第十八話 一緒がいい
「……どういうことだ?」
ラセルは待ちくたびれていた。すぐに血相を変えて戻ってくると思っていたムシュウは、ついぞ夜が明けるまでその姿を見せなかったのである。
「作戦変更、ってか?」
援軍引き連れて戻ってくるつもりなのだろうか? しかし、それは困る。何しろこちらは後ろ盾のなくなったただの魔物なのだから。
「どうしたもんか、」
途方に暮れる。
アーリシアンが連れて行かれたであろう天上界に行く術など知らないし、大体、行ったところで何をする? 連れ戻す義理もない。契約を結んでしまっているとはいえ、彼女が幸せに暮らせるのであれば天上界に留まってくれても一向に構わないのだ。だが、契約を結んだままでは彼女は新しい相手と結ばれることが出来ない。かといって自分の命を投げ出してまでアーリシアンの自由を尊重する気もない。勝手な言い分かもしれないが、全ては予定外の出来事なのだから。
「大体、アーリシアンが俺を騙したりするからいけないんだっ」
誰もいない空間に八つ当たりをする。
「俺は一人楽しく暮らしていたと言うのに」
そう。
もし、あのときアーリシアンと出会わなければ、今頃地の宮でおとなしくサーシャと結婚していたのだろう。陽の当たらぬ暗い城で一生を終えずに済んだだけよかったと言えばよかったのかも知れないが。
「……はぁ、」
知らず、溜息などついてみる。このままここを後にして新しい住処を探しに出てしまってもいいのかもしれない。ムシュウは放っておいても追ってくるのだろうし、なにも好き好んで彼の帰りを待つ必要もあるまい。
「そうだな、」
ラセルは立ち上がると、マリムの家を出た。夜明けの空は夜の闇から変化した藤色と濃い青とのグラデーション。アーリシアンの髪と、瞳の色だ。つい先日別れたばかりなのに、何故だかとても昔のことのように感じられる。
少しだけ、胸が痛んだ。
「感傷……か、」
ふっ、と苦笑い。
今まで、何かに固執したことなどない。生きとし生ける者は全て、一つの命を所有し、生まれる時も、死ぬ時も、独りでその瞬間を迎えるのだ。誰かと共にあるときも、常に独りであることに変わりはない。誰かに……何かに固執することは、愚かなことだと思っていた。
それなのに、
「寂しい、なんて感情が俺にもあるとはね」
空は、明るさを増し始める。透明な青が広がり、太陽の光が辺りを照らし出す。
「…セ…ル!」
遠くから、声。
「幻聴まで聞こえてきた。重症だな」
思わずブルッと頭を振る。
「ラ…セル!」
「……幻聴じゃ、ない?」
ふ、と顔を上げる。振り返ると、遠くから走ってくるシルエット。背中に太陽をしょって、キラキラと光を放つその姿は……、
「……アーリシアン?」
「ラセルーっ!」
まっすぐにラセルの元に走ってくる。長い髪をなびかせて、息を切らせて、まっすぐラセルだけを見て。
「アーリシアン!」
驚きもあった。
けれど、そんなことではない感情がラセルの全身を襲っていた。走り来るアーリシアンを見た瞬間、ラセルはふわりと温かな気持ちになったのだ。自然と、手を広げアーリシアンが飛び込んでくるのを待っていた。
「ラセル!」
ふわりと体を宙に浮かせ、まさにラセルの胸に飛び込んでいくアーリシアン。ラセルはそんなアーリシアンをしっかりと抱きとめた。頬に掛かる髪が、くすぐったかった。
「会いたかった…、」
「……ああ、」
小さく呟くアーリシアンに、ラセルはそう答えるのがやっとだった。
「……どう思います?」
遠くでその姿を見ていたセイ・ルーが問う。
「何が?」
マリムが更に聞き返した。
「アレですよ」
ちょい、とアーリシアンを指した。
「……せっかくいい場面なのに、ぶち壊しですな」
「ですよね」
「……、」
「……、」
アーリシアンは、両足を絡めてラセルの体にしがみついていたのだ。木に登るサルのような格好。確かに、ムードは感じられない。
「でも、本人たちはあれでいいみたいだし」
と、マリム。
「そう……みたいですね」
二人は、抱き合ったままだ。何か話しているのだろうか?
「……で、これからどうするんです? セイ・ルー」
「それはこっちが聞きたいです!」
今にも泣き出しそうな顔で、セイ・ルーはマリムを見下ろした。
そう、白の術を使える精霊はセイ・ルー本人だったのである。アーリシアンの命に従いこうして地上までの道を開いてしまった今、天上界に戻ることなど出来やしなかった。ユーシュライにこのことが知れたら、ただでは済まないだろう。ムシュウのように囲われている身ならまだしも、セイ・ルーは高い地位を持つわけでもない、ただの天上界の住人でしかないのだ。白の術を使えるということは、誰にも話していない。仲間から追われる身になるのはごめんだ。昔ほどではないにしろ、今でもまだ白の術を使える者は恐れられ、疎まれているのだから。
それに…、禁断と言われる所以であるのにはわけがある。
白の術を使うには、必要なものがあった。それは『命』だ。力を使う毎に一つの命を捧げる。生贄。犠牲。その命が大きければ大きいほど、使える術の力も増える。セイ・ルーは狩りをすることがある。相手は小動物だ。その際に奪った小さな命が、白の術を使う力の源。
ただ、彼の場合、対象が小動物であるため、大した術は使えない。
美しいものを好む精霊にとって、他の命を奪い私利私欲のために使うなどというのは、あまり褒められたものではない。だから白の術を使う者は黒い心を持つと言われるのだ。セイ・ルーは自らの黒い心を認めざるを得なくなったのである。もう、天上界には帰れまい。
「これからずっとマリムと一緒にいられると思えば、それはそれでいいかも……、」
ひとりごちる。
ゾワワワワ、とマリムの背中に悪寒が走った。
「冗談じゃないですぞっ。私はピグルの村に帰って嫁探しをっ、」
「ああ、久しぶりの地上はなんだかワクワクしますねぇ」
「って、人の話を聞けーっ!」
前途多難なマリムであった。
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