5
準備段階の間、喜三郎とは数日に分けて工房で話をしたが、今日の夕飯時にも顔を合わせていた。食事の約束を取り付けていたのだ。集落の出入り口で待っていた快活で浅黒い職人は、大きく手を振って歓迎してくれた。
不知火は人の食物に興味がないため置いていこうとしたが、結局は料理屋までついてきた。魚の骨ならば食べるからと、本人が言った。喜三郎は、不知火の様子に笑っていた。随分と酒を呑み、機嫌が良さそうだった。
「不知火くんは面白いねえ! 身より骨が好物な人なんて初めて見たよ」
本当の好物は別だと、流石に不知火は言わなかった。黙って骨を噛み、喜三郎が徳利を傾ける様子を眺めていた。
酒は私も飲めないわけではなく、付き合い程度に舐めてはいたが、卓上の空いた徳利はほとんど喜三郎が平らげた。酔っていると都合が良いので、舟の話や、身の回りの話などを色々聞いた。工房にあった組み立て済みの一隻は、明日使うらしい。既に岩場にくくりつけてあるそうだ。
「へえ、準備がええんですね」
「早朝にやるらしくってなあ、俺ぁ起きねえから、置いとくんで勝手に使ってくれと言ってあるんだ。俺の家族じゃないしねえ、そもそも俺には、もう弔う家族がいないんだ」
一人っ子で、老いた両親は亡くなったと喜三郎は続けた。その他だと漁師の友人が亡くなった時くらいしか、弔い自体には参加したことがないようだ。造りはしても使いはしない。それは勿体無い気がする。
更に他の話を聞こうとするが、その前に喜三郎が口を開いた。
「春之介さんと不知火くんはどういう関係なんだい? 兄弟ってほど似てもないしなあ、工房ではじめに見た時から不思議でさ」
「ああ、旅先で偶に言われます。故郷が同じなんですよ、そこで気が合いまして、共に旅立つことにしたんです。過疎地やから廃村になってもうたんですけどね」
「山沿いって言ってたねえ……俺ぁずっとこの辺りにいるからよ、山の暮らしってのは良くわからないが……そうかあ、なくなったのか、大変だったなあ……」
「そうでもないですよ、俺も不知火も、気ままに旅をしとる方が性に合うてたみたいです」
喜三郎はうんうんと頷き、私の背中を労うように叩いた。人情深く、同時に酒癖が良くないのだろう。くずおれて卓上に頬をつけると、私を見上げながら鼻を啜り始めた。
「でもそうかあ、春之介さん、山育ちの人なんて見たことないからよお、工房に来たあんたが妙に白くて俺は、びっくりしたんだよなあ……俺は昔から、海に浮かんで魚釣るか、中に籠って舟作るかでさあ……山で育つと、肌の色から、違うんだねえ……」
日焼けした腕が伸び、猪口を探すように
「ああ、悪い悪い、飲み過ぎてるな、どれそろそろ、家に……」
不知火を横目で見てから、喜三郎に肩を貸した。
「しっかりしてください、家まで送りますよ。どっちですか?」
「ん? いやいや、すぐそこだから……っと」
「ふらついてるやないですか。ほら、行きましょう」
勘定を不知火に済ませてもらい、深まりつつある夜の中に繰り出した。喜三郎は縋るように私の腰へと腕を回し、謝罪を挟みつつ住処らしい家を指差した。予想はしていたが、工房のすぐ隣が、彼の家だった。
中に入らせてもらい、断りを入れてから明かりを灯した。部屋の中は散らかっており、工房と同じく真裏は海のようだ。海に面した窓からは、波の音と月の光が漏れていた。
喜三郎を寝床に転がした。彼はほとんど眠っていたが、明かりを消そうと離れた瞬間、足首を掴まれ驚いた。振り向くが、瞼は降りていた。数秒待てば寝息が聞こえて来て、胸を撫で下ろした。このまま眠っていてもらう算段だった。
「ほな、また会いましょう」
ふっと、明かりを吹き消した。入り口で待っていた不知火の元に戻り、一度宿へと引き返してから、準備をした。
そして今、泥酔のまま眠りこけている喜三郎を連れた不知火が、砂浜へと戻ってきた。
波の音は静かだ。立ち上がって、こちらへと歩いてくる不知火の背から、喜三郎を引き摺り下ろす。起こしてはいけないため、慎重に行った。喜三郎は唸ったが瞼を開けはせず、大人しく砂浜に転がった。
抱き起こして運ぼうとするが、その前に不知火が喜三郎を担ぎ上げた。人の姿に戻っており、こちらを一瞥してから、歩き始めた。黙って籠を持ち、その後ろをついていく。
岩場の裏には、聞いた通りに舟があった。喜三郎をまず乗せて、小部屋の中にそっと寝かせた。戸を閉じる前に籠から出した明かりをつける。それから不知火と共に中に入った。喜三郎を挟む形で左右に分かれた後、どうするか一瞬悩むが、猿轡を噛ませておいた。
「腕も縛ろかな……」
呟くと、不知火が首を振った。何かあるのかと思えば喜三郎をうつ伏せにして、確認も何もなく、片方をぼきりと折った。
くぐもった絶叫が響いた。慌てて折れていない片腕を押さえ付け、どういうつもりかと不知火を見るが、思わず息を呑んだ。
まだ人の姿だが、激昂が見て取れた。燃え盛るような紅い目が、明かりよりも部屋の中を照らしていた。
「し、不知火……?」
つい押さえる腕を緩めてしまい、喜三郎が身を捩って拘束から逃れた。彼は私を見て目を開いた後、不知火を見て何かを喚いた。余程痛かったのか泣いていた。当然のように戸へと向かいかけたが、不知火が素早く阻みながら腕を横に振った。
飛び散った血が部屋の壁を汚した。不知火は腕だけを獣の状態にしているが、怒っているからか牙も生え伸びていた。喜三郎は音を立てて転がり、舟がぐらりと揺れる。慣れない揺れによろけつつ、手をついて体勢を整えている間に、ぐっと足を掴まれた。
必死の形相の喜三郎が、縋るように私を見ていた。猿轡は外れかけているが喉元は血で濡れている。手は足首から更に上を掴もうとしたようだったが、不知火に引き戻されて離れていった。
「ハル、おれは、嘘をついたんだ」
「え?」
不知火は唸りながら、喜三郎の首を握り潰すように掴んだ。
「こいつ、食いたいんじゃなくて、殺したかった。ハルを見て、惚れたんだよ。匂いでわかる。夕飯の時も、わざと触ったりして、鬱陶しかった。だから殺す、喰い殺す」
唖然としていると、喜三郎の目が此方を向いた。その瞬間に、はっとした。
私が抱えた仄かな動揺も、ほとんど同じものだ。
不知火がまともに声を交わし、食いたいとまで言った喜三郎に対して嫉妬を覚えた故の、動揺だったのだ。
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