其之一 暗合

  涼やかな秋風は北へ向かうにつれて凛凛りんりんとしたものになり、冬の様相を帯び始めた。日が暮れるのが早くなり、それに伴って移動距離も短くなる。

 風の冷たさと心から消え去ることのない不吉な予感に顔がこわばる。

 それでも、徐州を過ぎ、青州を抜け、州も目前だ。次なる障害は横たわる河水がすい(黄河)。それは不穏な現状を映し出すかのように土砂で濁った奔流ほんりゅうを大きくうねらせ、荒波を作り出す。降り出した雨が河面かわもを打って、いくつもの波紋を広げる。

 渡し舟の船頭は波風が収まるのを待ってから舟を出すと言う。理由も目的はそれぞれ異なるだろうが、北の大地に急ぐのは自分だけではない。風が少し弱まったのを機に、客の数人が早く舟を出せと言い始めた。

 逡巡じゅんじゅんしていた初老の船頭は次第にこうしきれなくなって、かさを取り、みのを着込むと、不機嫌な顔で舟を出した。

 煙る霧のせいで対岸が見えない。河面を吹き抜ける風と水かさを増した濁流が舟を上下させ、まるで全てを押し返すようだった。一瞬だけ故郷での出来事を思い出した。銭唐嘯せんとうしょうの逆流に呑まれて生死を彷徨さまよったあの日から、自分の運命は激しく動き出した。

 雨脚あまあしが強くなった。乗客たちは舟に備え付けられてあった大きなむしろを回し、雨除あまよけにする。右手で筵の端をつかみながら、左手は腰に差した剣の柄を離さない。顔は憂いの表情をたたえながらも、心は固い決意に満たされ、微塵みじんも揺らぐことはない。

 向かう先にどんな困難が待ち構えていようとも、北の大地へ急がなければならなかった。

 その男の名は、孫堅そんけん文台ぶんだい。帯びる物は、剣一本と自らに課した使命――――。


 熹平きへい六(一七七)年、八月。

 長年国境を侵し続けてきた北の異民族〝鮮卑せんぴ〟を駆逐くちくするため、漢軍は三万からなる討伐軍を編成、三手に別れて万里の長城を越えた。

 幽州代郡からは護烏桓ごうかん校尉こうい夏育かいくの軍、へい雲中うんちゅう郡からは破鮮卑はせんぴ中郎将・田晏でんあんの軍、同じく幷州の雁門がんもん郡からは使匈奴しきょうど中郎将・臧旻ぞうびんの軍、それぞれ一万の騎兵が荒野を進撃した。今から約三百年前、武帝時代の衛青えいせい霍去病かくきょへい李広りこうらの匈奴討伐にならったのである。

〝匈奴〟というのは鮮卑以前に北方に一大勢力を築いて漢と争った北方異民族で、この時の討伐軍に敗れて衰退した。その匈奴に代わるように大草原を支配したのが鮮卑族である。

 鮮卑は匈奴と同じく騎馬の扱いに長けた遊牧民族で、約二十年前に檀石槐だんせきかいというカリスマ的リーダーが現れてから、東西四千里(千六百キロメートル)にも及ぶ広大な地域を支配する力を持つまでに至った。以来、毎年のように長城を越え、漢の領土を侵犯、略奪と殺戮さつりくを繰り返した。その被害は甚大で、民衆はかつて漢軍が匈奴を駆逐したように、鮮卑の討伐を願った。

 そんな背景の中、夏育・田晏が上書して、鮮卑討伐の軍を起こすことを願い出た。

 連年の鮮卑の侵犯に対して防衛に専念していた漢であったが、ここにおいて攻勢に出ることを閣議決定した。将軍には異民族討伐や反乱の鎮圧に功績があった夏育・田晏・臧旻の三人が選ばれた。それぞれ護烏桓校尉、破鮮卑中郎将・使匈奴中郎将という軍職に任命され、討伐の準備に取り掛かった。

 護烏桓校尉は東北部の異民族である〝烏桓〟を鮮卑の攻撃から守ることを任務とした。烏桓は漢に内属しており、この討伐には烏桓の軍勢も加えられることになっていたのである。破鮮卑中郎将はその名称の通り、鮮卑を破るために設けられた臨時の官職で、使匈奴中郎将は匈奴の軍勢を統率する官職である。一部の匈奴衆は武帝の討伐軍に敗れた時、漢に投降した。それ以来、幷州の北部地域に住まわされ、有事の際には漢の命令で出兵した。臧旻はかつて揚州刺史として孫堅を起用し、会稽の反乱を鎮圧した人物である。

 しかし、この国策に強く反対した人物がいた。蔡邕さいようである。

 蔡邕はこの作戦に潜むいくつもの不合理を指摘した。

「――――今、鮮卑は強盛、その兵は十万。漢人は之が謀主ぼうしゅとなり、その兵の鋭さと馬のはやさは匈奴より勝れり」

 匈奴が漢軍によって駆逐されてから、鮮卑はその領地を支配し、強大になって久しい。今や国力は最盛に達していると言う。寝返った漢人が彼らのためにいろいろとアドバイスを与えており、こちらの情勢をよく分かっている。鮮卑兵の強さも馬の質も、かつて漢軍を苦しめた匈奴よりも上であると述べた。

 騎馬戦が主となる戦いにおいて、馬の善し悪しは特に重要な要素だ。

「――――昔、段熲だんけいは良将にして兵に習い、戦いに優れしも、西羌せいきょうに務めあること十余年なり。今、育と晏の才は必ずしも熲に勝らず」

 さらに、将軍の人選も良くない。一大事を任せるには役不足だと言う。

 段熲は各地の戦で活躍した名将である。老齢のため現在は一線を退いているが、用兵に習熟し、羌族という西方異民族討伐で名をせた。その名将をもってしても、西羌を平定するのに十年以上かかった。夏育も田晏も段熲の下で副将としてキャリアを積んだ人物であるが、段熲の軍才には及ばない。ましてや衛青や霍去病という歴史に燦然さんぜんと名を輝かすいにしえの名将には遠く及ばない。

「――――しかるにむなしく二年を計り、成功を自負す」

 それなのに、根拠もなく二年で討伐できると豪語している。もし、計画がうまくいかずに出兵が長引くようになっても、一端始まった戦争は簡単に打ち切ることはできない。

「――――辺垂へんすいわずらいは手足の疥癬かいせんなり。中国の苦しみは胸背きょうはい腫瘍しゅようなり」

 鮮卑の国境侵犯は手足の皮膚病みたいなもので、わずらわしいが大したことはない。しかし、今中央で起こっている政治の腐敗は命に関わる病気で、それは胸にできたがんのようなものである。どちらの治療を優先させるべきか、簡単な話ではないか――――。

 蔡邕は最後に鮮卑討伐よりも中央に蔓延はびこる汚職官僚の撲滅ぼくめつを率先するべきだと論断したのである。ところが、正中を捉えた大学者・蔡邕の意見はかえりみられることなく、鮮卑討伐は強行された。

 結果は惨敗であった。三将からの定時報告は途切れ、その行方すら分からない。

 孫堅はその敗報を聞いて居ても立ってもいられずに、塩瀆えんとく県丞けんじょうの職を辞して臧旻の安否を確かめに向かったのだった。といっても、いったいどこへ向かえばよいのか。南方育ちの孫堅は北方情勢にはうとい。近年、鮮卑という異民族が度々幽州の侵犯を繰り返している程度のことぐらいは知っているが、ほとんど遠い異国の出来事に等しかった。

 気持ちだけがはやる。具体的な目的地さえ明確でないまま、馬を飛ばし、孫堅は一気に冀州を抜けると、さらに北上して幽州に入った。

 

 涿たく県にある郡が管理する獄舎。予期せぬことにまた陰鬱いんうつな牢獄に足を踏み入れるはめになった。牢獄に縁があるというのは気分がよくない。が、今回は囚人ではない。面会人だ。

「お前、あの狂人の知り合いか?」

「狂人?」

「面会するのに知らねぇのか?」

 こいつも同類だ。看守の男はそれだけで名も知らぬ青年を変人だと決めつけた。

「好きなだけ話していいぞ。話が通じれば、だがな……」

 看守は囚人が収監されている小さな監房まで青年を案内すると、そう妙なことを言い残して、その場を去って行った。

 洛陽の北寺獄ほくじごくの獄舎とは違って、その獄舎は簡易な造りだった。囚人たちの様子も違う。殺人に強盗。様々な凶悪犯罪をしてとらわれた者たちが無駄なあがきを行う。

 自暴自棄におちいって口汚い言葉をわめき散らす者。誤解を訴えて必死に救いを求める者。そして、気がふれて精神に異常をきたした者……。

「闇は陰極いんきょくに生じ、静謐せいひつに乗じて天地を染める。変幻無形へんげんむけい……瘴気しょうきを有す水煙すいえんごとし……」

 問題の囚人は木製の格子こうしの向こうで、床を相手にぶつぶつと独り言をつぶやいている。

「あの……」

 こちらの問いかけには反応を示さず、ひたすら一人の世界を彷徨さまよっている。

「陰に浸ることちょうずれば、毒は酒に、病は薬に……」

「あの……!」

 囚人の男は突然仰向あおむけに倒れ込んだかと思うと、両目を見開いて青年の瞳を凝視ぎょうしした。

「……暗黒のふちのぞいたことはあるか?」

 男は見知らぬ訪問者を認め、そう問いかけるやいなや勢いよくい寄ってきて、木製の格子に汚れた顔面を押し当てると、今度は一方的にまくしたてた。目は焦点を結んでいない。常軌じょうきいっしているその態度に、青年は思わずゾッとした。

「死人がうごめき、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこす。闇は密かに流れ、病魔の如く忍び寄れり……天知らず、地知る。人知らず、我知る」

 あの看守が狂人と口にしたのも分かる気がする。その囚人、酈炎れきえんは大きな手振りを交えて話したかと思うと、うつろな目を泳がせながら、薄気味悪い笑みを浮かべた。

 酈炎、あざな文勝ぶんしょう、涿郡范陽はんようの人である。文章と音楽にひいで、才人と言われた人物だ。その言葉は常に筋道が通り、聞く者を感心させたというが、今やその片鱗へんりんも見られない。人々に称賛される才能を誇りながら、酈炎はにわかに精神に病をわずらって、その態度が激変した。その変わりように妻は驚きのあまり死んでしまったという。それを妻の家族に訴えられて、投獄されたのだった。

「涿県の盧子幹ろしかんをご存知でしょうか。私はその弟子の劉玄徳りゅうげんとくと申します」

 一応、そう名乗ってみたが、

「陽反じて陰となり、正転じて邪となる。故に、我、闇の奔流を見るに至る……」

 やはり、狂気をまとった酈炎にはその言葉は聞こえていないようだった。

 盧植ろしょくは知人が投獄されたと聞いて、詳しい状況を知るため、故郷に帰った劉備りゅうびに酈炎と面会して話を聞いてくるように頼んだのである。

 盧植は現在遠方の任地にあって、帰郷することができない。師の頼みとあらば、嫌とは言えない。しかし、盧植は発病前の正常な酈炎しか知らない。

 会話の応対すらできず、ひたすら奇奇怪怪な言葉を並べ立てるこんな状態の酈炎を想像すらしてもいないだろう。話を聞くも何も、まず意志疎通ができない。

「参ったなぁ……」

 劉備の困惑をよそに、酈炎はさらにおかしな行動をとった。

「清変じて濁となり、吉移りて凶となる。故に妖象ようしょう怪異かいいあい起こり、天下鳴動す……」

 酈炎はがっくりとこうべを垂れて床を見つめ、謎の言葉を述べ始めた。それは何かに憑依ひょういされたシャーマンのようである。

游子ゆうし夢境むきょうにありて、風疾ふうしつ現世うつつを語る……。第一に疥癬かいせんえずして燕雀えんじゃく悲歌ひかし、虎狼ころうわざわい迫り来たり……」

「え……?」

 劉備はその言葉を聞いて驚いた。游子は旅人のこと、風疾はいわゆるきちがいのことをいう。精神病という意味だ。どこか違う世界に行った者が現実を語るというのだから、今の酈炎そのものである。自覚があるのだろうか。

 劉備の驚きを無視して、

「第二に天周てんしゅう蛇蠍だかつが巣食い、地龍ちりゅうは陽徳を侵し、ふるきをたずぬ……。第三に奸知かんちは英知に及ばす、不吉は吉祥に勝らず、やがて大鼈たいべつ河穴がけつに帰る……」

 酈炎のその独り言はなおも続く。

「第四に金行きんぎょう盛んなること百万歩、十歳の禍根かこんを巡りて明将相争う……。第五に栄華を極めし王族は第五の故事にならいて、まさに滅びんとす……。世人よじん知らず、我知る……」

 恍惚こうこつとなった酈炎はゆっくりと監房の中央、一人の世界に這い戻った。

「最初に言った虎狼って、どういうことですか?」

 劉備が引っ掛かった文句の詳細な解説を求めたが、酈炎はそれに答えることはなく、

「疥癬癒えずして燕雀悲歌し、虎狼の災い迫り来たり……」

 また同じ文句をぶつぶつと繰り返すだけだった。もう劉備の声に反応することはなかった。


 涿県は涿郡の郡都であり、劉備の故郷である。過疎が当たり前の幽州の都市の中では比較的人口が多い。人通りの多い路地を早足ですり抜けながら、頭の中では周囲の喧騒けんそうき消すため、そして、酈炎の言った文句を忘れないように何度も繰り返して暗記を試みた。

 劉備はその足で盧植の屋敷に向かった。酈炎の状況を伝えるために劉備はその様子に加え、謎の文句を一緒に書簡にしたためて、盧家の人間にそれを託した。

 廬江ろこう太守となって遠地にある盧植に届けてもらうのだ。博学の盧植なら、それを解読できるかもしれない。

 酈炎は確かに狂気を発したかもしれないが、決して意味のない言葉を羅列しているわけではないのではないか。会話にはならなかったが、自分のことを認知していたのかもしれない。

『暗黒の淵……』

 なぜなら、劉備は都の近くで大地の裂け目を覗き込んだことがあるし、

『虎狼の災い迫り来たり……』

 その文句は夜の洛陽で実際に目撃した事件のことを想起させる。北寺獄に繋がれた時に遭遇した百鬼ひゃっきの男。異能の力の持ち主で、おおかみのような姿に変身した。

『もしかして、予言か何かを言っていたんだろうか?』

 劉備はすでに郊外の細い田舎いなか道を歩いていた。通り慣れた道だ。どんなに考え事をしていても、道を間違う心配はない。気が付けば、目印の大木が見えるところまで来ていた。

 劉備の家は郊外の楼桑村ろうそうそんにあった。一本のくわの大木が楼閣のようにそびえ立っているので、そんな名になったという。その桑の木はちょうど劉備の家のそばにあって、枝葉がまるで皇帝が座乗する車の天蓋のようにこんもりと茂っていたので、

「――――俺はいつか皇帝になって、こんな車に乗ってやる」

 少年時代の劉備はそう豪語したという。

「お帰り、玄徳」

 土壁と茅葺かやぶきのあばら屋で、劉備の母がそんな大志を抱く息子を迎えた。

「ただいま戻りました、母上」

 帰宅するなり、作り置きしてあったむしろ草履ぞうりを抱える息子に母が尋ねる。

「玄徳、何をするんだい?」

 劉備の母は様子のおかしな息子の行動を目で追いながらも、筵を編む手を止めることはない。間もなく厳しい冬が訪れようとしているのに、母の着物はそでがすりきれていて、継ぎぎだらけだ。

けいに持って行って、売ってきます。州の都なら、もっと高く売れますから」

 劉備が母に微笑んで言った。劉備の家系はさかのぼれば、前漢の中山ちゅうざん靖王せいおう劉勝りゅうしょうに連なる由緒ゆいしょある血筋であるというが、今となっては定かではない。劉勝の子は五十人以上もいたというから、そのうちの一人の子孫ということもあり得なくはないが、少なくとも、今の没落した暮らしぶりからはそんな様子は微塵みじんうかがえない。

 劉備の祖父は劉雄りゅうゆうといい、東郡范はん県の県令を務めたことがある地方官僚だった。

 父は劉弘りゅうこうといい、州の下級官吏を務めていた。その頃は劉家もそれなりの暮らしぶりであったようだが、父が早くに亡くなってしまって、今では貧困にあえぐ母子家庭である。

「そこまでしなくても」

「いいんですよ。盧先生の用件で、ちょっと遠出をするついでです。売り上げは徳然とくぜんに持たせますから。私はしばらく帰りませんが、心配しないでください」

 劉備はそう言い残して、息つく暇もなく、また家を飛び出して行った。

「気を付けるんだよ、玄徳!」

 走り去っていく息子の背中にそう声をかけた。

「よっぽど見込まれたんだねぇ……」

 遠くなっていく息子の後ろ姿を見ながら、感慨深く一人呟く母。息子が立派に成長していくことは何よりもうれしいものだ。劉備も盧植など高名な人物に認められる存在となることが劉家を再興させ、母を喜ばせる手段だと分かっているからこそ、義心を胸に危険を顧みず行動するのだ。

 劉備は盧植の私塾で儒学を学ぶ過程で、天地と人間の関わり、神秘的な事象を説いた予言である〝讖緯しんい〟について聞き知っていた。

『予言だとしたら、急がないと……』

 劉備を突き動かすのは例の酈炎の謎の文句だ。ほとんどが意味不明の言葉の羅列に思えた中、〝疥癬癒えずして燕雀悲歌し、虎狼の災い迫り来たり〟というフレーズだけは理解できたように思う。疥癬はわずらわしい皮膚病だ。幽州で最も煩わしいものと言えば、異民族の侵攻である。文字から判断しても、鮮卑を表しているのだろう。

 燕雀は小人物のたとえであるが、悲歌という二字が劉備の記憶をよみがえらせた。

「――――忠言は届かず、義士は遠ざけられ、晦蒙かいもう(世が乱れて暗い)はなはだしい。わしもそれを憂う燕趙えんちょう悲歌の士じゃ」

 盧植は自身の学生たちに党錮とうこ後の情勢を説明した際、嘆息して言ったものだ。

 そして、自らの台詞せりふに落ち込んだ盧植はその日の講義を休講とした。劉備は内心喜んだものだが、その時の情景が特別な記憶として頭に残っていた。

 燕は春秋戦国時代に後漢の行政区分でいうところの幽州に、趙は幷州あたりに栄えた国家のことで、どちらも北方からの異民族の侵入に頭を悩ませ、防衛手段として長城を建設した。後漢代においても、この時に建設された長城が国境線となっている。

 この燕と趙の二国には、かつて世を憂い、悲壮な歌をえいじる者が数多くいた。

 鮮卑が長城を越えて幽幷州に侵攻する――――劉備が酈炎の第一の文句をそう解釈して自信を持ったのは、優れた直観力だけでなく幽州人であったことが大きい。

 そして、記憶に新しい凄烈せいれつな実体験。虎狼はあの人狼。奴が朱震しゅしんの隠れ場所をぎつけたと考えれば、俄然がぜん納得がいく。


 薊県城外の青空市場。道を挟んで両側に露店が整然と並び、にぎわいを見せている。劉備もその端に露店を構え、と言っても、ただ売り物の筵を一枚敷いた上に座っただけだが、座り心地の良さと安さをアピールして、筵を売った。

 朝から店を出し、売り物が少なかったせいもあるが、人通りの多い薊では昼過ぎまでには全てを売り切ることができた。

「税を支払っても、ほら、だいぶ残っているよ」

 城外市の門を出ながら、劉徳然りゅうとくぜんは売上金の入った袋を劉備に示して見せた。劉備はその中から一部を取り出して、

「これは徳然の駄賃だ」

「え、いいよ」

「手伝ってもらったのに、そういうわけにはいかないさ。それに、この金と服をしっかり母に届けてもらわなければならないしな」

「じゃ、遠慮なく」

 劉徳然はそう言って、劉備の手からアルバイト代と真新しい厚手の着物を受け取った。その着物は劉備が母のために選んで、市で購入したものだ。

「ところで、本当に遼西りょうせいまで行くの? 鮮卑が侵攻してきたんでしょ? 何でわざわざそんな危険なことを……」

 劉徳然が劉備の予定を心配したが、それもそのはずである。劉備は酈炎の予言じみた言葉を話していないし、劉徳然は夜の洛陽に人狼を見てもいない。自ら命をけて朱震を救い出した劉備の思いを分かろうとしても難しい。

「義勇軍に応募するわけじゃない。ある御方の様子を見に行くだけさ。盧先生の知り合いだそうだから、先生も心配なさっている」

 劉備はそう言うにとどめておいた。清流派と濁流派の争い。この従弟を無駄に危険に巻き込みたくはない。薊県城門前には鮮卑討伐のため民間から義勇兵を募る振れが出されていて、幽州はいよいよ風雲急を告げていた。

「そういうことか。じゃ、暗くなる前に僕は戻るよ。無理はしないでよね」

 劉備は徳然を見送ると、自身はしばらく城門前のへん(高札)を見つめた。

 義勇兵募集の高札には従軍手当てが表示されており、他にも胡虜こりょ購賞こうしょうかかげられている。鮮卑兵を捕らえれば、賞金がもらえるという意味で、その賞金目当てに多くの男たちが薊県に集まってきているところだった。

『やはり、あの予言は正しい。急がないと……あっ……』

 劉備は自身の予言解釈に自信を持つと同時に自分のうっかりに気が付いた。

 遼西までは遠い。馬を手に入れなければならない。劉備は同じく城外で開催されている馬市に足を運んだ。この二年で馬を一頭調達できる程度の資金は貯めてあったはずが、ちょうどこの時は鮮卑討伐のために軍馬の需要が高まっているとのことで、手持ちの資金では不足だった。

『少しだけ売上金から借りよう。徳然はまだそう遠くに行っていないはずだし……』

 劉備はそう思い立つと、走って劉徳然を追いかけた。その間も劉備の頭の中は依然未解読の酈炎の予言がぐるぐると思考回路を巡っていて、横からの気配に気付くのが遅れた。

「危ないぞ!」

 その声であわてて馬を避けた。劉備は道端に尻餅しりもちをついた。

「大丈夫か?」

「はい。すみません、ぼんやりしていて……」

 劉備は己の不注意を素直にびた。赤頭巾をかぶった馬上の男が相手の無事を確認して、先を急ごうと馬を進ませようとしたところ、馬はブルルッと首を振ってそれを拒んだ。

「どうした?」

「疲れているんですよ」

 近付いてきた劉備が馬のたてがみでて言った。

「馬の気持ちが分かるのか?」

「北の人間は馬に親しんでいますから。少し休ませてあげてください」

 相手の男のイントネーションから、北の人間ではないことはすぐに分かった。

 しかし、その男、孫堅は劉備の忠告を無視するように聞いた。

「幽州の都に行きたい。どう行けばいい?」

「この道をまっすぐ三里行くだけです」

「三里か」

 孫堅は逸る気持ちのまま馬を下りた。馬が動かないのでは仕方がない。馬の方は休憩を知って、かたわらの雑草をみ始めた。孫堅は馬を放って歩き出した。

「馬はどうするんですか?」

 劉備が孫堅の背中に聞くと、

「お前にやろう」

 孫堅は振り返ることもなく言った。言われた劉備はその言葉に驚くとともに、ただで馬を手に入れることができた幸運に手を打った。


 劉備が改めて薊城に戻ったのは、間もなく夕闇が辺りを覆い隠そうとする頃だった。

 薊県は州都だけあって、幽州内のことはもちろん、中央の情勢など様々な情報が集まってくる。それを求めて集まってくる人もいる。普段は城門前の高札に何人もの人々が目をらす光景が見られるが、辺りが暗くなってきたためか、それもない。

 いや、それでも一人だけ高札を見つめる人がいる。よく見ると、あの赤頭巾の男だった。

「あの、馬をありがとうございました。遠方に向かわなければならなかったので、助かりました」

「この鮮卑討伐軍はどこへ向かう?」

 孫堅はその礼に応えることなく、逆に劉備に問うた。

「義勇軍は州軍に編成されて遼西の援軍に派遣されると聞きました。遼西は今、鮮卑の攻撃を受けているらしいので」

ぞう中郎将ちゅうろうしょうの軍はどうなったか知っているか?」

「いえ、知りません」

 劉備からはそれ以上の情報を得ることはできなかったが、さすがに幽州の州都だけあって、鮮卑についての情報はちまたあふれていた。そして、孫堅は先の鮮卑討伐に従軍して生還した兵士から聞いたという情報を仕入れることができた。

 討伐軍は緒戦に勝利した勢いを駆って、二千里にも及ぶ長距離を進軍し、敵の本拠地を目指した。だが、結果的にそれが敗因となった。敵に大きな打撃を与えられないまま、補給線だけが伸びてしまったのだ。偽装退却を演じて敵を誘い込む戦法はかつて匈奴きょうど冒頓単于ぼくとつぜんうが漢の高祖(劉邦りゅうほう)を破った戦いで用いられたが、戦にける鮮卑の檀石槐だんせきかいはそれを再現したのである。

 正面衝突を避けて漢軍を深く誘い込むことに成功した鮮卑軍は反撃に転じ、騎馬軍団の機動力を生かして伸びきった補給線をあちこちで寸断した。敵地で孤立した漢軍にたちまち動揺が広がって、士気は下がり、もはや討伐どころではなくなった。

 こうなると大軍が反ってあだとなってしまう。蔡邕が断言したとおり、敵地奥深くにある漢軍は退くに退けない状況に陥ってしまった。

 遊牧民族である鮮卑の支配地にはいわゆる城邑じょうゆうというものが存在しない。辺りは草原と荒野が広がる無人の大地だ。田畑もなければ、森の恵みもない。食糧補給が途絶えて疲弊した漢軍は精強な騎馬軍団の反撃を受け、あっけなく瓦解がかいした。そして、敗走した討伐軍を追撃した鮮卑軍は戦勝の余波に乗じて、国境を侵して幽州と幷州に逆侵攻した。この事態に中央政府も騒然となった。

 当時、州軍は常在しなかった。郡はそれぞれ軍隊を持っていたが、郡内での軍事活動が基本となる。郡国をまたぐ大規模な反乱や広範囲にわたる異民族の軍事侵攻があった場合に、州が統括する鎮圧軍や討伐軍が特別編成される。

 朝廷はこの危機にはいしょう県の人で、朱亀しゅきあざな伯霊はくれいという人物を幽州刺史に起用した。朱亀は前年に益州で起こった異民族の反乱を討伐した実績があり、再び彼の手腕に期待したのだ。朱亀は予備役の兵たちを動員し、義勇兵も募集してすぐさま州軍を編成した。また、州軍を監督する督軍とくぐん御史ぎょしとして、第五永だいごえいという人物が中央から派遣されてきた。

 幽州軍は薊県の北西百二十里余り(約五十キロメートル)のところにある居庸関きょようかんに急行した。難攻不落とうたわれる居庸関であるが、鮮卑軍の勢いは激しい。万が一そこを突破されては、幽州の都・薊県が危うくなる。

 居庸関の始まりは春秋戦国時代に建設された軍事要塞である。秦代に始皇帝しこうていが長城を建造・修復させた際、兵卒だけでなく、罪人や集められた民間の男衆をこの地に強制移住させたという。庸人ようじんとは凡人の意味であるが、彼ら庸人が居住させられたので、〝居庸関〟の名がある。しかし、凡人たちが築いた居庸関の役割は非常に重要で、漢代においても、依然として北方異民族の侵入を防ぐ北の玄関として堅牢に整備されていた。

 数日前、そこに護烏桓ごうかん校尉こうい夏育かいくの一軍が命からがら生還した。夏育の証言によれば、軍の死者は八割にも及ぶという。夏育の軍だけでも、八千が失われたことになる。甚大すぎる被害だった。かく言う夏育本人の命運も風前のともしびで、身柄を更迭こうてつされ、罪人として洛陽の廷尉ていい府へ護送された。裁判で敗戦の責任を問われるのだ。

 臧旻ぞうびんについては戦死したとか、敵の捕虜になったとか聞こえてくる情報は錯綜さくそうしており、その安否は不明のままだった。だが、たとえ生還したとしても、戦犯として夏育と同様、裁判にかけられる運命だ。

『戦死のはずがない。敵に囚われたというのなら、助け出す。行方が分からなくても、必ず探し出す』

 恩ある臧旻の安否をこの目で確かめるまでは、孫堅という男の気持ちが収まらない。

「お前は義勇軍に参加するのか?」

「いえ。でも所用があって遼西に行かなければならないんです」

 この混乱に乗じてあの人狼が現れるに違いない。朱震は現在遼西郡に隠れているのだ。

「そうか」

 今は無官の身。州軍や義勇軍に従って鮮卑と戦うより、自由に動いて臧旻の行方を捜索した方が良い。遼西に鮮卑。孫堅の腹は決まった。

「よし。では、共に向かおう。私は孫文台だ」

 劉備は何やら訳が分からないまま、孫堅に同行を宣言され、ともに今夜の宿を探す羽目になった。これが劉備と孫堅、若き二人の英雄の奇妙な出逢いだった。




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