別離と旅立ち
「……」
目が覚めた。
見覚えのある木製の天井、質素な内装……間違いない、ここはイチカ・シリルの自室だ。
ルッソ村の外れ、酒場のある中心地から離れた場所に、シリル家は建っている。
窓から差し込む月明かりが、薄っすらと室内を照らす。
「……」
僕は上体を起こし、頭を掻きながら思考を整理した。
酒場での一件……あれは現実だ、間違いない。
そこから途方に暮れた足取りで家へと戻り、そのまま眠りに落ちたのだろう。
ということは、さっきまでいたあの白い空間は夢だったのか?
「カミサマ、だっけか」
夢にしては、気持ち悪いくらい鮮明に彼女との会話を覚えている。
あの憎たらしい笑顔も、見透かしたような語り口も。
「……【スタート】」
僕は右手の平を前方に向ける。
【スタート】とは、この世界に住む人間が誰でも使えるスキルで、もちろんレベル1の僕でも使うことができる。
その効果は、自身のステータスを確認できるというもの。
空気中に含まれている微量のマナを利用し、何もない空間に青白いステータス画面を表示できるのだ。
上から順に、「生命力・マナ力・物理攻防力・スキル攻防力」といった数値が並び――一番下。
大きな枠のところが、スキル欄だ。
当然、レベル1である僕のスキル欄には【スタート】以外の文字が並ぶことはない……はずだった。
「……マジか」
【スタート】の下に、見たことがない文字列が記載されている。
それはつまり、レベル1の僕が新たなスキルを習得したということ。
「……」
僕はスキルの説明文を読む。
……なるほど。
あのいけ好かない真っ白なカミサマがくれた力は。
どうやら本当に――最強らしい。
翌日。
一人で住むには大き過ぎる我が家で、僕は最後の朝食を摂っていた。
イチカ・シリルは今日、ルッソ村を出る。
昨日カミサマに言われた、好きに生きてくれという言葉……それを実践するためである。
友を失い、家族もいないこの村で生きることは。
僕にとって、最善じゃない。
「……」
食卓に飾ってある写真に目を向ける。
写っているのは、父と母。
二人とも、僕が十歳の頃、魔物に襲われて亡くなった。
この世界じゃあ、珍しくもない死因である。
両親が死んでから七年、村からの援助を細々と受けながら、一人で生活してきた。
キリスたちとパーティーを組んだのも、丁度その頃だったように思う。
「……いってきます」
朝食を食べ終えた僕は丁寧に家中を掃除し、写真の中の両親に一礼した。
良く笑っていた母。
働き者だった父。
高野一夏としての記憶が残っている僕にとって、彼らを心から親だと思うことは難しかった。
が、それでも。
二人とも、優しい人たちだった。
「じゃあね。父さん、母さん」
僕は住み慣れた我が家を出て。
静かに、戸を閉める。
村の誰にも別れの挨拶をせず、僕は出発した。
とりあえず山を越え、近くの街まで向かう算段である。
目的などない、当てのない旅。
……そう言えば、大学の同期に自分探しの旅が好きな奴がいたっけ。
大して仲良くもないし、名前すら覚えていないが……こんな風に旅をすることになるなら、何かコツでも聞いておけばよかったな。
「……ふっ」
と、自分の考えに笑ってしまう。
コツだなんて、そんなものを求めている僕は、根本的に自分探しに向いていないのだろう。
高野一夏も、それは同じだった。
生きる意味のない人生に疲れ、衝動的に命を絶った自分。
生きる意味とは、つまり目的である。
目的のない行動は、苦手だ。
何をしていいのかわからなくなる。
わからないことはストレスで。
心がすり減っていく。
だからこうやって、考えなしに家を飛び出した自分に――少しばかり、驚いているのだ。
カミサマにそそのかされたから?
でも彼女は、僕に旅をしろなんて一言も言っていない。
なら、この行動は僕の意志で。
変わりたいと、そう思っているのかもしれない。
「イチカ……?」
不意に、茂みの奥から名前を呼ばれた。
そこにいたのは、僕の幼馴染たち。
キリスにエレナ、そしてガジだった。
恐らく早朝から山に入り、低級の魔物を狩っていたのだろう。
「お前、どうして一人で山に……それにその荷物、村を出ていくのか?」
キリスは、僕が背負う大きなずた袋を指差して言う。
「……ああ、そうだよ」
「レベル1のお前が、村を出てどうしようってんだ? 外の連中は俺たちみたいに優しくないぜ? レベル1の相手となんざ、絶対にパーティーを組みやしないさ」
僕の返答を聞いたキリスは、わかりやすく馬鹿にした笑みを浮かべた。
「私たちに捨てられて気でも触れたの、イチカ。あなたは無能なんだから、大人しく村に引きこもって雑用でもしてればいいのよ。そうすれば、少なくとも生きてはいけるでしょ」
続いて、エレナも呆れたように肩をすくめる。
生きてはいける……確かにそうかもしれない。
でもそれは、目的も意味もなく、ただ生きるだけ。
そんな高野一夏みたいな人生を――僕は、もう送るつもりはない。
「……村に帰った方がいい。イチカは、外じゃ生きていけない。そもそも、レベル1のイチカはこの山を越えられない。諦めた方がいい」
珍しく、ガジが言葉を発する。
山にはレベル1の僕が出会えば危険な魔物もいるので、ガジの助言はもっともだ。
けどそれは、昨日までの僕の話である。
「……なあ、キリス。僕たち、もう友達じゃないんだっけ」
「そう言ったろ? いつまでもレベルの上がらないお前はパーティーのお荷物だった。いなくなってくれればいいのにって、ずっと思ってたぜ」
「そっか」
僕は息を吸い、カミサマの言葉を思い出す。
好きに生きてくれ。
それはきっと、自分の気持ちに正直になれという意味もあるのだろう。
僕は今、めちゃめちゃムカついていた。
その気持ちを素直にぶつけるというのも、ある種、好き勝手な生き方と言えるだろう。
あまりカッコいい判断ではないが、旅の始まりは派手にいきたいじゃないか。
「……」
確かに、いつまでたってもレベルの上がらなかった僕にも非はある。
幼馴染たちに負担を掛けていたことだって、ちゃんとわかっている。
でも。
それでも。
僕は――友達でいたかったよ。
「【
右手が黄金に輝く。
その光はキリスたちを飲み込み――そして。
スキルの効果が発動する。
「なっ……今の光は、スキル? 馬鹿な、どうしてレベル1のお前が……」
「落ち着けよ、キリス。みんな、とりあえずステータスを確認しておいた方がいいよ」
突然のことに驚いたキリスたちに対し、僕は冷静に忠告した
彼らは恐る恐るステータス画面を開き。
そして、一斉にその顔が青ざめる。
狼狽える幼馴染たちを尻目に、僕は歩き出した。
「……ば、馬鹿な……こんな、こんなスキルを使えるようになってたなんて……ま、待ってくれ!」
「待ってイチカ! 一緒に村を出ましょう!」
「俺たちが悪かった! 頼むから戻ってきてくれ!」
「あなたがいないと、私たちやっていけないわ! お願い、イチカ!」
背後からキリスとエレナの声が聞こえるが、僕は答えない。
僕らはもう、友達ではないのだから。
【神様のサイコロ】。
カミサマからもらったスキルの効果は、とてもシンプルだった。
対象の生命力を1にする。
如何にも神様が考えたような、ぶっ飛んだ力である。
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