第六話.罠と火と鉄
「なんだって……?」
早朝、春霞を裂いてネムサクナリアの森へ飛び込んできた傷だらけの白い狼が告げた言葉をフィスセリウスから受け取ったネムサクナリアの呆然とした声でリースは目覚めた。
「……我が一族の住処に、鉄の竜が現れたそうだ。成体で、私が戻らねば皆が危ない」
「そんな、何故……卵が存在しているのにあれが
「……鉄の竜には知恵がある」
「まさか……陽動だと?」
そろそろと出てきたリースの前で、フィスセリウスはネムサクナリアの言葉に重々しく頷いた。
「そうでない可能性も勿論ある。だが現状考えられるのはそれだけだ」
「……卵はわたしが守る」
「頼む、我がつまよ」
それからフィスセリウスはリースの方へ歩いてきて彼の手を掬い上げるようにして握った。
「リース、私は一族を守らなければならない。どうかお前がネムを支えてくれ」
「っ、はい」
「よし」
緊迫した面持ちで頷いたリースに碧緑の瞳を細めて見せ、ネムサクナリアに向き直ったフィスセリウスは「すまない」と言って、腕の中の卵ごとその体を抱きしめた。
それから二人は目を閉じて額と鼻先を触れ合わせる。目を開けて一歩下がったフィスセリウスは名残惜しげに卵へ目を向け、すぐに背を向けた。
「行ってくる」
たちまちのうちにその長身が白銀の大狼に変わる。知らせを運んできた白狼と共に駆け出す。残されたネムサクナリアは目を固く閉じて小さく鼻を鳴らした。
「……リース。フィスが戻るまで、お前に頼りきりになってしまうかもしれない。構わないかな」
「勿論です!!」
拳を固く握り締めて答えたリースに、強張っていた表情を少し緩めたネムサクナリアは「ありがとう」と掠れた声で言った。
――――――――
フィスセリウスが森を出てから、ネムサクナリアはリースに鉄の獣との戦い方を教えた。
人間であるリースに鉄の獣たちは興味を示さない。攻撃されれば別だろうがネムサクナリアがリースに教えたのは鉄の獣を殺す魔法を込めた罠の作り方だった。
「抱卵中のわたしが使えるのは大規模な魔法か、極々小さな魔法だけ。罠を張るような繊細な操作はできない」
「ネムほどの
「そうだよ。卵は自ら魔力を吸うんだけれど、こちらが調節してやらないと吸いすぎたり足りなかったりして、上手く育たなくなってしまうんだ」
それにかかりきりになってしまってね、とネムサクナリアは苦笑する。
「なるほど……」
呟きつつ籠の中の銀の卵を眺める。よく目を凝らせば複雑な魔力の渦がその表面を覆っているのが見えた。自分には出来そうにない緻密な魔力操作が求められることがよく分かる。
溜め息を漏らしたリースへ「手が止まっているよ」とネムサクナリアが手元を指差して見せた。慌てて蔓草を編んだ縄へ視線を戻す。
「さ、呪文の復習だ」
「はい」
リースは呼吸を整えた。呼吸によって思考を整え、大地と大気と繋がる。魔力の流れは穏やかに。空から受けて身を通し、地へと流す。世界の中に渦を巻く大いなる流れの一つであることを強く意識する。
「……兎の穴、駒鳥の嘘、牡鹿の枝。絡めて捕らえよ、其の足を取れ」
手に握り締めた縄は五本の頑丈な蔓草を特別な編み方で編み上げたもの。右手に握り、左手で撫でる。
己の魔力を流し込み、端から端まで触れたら打ち返し、同じ呪文と動作を三度繰り返す。
縄の中に魔法が満ちたことを感じ取ってからフッと気を楽にしたリースが顔を上げると、嬉しそうに微笑むネムサクナリアと目があった。
「上出来だ。流石わたしの教え子。これなら大抵の鉄の獣に勝てる」
「よかった」
兎の穴にも駒鳥の嘘にも、そして牡鹿がへし折った枝にもしっかり引っ掛かったことがあるリースにとって、この魔法を織り上げる際に想像力はほとんど必要がなかった。
何故なら経験がそのまま魔法に宿るからである。森を駆け、大地を杖に、風を
「あといくつか作って、仕掛けてきます」
「うん、そうしようね」
リースは意気込んで、次の縄を手に取った。
――――――――
風に乗る鉄の匂い、それから荒々しい呼気の音。鉄の獣が群を成し、森を踏み荒らして駆けていく。
大樹の枝葉の影からそれを窺っていたリースは、予め仕込んでおいた草樹の成長を促す魔法を発動し、鉄の獣たちの進路を調整する。
群は立ち並ぶ
先頭を走る犬に似た鉄色の獣の、鈍色をした蹄が罠を踏む。
直後四方八方にぶわりと溢れたしなやかな蔓草の縄。
動揺して前肢を上げ、吼える鉄の獣たちを瞬く間に縛り上げ、鞭打つ様な勢いで地面へ抑えつける。
その勢いのあまり鉄の獣たちはあちこちの重要な骨を折られ、呻く暇もなく息絶えた。
(……僕の大切なひとのために、お前たちの命を貰うよ)
例え相手が野蛮なる魔獣でも命を奪うことに変わりはない。リースはそっと瞑目して祈り、隠れていた木を降りた。
絶命している五頭の鉄の獣のもとへ歩み寄り、膝を付いて縄を解く。これはリースの魔法であるから、彼の手にかかれば簡単に解けるのだ。
鉄の獣の体はそのままでは大地に還らない。だから火の力によって還す。放たれた魂を大気へ、灰となる体を大地へ。
適当な木の枝を拾い、五頭を囲む円を描く。中心に当たる鉄の獣の腹の上へ、ネムサクナリアが作った熱宿りの石を載せた。
――「いいかい、リース。幾ら魔法に長けようと、人の子一人で鉄の獣を灰にするのは難しい。わたしの熱を持ってお行き。お前なら使えるはずだから」――
そう言いながらネムサクナリアが彼の手に握らせた熱宿りの石はほんのりと温かかった。
「宿りし火よ。鉄を退け、魔を払え」
円から少し離れてそう唱えると、熱宿りの石から鮮やかな赤い炎が溢れて五頭の鉄の獣の体を瞬く間に覆い尽くした。
炎は円からは出てこない。円はそういう境の役目を果たすものだからだ。
リースはその炎と姿を崩していく鉄の獣をじっと見守っていたが、遠くで別の罠が発動するのを感じてそっと立ち上がった。
鉄の獣を罠で狩り、火の力で還す。そんな繰り返しに慣れてきたある日。
休憩しようと小川のそばの木陰で林檎を齧っていたリースのもとへ、慌てた様子の熊が走ってきた。
上空を鳥たちが慌てた様子で横切っていくのが見える。何となく嫌な空気を察しながら、リースは熊の声に耳を傾けた。
「え……?」
大きな鉄の獣が空を飛んでいる。
その意味を理解して目を見開いたリースは林檎を落としながら立ち上がり、かのひとが待つ巣へ向けて駆け出した。
「ネムッ……!」
彼の背を追うように、金属を擦り合わせる様な不気味な咆哮が響き渡った。
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