お目見えいただきありがとうございます

 みつきを抱き締めて心を満たした織彩おりあやは快く引き受けてくれて、半刻もしない内にみつきと彩雲あやくもは織彩の案内で晶姫あきひめと対面した。

「お目見えいただきありがとうございます」

 みつきは今度はちゃんと、織彩や彩雲の後ろに並んで畳に手を付き顔を伏せて挨拶が出来た。緊張で声が震えているのはご愛敬だ。

「いいですよ。そんなに畏まらないで。貴女の空染そらぞめはとても美しく心打たれました。遠くから参られて嬉しく思っていますよ」

 みつきは綺麗な晶姫に褒められて、恥ずかしそうにはにかみながら顔を俯けて目が合わせられなかった。

 そんな少女の様子に晶姫はくすくすと口許に浮かぶ笑みを扇で隠す。

「それでわたくしにご用がおありで遥々いらしたそうですが」

 晶姫に水を向けられて、みつきは、ぅくんと生唾を飲み込んで自分を奮い立たせる。

 声を出そうとして空振りし、息を浅く吐いて、今度はしっかりと喉に意識を向けて話し出す。

「あ、の。晶姫様がどう思ってらっしゃるのか、どんなお気持ちなのか、お聞き、したくて」

 それでも声は掠れて所々つっかえる。言葉は尻すぼみになって敬語の体もなさず、みつきは顔を赤くして畳に向き合う。

 晶姫はみつきの問い掛けに目を伏せて、睫毛の影を目に被せた。

「それは行恒ゆきつね様からのお尋ねですか?」

「はぇ? いえ? 違いますよ?」

 みつきは思いも寄らない名前が出て来てきょとんと首を傾げた。

 その様子に晶姫も、この件に行恒が全く関与してないと悟り、それが逆に疑問となって目を丸くする。

 結果としてお互いにどう答えればいいのかどう問いかければいいのか分からなくなって、外の風虫かざむしの声だけが部屋に響乃ゆらのする。

 その沈黙を、ずりっと居住まいを正して彩雲が畳を鳴らして打ち破る。

「姫、恐れながら申し上げますが、行恒様は姫のお気持ちをしかと理解しておいでです。その上で姫の心に乗る苦悩の重みを取り除き、安らかに朗らか心持ちだけお越し願いたいと思っていらっしゃいます。此度、このみつきが馳せ参じたのは、みつき自身がお二人の気持ちに迷い、どのように仕事果たすべきか道を失ったためにあります」

 彩雲の細やかで丁寧な説明に晶姫はやっと事態を把握出来た。

 どうやら晶姫が返事をしない事に対して、行恒が痺れを切らしたり諦めを抱いたりしたのではないと知って、ほっと胸を撫で下ろす。

 晶姫はきりりと顔を引き締めて言葉を紡いだ。

「わたくしは行恒様をお慕い申し上げております。なので此度の縁談はとても嬉しく思っていますよ。ただ行恒様のお気持ち故に、輿入れの日にちを先延ばしにしているのです」

「でも姫様が行恒様の元へ行くのは、行恒様が好きだからというだけではないんですよね」

 これくらいの事情は伝わっていると見込んでいたので、晶姫もみつきに踏み込まれても動揺はしない。流れるように言葉を続けられる。

「そうですね。今の我が藩は先の厄災で打ち崩れております。その立て直しに彩空藩あやぞらはんには既にご助力を頂いている為、その御礼とこれから先の繋がりを強める意味もあります。その誓いの形あるものとしてわたくしが存在するのは誇らしくも思っています」

 ここまではみつきが動く前にもう明らかになっている。みつきは畳んだ膝を擦って前に押し出した。

「それで行恒様の命を受けて、わたしは空染を致しました。姫様には柵無くご自身のお気持ちだけで嫁入りしてほしいと、そう伝えようと試みました」

「ええ、しかと伝わりました。しかして、邑上むらかみの家と近関の藩の為にこの身を遣うのもわたくしの心からの想いです。わたくし自身の気持ちというのであれば、それもまた打ち捨てられるものではありません」

 晶姫は詰め寄るみつきに毅然と返した。

 行恒から文が来る度に怒りと共に固めた思想は揺るぎなく言葉に出来る。

 みつきはそんな晶姫のお腹に埋まるように座る言霊を見付けて眉を顰めた。

魔溢まこぼす」

「はい?」

「いえ、なんでも」

 みつきはその未言みことを口にしてしまい、問い質される前に取り繕って言及を避けた。

 誤魔化すように身を揺すって足の痺れを逃がしながら姿勢を整え直す。

「先日の夜の空染はご覧いただけましたでしょうか。姫様に喜んで頂きたく創り上げたものです」

「はい、とても美しく、今も瞼の裏に映ります。本当に見事で心奪われました」

 言葉通り、晶姫は軽く瞼を閉じてうっとりと声に熱を乗せる。

 みつきは返事が来なくて何よりも不安だったけれど、晶姫の態度にちゃんと仕事をやり遂げていたと分かり胸を撫で下ろす。

「え、でもその後から全く音沙汰ないとお聞きしましたが」

「それと行恒様からのご対応は別問題でございましょう?」

「ぴっ」

 晶姫は笑顔を見せるが、みつきは冷たい刃を首に当てられたのと同じ恐怖を感じて情けなく鳴いた。

 ふるふると小刻みに震えて足が織彩の影に隠れようと畳を擦る。

「失礼。はしたない真似を致しました」

 晶姫は扇を開いて顔を全て隠して今の殺気をなかった事にする。

 勿論、この場に態々異論を唱えて顰蹙を買うような愚か者はいなかった。

「行恒様はわたくしの気持ちを全て察しておられると信じてますので、もうわたくしからお伝えする事は何もないのですよ」

 晶姫は声の調子を宥めて淡々とそう告げた。

 みつきが彩雲の顔を覗き見るとはっきりと頷かれた。行恒が晶姫の気持ちを分かっているというのはその通りらしい。

 みつきはちらと晶姫のお腹を盗み見る。未言みこと巫女は退屈そうに欠伸をしていた。

 言霊がそこにいると言うなら、晶姫はそうであると言う事だ。

 だけどそれは晶姫の方でどうにかすべきなのかどうか、みつきには分からない。

 行恒が好きであるという事。藩の為に嫁に行くという事。

 どちらも結果として婚姻を示す。つまり反発する要素ではない。

 でも行恒は、好きだと言う気持ちだけで来て欲しくて、まつりごとの道具としては来て欲しくないと言う。

 みつきはやっとここまで頭の中を整理出来て、くいくいと彩雲の服を引っ張った。

 彩雲はみつきを叱るでもなく、顔を後ろに向ける。

「これ、若様の度量の小ささが問題なのではないです?」

 みつきがそう訊ねると彩雲はあっさりと頷いた。

「そうだよ。最初からそう言ってるよ」

 みつきはそうだっけ、と最初の話を思い出して、確かにそうだったと気付き、わたわたと慌て始める。

 最初から分かっていた話を確かめる為に此処まで馬を走らせてくれた彩雲に対する申し訳なさでみつきは居ても立っても居られなくなった。

「彩雲さん、ごめ、ごめんなさい、わたしってば、わぁあ!」

「みつき、姫様の前ではしゃんとしてなさい。別に謝る事でもないよ」

 彩雲に窘められて、みつきは無様に振っていた手を体に引き寄せた。

「つまり若様が全部ひっくるめて晶姫様をお迎えして、それで晶姫様をお幸せにすればいいだけの話です?」

「その通りだけど、そんな甲斐性があったら初めからこんなまどろっこしい話になってないんだよ、みつき」

「うちの若様はこう、ね。周りの小言を振り払って開き直るような快活さはないからねー」

「本当にあの意気地のない所は歯痒く思っております」

 みつきは彩雲に確認を取ろうとしただけなんだけれども、しっかりと織彩や晶姫の耳にも届いている。思ったままに口にしたせいで声を潜めもせずに普通に話していた。

 みつきはしまったと顔を引き攣らせるが、晶姫は柔らかく微笑んで問題はないと伝えて来る。

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