枯れない花

ニ光 美徳

第1話 ある一日

 私、花崎はなさき 瑠夏るか。30歳。


 大学を卒業し、従業員30人程度の小さな会社で事務員として働いて8年。


 都会とは言えないけど田舎でもない、丁度良い場所で、卒業した大学の近くに就職し、ずっと同じ会社で働いている。


 出身は別の田舎なんだけど、大学時代から付き合ってた彼と離れたくなかったので、迷わずここにとどまった。

 ここは、その彼の地元でもある。


 会社は小さいけど、社長も従業員も同じ事務員先輩の馴田なれださんも、いい人ばかりで居心地はいい。

 

 給料も、小さい割にはそこそこ。悪くない。


 なんだけど…


 出会いが無い!


 あれ?

 おかしな事言ってる?彼氏がいるはずなのに出会いだなんてね。


 そうです。別れました。

 正確には、振られました。


 よく言う、“長すぎた春”というやつ。


 私の方から結婚したいなーなんて話はしていたけど、彼の友達の中で結婚してる人がいなくて、結婚すると遊べなくなるからと、ずっと待たされていた。

 

 28歳、もういつプロポーズしてくれるのか、という感じになってきたと思っていた…私だけ…。


 はい、とんだピエロでしたよ。


 振られた時、会社を辞めて地元に帰ろうと思ったんだけど、お兄ちゃんが結婚して同居してるし、ハローワークで検索してみても地元で行きたい会社が見つからなかったし…と、悩みながらもまだここに留まっている。


 大学時代の友達は、結構県外から集まってきてて、地元に帰る人や都会で就職する人が多かったし、ここに残った人も、すぐ結婚する人とか、仕事が不規則で忙しいとかで、だんだん一緒に遊ぶ人が減っていった。


 それにここに残った人達が、飲み会とかで楽しくやってる頃は、私には彼氏がいたし、誘われても行けなかったから、そのうち疎遠になったっていうのもあった。


 会社に出入りしてる人はいつも決まったお客様で、年配の人か銀行さん。


 気のいいおじちゃんは「いい人紹介しよか?」とか言うけど、本気の話ではない。


 銀行さんは、好みのタイプは結婚済みだし、すぐ異動しちゃう。


 会社にも同じくらいの年の人はいるけど、その人に限らずいつも現場に出てるので、ほとんど会わないし、会っても気軽に話するタイプでもない。


 同じ事務員の馴田なれださんは、私のお母さんくらいの年齢なので、一緒に遊ぶとか、飲み会なんてもちろんない。


 マッチングアプリとか、気にならなくはないけど、勇気が出ない。


 そもそも、振られたことが痛すぎて、まだ傷が癒えていない。


 毎日、夜が長い。


 残業になる日はまだマシだ。


 ほとんどは、定時に仕事が終わって、コンビニに寄ってアパートに帰る。


 彼氏がいた頃は、将来のためと、手料理も頑張っていたけど、ご飯はほぼコンビニか冷凍物。


 何もする事がなく、テレビを見るかDVDか、携帯ゲームで暇を潰すか、ネットサーフィンか。


 ただ夜が来て寝るのを待つだけ。


 このままじゃダメだ。

 でも、何か変える気力もないし、どうすればいいかも分からない。


=====


 ある日、社長から話があると、社長室に呼ばれる。


 何か失敗でもしたかな?と一瞬不安になったが、そんな感じでもなさそうだ。


「花崎くん、今仕事忙しい?」

 社長は性別関係なく“くん”で呼ぶ。


「いえ、特には。」


「そうか実は、急な話なんだけど、明日ちょっとお客さんの所まで一緒に行ってほしいんだ…嫌かな?」


「え?えー…、はあ、イヤです…。でも何でですか?」

 私はこの会社に勤めて、どのお客様の会社にも訪問した事がない。

 ただの事務員で、経理と電話番とお茶汲みのみ。

 名刺交換とか、一般的なマナーも知らない。

 そもそも名刺も持ってない。


 嫌というか、無理だと思った。


「そうだよねー。そう言われると思ったけど、ただの道案内だと思ってくれればいいから。それに、帰りは君だけ遊んで帰ってくれて構わないから。」


「どこに行くんですか?」


「東京なんだ。

 私、今まで東京には行く用事があんまり無いからさ。それに、普段、車でしょ?電車が不得意でね。本当は車で行ければいいんだけど、今回それもちょっと難しくて。」


「今、東京にお客様って、いました?」


「うん、ずっと東京に直接の受託は無かったんだけど、今回馴染みのお客様からのご紹介で、新規の仕事の話が来たんだ。だから初めての訪問となる。」


「そんな、大事な訪問なんて、絶対ムリですよ。絶対何かやらかしますよ!

 他の方は?馴田さんの方がよっぽどいいと思います。」


「それがね、先方の都合で急に明日になったものだから、専務や部長は他のお客様の予定が入ってるし、他の人は現場だし、馴田くんは、今お子さんが臨月に入ってて、いつ産まれるか分からないから、遠くまでは行けないって。」


「あ、そうなんですね。馴田さんもそうでした。はぁ…私しかいないんですね。」


「君は、学生の頃よく渋谷とか遊びに行ってたんでしょ?今も行くのかな?訪問先は渋谷ではないけどその近くだからさ、電車は馴れたもんでしょ。終わったら、ついでに遊んでおいで。ね?帰りなら私一人で帰れるから。」


「はい…。」


 うわーすごく気が重い。新規のお客様への初訪問。経験ゼロの私。

 社長のお供とはいえ、なんか責任重大。


 営業さんからしたら鼻で笑われそうだけど、刺激の無いぬるま湯に浸かってたら、こんな僅かなことでもかなりのプレッシャーだ。


 あー胃が痛い。


 明日、会社休みたいなぁ。行きたくない…。


 次の日の朝、気が重いけど、体は至って健康だ。

 休む理由が無い。


 意を決して出社する。


「おはよー。」

 馴田さんだ。


「花崎さん、今日社長のお供で東京行くんだって?いいなー東京。楽しんできてね。

 最近、ううん、ずっと花崎さんブルーな感じだし、都会の華やかな雰囲気で心のお洗濯というか、刺激受けておいで!ちょうど今日は金曜日だし。」


 馴田さんは他人事だからそう言うけど、心臓バクバクなんだから!

 と心で叫んで苦笑いした。


 遊ぶだけなら、本当、久しぶりの東京もいいけど…。

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