悔恨食道楽紀行

草森ゆき

終わりのはじまり

 山々に囲まれた我が故郷は死んだ。過疎地であった上に、一匹の異形がそばに巣食っていたからだ。存続出来る筈もない。件の異形が殆どの村民を喰い潰し、故郷は山の中央で人知れず消えた。

 その異形は現在、私の唯一の知人である。友人と呼ぶには歪で奴隷と呼ぶには馴れ合いのある、まったく奇妙な存在だ。

 何にせよ私が彼について来た。破壊を終えた彼が私を手にかけず、ちらと視線を寄越したのみで立ち去ろうとしたため、ついていった。

 彼ははじめ、戸惑った様子だった。しばらく歩いて北の山の中腹に差し掛かった頃に、ぱっと振り向き紅い瞳で私を見つめた。

 虎よりも巨大な体は真っ黒だ。彼は威嚇じみた唸り声を上げ、後ろ足で立ったかと思えば瞬時に人の姿へと変化して、ぼさぼさの髪を掻きむしりながら私に近付いてきた。

「あのさ」

「はい」

「おれ、あんたをどうしてやったらいいのか、わからない」

 私にもわからなかった。ただ、故郷で化け物と呼ばれていた目の前の異形が、私だけを見逃そうとした事実ひとつが、我々の間に横たわっていた。

 途方に暮れながら見つめ合った。埒が明かず、今度はこちらから問いかけた。あなたはこの先、どう暮らすつもりなんや。あてがあるんか、あらへんのか、あらへんのやったらどこへ行くんや。

 彼は首を傾け、蓬髪を再び掻いた。落ち着かない様子でその場をぐるぐる歩き回り、腹が減るから、と唸るように言った。

「食事、人間でええんやったら、俺を食べれば……」

「あんた莫迦なの? 見逃したのに、それじゃあんまりだろ」

「せやけど」

 食い下がれば、違うんだって、と焦った声で遮られた。

「人間が好物といえば好物だよ、でも肉の味とか、脂の旨味とかじゃあなくってさ、おれを見て怖がったり、終わりの無念を嘆いたり、勝てない憤りに苦しんだりする、その時の悔恨の味わいが至上の好物で餌だから、あんたみたいに腹くくった人間はわざわざ殺して食ったりしない」

 納得のいく答えだった。また向かい合ったまま途方に暮れかけたが、彼は続けた。

「おれ、あんたの村が大嫌いだったから潰すまで近くにいたけど、本当はいろいろ食べたかったんだ。だから、うまそうな悔恨を探すつもりでいるんだよ。それでもついてくるなら、好きにすればいい。あんたは自由なんだし、おれももう自由だから、どうもしてやらないし好きにする」

 彼は再び獣の姿になった。先程よりも幾許か低くなった声で、乗りなよ、と拗ねたように言った。漆黒の体や獰猛な牙と爪は見惚れるほど残虐だったが、その言葉と様子はつい微笑むほどかわいらしかった。


 彼との旅路はこのようにして始まって、私は旅の記録をつけると決めた。

 故郷の村で私はずっと寂しかった。同時に彼も、独りで寂しかったのだろう。大きく広い彼の背中に掴まりながら、そう思い付いたのだ。

 逃せば二度と見えなくなる気すらした。逃さぬよう、忘れぬよう、書き留める必要がある。


 だからこそこの話は、個人的で些末で、大切な話だ。

 

 

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