定食屋の件

端役 あるく

前半

冬と春の間である今の時候は越冬をし終えた我々としては特に感想を言えるほどの驚きと発見は無い。

ある家庭的な事情を踏まえた行動を行った後の帰り時である。仕事とは言いたくなかった。責任感などほとんど無ければ、もちろん給料が発生するわけでもない。まだ自分が中学生であり若いことも認識していたし、それ故に頑是ない意見意思であることはあるのかも知れない。


ただの緩衝液、どちらかに身内の振れないように見回りをしているだけだ。

まだ冬の開ける程度であるため、日は割に短く、時間を確認しても残照との具合にいささか意識的な乖離が見られる。


薄手のコート。

その上からお腹をさする。

時計だけを見ればもういい時間だった。


「腹が減ったなー。帰る前にもう何か食べに行かないか?」

突然に兄は言葉を発した。


言葉の大きさを受けて思考を巡らす。

どうも反駁に囚われる。思考の果ては愚かしい。


正直、気乗りがしなかった。女性的に食事に対するどうこうを気にしたいとか、そういった類の意思の持ちようではない。ただ自分の意思と兄の発言が余りにも合致していたために多少、気が触れたのである。


そう、だからウザかったのだ。


自分の静謐然とするべき部分が覗き込まれたようで動揺した。

さらなる意識の彷徨の末、私は心の平穏を取り戻し、自然に言葉を返した。



駅から少しばかり離れた位置にある一件の定食屋。

二人の間に話し合いはほとんど存在しなかったが、私としてもこの結論は気に入った。

寒さも相まって、結論さえ出れば我々の足は1/4脱兎くらいのそれだった。


「いらっしゃーい!!」

店主の大きな声が店内に響く。

外界の無関心で森閑なところを思うと、この店内は関心が多いように思う。

時間は酒飲みには少々早い。


その時間ともなれば、店の中には関心は充満し跋扈することだろうと思う。

雰囲気からの判断だけだけれど。


さて、何を頼もうか。


「二人はお連れさんが来るのかい?」

水を運んできた店主の奥さんと思われる方が話しかけてきた。


「いえ、僕たちだけです。」

兄が言葉を返す。


「あぁ、そうかい。ごめんなさい、変なこと聞いて。あんたらみたいな若者がこんなさびれた店を選ぶとは思わなかったからついね。恋人ってカンジでもなさそうだし、兄妹でしょおおよそ。」

「分かるものですか?」

「まぁ、そうね。こういう接客をやってると人を見るから。変な意味じゃないのだけど君らには緊張感が無いからね。」

40代手前ほどに見える恰幅のいい奥さんは顔を大きくほころばせながら言う。


「では、自分からも当てていいですか?」

「どうぞ、お兄さん。」

「この店、人の入りがいいでしょう。」

「どうして?」

「看板娘がお奇麗ですから。」


うわ、びっくりした。

自分の兄が一瞬、兄ではない奇怪な生物に見えた。


「うまいこと言って」などと言って奥さんはそれを笑い、受け流す。

2枚のマスクとプラスチックの板を挟んでの言葉のキャッチボールはスムーズに運ぶ。


「まぁ、おかげさまでね。この世の中の難しい時期でも繁盛させてもらってます。ありがたいことに。」

正確に言葉を返す兄の顔から逸らすようにして、店内を見渡す。


店内の1/3ほどが厨房のスペース、残りが客席に充てれている。テーブルは4つ。1つは今我々が使用している。カウンターには12席が用意されている。

客は数名入っており、常連なのか多少の賑わいもある。


「一人娘は元気かい?若大将。」

「あー、元気、元気。元気すぎてこっちまで明るくなっちまうよ!!」

「そりゃ、いつものことだろう。」

がっはっはと客とコックが笑い合う。


近年、地球上の人類は今までにないパンデミックに見舞われている。

マスク、手指消毒は当たり前のことになったし、食事処ではさらに色々な面で力を入れていることだろうと思われる。


この店でも、カウンターに置かれたプラスチックの板の数を思えば、その苦労が分かる。


注文を終えると、手荒れの見える先のボールペンでスラスラと書いた字を繰り返して、私たちに確認を取る。

確かによく働いているだろう手である。私も洗い物はそれなりにはするけれど、それだけではあれほどにならない。そういうところを兄は見て、この店の状況を察したのだろう。


確認を終えて、奥さんは厨房の中に声をかけたのち、入っていった。


「びっくりしました。」

「何がだい?」

「急に褒めてたので。」

「いや、何かサービスでも貰えるかと思ってね。」


兄と私は二人とも、チャーハンを頼んだ。

兄はピリ辛で、私は海鮮のものである。

店主の手元の中でそれがかき混ぜられる。厨房は見えはしないが、巨大なお玉のような調理器具と、巨大なフライパンが快活な音を掻き立てる。炎を巻き上げて、汗を額に湛えて、なおも飯と具材の中に空気を流し込み。究極のパラパラを作り上げる。


奥さんは、それが出来上がるまでにことを準備する。

乾燥機内に大量に陳列されている食器類。

配膳用の盆の上に、それらを取り出していく。チャーハン用の角ばり、底のある皿。

そして人数分の食器を出す。手拭きを火元斜め後ろにある上の棚から取り出す。


ちょうどその準備が終えたほどに、皿には黄金のチャーハンが一粒一粒落ちる。

二つのフライパンで作られたそれぞれが、湯気を上げながら、これでもかと食欲を刺激する。表面に点在するエビの赤さがさらに触感を想像させる。


奥さんがそれをゴトッと置く。

おしぼりが置かれて、レンゲと通常のスプーンが置かれる。


近くにあってネギの存在の重要性を知る。

立ち上るそれらの匂いがネギを通してさらに香ばしくなる。


厨房より席の近い私が先に配膳された後、兄のものが置かれる。


最後にレンゲが置かれる瞬間だった。



びやぁあああぁぁぁぁぁぁん!!!!!

背後から、突き刺すように大きな声が聞こえた。

耳朶に響くその音は、肩を叩かれた時のように私を大きく振り返らせる。


小さな女の子が泣いていた。

店の奥にある、扉から出てきたらしい。およそ、この店は奥に店主たち家族の家が隣接しているのだろうと考えられる。


ぬいぐるみを両手に抱いた女の子は先に言っていた店主の娘らしく、姿を見た奥さんは私たちに小さな謝罪をしたのちに足早に彼女のもとに向かう。


汲々としている娘に、奥さんはしゃがみ込み、顔を見合わせる。

どうしたの?と奥さんらしく、強い口調の中に優しく聞く。


「私のじゃなくなったの。」


それだけ言うと、娘は母親の腕を、たくし上げられる袖口から見える細腕でもって掴んで引っ張り込む。


奥さんは再度、次はホール内の客に向かって声を出さずに小さく謝る。


それから数分後、奥さんだけが何食わぬ顔で戻って来た。

客足は増え始める。


店内がごった返す前に私たちは店を後にした。





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