恋心、君に届くように朗読に乗せて

セツナ

恋心、君に届くように朗読に乗せて

 地面にペタリと座り込み、肩の力を抜くと私は上を見上げました。

 暗くかげる木々の合間からは、穏やかな黒色の夜空が広がっています。

 そこには、キラキラと輝く星たちがまたたいています。

 ……いつか、何かの小説で読んだことがありました。


 『異性は、星の数ほどいる。だから、恋愛の可能性も沢山ある』と。


 恋。私にとっては、考えることが出来ないものです。

 興味がない、と言うと、嘘になってしまいます。

 でも、私には縁のないもの、という方がしっくりくるかもしれません。

 だって私は――。


***


「ねぇ、片桐くん! 聞いてる?」


 声をかけられている事に気付き、慌てて顔をあげると友人が眉を吊り上げて僕を見ていた。

 彼女は所属している部活での友人だ。

 僕らは今、昼休み中で食事後の無駄話の時間を楽しんでいた。


「あ、ごめん、聞いてなかった。なんだって?」


 頭を下げながら謝罪の意を伝えると、友人は「本当、片桐くんそう言う所あるよねぇ~」と呟きながら正面に座って来た。


「今度、新入生歓迎会するでしょ? メンバー集めて欲しい、って話!」


 聞いて、あぁその話か、と頷いた。


「でも、なんで僕が……」


 文句を垂れながら溜息を吐くが、友人は意に介していないような顔で僕の肩をバンバンと叩いてきた。


「だって、片桐くん人当たり良いし、こういうの適任だと思うんだよね」

「ずっと言ってるけど、それはかなり過大評価なんだけどな……」


 しかし、そんな僕のぼやきなど意に返さず、ニコニコとこちらを見ているだけの彼女に向かって、大げさに溜息を吐くと「分かったよ、引き受けるよ」と頷いた。

 その返事を聞いて、満足そうに二度頷いた彼女は「あっ」と声を上げた。

 そして、そっと声を潜めて僕の耳元に顔を寄せてきた。


「でも、星野さんには無理に声かけなくて良いよ」


 話題に上がった星野さん、と言うのは部室の隅で静かに本を読んでいる同級生の少女の名前だった。

 重い印象を受ける黒髪は、流行に真っ向から逆らっているようにも見えるが、手入れがされていないわけではなく、すとんと落ちる艶やかな髪はある種、男子の憧れとも言える。

 ただ、いつも前髪を長めに伸ばしているので、表情が読み取りづらく暗い印象を受ける少女でもあった。

 部員に自ら話しかける事はなく、他のメンバーから声をかけられても必要最低限のことしか返さない。

 彼女はそんな女の子だった。


「なんで?」


 部活仲間である友人が、星野さんに声をかけたがらない理由は何となく察しがついた。だが、彼女にだけ声をかけないのも変な話だろう。

 僕が疑問符を投げかけると、友人は「あ、いや……」と気まずそうに言葉を濁した。


「まぁ、新入生含めて色んな人に、適当に声かけておくよ」


 僕がそう締めくくると、友人は「よろしくね」と言って、さっさと席を立ってしまった。

 ちょっと空気が読めないことをしたかな、と反省もしたが、別に間違ったことを言ってないし良いだろう、と開き直る事にした。

 問題は、啖呵を切った手前、星野さんに声をかけなければいけなくなったと言うことだ。

 どうしたものか、と考えを巡らせながらも、ひとまず所属する『文芸部』で、僕が編集を任されている部内誌の作業に戻る事にした。


***


 気付くと放課後になっていた。

 部内誌の発行日も近付いていたので、集中して作業を進めていたら、既に夕焼けが窓から差し込んでいる。

 部員達も早々に帰ってしまったらしく、誰もいない。

 ……と思ったが、部屋の隅に人影があった。

 星野さんだ。

 こんな時間まで何をしてるんだろう、とその手元を見ると文庫本を一生懸命に読んでいるところだった。

 開いてるページの辺りを見ると、どうやらいよいよ物語の終盤のようだ。

 女の子を一人残していくには忍びないし、物語の面白い部分を邪魔するのも気が引けた。

 なので、パソコンを起動したまま彼女の読書が終わるのを待つことにした。

 そこから10分も経たずに、彼女はパタン、と文庫本を閉じ、ふぅ……と小さく溜息を吐き出した。


「面白かった?」


 しばらくパソコンと星野さんを交互に見ていた僕は、つい彼女に尋ねてしまった。


「えっ、片桐くん……? あ、私ったらごめんなさい……」


 彼女は本の感想を問われた事よりも、時間を忘れて没頭していたことの方が気になったらしい。


「いいよいいよ、僕も作業してたし」


 なるべく彼女が気にしないように言葉を選んでいく。


「星野さんって、いつも何か本を読んでるよね」


 僕の言葉を受け、彼女は前髪を手で押さえながら気まずそうに頷いた。


「あ、そ、うですね……。本は好きなので……」


 そう言って、読み終えた本を大切そうに指でなぞる。


「本は、物語は、色んな世界に私を連れて行ってくれます」


 先程よりも少しほぐれた声のトーンで、星野さんは続けた。

 やはり彼女はとても小説が好きらしい。


「あー分かる。自分とは違う人生を追体験できる感じ、いいよね」


 僕も頷いてみせる。


「ですよね! ……私ってあまり人と話すの、得意じゃ無いから……小説を読んでる時しか『人』に触れられなくて」


 徐々に声のトーンが落ちていく星野さん。


「あー……でも、話してみたい、って気持ちはあるの?」


 訊ねると、彼女は「もちろんです!」と勢いよく頷いた。


「本当は話したいです。でも、私が嫌われてるのも分かってるし、自分からもどう声をかけて良いか分からなくて……」


 彼女は苦笑いを浮かべながら「最初に色々間違えちゃったみたいで」と悲しそうに言った。

 確かに、星野さんが部活に入部してきた時、彼女が一生懸命話しかけようとしているが、言葉が上手く続かず話が終わってしまう事があった。

 そうしているうちに、星野さんは少しずつ部員から孤立していき、今のような立ち位置になってしまった。


「じゃあさ、人と話す練習しよう! 僕手伝うからさ」


 気がつけばそんなことを言ってしまっていた。

 星野さんが驚いたようにこちらを見上げたが、僕自身もちょっとビックリしていた。


「話す、練習……?」


 しかし、彼女の声には僅かに嬉しそうな色が滲んでいる。


「そう。小説の朗読とかしてみてさ、それで声を出す練習してみようよ。それを僕に聞かせて?」


 自分でも何でこんな事を言っているのか分からなかった。だけど、ずっと部室に一人でいる星野さんの姿を見ていて、話してみたいと思っていた事。そして、実際にこうして話した彼女が本当は人と居たいと思っていた事。色んな想いが混ざって、気付いたらそんな提案をしていた。


「今は思ったように話すのが難しいのかもしれないけれど、声を自然に出し続けたら、変わるのかもしれないじゃん?」

「え、でも……朗読って何を……」


 戸惑いを見せる星野さん。

 一般的に朗読と言えば、言葉の運びが綺麗でセリフも少なめな純文学だろうか。

 うーん、と考えを巡らせた後、僕はそうだ、と手を叩いた。


「星野さん自身が書いた小説とかどう?」


 それは自分でも名案だと思った。

 部内誌の編集作業をしている僕は、部員の書いた小説をほとんど読んでいる。

 その中でも、星野さんの書く小説が断トツで好きなのだ。

 綺麗な言葉選びと世界観。ファンタジーの世界の物語が多いが、そこに住む登場人物たちはみな、等身大の悩みを抱えていてついつい感情移入をしてしまうのだ。

 星野さん自身が書いた小説であれば、感情を込めるタイミングなども分かりやすいだろうし、いいのではなかろうか。


「わ、私の小説……? そ、そんな、無理だよ……」


 しかし、当の本人は焦ったように手を振っていた。

 確かに、自分の書いた小説を声に出して読む、しかも人に聞かせるというのは多少恥ずかしい思いをするかもしれない。しかし――


「でも、僕は星野さんの書いた小説好きだよ」


 遠くで見ているだけでは分からなかった、星野さんの静かだが、どこか可愛らしい声で、彼女自身が書いた小説を聴いてみたいと思ったのだ。

 さすがにいきなりそんな事を言われてしまうと、彼女の事だから戸惑ってしまうと思うので、言えないけれども。


「それに、ここで挫折しちゃったら、いつまでも話せないかもしれないよ?」


 自分でも酷な事を言っていると思ったが、それでも彼女の『人と話したい』という気持ちを叶えてあげたかった。


「それは……そうですね」


 彼女も思う所があったのか、迷うように泳がせていた視線を僕に向けて、強く頷いた。


「じゃあ、お願いします」

「うん、頑張ろうね」


 その日から、僕と彼女の放課後の朗読会が始まった。


***


 翌日、いつものように過ごしていると、あっという間に放課後はやって来た。

 身体で感じる時間の流れが、いつもよりもずっと早かったのは、もしかしたら僕が星野さんと過ごすこの時間を楽しみにしていたから、かもしれない。

 部員たちが誰も居なくなって、僕と星野さんの二人きりになった部屋で、向かい合わせに置いた椅子に座って、ただただ無言で見つめ合っていた。

 最初は、いつも通り椅子に座って本を読んでいた星野さんの前に、椅子を持って行って僕が座ったのがきっかけではあった。

 けれど、まさかそのままの状態で無言になるとは思わないだろう。

 そろそろ僕から何かを言うべきか、と口を開こうとした瞬間。


「あ、あの」


 星野さんがか細い声を絞り出すようにして声を発した。


「片桐くん、ありがとう」


 彼女は少しはにかんだような表情を浮かべてそう言った。

 僕は人付き合いが苦手な彼女が、勇気を出してお礼の言葉をくれただけで、もう既に満足な心地になってしまった。

 しかし、僕と彼女の距離が縮まるだけではだめなのだ。


「いいんだよ。……今日朗読するお話は選んできた?」


 僕がそう声をかけると、彼女はコクンと軽く頷いて飾り一つ付いていないカバンの中から、ファイルを取り出した。

 きっと小説を印刷してきてくれたのだろう。


「まだ完成してない、書きかけの物語だけど……」


 彼女は申し訳なさそうに僕の顔色を伺ってくる。


「え、最新作聴かせてもらえるの? やったー」


 まさか、未発表の星野さんの作品に触れられると思っていなかった僕は、ついそんな風に喜んでしまった。

 僕の反応が予想外だったのか、星野さんはキョトン、とした後に嬉しそうな表情を浮かべた。


「本当に片桐君は変わってるね」


 そういって笑っている星野さんはとっても可愛らしくって、役得ってこういう事なのかな、なんて僕は思ってしまった。

 ひとしきり星野さんは笑い終えると、ふぅ、と一息ついて僕を見つめてきた。


「……じゃあ、読んでいこうと、思います」


 そう言って原稿を手に持って、姿勢を正した瞬間、目に見えて彼女の身体を緊張が包んでいくのが分かった。

 原稿を見つめたまま、動きを止めた星野さんに向かって僕は「まぁ聴いてるの僕しかいないし、もっと肩の力抜いていいんだよ」という事しかできなかった。

 でも、その言葉で少しは気が楽になったのか、彼女はゆっくり言葉を紡ぎ始めた。


***


 それは、とある世界で暮らす醜く愛嬌もない、少女の話です。

 少女は醜い自分の顔が大嫌いでした。

 だから、人と話すことを極端に怖がり、避けて、生きていました。

 どうせ自分は一生一人で生きていくしかないのだと思い込んで、全てを拒絶して過ごしていたのです。


 今日も少女は一人、森で編み物をしています。

 そこに吹く風は、柔らかくどこか甘い香りを含んでいました。

 もうすぐこの近くの農家で赤い果実が、収穫される頃合いだからでしょうか。

 彼女が編み棒を上下に動かす度に、同じリズムで森の木々も横に揺れます。

 気が付くと少女の肩には森の小鳥が乗っていて、その可愛らしい鳴き声は、まるで編み物の動きに合わせてハミングをしているようです。

 少女はこの時間がたまらなく好きでした。

 醜い顔のせいで、街の人と上手く関わることが出来なかった彼女にとって、この時間は憩いの時間でした。

 生業としている編み物をしながら、森の住人たちと共に過ごす。

 いつも通りの日々。

 それは平穏で刺激のないものでしたが、彼女はその毎日に満足していました。

 満足、していたのでした。


***


 読み終わった彼女は顔を上げ、こちらを見つめてきた。

 その視線は左右に動き、下に向かう。

 自身の書いた作品を読み上げて、どうだったのかが気になるのだろう。


「星野さん」


 僕が名前を呼ぶと、彼女はバッと顔を上げた。

 そしてそのまま、僕の言葉を待つ。


「すごく……すごく良かったよ!」


 心の底からの言葉だった。星野さんの温かな世界観と丁寧な風景描写、それが鈴のような声色に良く合っていて、聞いているうちにどんどん引き込まれていくようだった。

 それに普段、彼女が人と話す時のたどたどしさのようなものが全くなく、緊張はしているものの小説の内容をしっかりと伝えようとしていた。

 もっと、彼女の物語に触れていたいと思った。


「続き書いたら、また是非読んで聞かせてよ!」


 僕がそう言うと、彼女は照れたような笑顔を浮かべて「うん」と小さく笑った。

 その笑顔が、差し込んでくる夕焼けの色に照らされて、とても美しく僕は感じた。


***


 次に、星野さんから僕に声がかかったのは、翌週の事だった。

 放課後の人がまばらになった部室で、今日も今日とて編集作業に注力していた僕の肩を彼女が叩いてきたのだった。

 いや叩いた、というのは少し語弊があるかもしれない。

 星野さんは人差し指で僕の肩をツンツンとつつき、僕が振り返ると前回原稿を入れていたファイルで口元を隠しながら、こちらを見つめていた。


「もしかして……もう書けたの?」


 僕が尋ねると、彼女はコクンと頷いた。

 何も言わなかったが、その表情はどこか嬉しそうに見えた。


「じゃあ、早速今日聴かせてよ! もう少ししたら作業終わるから少しだけ待ってて」


 僕がそう言うと、彼女は「分かった」と再びコクンと頷いて近くの椅子に座った。

 目標が出来た僕はすぐにパソコンに向き直り、大急ぎで残りの作業を片付けることにした。

 時間にして10分くらいだっただろうか。画面から視線を上げると、先ほどまで残っていた数人の部員も帰ってしまい、部室には僕と星野さんだけが残されていた。

 彼女を見ると、視線を感じたのか本から顔をあげこちらを見つめてきた。


「終わったの?」


 そう尋ねられたので「終わったよ、待たせてごめんね」と言いながら、自分の座っていた椅子を彼女の近くまで持って行った。

 そして正面に向き合って座った頃には、星野さんもファイルから原稿を取り出していて、準備を整えていた。

 準備を終えた彼女は僕に向かって「実はまだ途中なんだけど……」と言ってきた。僕は


「大丈夫だよ、聴かせて」


 と頷いて見せた。

 それを聞いてホッと息を吐いた彼女は、数度深呼吸をすると、改まって口を開いた。


***


 今日も、その少女は森で編み物をしていました。

 風の乗ってやってくる果物の香りを感じながら、鳥たちのハミングに合わせて棒を動かします。

 しかし、近くの茂みがいつもと違う揺れ方をしました。

 少女の肩に乗った小鳥がその音を感じ、逃げるように飛び去って行きます。

 少女がそちらに目を向けると――そこには見知らぬ青年が立っていました。

 瞬間、二人の間に風が静かに一度、通り過ぎます。

 突然の来訪者に身を強張らせる少女に、スラリと背の高い彼はその綺麗な金色の頭を下げて謝りました。


「あぁ、ごめんね。驚かせてしまったかな」


 彼女の森での平穏な時間を止めた青年は、とても柔らかな物腰で、その所作に少しだけ少女の緊張の力が弱まります。

 青年の少女に対する態度は、これまで彼女が関わって来た人たちの誰よりも優しいものでした。


「君は何を作っているの?」


 だからでしょうか。

 青年が森を出て少女の元に歩み寄ってきたときも、彼女は逃げませんでした。


「えっと、レースの肩掛けを、作ってます」


 少女に気を遣ったのか、青年は彼女から少し距離をとった場所に座ってくれました。

 そのおかげで少女は緊張の色を残しつつも、普段街の人間と話す時よりも落ち着いた様子で言葉を返すことが出来ました。

 青年は少女の手の中で形作られている最中のレースに目を移します。


「おぉ、見事な品だ」


 青年はそれを見て感嘆の声を上げました。

 彼が驚いたのもそのはずです。少女の編み上げるレースの品は非常に質が良く、商いをしている街でも非常に人気の品でした。

 ただし、それを作っているのが少女だと知れると売り上げが大きく下がるので、彼女は自分が編んでいる事は内緒で、人に頼んで売ってもらっていました。

 だから、少女が編んでいる物と分かった上で、品を褒めてくれる人がいるとは思っていなかった彼女は、口をぽかんと開けて青年を見てしまいます。


「貴方は、私の事を醜い……と思わないのですか?」


 自分自身の事を『醜い』と表現するのは、かなり心が苦しくなるものです。

 しかし、そんな彼女の心配をよそに青年はあっけらかんとした様子。


「そんな事、思いもしなかった。こんなに美しい物が作れて凄いと思ったよ」


 それはきっと心からの言葉なのだと、少女は思いました。

 そして、見た目ではなく自分の事を真っすぐに見てくれて、こうして会話を交わしてくれる青年に、一瞬で恋に落ちてしまったのです。


「あ……ありがとうございます」


 恥ずかしくて顔を伏せる少女。

 次にどんな言葉を続ければいいのか分からず、沈黙が二人の間に降りてしまいます。

 隣に座る彼は、その沈黙を気にしていない様子で辺りを見回すのでした。

 そして彼の肩には、いつの間にか戻って来ていた小鳥たちが乗っていて、再びさえずりを始めたのです。

 まだ言葉を探している少女に、青年は「君はいつもここに居るのかい?」と尋ねてきました。


「えっと……はい、大体ここでレースを編んでいます」


 目を伏せ、彼の眼を見れぬまま少女は返します。


「そうか」


 少女には青年の顔は見えませんでしたが、ふっと彼が笑ったような気がしました。

 青年は腰を上げ、ズボンをはたいて草を落としています。

 それを合図に、彼の肩に乗っていた小鳥が飛び立ち、少女の方に戻ってきます。

 そして彼は少女に向き直ります。


「君にまた会いに来るよ」


 慌てて顔をあげた少女に、彼はそう言って微笑みました。

 去っていく彼の姿が見えなくなるまで見送ると、少女は一つ息を吐きました。

 彼にまた会いたい、と思っている自分がいる事。

 しかし、自分なんかがそんな願いを抱くのは間違っているのではないか、という思い。

 それでも、また会えれば今度こそ彼の事をもっと聞きたい、と少女は強く心に誓うのです。

 彼女の想いに応えるように、少女の肩で小鳥が小さく鳴き、森には再び静寂が訪れました。


***


 星野さんは、読み終わると「ふぅ」と息を吐いた。

 そして僕は彼女が何か口を開くよりも早く、感想を告げていた。


「すっごく良かった!」


 食い気味にそう言った僕の言葉を受け、星野さんは「え……っ!?」と、戸惑うように視線を泳がせた。

 どうやら彼女は困ると、こうなるらしい。

 そんな彼女に僕は更に告げる。


「凄く……凄く続きが気になる!」


 素直にそう思った。これから物語の少女はどうなってしまうのだろう。青年との仲は縮まるのだろうか。


「続きができたらすぐに聞かせて! 約束だよ」


 僕がそう言うと、彼女は静かに……けれど、とても嬉しそうに「うん」と頷いてみせた。


***


 星野さんの作品の続きを待っている間に、彼女にちょっとした変化が訪れた。

 彼女に部活内で友達が出来たのだ。

 どうやら、僕と星野さんが時折楽しく話をしているのを見て、部活の仲間が声をかけたらしい。


「星野さん、ちょっといい?」


 同年代の部活仲間に声をかけられた星野さんは最初こそ、戸惑っていたようだったが、彼女なりに勇気を出してそれに応えた。


「あ……え、っと、なんでしょうか……!」


 それは、同年代に対してはかなり他人行儀な返事だったと思うが、それまで彼女が出来なかったことが、一つ克服された瞬間だった。

 声をかけた部活仲間は嬉しそうに「えっとね、いっぱい話したい事があるの!」と星野さんの手を取った。

 彼女は、星野さんの書く作品が好きだと、ずっと僕に言っていた部員で、それを知っていた僕は余計にとても嬉しい気持ちになった。

 その様子を見つめ、良かったね、と心の中で星野さんへお祝いの言葉を送ったのだった。


***


 星野さんから、小説の続きが書けた、と伝えられたのはその矢先の事だった。

 彼女は今まで僕が見た中で一番嬉しそうな表情を浮かべていた。

 きっと、自分が新たな一歩を踏み出せた事が嬉しくてたまらないのだろう。

 僕も彼女と同じように、その事が嬉しい。

 星野さんは、新しくできた友人に「少しだけ、片桐くんに用事があるの」と断りを入れて、僕との時間を作ってくれた。

 だから僕も、早々に作業をやめ、彼女に向き合うことにした。

 いつものように向き合って座ると、星野さんは僕を改まって見つめてきた。

 何か言いたげな様子だったが、何度か視線を動かした後、原稿用紙を手に取り朗読を始めた。


***


 その日も、少女は森で編み物に励んでいました。

 最近はずっと、あの優しい青年が遊びにきてくれています。

 少女はその事が嬉しくて嬉しくて、たまりませんでした。

 しかし、今日は中々彼の姿が見えません。

 そろそろ、編んだ品を街に下ろしに行く時間です。

 少女はその日、青年のためにあるものを用意していました。

 それは、彼のために編んだスカーフでした。

 最近、森は少しずつ冷え込みをみせていて、日中から夕方までずっと少女と共に居てくれる彼は少し肌寒そうにしていたからです。

 しかし、彼が来ないのであれば仕方がありません。

 販売の代理をお願いしている相手との時間に遅れるわけにはいかないので、少女は街に降りることにしました。

 しかし、彼女はそこで見てしまうのです。

 白馬に乗り、街を歩く青年の姿を。

 街はお祝いムード一色で、どうやらパレードを行なっているようです。

 その真ん中に居るのは、少女が恋する彼でした。

 呆気にとられる少女に気付いた街の人は、彼女に眉をひそめながら「どうしたんだい」とたずねてきます。

 面倒そうな声色を隠す気はないようです。

 あの方は、と言いたくても声に出せない少女に変わり、街人は「あぁ、彼かい」と視線を青年に送ります。


「彼はこの国の王子様さ。なんだいあんた、そんな事も知らないのか」


 王子、様。

 それは、少女とは一生関わり合いになるはずのない相手です。

 少女は、怖くなってその場を逃げ出してしまいました。


***


 そこで、星野さんは戸惑うように言葉を切った。


「……ここまでしか書けてないの」


 更に続きが気になって仕方のない僕は「そうなの!?」と驚いた声を出した。

 少女は、青年は、二人の思いはどうなってしまうのだろう。

 気になって仕方がない。

 続きは、いつ、読めるのだろう、と星野さんをみると、彼女は読み始める前と同様に、こちらを見ていた。

 何かを伝えたいのだと、僕は瞬時にそう思った。

 でも、それは僕から切り出してはいけない事のような気がして、彼女の言葉をじっと待つことにした。


「私ね」


 しばらく待つと、星野さんは口を開いた。


「片桐くんに感謝してるの」


 そう、振り絞るような声で伝えてきた。


「片桐くんのおかげで、友達もできて、嬉しかった」

「うん」


 僕は頷く。


「でも、それは星野さんが頑張ったからだよ」

「……ありがとう」


 彼女は、少し照れたように笑った。

 あぁ、そんな表情も浮かべられるようになったんだ。


「私、ずっと人とちゃんと話せない自分が嫌だったの」


 それは、ずっと彼女が抱えていた悩み。

 僕は知ってるよ、と頷いてみせる。


「でも、片桐くんのおかげで、変わる事ができた」


 星野さんは真っ直ぐに僕を見ていた。

 僕も彼女を見つめ返す。


「片桐くんの事が、好きです」


 そして彼女は伝えてくれた。

 これまでのどんな言葉よりも真っ直ぐに、率直に、僕だけのために。


「私はダメな所ばかりで、人気者の片桐くんには釣り合わないと思ってる」


 僕が何かを伝える前に、彼女は「でも!」と唇を噛みながらも、言った。


「私は、あなたが好きです。大好きです」


 彼女の言葉、告白。

 その答えは、僕の中ではずっと前から決まっていた。

 だから――


「ねぇ、星野さんの物語、続きは僕が考えてもいい?」


 そんな事を言ってしまう。

 彼女は、面食らったような顔をした。


「え……?」


 そして、言葉の意味をじっくり考えた後、ようやく「い、いいよ」と頷いた。

 僕は彼女の小説を思い出しながら、続きを紡ぐ。


***


 その場を逃げ出した少女は慌てて森へと帰りました。

 もうきっと、王子様の彼は来ないだろう、と思っていました。

 しかし――


「あぁ、待って」


 彼女を追いかける人影がいました。

 それは、何度もこの場所で会っていた青年の姿でした。

 いえ、王子様、でした。

 少女は逃げるようにその場を去ろうとしましたが、王子はそれを止めます。


「なぜ、僕から逃げようとするの」


 少女は「あなたが王子様だと知りませんでした。ご無礼をお許しください」と、それでも逃げようとします。

 王子は、彼女の手を取りました。


「僕が王子だったとして。僕らの関係の何が変わるというんだい?」


 王子は少女を見つめます。

 少女は困ったように視線を落としました。


「それは、私が醜いから」


 そう言った少女の瞳には雫が浮かんでいます。

 王子はその涙を指で拭いました。


「君は醜くなんかない」


 王子は告げます。


「僕は、君ほど素敵な人を知らない」


 驚いて目を丸くする少女。

 その目にはきっと嘘だ、信じられない、そんな思いが滲んでいるようです。


「君が一緒に過ごしてくれた時間が、私にとっては大切なんだ」


 言って、王子は遠くを見つめるように視線を逸らした。


「こんなに、私を1人の人として大切にしてくれたことが嬉しくてたまらない」


 そして、再び少女に向き直ると、手に取った彼女の手の甲にキスを落とします。


「私と、一緒にいてくれないか」


 それは、誰が何と言おうと告白の言葉でした。

 王子は、少女と共に居たい、とそう言ったのでした。


***


 そこまで、物語を続け、僕は口をつぐむ。


「えっと、僕が言いたいこと、伝わった?」


 たずねると、星野さんはポカン、としたようにこちらを見ていた。

 分かっている、けれど信じられない、というような顔だった。

 だから僕は、改めて気持ちを口にすることにした。


「星野さんは、自分で思ってるほど欠点だらけじゃないよ」


 しかし星野さんは納得がいかない、という表情をしている。

 

「あのさ、原稿、借りてもいい?」

「え、うん……」


 僕の言葉を受け、彼女は手の中の物語を差し出した。

 彼女から原稿を受け取り、それを大切に指でなぞる。

 星野さんは凄い人だ。だって――


「星野さんは、とても素敵な物語を書くんだ。こんなに綺麗な文章で、素直な小説は優しい心を持ってないと書けないよ」


 それはずっと、こうして話すようになる前からずっと思っていた事。

 彼女の書く物語が、僕は本当に大好きなのだ。

 しかし、恥ずかしそうに目を伏せるが、その瞳にはまだ不安が揺れていた。


「それにさ、自分のダメだと思うところをちゃんと克服しようとしてる。それって中々出来ることじゃない」


 本当に、僕だったら自分のダメなところを直視できない。その上、それを直そうとするのは、かなり勇気がいる。


「でも、実際友達まで出来てさ。僕は……星野さんの良さに気付いてくれる人が増えて、とても嬉しかった」


 本当に、本当に嬉しかったんだ。

 少しだけ、僕のことを忘れてしまうんじゃないかって心配だったけど、でもやっぱり嬉しかった。


「僕は、星野さんが思ってるような凄い人間じゃないよ」


 首を横に振りながらそう言うが、星野さんはそれに僕より大きく首を横に振った。


「僕は王子様なんかじゃない。もしかしたら星野さんを失望させるかもしれない」


 自分で言っていて、本当にそうなってしまったら、と怖くなる。


「でも、僕は星野さんが好きだよ」


 こうして、彼女の物語を聴かせてもらうようになってから、いやそれよりずっと前から、もしかしたらずっと好きだったのかもしれない。

 いつの間にか、僕にとって彼女は大切な存在になっていた。


「改めて言わせてください」


 僕は星野さんの手を取る。


「僕と、付き合ってください」


 伝えると、先ほどから肩を震わせていた星野さんの瞳から、ボロッと涙がこぼれ落ちた。

 それを見て、僕は慌ててしまう。


「大丈夫!?」


 それに、星野さんは慌てて指でそれを拭ってみせた。


「だ、大丈夫! ……嬉しすぎて」


 そう言った星野さんは、次の瞬間、まるで花が咲いたかのような笑顔を浮かべていた。


「片桐くん、ありがとう。大好きです」


 そして僕らは、どちらからともなく手を繋いだ。

 しばらく見つめ合って、そしてその唇が重なった。

 余韻を残しつつ、離れると少し照れくさくなって2人で笑ってしまった。


 きっとこれから先、彼女の毎日は少しずつ変わっていくのだろう。

 友人も、もっともっと増えて、楽しいことや嬉しいことを共有して。

 そしてそれは彼女だけでなく、僕もだ。

 何に対しても『そこそこ』『適当』にこなしてきた僕にとって、彼女はそれを壊してくれた人だ。

 初めてだったんだ。こんなに一人の事で頭がいっぱいになる日々は。

 だから、彼女と共に僕の毎日も少しずつ変わっていくと思う。

 一緒に過ごして、同じ本を読んで、たまに映画も見に行ったりして。

 想像するだけで胸がソワソワと落ち着かなくなってくる。

 でも、それは全く嫌な感覚では無かった。

 部員たちはびっくりするかな。

 ……誰かを傷つけてしまうかもしれない。でも、それでも僕は星野さんと一緒に居たい。

 そう想って、再び彼女の手をギュッと握った。

 それに気づいた星野さんは、同じ強さでぎゅっと、握り帰して来た。

 部室内には、爽やかな風が入り込んでいて、その風に彼女の書いた原稿が揺れる。

 物語の上の青年と少女も、僕らと同じように笑っているといいな、と僕は思った。


-END-

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