第二十話 罠
「ええい! ムシュウはまだ戻らぬのか!」
ユーシュライが声を荒げる。周りの者たちは、なす術もなくうろたえるばかりだ。アーリシアンの姿は、天上界から消えてしまった。そしてムシュウの姿もない。これがどういうことか、ユーシュライにはわからなかった。
「……まさか、ムシュウが?」
連れて戻ったアーリシアンを更にどこかへ隠したと? 何の為に! しかし、そんな事が出来るのはムシュウを置いて他にはいないのだ。アーリシアン一人では地上へなど降りられないのだから。
もしかしたら、謀反の企みがあったのかもしれない。
そう考え始めるといても立ってもいられないのだった。
「アーリシアンを楯に取り、一体何をする気だ、ムシュウ!」
小さく叫ぶ。
半ば決めつけるような発言。
ユーシュライがムシュウを疑うのには理由があった。彼は、妻であるフィヤーナを慕っていた。それを知っているからだ。アーリシアンはフィヤーナにとても似ている。そんなアーリシアンを見て、ムシュウが昔の思いを蘇らせたとしても何ら不思議はない。あのとき、叶えられなかった思いを今こそ、と思ったとしても不思議はないと考えていたのだ。
「もし、もしもそうだったとしたら……、」
確かにムシュウはユーシュライにとってなくてはならない家臣の一人である。しかしあの男はどこか暗い陰を持つ、油断のならない人物だとも思っていた。白の術を使う者は危険だ、という、精霊界での言い伝えが当て嵌まってしまいる気がして、ユーシュライは怖かったのである。
「アーリシアン……、」
フィヤーナの残した、この世に二つとない宝。この手に抱いてやりたい。母、フィヤーナの思いを伝えてやりたい。父として求めるものは、娘の幸せだけなのだ。アーリシアンにふさわしい男を探し出し、天上界で、自分の側で娘の幸せを見つめることが出来たならどんなに……、
「無事で、どうか無事で……、」
手を組み、うなだれる。
力のない自分をただ恥じることしか出来ない悔しさに胸押し潰されそうになりながら、ユーシュライはひたすら祈り続けたのである。
ムシュウの真意を確かめる方法など、ユーシュライには思い付かなかったのだ。
そしてその頃ムシュウはというと――
「何故、こんなことをっ!」
怯えた目で震えているのは一人のピグルだった。ズイ、と身を乗り出してくるムシュウから感じられるのは狂気。今までに出会った精霊とは違う、その異種なる雰囲気に、ただ怯えるばかりだった。
「精霊とは本来、光を纏う者ではないのですかっ? あなたの向こうに見えるのは、光ではなく、闇です!」
毅然とした態度でそう言い返す。
「ええいっ、ごちゃごちゃ抜かすな! お前は黙って私の言うことを聞けばいいのだっ。さぁ、早くしろ!」
ムシュウはピグルの村にいた。小さな集落を襲い、白の術で脅しをかけ、幻術に長けている一人のピグルを広場の真ん中に引っ張り出してきたのだ。他のピグルたちは一ヶ所に集められ、ムシュウの術によりその魂を捕らえられている。
(私が失敗すれば、みんなの命はない!)
ピグルは震えながら一歩前に出ると、ムシュウに言われるがまま幻術を使った。ある人物に化けたのである。
「……ほぅ、村一番と評されるだけのことはあるな。なかなかの出来だ。よし、それでは行くとしよう」
ニヤリと笑うムシュウの瞳に、また別の情を垣間見る。一体この男、何をしようというのか?
「行く? 行くって、どこにですかっ? 村の皆を残したままここを離れるなんてっ、」
ムシュウはチッと舌打ちをし、忌々しげに吐き捨てた。
「声までは変わらないようだな。仕方ない、口は閉じていろ。お前は私の言う通りにすればよい。いいなっ?」
「そんな無茶な、」
「お前が『否』と言うのであれば、私にも考えがある。ピグルは魔物の餌だったな?」
フフ、と唇の端だけ上げて、笑う。おぞましい顔だ。
「……どうすると?」
「あの、魂を捕らえたピグルたちを魔物の住処に移動させる。魔物に食われりゃ骨も残らんだろう」
「そんなっ、」
「お前が黙って私に協力さえすれば、あいつらの命は助けてやる。どうする?」
選択の余地などない。村のみんなの命が掛かっているのだから。どんなことでも、言うことを聞くしか道はないようだ。
ピグルが頷く。
「……わかりました。で、具体的には何をするのです?」
「それは追々話すとしよう」
そう言ってムシュウは、姿を変えたピグルの腰に手を回した。ピグルの姿は、アーリシアンそのものだったのである。
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