3−2 声優としての二歩目
金曜日。『パステルレイン』の収録が午後の二時からだったので学校を午前中の授業だけ受けて早退。一度家に戻って制服を着替えてからスーパーに寄ってお弁当を買って温めて、それからスタジオに向かった。
東京とはいえ、平日の昼間に制服で歩いていたら警察の方に呼び止められる。僕みたいに学生ながら仕事をしている子もたくさんいるんだろうけど、そういう子とは別に学校をサボっている子もいる。
私服を着てマスクを着けると学生と思われないのか声をかけられない。僕の低身長でも一般人と思われるんだから服装って不思議だ。
今日は『パステルレイン』の第四話の収録だ。挨拶が終わってテストが終わったら本番。大体二時間から二時間半くらいで終わる。
この四話は三話から引き続き、キララちゃんが綾人君にドキドキしちゃって兄妹なのにどうしようと葛藤しているところ。そのせいで次の日からの学校生活に支障が出て、綾人君に会うたびにギクシャクするという甘酸っぱい回。
僕はAパートではあまり出番がない。ちょっとキララちゃんを心配したり、おかしな様子のキララちゃんにため息をつく程度。
本番はBパートから。
スタジオの中にあるベンチでお弁当を食べていると、根本さんと根本さんのマネージャーさんがやって来た。
「みーちゃんおはよう。えー、何で制服じゃないの?見たかったのに」
「根本さんとマネージャーさん、おはようございます。収録までに時間があったので着替えて来ました。制服だと目立ってこのスタジオのことも知られちゃいそうですし」
「私たちは気にしないのになー。作品によっては雰囲気を合わせるためにジャージで収録に来る男性声優さんもいるよ?私たちのテンションも上がるから今度は制服で来て?」
「……考えておきます」
スタジオはパッと見では収録スタジオに見えないビルの中にあるんだけど、何でここまで警戒しているかというと声優のファンってたまに突拍子のない行動力を見せるから。
収録スタジオや事務所の場所を調べて出待ちをされたことも昔はあるようだ。それが行き過ぎてストーカー被害になったりもする。声優で顔出しをする人も増えたのでたまたま駅で見かけて追っかけたらスタジオや事務所の場所がわかりましたということもあったらしい。
昔に比べればそういうこともだいぶ減ったらしいけど、完全になくなったわけじゃない。だから警戒してるんだけど。
東京は学校もたくさんあるから学校がバレることもないかなと思って考えるだけ考えてみる。家に寄らずに直接来た方が余裕があるのも確かだし。
キャストやスタッフさんに挨拶をして台本を読んで本番を待つ。スタッフさんは基本的に固定だから見知った顔ばかりだけど、キャストはレギュラーキャスト以外結構変わる。特にモブの人は固定モブでもない限り一話ごとに入れ替わる。
モブは監督などスタッフが気に入った声優に振ったり、主要キャストがいる事務所がオススメしている声優をバーターとして送り込んだりと理由は様々。オーディションに落ちたけど気になる子がいたからまずはモブで使ってみよう、なんてこともある。
今日はモブ役の方が新しく三人いらっしゃった。全員僕よりも歳上で、おそらく養成所上がり。聞いたことのある事務所から来ている人もいれば、僕のように聞いたことのない事務所から来ている人もいた。
そんなモブ役の人たちはあまりマイク前に立つことはないのでマイクからは遠いスタジオの扉側の椅子に。僕たちメインキャストはマイクの近くに座る。僕だって新人だからモブ役の人たちと本当なら変わらない立場だ。
でも話すワード数とか、マイク前に立つ回数の多さ、サブヒーローという肩書きで真ん中の方に座らせてもらっている。
声優業界も結構立場や役柄を意識する業界だ。年齢じゃなく、演じる役とキャリアが全て。だから年齢が上でもキャリアがない人がドアの開け閉めなんかもするし、差し入れのお菓子の袋を開けたりもする。
何でこんなことを考えたのかっていうと、この前の三話は野球の試合のシーンがあったのでたくさんのキャストが集まっていて、僕も出番が少なかったから新人のように動いていたけど、今回はキャストが十人もいないために僕が雑用をしなくていいため。
ちょっとのことで、たった一話で立場が変わってなんか変な気がしたというのが大きい。
監督の挨拶の後、テストをシーンごとにやっていって、それで演技が問題なければ次の本番でも同じように演じる。ちょっと違うなとか、アクセントが違ければ基本このテストで指摘される。
Aパートのテストは順調に終わる。話の流れとしては綾人君に恋心的なことを抱いて実の兄なんだからダメだと思っていたら学校生活がボロボロで学校の先生には授業に集中していないからと怒られ、廊下を妄想しながら歩くために男子女子問わずぶつかって迷惑をかけるという有様。
ここで三人、モブ役の人がそれぞれ先生役とぶつかった生徒役で仕事をした。
この後のBパートは正直僕と根本さんと津宮さんの独壇場だ。モブ役として来た男の人二人は放課後の野球部のシーンでもう少し出番があって、女の人は野球部の練習を応援する女子生徒役で少し出番がある。ついでに東條さんも兼ね役でキャーキャー言う役をする。
どちらかと言うと僕と根本さんの出番が多い。
綾人君の練習を見て、練習中なのに手を振るというファンサービスを受けて顔真っ赤にして家に帰って、家にいた奏太に相談してちょっと一波乱、という展開だ。
野球部のシーンが終わり、家に帰ってくるキララちゃん。そこには早く帰ってきた奏太が家事をしていて相談に乗るという流れだ。
『ただいま〜……』
『おかえり、キララ』
『……ねえ、ソウちゃん。ソウちゃんって恋したことある?』
『はぁ?お子様キララがなんか言ってるよ』
『ソウちゃんの方が歳下でしょ!』
『一年違わねーよ』
洗濯物を畳んでいる奏太にキララが相談してきた。
高校生なのだから、恋くらいはしたことがあるというのが奏太の意見だ。
『初恋が高校生なんて遅いだろ』
『じゃああるの?』
『……まあ、ある』
『相手って?』
『言うかよ。弟の恋愛事情に首を突っ込むな』
『お姉ちゃんのこともっと大事にしてよ!』
そう言いながら奏太に突っ込むキララ。後ろから抱きつかれたせいで洗濯物が散らかり、顔面から床に激突する奏太。
ゴチン!という大きな音と、コメディチックな絵コンテが出てくる。ちょっとの沈黙の後、奏太が唸る。
『〜〜〜〜ッ!バカキララ!洗濯物がしわくちゃになっちゃったじゃねえか!』
『お姉ちゃんを構ってくれないソウちゃんが悪いの!人生で一番悩んでるのに〜!』
『知らねえよ!そんなことより洗濯物の方が大事だ!』
『私の恋愛相談より大事なものがある⁉︎だって私が好きになったのって……!』
『この、鈍チンキララが!今更かよ!』
奏太が、逆にキララを押し倒す。涙目になって真剣に悩んでいるキララに、奏太が壁ドンならぬ床ドンをする。
『お前が誰を好きになっても、俺は軽蔑しねえよ!……相手が受け入れるかどうかは知らねーけど、好きになっちまったのは仕方がねえだろ』
『……だって』
『お前のこと、どれだけ見てると思ってる?他の人がどれだけ非難しても、お前が誰を好きになっても。俺はずっと──』
奏太が、右手をキララの頬に当てる。顔も徐々に近付けていった。
『キララ。綾人を好きになったんだろ?その気持ちは、抑えられるのかよ?』
『……わかんないよ』
『家族愛でも、兄妹愛でもなくて、恋なんだろ?』
『わかんないよ!』
『誰かに言われたら、また俺に泣きつけよ。愚痴ならいくらでも聞いてやる。だから……泣くなら俺の前にだけにしとけよ。いくらでも拭ってやる』
耳元へ、囁くように。
『アイツがお前を泣かせたら、俺がアイツをぶん殴る。俺はずっと、お前を受け入れるよ』
初めて、その感情を出す。
『バカな姉を助けてやるのは、弟の役目だろ?──キララ』
キララの身体を起こす。
……キララの返事がない。だから、声をかけてしまう。
『泣くなよ。お前は無邪気に笑ってるくらいがちょうどいい。その方が兄さんも好きなはずだ。家族とか関係なく、キララは泣いてるのが似合わないよ。全身を使って色んな感情を剥き出しにしてる方が、キララらしい』
『……お兄ちゃんが、好きなの』
『知ってた。昔から綾人ばっかり見てただろ』
『お兄ちゃん、なんだよ?』
『だからって、抑えられないんだろ。なら開き直れよ』
『……兄妹じゃ、結婚できない』
『話が早い。バカか。両思いになってから言いやがれ。バーカ』
『バカって言わないでよ!……それくらい、好きなんだってわかっちゃったんだもん……!』
『あー、はいはい。……顔洗ってこいよ。それか風呂入ってこい。風呂くらい沸かせるだろ?』
『ボタン押すだけだもん!ソウちゃんのバーカ!』
『……やっぱり、そうやって元気な方が俺は好きだよ』
『〜〜〜〜〜!お風呂行ってくる!』
キララは走って部屋を出て行く。その様子を見て、奏太はため息をついた。
『キラーパス出してどうする……。それにようやく自覚するって、本当にキララは可愛いなぁ』
洗濯物を直す奏太。そこでシーンが終わる。
「カット!……明菜ちゃん?」
「すみません!セリフ飛んじゃいました!」
「あー、まあ。間宮君のフォローが自然だったからおかしくはなかったよ?奏太が言いそうなセリフだったし。でも本番は気を付けてね?」
「はいぃ!みーちゃんもごめんね!」
「大丈夫ですよ。失敗しない人なんていませんから」
本当なら『ソウちゃん』と呼んで、すぐに『お兄ちゃんが好きなの』というセリフに繋がるはずだった。けどそうはならず、顔が真っ赤なキララちゃんが見えたのでついアドリブで間を繋いでしまった。
テストだからそんなことしなくても監督が止めてくれただろうに。余計な真似をしちゃったなあ。
でも何でキララちゃん、じゃない。根本さんは顔が真っ赤だったんだろうか。
本番は問題なくできたので、そんな疑問がずっと残っていた。
後々、キララと囁く声があまりに色っぽくて二の句を継げなかったんだとか。
はぁ、としか返事ができなかった出来事だった。
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