第八話 天上界からの刺客
「つっまんな~い」
マリムは肩で息をしていた。
別に全速力で獲物を追いかけてきたわけではない。全速力で追いかけられていたわけでもない。ここはマリムの家の中なのだから。
「他には?」
今更ながら自分のしてしまった事を心から悔やむ。どうしてあの時、きちんと断らなかったのだ? ちょっとばかり見た目がいいからといって安易に引き受けてはいけなかったのだ。精霊という生き物を、大して知りもしないのに一緒に生活するなど、所詮無理なことだったのだ。
「ねぇ、他には?」
アーリシアンは屈託ない笑顔で『次』を要求する。マリムは大きく息を吐き出すと、言ってやった。
「今のが最後です」
「へ?」
「お終いですっ!」
「……ええーっ?」
不満タラタラのアーリシアンである。
「なにが『えーっ?』ですかっ。こっちは朝から飲まず食わずでずっとやってんですよっ。ちっとはいたわりの心っていうもんがないもんかっ?」
アーリシアンは朝からご機嫌斜めだった。ラセルが迎えに来ない、とイライラしていたのだった。
「いつ来るかわからない」
と出て行った男が、預けた翌日に迎えに来るはずがないだろうに。
そんなアーリシアンを慰めるべく、マリムはピグル族特有の『技』を披露してやったのである。通称『変化』といい、他のものに姿を変える術なのである。もちろん、何にでもなれるというわけではない。姿形が似た、簡単なものにしか化けられないのだ。
「見た目より結構な体力を使うんですぞ?」
まだ肩で息をし、マリム。
そんなことはお構いなしに、アーリシアンは口をとんがらせていた。
「じゃあ、ラセルに化けてよ」
「無理です」
「なんでっ?」
「形が複雑すぎます。それに身長差がありすぎる」
「いいから化けなさい!」
「ヒィィッ」
アーリシアンの鋭い命令により、マリムは慌ててラセルの姿を形作った。……のだが、
「くっ……ぷぷっ、きゃははははははっ」
その姿を見るや、アーリシアンは腹を抱えて大笑いしたのである。
「なっ、なんですか、失礼なっ」
マリムが声を荒げる。
「だって、だって、あははははっ」
マリムを指し、転げまわって笑うアーリシアン。そんなにおかしいのかとマリムが近くにあった鏡に自分の姿を映した。
二頭身のラセル。
……はっきりいって似ていない。そして驚くほどのブサイクっぷりだった。
「こんなの見られたら食われるな、俺」
ポンッと変化を解く。
「やーん。もう終わりなの?」
ゼイゼイと肩で息するマリムにアーリシアンが変化をせがむ。
「はぁっ、もうっ、むっ、無理ですっ、」
マリムはその場にへたり込んでしまった。さすがのアーリシアンも諦めたのか、窓の外に目をやった。ラセルがいなくなってから、ずっと窓の外を見ていた。だってすぐに迎えに来る、と言ったのだ。すぐに来る、と。
「……すぐって、一体どのくらいの時間なのかしら?」
呟く。
「ラセル、」
「そんなにラセル様の事が好きですか?」
マリムが訊ねた。
「もちろんよ! 私、ラセルのお嫁さんなのよ?」
自慢気にポーズなど作って見せる。
「精霊と魔物が夫婦ねぇ。世の中不思議なこともあるもんだ」
「そんなに変?」
「変ですとも。精霊と魔物はまったく相反する種族ですからね。元々精霊も魔物もプライドの高い、血を重んじる一族だ。異種と結婚するだけだって驚きだっていうのに相手が魔物とは」
「ふーん。そうなの」
アーリシアンは首をかしげた。精霊と魔物は仲が悪いのだろうか? ラセルはあんなに優しいのに。
「そういえばアーリシアン、自分の親のことは覚えてるんで?」
「ううん、全然。私が覚えてるのは、ラセルの顔だけよ。生まれたときからラセルの事しか知らない」
「じゃあ、アーリシアンって名前はラセル様が?」
「それは違う。ラセルは私のお母さんに会ったことがあるんですって。私をラセルに預けてすぐ死んじゃった、って。名前はその時お母さんがそう呼んでいたからだって」
母親……それを恋しく思った事がないといえば嘘になる。どんな人だったのか、どうして死んでしまったのか、アーリシアンにはわからない。わからないからこそ、愛しくも思う。だが、存在しない誰かを待ち続けることほど空しい事はない。自分には今、ラセルがいるのだ。それでいい。
『……デハ、ヤハリオ前ガ あーりしあん……ナノカ?』
「えっ?」
頭の中に声が木霊する。キョロキョロと辺りを見渡すが、マリム以外、ここには誰もいない。
「今、何か言った?」
「いいえ?」
マリムが首を振る。
『帰るノデス あーりしあん』
「誰っ?」
立ち上がる。窓を開け、外を見る。が、やはり誰もいない。
「なんですね? アーリシアン」
マリムが不思議そうに訊ねた。
「聞こえないの? マリムには何も聞こえてこないのっ?」
嫌な胸騒ぎがした。言いようのない不安。
『コチラヘ オイデナサイ』
ポウ、とアーリシアンの目の前に光が現れる。驚いて体を震わせる。と、光はまるで彼女を導くかのようにフワフワと漂いながら動き始めた。
『コチラヘ……、』
「嫌よ! 行かない!」
「どうしたんですか? 一体」
マリムは相変わらず首を傾げるばかりである。
「あの光も見えないの? どうして? 私だけに見えてるの?」
『ソウデスヨ 光ノ精霊ダケニ ミエルノデス』
「……っ、」
アーリシアンが首を振った。
「私はラセルの妻よ! 今は、ただそれだけなのよ!」
「知ってますよ、そんなことは」
暢気なのはマリムだけである。
『……ツマ? マサカ、』
「本当だもんっ」
『……、』
声が止んだ。納得したものとアーリシアンがホッと息を漏らしたその瞬間、
パアアアアッ
「うわっ、なっ、なんだこりゃああっ?」
マリムにも見えるほど強烈な光が辺りを包んだのである。
「アーリシアン、あなたの仕業ですかっ?」
「違うわよっ!」
光の中、目を細めて辺りを探る二人。外へ逃げ出そうと、目を凝らしなんとかドアまで辿り着いた。
「ちょっ、あれっ?」
マリムが取っ手を握ったままオタオタ慌て始める。
「何してるのよ、マリム、早くっ!」
「開かないっ、何故だーっ」
完全にパニックである。
「んもうっ、どいてっ」
マリムを押しのけ、アーリシアン。が、どんなにノブを回そうえとしてもびくともしないのだ。もちろん、ドアを押したり引いたり色々試してみたがまったく動く事はない。
「なによ、もうっ」
「ほうら御覧なさい。開かないでしょう?」
「どうしてよっ?」
「さぁ?」
「さぁ、じゃないでしょっ。早く何とかしなさーい!」
「そんなこと言われましても……、」
そうこうしているうちに、光は徐々に輝きを失い、段々と視界が戻りはじめる。
「……あ、」
マリムが一点を指した。つられて視線を投げるアーリシアン。
そして、息をのむ。
そこには、見たことのない男が立っていたのである。
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