未言頼りに過ぎるってんだよ

 翌日、彩光あやみつは屋敷の庭に織彩おりあやを連れ出した。未言みことを探るついでに話を改めようと思ったのだ。

「で、正直な話、どう思うよ」

「そうねー。まぁ、傍からすれば結婚を間延びさせる意味ある? って感じだけど」

 織彩は所在無く浮いた声音でそぞろに話しながら南天の葉を突いた。伸びた枝がひょいと跳ねて未言の言霊が一言転がってきたのを、織彩は手杯てつきで受け止めた。

「姫様が必要ないくらいに思い詰めてるのは確かに心配ね。近関藩このぜきはんが持ち直して心の重石がなくなるようであればいいけど、それでも片肘張ってしまうとしたら好きな人と一緒にいてもまぁ、楽しくはないでしょうね」

「俺ぁ、その目算が強いと思ってるが、どうだ?」

 彩光に確認を取られて、織彩は、んーと指をおとがいに触れさせて頭を巡らせる。

「半々、よりももっと分が悪い気がするわねぇ。うちの若様、あれだし」

「よなぁ」

 相変わらず、自分の藩の跡継ぎに対して評価が低い帛屋きぬや一門である。

「若様、優しいは優しいんだけど、ちょっと下々の気持ちを汲み取れない自分善がりなとこがねぇ」

「真っ直ぐで努力を惜しまないのはいいんだが、それで自分が納得しないと事に及ばねぇってのがなぁ」

 はぁ、と二人揃って溜息を吐いた。

「なぁ、これどうするのが正解なんだ?」

「んー、ちょっと考え中。今んとこ出来るのは、うちの若様が余計な事しないのを祈るくらい?」

 彩光は織彩の不用意な発言に白い目を向けた。言ったら本当に起こるかもしんねぇだろうが、と無言で批難する。

 織彩はそれを肩を竦めて、聞こえなーいといなす。

「お二人共、こちらにいらしたのですね。ちょうど良かった」

 そんな憂いを漂わせた空染師そらぞめし達の所へ晶姫あきひめがやって来た。

 二人揃って渡り廊下を振り返り、何用かと言葉を待つ。

 そんな息の合った様子に晶姫は零れる笑みを扇で隠した。

「皆さんといると、普段は無用の扇子もやっぱり必要だと分かります」

「なんでぇ、下々の者の反応はそんなに物珍しいかよ」

 彩光は不貞腐れて半眼になって腕を組んだ。

 織彩が大人げない態度に彩光の背中を肘で突く。

「失礼しました。実は行恒ゆきつね様より昨日の晩に文が届いたんです」

「晩に? 急ぎか」

 八百年も昔の都なら男女の文は夜にも交わされようが、今のご時世で文を届ける下人は夜に相手方に到着しても朝まで取次を待つ。

 それが朝を待たないというなら急ぎだと運び手に伝えた上でその旨を書いて押印までした書状が添えられる。

「ええ、そうなのですが、内容がこの時間に彩空あやぞらの方角の空を見ていてほしい、とだけで」

「ぁん?」

 晶姫から届いた手紙の内容を聞いて、彩光は自分の工房のある方角に目を向けた。

「なんか嫌な予感がすんな、おい」

「そう? わたくしは楽しい事が起きるのを期待してますけど」

 親方と違って織彩は言葉通り楽しみでならないと声を弾ませる。

 彩光は問い質すように睨み付けるが、織彩はころころと笑って口を開こうとしない。

 かくして巳の刻は訪れる。

 天紗あめのうすぎぬの向こうに青空が見える仲秋なかあきらしい景色だ。

 その中に空染玉そらぞめだまが打ち上がる気配がして彩光は目を細めた。音が聞こえた訳でも打ち上げの煙が見えた訳でもない。意識が直接引き付けられるように感じたのは、未言の言霊が存在する気配だ。

「来るぞ」

 それを見るべき晶姫に、彩光は短く言って注意を促す。そんな事をしなくても晶姫は空を見上げているが、それでも彩光の呟きは彼女の気を更に引き締めさせた。

 静かに変化は現れた。薄く透けるばかりだった雲が厚くなっていき昼の陽射しに真白く映える。

 やがて雲歩くもあしで伸びる白妙は空に平らに広がって一面の雲床くもどこで空の青さを遮った。

 その雲床を風が吹き散らす。いや、散らす等と言う雑な動きではない。

 疾羽鳥はやはとりが飛び過ぎるように、雲の板を切り裂いた。雲の向こうの上光かみみつは浄土の請来したかの如く黄金に様変わりしていた。

 そして疾羽鳥雲が翼を広げて薄く揺蕩い果てる先は雲の切れ目となっていて。

 晶姫の背後に開いたその雲間くもあいからかげが天から地へと道筋を作る。

 その光の一本道は滑らかに動き。

 晶姫のいる近関藩から、行恒のいる彩空藩へと伸びていく。

 やがて空染の雲は未言の干渉を失って風に散らされて、くもく空を金に光景ひかりかぐばかりがその名残となる。

 暫く、三人の内の誰も言葉を発せず、名残惜しそうにも見える立ち姿で空を眺めていた。

 初めに近関藩の屋敷の庭に漏れたのは彩光の息を吐く音だった。

「未言頼りに過ぎるってんだよ、あの小娘はよ」

 胸の内では見事と想っていても、彩光の口が出るのは本人を前にしなくても煩わしい小言だった。欠点を指摘するのは技術の向上に繋がるので、そんな物言いが長い事弟子を育てる中ですっかり定着しているのだ。

 さて、と空染の評は一先ず置いて、晶姫は今の空染を見てどう反応するのかと振り返り、彩光は呆気に取られた。

 晶姫は俯き、肩を震わせていた。

 彩光でなくても、その背から黒い憤怒の陽炎が噴き出ているのが目に見えるようだ。

 自分に向けられたのではなくても、恐ろしい怒りの念に気圧されて、彩光の足がざりと土を削って後退った。

「あのお方は一体もう何を仰っているのでしょうね……」

 晶姫は笑い混じりに言葉を漏らした。笑っているのにちっとも楽しそうではなかった。

「真っ直ぐな光はわたくしですか、金色こんじきなのは貴いとでも言いたいのですか、そんなわたくしに来て欲しいのですか」

 けして晶姫の声は大きくなかった。むしろ、強く風が吹けばその風虫かざむしの葉音に耳紛みみまぎれてしまいそうに小さかった。

 ただその声は地から込み上がるように低く、彩光には噴火の前兆の地震ちぶるいにも思えた。

 そして彩光の直観の通り、晶姫の激怒は噴火した。

「わたくしの想いも知らないで何を偉そうに! 在りの儘でいろ等と、わたくしはわたくしの本心として自分の価値を示し輿入れしようというのに!」

 晶姫の絶叫で庭全体が反響で震えた気がした。気がしただけでなく、実際に震えていたかもしれない。だって織彩の横にある南天はゆらゆらと揺れているのだから。

 晶姫はキッと鬼も殺せそうな目で彩光を射貫いた。

「彩光様、どうか! どうかわたくしの空染は今のものよりも色濃く、そして揺るがぬ重さを以て示していただきたく存じます! どうか!」

「お、おお」

 彩光は晶姫に威圧されて頷くしかなかった。この迫力をそのまま表現すりゃいいんだなと、職人の意識は冷静な判断を無随意に下す。

 晶姫は怒り心頭とばかりに床を踏み鳴らして屋敷の奥へと去って行った。

 あんな姿は人に見せられないから奥へ引っ込むだなんて、本当に芯から姫の振る舞いに染まってんだな、と動揺した彩光は微妙にずれた所に意識を奪われていた。

「おい、姐さん、さては知ってたろ」

 晶姫の威圧が去ってどうにか首が動かせるようになって、彩光は織彩に顔を向けた。

「いやー、楽しくなってきたね!」

「呑気に言ってる場合か! 先に言えよ、そしたらちっとは気構え出来たってのによ!」

「だってぇ、ないしょっ、てぇ、可愛らしくお願いされちゃったんだもん」

 織彩は年甲斐もなく十二の少女の声真似をして身を捻る。年増の癖に見た目が実年齢より十は若く見えるから微妙に様になっていて逆に笑いものに出来ない。

「だぁあああああ! あんガキゃあ、余計な知恵ばっかり付けやがってぇええ!」

 行恒もみつきと組んで本当に余計な事しやがってと、彩光は降って涌いた心労に潰されて項垂れるのだった。

 彩光は疲れ切った息を長く、長く吐く。

「まぁ、いい。自分にしか出来ない事やっていい気になってる小娘に、伝統の価値ってやつを教えてやらぁな」

 彩光はゆらりと幽鬼のように瞳に火を灯す。

 その本気ガチで少女を泣かしかねない気焔に織彩も引いている。

「ちょっと親方、相手は始めて半年で十二歳の女の子なんだからそんなマジにならないでよ」

「ガキでもジジイでも分け隔てなんぞするか。人に迷惑かけた分はきっちり報いてもらわねぇとなぁ」

「うわ、大人げなぁ」

 織彩は口元を引き攣らせるのも意に介さず、彩光は暗いやる気を燃え上がらせる。

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