法またぎ
登美川ステファニイ
第一話 逮捕
プラズマの臭い。ブラスターのグリップに残る熱。それらが消え去る前に、俺は標的の眉間に銃口を突きつけた。
ジョン・リークは篤志家だったが、裏では違法薬物の売人だった。しかも製造、流通、販売の全てを取り仕切り、右から左に流すだけのけちな売人とは違っていた。
そのリークが俺の足元に転がっている。身に付けた強化服、マキナは両脚と右腕の関節が砕け、電源も焼き切れて完全に停止している。こうなれば強化服はかえって動きを邪魔する拘束具にしかならないが、マキナごと骨の折れている今のリークでは、マキナが外れていても結局動くことはできなかっただろう。頼みの部下も何人かいたが、全員その辺で転がっている。死体と、もうすぐ死体になりそうな連中。二本の足で立っているのは俺だけで、悪党はいつだって地面とキスするのがお似合いだった。
リークは血走った眼で俺を見上げていた。瞳孔が開いている。それはこの廃工場が薄暗いからというだけではない。こいつが売りさばいている薬物のうちの一つ……ナルシスの涙による作用だ。神経の作用を強化し、五感や身体機能を向上させる薬物群、フレグランス……その中でもナルシスの涙は特に、反射神経や闇の中での視力が強化される。
こいつはそれを使ってこの廃工場で有利に戦おうとしたようだが、いくらマキナを付けていても所詮は素人だ。俺達
「これで勝ったつもりか、
リークが苦痛に顔を歪めながらも不敵な笑みを浮かべた。大抵のフレグランスには苦痛を和らげる作用がある。そのせいで死ぬまで殴り合ったり、内臓がはみ出すほどの怪我を負っても気づかないこともあるが、リークはそろそろ効果が切れる頃だ。段々と痛みがはっきりし始めているはずだ。特に同情の余地はないし、かと言ってざまあ見ろとも思わない。俺は法に基づき正義を執行するだけだ。
ホースマン……こめかみに埋め込んだ全周型カメラインプラントが馬の目のように見えることからそう言われる。俺達は骨格や筋肉、そして内臓を戦闘に最適化しており、三六〇度の視覚であらゆる方向からの攻撃に対処できる。普通の人間の十倍程度の戦力を有し、一人でも危険な任務を完遂することができる。そんな俺達の事をいつしか悪党は親しみを込めてこう呼ぶようになった。
俺が出て来たからにはもう終わりだ。つい五分ほど前ならこいつも俺を簡単に殺せると思っていたはずだが、こうしてみじめに地べたに転がっている今では自らの終わりを実感していることだろう。
しかし、それでも、リークは笑みを絶やさず、脂汗を浮かべながら喋り始めた。
「私を逮捕すれば……この街がどうなるのか分からないのか? もう遅い! フレグランスはかなりの人数に行き渡っている……使用者を全て逮捕すればどうなると思う? 破滅だよ! 政財界もその辺の商店街も、そこらじゅうで逮捕者が出る! 人同士の信頼は損なわれ、いくつもの家庭が崩壊するだろう! 両親揃って逮捕されればその子供はどうなると思う? 結局ギャングになるか売春婦になるかだ……お前がやろうとしているのはそういう事だ!」
「だから見逃せと? ジョークにしても笑えないな」
俺は答えながら、二百メートルほど離れた位置にパトカーの気配を感じた。サイレンの音が近づいてくる。奴らが来れば俺の仕事は終わり。あとの面倒くさい仕事は地元警察に押し付ける、もとい、引き継ぐ手筈だ。俺の仕事は暴れて悪党を叩きのめすことだけ。リークの話に付き合ってやるのもあと数分の事だ。
「クソ……! ホースマンなんぞにこのマキナが……クソ! このがらくため!」
リークは必死にマキナを再起動させようとしているが、まともに動くのは左腕だけだし、仮にリーク自身が無傷だったとしてもこの破損状態のマキナを動かすことはできないだろう。
「お前は社会のゴミだ。ガラクタと抱き合わせでちょうどいい」
「ゴミだと……? ゴミは貴様だ! 死に損ないの兵士が、ただの貧乏人が偉そうな口を叩くな! お前なんぞ……お前なんぞを殺す方法はいくらでもある! せいぜい自分が死ぬ時を待っていろ!」
俺が死ぬ時……想像もつかない。自分がどうやって死ぬのか。かつては多くの普通の兵士と同じように、戦いの中で銃弾に倒れることを恐れていたはずなのに。今感じるのは、ただただ空しさだけだ。その空しさを埋めるものは、まだ見つかっていない。
「文句は政府と警察庁に言ってくれ。俺を運用しているのはそいつらだ」
「政府にも、警察にも……パイプはある! 裁判など無駄だ! いくらでももみ消してやる……!」
その時、リークの目がちらりと動いた。俺の広い視野は正面を向いたままでも背後を見る事が出来る。それこそ馬のように。俺の斜め後ろで生きていた手下の一人がそっと立ち上がり、手にした銃を俺に向けているようだった。
俺はリークの方に顔を向けたまま、体を左にひねってブラスターを持つ右手を左脇から後方に向けた。二発、腹と頭に叩き込む。
ブラスターが空気を焼く音が周囲に反響していた。血煙が音に溶けていく。銃を持っていたその男はがくんと膝をつき、銃を取り落とした。腹のど真ん中に赤い花のような傷が開き、頭は上の右半分が吹き飛び焼けただれていた。
「ライナス! ライナス! クソ、よくも弟を! クソッ! 殺しやがったな!」
リークは激したように声を一層荒げて叫ぶ。落ちていたコンクリート片を掴み投げてくるが、俺は身を躱した。
「何だ、お前の弟だったか」
今撃ち殺したばかりの男、ライナスに注視するとその顔がデータベースと照合される。ジョン・リークの関係者の中から一人候補が上がり、それはライナス・リークだった。
そう言えば外見の特徴がジョン・リークに似ているかもしれない。俺は半分吹き飛んで焼けただれた顔を確認する。確かにライナス・リークのようだ。しかしもう死んだから、どうでもいい事だ。
外でパトカーが二台停止し、警察官が五人こちらに向かってくる。その辺に転がっている死体や銃撃の後に警戒しながら、警官たちはゆっくりとこちらに向かってくる。
俺はリークに最後の言葉をかける。これでもう二度と会うことはない。永久に刑務所に入るか、あの世に行くかのどちらかだ。
「俺の仕事は終わりだ。刑務所できちんと更生することだ」
「必ず貴様を殺してやる……必ずだ! お前はもう終わりだ……! 最後の夏休みだとでも思ってせいぜい大事に過ごすことだ……!」
壊れたように同じ恨み言を繰り返すリークを置いて、俺は振り向き警察官たちを見る。
「コードKR38B、
俺の言葉に、銃を構えたまま警官たちは周囲を見回しながら答えた。
「ジョン・リークは?」
「そこに転がってる。周りのは手下らしい。生きている奴が七人、死体が四つ……いや、六人と五つか。どっちでもいい。後片付けはよろしく」
「あっ、おい。調書を――」
一番若そうなやつが俺を呼び止めようとした。しかし隣の年かさの警官が後ろから肩を引いて制する。関わるな。一瞬見えた目がそう言っていた。
そうとも。関わらない方がいい。法またぎに関わると、周りの奴の人生は全て壊れていく。
はて。俺自身の人生は? もうとっくに壊れているか、さもなければそんなものは存在しないのだ。
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