本当の心 002



「僕が死ぬ分には構わない。いや、滅茶苦茶嫌だしできれば生きていたいけど、最悪どっちでもいい……でも、二人が死ぬのだけは絶対にダメだ」


 僕はミアとレヴィを交互に見やる。


「だから、ドラゴンとは戦いたくない。パーティーとしては、そう判断せざるを得ないよ」


 いつの間にか。

 僕の両肩から、ミアの手が離れていた。


「それに、わざわざ僕らが戦う理由なんてないじゃないか。街にはレベルの高い冒険者だっているし、軍や自警団も動いてる。リスクを冒す意味なんて、どこにもない」


 戦う理由も、命を懸ける意味もない。

 そのことは、きっとミアだってわかっているはず……


「……バカ!」


 パシンと。

 僕の左頬に、乾いた衝撃が走った。


「……ミア?」

「さっきのセリフ、まさか本心で言ったわけじゃないでしょうね。わざわざ戦う理由がない? リスクを冒す意味なんてどこにもない? ふざけてんじゃないわよ!」


 ミアは激昂する。


「目の前に助けを求めてる人がいる! それが理由じゃなくて何なの! 助ける意味にならなくて何なのよ!」


 彼女にしては珍しく、語気を荒げているのは。

 心の底から言葉を吐き出しているからなのだろう。


「確かに私たちはヒーローじゃないわ。人助けを生業にしているわけでもないし、自分を根っからの善人だって言いたいわけでもない……だけど、最低限の良心はある。ただ逃げ惑う人たちを見て、為す術なく座り込む人たちを見て、泣くことしかできない人たちを見て、助けたいと思う良心はある。あなただって、本当はわかってるんでしょ?」


 本当は。

 僕も、わかっているのだろうか。


「もちろん、助けたいって気持ちだけじゃ何もできない。でも、私たちには力があるじゃない。スキルがあるじゃない。この街を救えるかもしれないのに、ただ背を向けるだけでいいの?」

「……」

「誰だって死ぬのは御免だわ。私とレヴィが死ぬのは嫌だって言ってくれるのは、素直に嬉しい。だけどね、イチカ……ただ生きているだけじゃ、意味なんてないのよ」


 ただ、生きているだけ。

 それはつまり、死んでいないというだけのこと。

 それだけの意味でしかない。


「少なくとも私は、この街の人たちを助けたいと思った。でも、私一人の力じゃそれは無理。イチカがいないと、私は戦えない。だから、あなたが本当にここから逃げたいって言うなら、大人しく従うわ」


 今までの表情から一転して、ミアは優しく微笑む。


「無理強いするつもりもないし、あなたの考えを尊重する……ただ、戦う理由がないなんて言わないで。命を懸ける意味がないなんて言わないで。そんな悲しいこと、言わないで」

「……」


 目の前に助けを求める人がいる。

 それが理由で。

 後に意味になる。


「……」


 僕は人助けがしたいのだろうか。

 見ず知らずの他人のために、命懸けで戦いたいのだろうか。

 仲間を危険に晒してまで。

 そんな善人だとでもいうのだろうか。


「僕は……」


 僕は。

 高野一夏は。

 イチカ・シリルは。

 何がしたい?


「……助けたい」


 例えヒーローでなくても。

 根っからの善人でなくても。

 偽善者だろうと、気の迷いだろうと。

 何だっていい。

 だって、一度そう思ってしまったのだから。

 ドラゴンの襲撃に遭ったあの時点で――思ってしまっていたのだから。

 カミサマから力をもらった僕なら、もしかして。

 みんなを、助けられるんじゃないかって。


「……決めたよ、僕は戻る。ここで逃げるのは、僕の本心じゃない」


 好き勝手に生きると決めた以上、優先すべきは自分の心だけだ。

 精々好き勝手に、人助けに奔走するとしよう。


「そうこなくっちゃね」


 ミアはバシンと僕の背中を叩く。

 さっきの平手打ちはかなり手加減してくれていたのだろう……滅茶苦茶痛い。


「私も行きますよ、イチカさん、ミアさん」


 少し離れたところでじっとしていたレヴィが、意気揚々と近づいてきた。


「無理してついてくることないんだぜ? お前はまだ子どもなんだし……」

「このパーティーで一番レベルが高いのはこの私ですよ? それに、ハブかれるのは好きじゃないんです」

「ハブくって言うか、ただお前のことが心配で……」

「優しいですね、イチカさんは」


 レヴィは笑う。


「サリバの墓地で私を救ってくれた時から思ってました。ああ、この人は優しい人なんだって……だから、街に戻る決断をしたのも当たり前ですよ。あなたは困っている人を放って置けないんですから」

「……そんなできた人間じゃないさ」

「誰もできた人間なんて言ってねーです。むしろ不出来人間ですね」

「僕を褒めたいのか貶したいのか、どっちだ」

「そういうところが人間臭くて素敵ですよ」


 にししと笑って、レヴィはくるっと踵を返した。

 これ以上、言葉は必要ないだろう。

 僕らは足並みを揃え、歩き出す。


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