創奇のカルテット
カザフ
プロローグ ~帰ろう~
さわやかな夜風が吹く、夏の終わりの満月の夜。お気に入りの、
なんて美しい時間だろう。そう思って目を閉じた、直後。
残り20mで自宅という地点で、左やや後ろから全身への衝撃。静かな暴走トラックに気づいたその瞬間に、僕は死の淵に落とされた。
たった一瞬の間に、足元が全て崩れ落ちるような恐怖と、為すすべのない絶望と、体の内と外の境界が無くなるほどの激痛と――、そして、意外なことに、人肌の温もりがあった。僕のすぐ目の前や横で、同じように歩いていた人達の中に、一緒に巻き込まれた人がいるようだ。
「僕ら」は、大型トラックとブロック塀の間で、折り重なるように潰れて死んだ。
* * *
「い……せ……かい?」
女性が呟いた。
全身に残る痛みを抑えながら、意識を取り戻すと、僕はまた、夜の歩道に立っている。
ふと、自宅前の、そうだ、たった今圧死した場所だ、と思った。
道幅や、一つ先の交差点までの距離が、同じだからだろうか。満月が見えている位置も確か同じだ。でも、冷静に考えれば全く違う場所なのだ。
歩道と車道の間に、ずいぶん立派なガードレールがある。右手に見えるのは、ブロック塀とみすぼらしいアパート群ではなく、木立とかっこいいタワーマンション。これなら、あそこまで悲惨な事故は防げたんじゃないか?
周りを見渡すと、街灯の感じも、街並みも、何だか整然としすぎている。
道路の向かい側にも、同じデザインのタワーマンションが
その後ろから続いて来た車は、大型トラック、と呼ぶべきなのか分からない。運転席のない、荷台だけで走る車だったのだ。
どうやら、自動運転が発達した世界らしい。
「異世界って、言いました?」
しばらくして、僕より少し若そうな男性が口を開いた。
どこにでも居そうな普通の男子大学生。名前は知らないが、僕は見覚えがあった。同じアパートの下の階に住んでいたはずだ。たまに、友達を呼んでドンチャン騒ぐので、どちらかと言えば寛容なタイプの僕も内心、うるさく思うことがあった。
「異世界に来たかも。ここにいる4人で。」
女性がまた呟いた。ポニーテールに髪を束ねた若い女性。声が震えている。黒縁の眼鏡の奥の瞳が、一瞬、光った気がした。
「そ……」
僕が、そんなこと……、と言いかけたタイミングがかぶった男性は、少し年上に見えた。この人は、無精ひげを生やして、グレーのスウェットを着ている。
「そんなこと、あり得るんですかね」
と、先に言ったのは僕だった。
* * *
真夜中に差し掛かる頃、大きな公園に備え付けられたベンチ付きのテーブルを囲んで、4人は途方に暮れていた。
この数時間で分かったことは、いくつかある。
・4人とも同じ事故の被害者で、同時にこの世界に飛ばされてきたこと。
・この界隈は、僕ら4人が死んだ東京・中野の街で、地理条件や地名は「元の世界」と同じようだが、街並みは全く違うこと。
・元の世界から持ち込んだスマホの回線が通じないこと。
・自販機でもコンビニでもホテルでも元の世界のお金が使えない、つまり、僕らはこの世界で無一文の状態であること。
・日本語は通じるが、有名人や歴史上の人物の名前が誰にも通じないこと。
「あんまり、こういうこと言っても仕方ないんだけどね」
ポニーテールの赤井みどりが打ち明けた。
「私、あの時、一人ならもしかして逃げられたのかな、とか思って。でも、周りの人にも声かけないと、と一瞬思っちゃって。声を出す暇もなかったのに……」
あの時イヤホンで大音量で音楽を聴いていた、大悪党の僕は何も返せない。
「悪かったです。マジで」
スウェット姿の
「俺、スマホで、小説のアイディアをメモしてて……夢中で。それで気づくのが遅れたと思うんです。しかも、何の因果か、書いてたのが異世界転生ものなんですよ。俺の作品の異世界は中世風ですし、転生だから赤ちゃんとして生まれるところからやるんですけど……」
「誰が悪いとか、転生とか、やめましょうよ!」
大学生の
「まあ、悪いのは暴走トラックの運転手が100%悪いですけどね? それよりも、これ、転生ですか? 元の世界に帰れるパターンとか無いっすかね。世界の秘密を知ったり、大ボスを倒して、最終的には夢オチ的な。……俺、21歳で事故死とか……寂しいですし。帰りたいな。どうすればいいっすかね、
「寂しいよね……うん……全然、分からないよね」
話を振られた僕が――北川連が言葉を絞り出す。
「何の解決にもならないと思うけど、少し、元気出すために、歌っていいかな」
「歌? 連くん、歌が得意なの?」と、みどり。
「自慢できるほどの、あれではないんですが」と、僕。
「僕、元の世界で、何の取り柄もないフリーターだったけど、ピアノを弾いて歌ってる時間だけは純粋に好きで。ミュージシャンになれたらなあ、っていうのが、小さな夢でした」
何の解決にも、
ただただ、音楽の力が借りたくて。
僕は目を閉じ、自分の最期の曲となってしまったバラードを歌った。
“ああ 全て忘れて帰ろう
ああ 全て流して帰ろう
あの傷は疼けど この渇き癒えねど
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう
さわやかな風と帰ろう
やさしく降る雨と帰ろう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に 忘れよう
あぁ今日からどう生きてこう”
~藤井風『帰ろう』(作詞・作曲:藤井風、2020年)より引用~
歌い終わって少し間を置いて、「凄い、素敵な歌だね」と、拓哉が言ってくれた。
気づけば、公園にいた人達が僕らの周りに集まり、ざわざわしている。
拓哉と、潤と、みどりに続いて、その中の何人かが、やや戸惑い気味に拍手をくれた。
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