5
◆
「……あのノラ猫を使ったのかい?」
井坂の不快な物言いに浬は思わず顔をしかめたが、先に出た言葉は非難ではなく失望だった。
「本当に……井坂さん、だったんですか」
「証拠を握ってるんだろう。何を今更」
「あぁ、いえ、それ嘘です。鎌をかけました」
井坂の顔から笑みが消える。
「……なんだって? しょ、証拠もないのに僕を疑ったっていうこと?」
「さすがに完全な当てずっぽうじゃないですよ。ただ、たったの二択だったので」
中途半端に閉じられた井坂のノートパソコンを眺めながら、浬は続けた。
「不正アクセスしてきたのがアスクロのプロデューサー権限を持つアカウント、ということまでは分かりました。他人に使われた可能性もありましたけど、操作の形跡を追うと迷いなくシステムの根幹に辿り着いているようだったので……アスクロの作りに詳しい人だと考えたほうが自然でした。俺は違うので、井坂さんか御手洗さんの二択。あとは勘です」
「たったの二択って。勘で上司を疑ったのかい?」
「はい。ゲームと違ってセーブしてやり直しは出来ないんで。もし違ったら全力で謝罪するつもりでした」
井坂はポカンと口を開けて浬の話を聞いたあと、ははっと乾いた笑いを漏らす。
「確証もないのに、堂々と僕を問い詰めたのか。すごい胆力だ」
「……確証はなかった、ですが」
浬は雪平からアカウントの話を聞いた瞬間、すぐに井坂陽斗との顔を思い浮かべた。それは、御手洗まどかへの信頼故──ではない。
「なんとなくですけど、井坂さんはアスクロのことがそんなに好きじゃないんだろうなって、ずっと思ってたんで。いや、アスクロっていうかゲーム自体が、か。だから、プレイヤーが悲しむようなことが出来たんだろうと思ったんです。ただのゲーマーの勘です」
「……久城くん、すごく怒ってるね。君がそんなに怒るところ、初めて見たよ」
「当たり前でしょう。俺はアスクロのプロデューサーです」
「僕はアスクロの産みの親だ」
眼鏡の奥で目を細め、再び井坂は微笑んでみせた。胃の中が煮えたぎるような感覚に陥る。自然と声が震えた。こんな相手に、一片の敬意も払いたくない。
「──なら、何であんなことをしたんだ。何の得があって、アスクロを……」
「ソシャゲは」
トン、トンとテーブルを指の腹で軽く叩きながら、井坂は呟く。
「ゲームを作って、リリースすれば終わりじゃない。そこからがスタートだ。長く続けば、運用メンバーが替わることなんてザラにある。僕から御手洗へ、御手洗から久城くんへ、プロデューサーが替わっていったようにね。まるで駅伝競争のようじゃないか?」
「……何が言いたい」
「僕は、チームで一番速く走った人になりたいだけだよ」
ほら、と井坂は淀みなく続ける。
「ユーザーの間でもよく話題にあがるだろう。最近の対応が悪いのは運営が替わったからだとか、この運営の時代が一番良かったとか。最もわかりやすいのは売り上げだ。『井坂が担当していた時期だけ売れていた』と上から言われるのは、それはもう気分が良い」
浬は井坂の話を聞きながら、御手洗のことを思い出していた。
上層部からも、ユーザーからも責められ、それでも歯を食いしばって何とかもがいた末、糸が切れたように倒れてしまったあの人を。
「御手洗さんに替わってから、立て続けに起きた不具合もあんたのせいか」
「あはは、暗黒時代なんて言われてたよね。驚くほど上手くいったものだ。彼女、よく僕を頼ってきていたんだよ。私、どうすればいいんでしょうかって」
「…………」
「御手洗はダメになったしもう十分だと思って、手を引いたのが間違いだった。まさかここまで持ち直すとはね。やっぱり、無理にでも君を
眼鏡を殴り割ってやりたい衝動を抑え、代わりに下唇を噛みしめる。力を入れすぎたせいで、じわりと鉄の味が口内に広がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます