館だ。あそこはまだ天国のような場所だ。道路作り、農地作り。そして、水道工事。そんなことをやっていればいい。俺たちが行くのは、ここ、蝦夷地えぞちでも果ての果て。幌内ほろないにある分館だ」


「幌内? どこでもいいけどよ、そこでは俺たち、何をするんだべか」


「炭鉱を掘るのよ!」


 囚人は、悠々と答えた。


「俺たちは、石炭っちゅう、石を掘るんだ」


「石炭? 石炭っちゅうのは、あの、燃えるという石だべか?」


「そうよ!」


「はは、オラまだ信じられねーべさ。石が燃えるわけないべさ」


「いいや、燃えるんじゃ。おまえさん、汽車にのってきたんじゃろ。あの汽車、いったいどうやって動いているか知らんじゃろ」


「うん? そりゃ、先頭は見えなかったけんど、馬か何かにひかせとるんだべ?」


「馬鹿いっちゃいけねぇ。あの汽車は、石炭を燃やして、蒸気を造りだして動いているんじゃ」


「なに、蒸気? なんじゃそりゃ」


「まあ、お前さんのような学のない者には分からんかもしれん。ただ、この石炭は、汽車だけじゃない。軍艦、鉄づくり、これからの国家を支える重要なものになるのじゃ。開拓使かいたくしの人間なんかは、黒いダイヤなんて言っておる」


「まあ何か知らんが、穴を掘ればいいんだべ。昔隧道ずいどうを掘ったことがある。簡単なことだべ」


「それがただの隧道掘りとはわけがちがう。この石炭は地下深くに埋まっていてな、穴の中は外が今日みたいに真冬だろうと、灼熱しゃくねつなのじゃ。しかも、あちこちから出水して地盤もゆるくなっていて、落盤らくばんもある」


「そりゃ、まるで地獄だべさ」


「地獄の方がまだましじゃ。怖いのはそれだけじゃねぇ。この穴の中にはガスがたまっていてな。ツルハシやタガネで迂闊うかつに火花を散らすと、引火して大爆発。周囲の奴はみんな焼け死んじまうということじゃ」


「なんじゃそれ、おっかねぇ」


「そうよ。だから誰も掘りたがらねぇ。だから俺たち囚人が送られたのよ。幌内に送られた囚人は決して生きて帰れねぇ。俺たちは虫けらのように、使いつぶされるんじゃよ」


 そこまで言って、前の方から、ピーっと笛の音が聞こえた。止まれの合図だ。


「ついたんだべか?」


 いぜん、地吹雪はやまず、轟音と冷気が容赦なく打ち付けるが、進行を止めると、大声くらいは聞こえる。


「本日は、ご厚意により、ここ幌内教会を宿とする。教会であるがゆえに牢獄ろうごくはないが、貴様らは刑を言い渡された囚人であり、牢獄の中にいる時と同様、神妙しんみょうに過ごすよう」


 看守がそう言うと、先頭のものから、その建物に入っていくのが見えた。


「アニキ、教会だってよ」


 木造造りのその建物は、全体像は分からないが、入口の上には巨大な十字架が立っている。


 中に入ると、ところどころ隙間風は入っているが、暖炉だんろでは薪が燃やされ、外にいるのとは打って変わって暖かい。


「こりゃ天国だべ。俺、デウス様の洗礼でも受けてみてもいいべかの」


「馬鹿なこと言うな徳三。そうやすやすと受け入れるやつがあるか」


 とそこへ、看守がやってきて、


「おい野口。貴様はこっちだ」


 舌打ちしながら、野口茂と他の囚人がつながれた鎖を分けた。


「看守さん、俺が一体どうしたっていうんだよ」


「俺も知らん。しかし、牧師がお前を知っているようで、話をしたいということだ」


 こんな蝦夷地で自分を知っている牧師とは一体誰なのか、野口にはピンとこなかった。それに、民間人との接触はしてはいけないが、どうやらその牧師は、看守に命じることができるくらいの身分の人間らしい。


 いぶかしがりながら、野口茂は、看守に連れられ、別の部屋の前にきた。


「お前一人でとのことだ。くれぐれも粗相そそうのないようにな」


 野口が入った部屋は、とても立派とはいえない部屋だった。木のベッドと、その前に椅子だけが置かれている。壁はせり出し、人が二人入れば、いっぱいになる。きれいに掃除が行き届いているだけが自慢できるような部屋だった。それも、これだけの狭い部屋では、散らかす方が難しいだろう。


「お前が野口茂か」


 ベッドに座っていた男が言った。男は、イエスに仕えるものらしく、黒い礼服に身を包み、首からは十字架のペンダントを下げている。


「そういうそちらさんはどなたで」


 野口は、答えるのがしゃくで、質問には答えずに言った。


「そう警戒するな。俺は神に仕える身だ。囚人の懺悔ざんげを聞く、教誨師きょうかいしをやっている牧師だ。悪いようにはせん。俺は天塩親胤てしおちかたねという」


「親胤? おやに、たねですか。神は神でも、神社の方みたいな名前だ」


「はは。元はそうだ。俺の家は神社の神職しんしょくの家系だ」


 親胤は、手で、椅子に座るように野口にうながした。


「見ての通り、椅子が一つしかない。俺は寝台に座るがいいか」


「男と一緒の布団にはいる趣味はありませんよ」


 野口はうながされるままに椅子に腰かけた。


「天塩という名字に心当たりがあるだろ」


「俺を呼び出して、天塩の性でなぞかけをするってことは、富詩木ふしぎ神社の方で?」


「そうだ。俺はあそこの出だ」


 野口は、ふーん、と息を吐いた。


「俺はお前とは干支が一周り違う。お前が赤ん坊の時、何度か見たことがある。それからすぐに東京に出た。そこで洗礼を受けて、あちこち転々とした。今はここ、最果ての地で神の教えを説いている」


「もの好きなことで」


「そうだ。俺は神道っていうのが肌に合わなかった。東京に出て身を立てようとしたのだ。ただ、結局は神の道に落ち着いてしまった」


「仏で言うところの、因縁いんねんというやつですね」


「はは、仏で言うところのか。まあ、それでもよい」


「で、あっしを呼びつけたのはどういう訳で。まさか、同郷のよしみというだけではないんでしょう」


 親胤は、黒服の内ポケットから手紙を取り出した。


「お前を釈放してほしいと言う嘆願がきている」


「余計なことを……」


 それは、富詩木村で自由民権運動をともに盛り上げてきた同志からのものだった。


「人の好意をそうむげに言ってはいかん」


 親胤は、暖炉の前に置いていた菓子を一つまみとり、野口に差し出した。


 しかし、野口はそれを取ろうとしない。


「食べないのか」


「今俺がそれをいただいちゃ、他の者に面目がたたないです」


 親胤は菓子を暖炉の前に戻した。


「俺はこの街では相当に高い身分になっている。開拓使の中には知り合いもいるし、異人いじんの言葉も話せる。今この炭鉱や鉄道を設計するには、異人の技師に頼るしかない。俺がいなければ、異人の言葉が皆分からないのだ」


「それで、あっしの釈放を願い出ようっていうんですか。やめてくださいよ。蝦夷地に送られた時点で、覚悟をしてきたんです。いまさら帰るなんて言っちゃ、ここにいるやつらに顔が立たねえし、帰ったところで、どのツラ下げてと思われるだけです」


「野口。神は人が死ぬことを望んではいない。それに、自暴自棄になることも赦さない」


「あいにくあっしは、イエス様の家来ではないんでね」


「まあお前がどういおうが、俺はお前を富詩木に戻そうと思う」


 野口は、フンと鼻で笑ったが、親胤は構わず続ける。


「だが問題がある。ここへの手紙は全て集治監に検閲けんえつされている。ここでは、集治監典獄てんごくが郵便局長も兼ねている。この手紙も、すでに検閲されている。さすがに私に手紙を渡さずにいれば不行き届きでどうなるか分からんということで、手紙は届いた。だが、どうやらあせったようで、お前を早々に始末しようと動き出した」


「それが、炭鉱送りってわけですか」


「そうだ。ここにきた囚人は、生きては帰れない」



 ううぅっ、とみんなはうめき声をあげて起きた。


 体がなまりのように重たい。


「なんだ、今のは……」


 スズのお父さんが、頭を抑えながら言う。どうやら頭痛があるようだ。


「もしかして、みんな、いつもこんな夢を見ていたの?」


 サナエ先生も、具合悪そうにみんなを見回している。


「きっと、この日記のせいだな」


 スズのお父さんが床に転がった日記を拾い上げる。


「天塩親胤さんか……おはらいが、効くかどうかは分からないが……でも、とにかくこの日記は倉庫にしまう」


「ダメよ」


 まだ夢から目覚めたばかりで、だるさからか力はなかったが、スズが否定する。


「それよりお父さん、天塩親胤って知ってるの?」


 しかし、スズのお父さんはそれには答えず、


「とにかくスズ、今日は家に帰ろう」


「……」


 夢を見たことで体がだるくなり、気力を奪われたせいか、眠る前のスズの怒りは収まっていた。夢を見る前に、サナエ先生とセンナにきつく当たったことを恥ずかしく思ったのか、スズはみんなの顔を一度素早く見回して、うつむいて部室を出ていった。


 スズのお父さんは、日記を持ったまま、みんなに一礼して部室を出て行った。


 マイはとてもスズが心配だった。


 これだけの怖ろしい夢に、お父さんとの確執かくしつ。スズにとっては相当辛い状況だろう。


「あの、きっとスズ先輩、本心じゃないと思います」


 とっさに、マイが、センナとサナエ先生に向かって言った。


「はぁ」


 センナが深くため息をする。


「わたし、スズ先輩に嫌われちゃったよね……」


「そんなこと……」


「ううん、いいんだ。だけど、スズ先輩、ストレスになっていなければいいけど。心配だな」


 マイは、センナがやはりスズのことを想っていることが分かって、なんだかほっとした。


「わたしも、スズちゃんに悪いこと言っちゃったかしらね」


 サナエ先生も、落ち込んだようだ。


「スズちゃんがあんなふうに言うなんてね。意外だったわ」


 みんながうつむく。


 ただ、その沈黙をいつまでも続けるわけにはいかないと思ったのか、


「まずは、説明してくれるかしら」


 サナエ先生がみんなのことを見回す。


 みんなは、サナエ先生に、野口茂の日記のこと。そして、その日記とスズが一緒にいる時に、あの夢を見ること。そして、スズが理科室の骸骨の前で見た夢のことを、詳しく話した。


「みんな。今回ばかりは、かなり危険だったと思うの」


 サナエ先生は、いつになく厳しい口調だ。


「この世界には、たくさんの不思議なことがあると思うの。ほとんどは、不思議だってだけで終わることがほとんどだけれど、中には何かの事件に発展しちゃうこともあると思うの。今回のことは、どちらかというと、事件に発展しちゃうことね」


 マイは、この日記を怖いと思った。でも、同時に興味もわいていた。いまさらながら、自分の軽率さを恥じ入った。


「でも、そうした経験をしてこそ、判断ができるようになるとも思うの。どこまでがセーフで、どこからがアウトかってね。今回は、この段階で話してくれてよかったわ」


 そこまで言って、サナエ先生は、いつもの笑顔に戻った。ただ、少し力がない。


「やっぱり、スズちゃんが心配よね。わたしも、ご家庭の事情だからなんて、軽率なこと言っちゃったわ。反省ね」


 マイは、先生でも反省することがあるんだ、と思った。


 大人になっても、こうして反省できる人はえらいと思った。


「わたしも、今回のことについては、考えてみるわ。みんなとも、もっと意見を交換したいけど、もう遅い時間になっちゃったわ。今日のところは、みんな帰りましょう」


 サナエ先生に言われるままに、マイ達は帰宅した。


 センナは、元気なさそうに、マイとリンと別れていった。


「リンちゃん。スズ先輩とセンナ先輩、このまま仲直りしないなんてこと、ないよね」


 マイは、心配だった。


「うん、そう思いたいよね。マイ、もしもの時は、わたしたちでなんとかしよう」


 リンが二人のことを想ってくれていて、心強い。


「それにしても、スズ先輩、大丈夫かなぁ」


 まずは、スズと宮司ぐうじさんとのことが、心配でならなかった。

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