みつきちゃんにしか出来ないことなの

 みつきは怖い親方がいないので堂々と工房の庭の真ん中に道具と材料を広げて空染玉そらぞめだまをこさえていた。

「ひさかたのー、そらのあやめくを、おのがままっ」

 みつきは歌を口ずさみながら半分に割った玉の片方に塵剤と火薬の詰まった星を並べていく。

「くもあひを、わけておりくるー、かげのつちにとどきて、わがてをっ、ともすー」

 それで時々、玉の片割れを手杯てつきに抱えて持ち上げる。それは雲の隙間から差し込める日の光を受け貯めようとしているようにも見える。

「これはあなたが肝だから、よろしくね、差し影」

 みつきは掲げていた玉を胸の高さまで降ろして、その縁に座る未言みこと巫女に声をかけた。

 小さな言霊はつい、とみつきの顔を見上げてから、ひょいと星の詰め込まれた中へと飛び降りて溶けて消えた。

 お目付け役の役得としてみつきの作業を間近で観させてもらっていた彩雲あやくもは、うぅむ、と唸る。

「相変わらず当たり前のように未言を扱ってる……見事だけど全く参考にならない」

「ふへ?」

 彩雲のぼやきに、みつきは不思議そうに瞬きをする。

「未言を想って自然と歌を口ずさめば、勝手に寄ってきますよ?」

 さも当然のように無垢な瞳を向けるみつきに、彩雲は凡人の心が打ち抜かれて胸を押さえた。

「人が分かり合うって難しいね、みつき」

「はい?」

 兄弟子さんは何の話をしているんだろうと、みつきは全く意味を飲み込めずにきょとんとする。

「あ、いたいた。みつきちゃーん!」

 そしてみつきが彩雲の気持ちを訊ねる前に、午前の皐風さわかぜに良く通る声に呼ばれて意識をそっちに持っていかれた。

 手を振りながらみつきに近付いてくるのは、四十を越えたなんてとても思えない若い見た目をしたお姐さんだ。

織彩おりあやさん、おはようございます」

「ふふ、おはよう。ちゃんとご挨拶できてえらいねぇ、かわいいねぇ」

 みつきがちまっこい仕草で頭を下げると、織彩は頬に手を添えてにこにこと悦に入る。

「わたしに何かご用事ですか? それとも挨拶だけ?」

「あ、ううん。用事、用事よ。挨拶だけじゃないわ。お願いがあるの」

「わたしに?」

「ええ。みつきちゃんにしか出来ないことなの」

 自分にしか出来ない事と言われて、みつきははてと疑問に思う。

 先代の親方から帛屋きぬや一門に入り、仕事一筋で当代の親方と同じくらい長い経歴と確かな腕を持つ織彩に対して、みつきが助けになる事なんてちょっと思い浮かばない。

 織彩は爪の端が煤けて黒い手をぱんと音を立てて合わせて、みつきを拝んだ。

「お願い、みつきちゃん! 忙しいのに悪いんだけど、ちょっと、いいえ、ごめんちょっとじゃ足りない、たっぷり撫でさせて! 親方に呼ばれて向こうに行くからしばらくみつきちゃんと会えないの! みつきちゃん不足にならないように溜め込ませて!」

「……えと、いい、ですよ?」

 お姐さまは丁寧に理由から結論まで全部説明してくれたけど、みつきにはちょっと意味が分からなかった。取りあえず、実際の行為としては撫でさせてほしいという事なのは分かったので、それは受け入れる。

 みつきが了承すると織彩はぱぁっと顔を輝かせて小さなみつきの全身をがばりと抱え込んだ。お互いの身長差でみつきの顔がむぎゅりと織彩の胸に密着した。

「やぁーん! ちっちゃい! かわいい! いいにおい!」

 大興奮の織彩が体を揺するので、抱えられたみつきも一緒にゆらゆら振られて少し頭が浮遊感に堕とされる。

「姐さん、撫でるっていうか、抱き着いてるじゃないですか」

 直ぐ傍にそのまま立っていた彩雲から呆れた声が寄せられても、織彩は全く気にしなかった。

「いいのよ、これから撫でるんだもの。たっぷり撫でるのよ。みつきちゃん、かぁいい! いいこ、いいこ」

 織彩は宣言通り、みつきの背中に回した右手を後頭部まで伸ばして、さわさわと撫でて来る。

 それは髪を梳くように滑らかに嫋やかで、みつきも心地好くなれた。

「ああ、いいなぁ。みつきちゃんみたいな子供、やっぱり欲しかったなぁ」

 仕事にばかり打ち込んですっかり行き遅れ、女として子供を宿す機能も閉じている織彩は、しみじみと感慨に耽り、みつきを抱き締める腕の力を少し強めた。それもまた本心ではあるけど、仕事をやり続けた人生に喜びも誇りもあるので、自分の子がいない分、他の子を存分に愛でて埋め合わせいる訳なのだけど。

 総じて言えば、産んでいれば子供と同じくらいの年齢の範囲に入るみつきが工房にいて、しかも頼めば抱き着かせてくれるし撫でさせてもくれるし、と今の状況こそが織彩にとって最高に噛み合った環境だとも言える。

 しかし何時までも顔を胸に埋もれさせて呼吸が辛くなってきたみつきは、ぐりぐりと首を回して拘束から逃れようとする。

 織彩もみつきの動きに直ぐ気付いて、膝を折って身を屈める事でみつきの顔を外に逃がした。そうすると今度はみつきの顔が織彩の顔の側に来て、頬擦りが出来るのだ。

「織彩さん、親方のとこ行くからしばらくいなくなるって言ってましたけど、じゃあ、親方もしばらく帰って来ないです?」

 みつきはむにむにと頬の形を歪めながら、織彩に問い掛ける。

 織彩は一旦顔を離してみつきと目を合わせた。

「ええ、そうよ。何時までかは分からないけど、まぁ、二週間かそこら……もしかしたら一月帰って来ないかもね」

 織彩から親方が帰って来るまでの見当を聞いて、みつきはバッと彩雲に向けて顔を向けた。

「彩雲さん、親方がしばらく帰って来ないなら、未言景みことけいを蔵の外に出していいですか!」

 みつきは期待が籠り過ぎて勢いの付いた声を彩雲にぶつける。

 彩雲は一瞬呆けた後に、声を上げて笑った。

 みつきはどうして笑われたのか分からなくて、恥ずかしさで顔を赤くして織彩の胸元に押し付けてそれを隠そうとした。

「やだ、かわいい。持っていきたい」

 織彩は真顔でそんな事を口から漏らしてきゅっとみつきの体を自分に引っ付けた。

「ごめ、ごめん、みつき」

 まだ笑い混じりで彩雲はみつきに謝罪を述べた。

 みつきは織彩の腕の中でこっそりと、むぅと頬を膨らませた。

「いやー、親方がぶっきらぼうなせいでなんも伝わってないの見るの、ほんとに楽しいなー」

「あ、それよく分かるわ。本当にあの朴念仁、残念よね。口煩くするのに言葉が足りてないから、こうしてなぁんにも届いてないんのよね」

 彩雲と織彩は、みつきそっちのけで彩光とみつきの擦れ違い、正確にはそれによってみつきから彩光への好感度が局所的に低い事態に陥っているのを楽しんでいる。

「みつき、未言景使う時はずっと僕が見てるから好きに使うといいよ」

「ほんと?」

 流石に一門の宝である未言景を使わせるのには彩雲の付き添いが必要だが、使う事自体は何の問題もない。それこそ彩光がいたとしても、彩光本人か高弟の誰かが見ていればそれで良いと言っただろう。

 けれどさっき笑われたみつきは疑わしげに織彩の腕から警戒の眼差しを彩雲に向ける。

「ほんと、ほんと。弥次郎やじろうくんはいい子だから嘘なんて吐かないよ」

 彩雲はお道化てみせてみつきの要らない猜疑心を取り除こうと試みた。

 そして素直な少女はそれだけで、いつも優しくて頼りになる兄弟子を信じてしまうのだ。

 みつきはこくんと頷いて、彩雲を許した。

 それで大人二人はまた口元を緩ませる。

「みつきちゃん、未言景を使うなんてどうしたの? 今もあやめきだまを作ってたみたいだし」

 織彩に問い掛けられて、ぴくんとみつきは体を強張らせた。そして上目遣いに自分を抱き締める女性を伺う。

「親方には、ないしょ」

「うん、内緒、内緒。お姐さんはあんなガサツで口の悪い朴念仁より、素直で可愛くて大好きなみつきちゃんの味方よ」

 織彩は力強く自分の親方をこき下ろし、みつきを優先をすると断言した。

 それで安心したみつきはふにゃりと顔を緩める。

「若様から隣の藩のお姫様へ、気持ちを伝えるお手伝いです」

「ほーん、へぇー。なぁるほどぉ」

 織彩は訳知り顔でうんうんと頷いた。実際、みつきが言った内容だけであっちとこっちの事情も合わせて、何が起こっているのか即座に理解した。

「これは楽しくなりそうね!」

 親方の所に行ってもあれこれ想像する楽しみが増えたと織彩は百合のように華やかな笑顔を見せた。

 その顔を見て、みつきは何が、と事情を飲み込めずに瞬きを繰り返していた。

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