第5話 ジャックとナイト

 ◇


 もたつくカーティスを置き去りに、ジョンはエイモス通りへと走った。


(エイモス通りの担当は先輩ルッツだ)


 親しくしている先輩が怪異に憑かれ、事件を起こすなどあって欲しくない。


 ましてや、アンナが銃を持ってルッツの後を追っているのだ。


 あの銃や銃弾はロゼット家の血を引くものが使えば怪異相手に効くらしいが、カーティスは人間相手に無害だとは一言も言わなかった。華奢で可愛らしいアンナが銃の名手だとも思えない。二人とも無事であって欲しいと思い走る。


 巡回ルートを走ったがルッツの姿もアンナの姿も見当たらずにジョンは焦った。


 手当たり次第に裏路地に飛び込む。


「どうしたんだい、お兄さん」


 煙草屋の女主人に声を掛けられたジョンは「人を探している」と言った。


「この辺りを巡回しているはずの警官、もしくは金髪の少女を見なかったか?」


「警官なら見たよ。帽子を被った男の子と一緒にあっちの建物の裏に行ったね」


「ありがとうございます!」


 ガラス窓の向こう側からブラインドを下ろされた店があり、表には「売地」と札が貼ってあった。裏に回ると通用口が少し開いている。鍵は元から壊れているようだ。


 音を立てないように中に入ると、ぼそぼそとくぐもった話し声が聞こえてきた。


「ねえ、ここに泊まっちゃだめかな? 一晩だけならバレないよね?」


「バレないかバレるかの問題じゃないよ。やっぱり家出なんて考えなおして帰った方がいい。僕もいつまでもきみの話に付き合っていられないし、一人で帰るのが嫌なら送るから」


「ダメ。ねえ、お願い。もう少しだけ一緒にいてよ……」


 アンナがルッツを引き留めているようだ。


 おそらく、怪異が現れた瞬間に仕留めようと考えているのだろうが……。ジョンはわざと大きく足音を立てて二人に近寄った。


 元は飲食店だったらしい。


 テーブルや椅子が乱雑に端に積まれ、そこから椅子を失敬していた二人がハッとした顔でこちらを見た。ジョンが来ることを予測していたであろうアンナはともかく、ルッツは突如現れた後輩の姿に目を丸くしている。


「ジョン……⁉ なんでこんなところにいるんだ」


「そちらの女性を探していたんです。……アンナさん、お兄さんが心配しています。帰りましょう」


 アンナは唇を噛んでジョンを睨んだ。

 邪魔しないで。顔にそう書いてある。


「なんだ……。お前の知り合いなのか」


 ルッツは安堵したような、戸惑ったような顔でアンナとジョンを見比べた。


「しかし、勤務時間中に持ち場を離れるとはどういうつもりだ、ジョン。いくらなんでも見逃せないぞ」


「先輩だってこの間の事件の時に担当場所を超えて駆け付けてくれたじゃないですか」


「あれはたまたま事件が起きた通りが、俺の担当区域と近かったからだろ。お前の担当からこのエイモス通りまでどれだけ離れていると思ってるんだ」


 五件目の時、すぐに駆けつけてくれたのはルッツだった。


 ジョンは取り乱すマチアスをルッツに頼み、逃亡したと思われる犯人を追った。ルッツは一番初めに到着した部外者だ。


 確か三件目も――第一発見者を宥め、調書を取ったのはルッツだったはず。


『――その三、僕は「J」を書いた犯人は内部犯なんじゃないかと疑っている』


 もちろん、ルッツは血文字のJがルーン文字であることも知っている――……。


 (まさか、そんな。ありえない)


 ともかく、アンナとカーティスを合流させよう。


 その後でどうにかルッツを言いくるめ、怪異が現れるまで自分が見張っていなくては。


「すみませんでした。速やかに彼女を送り届け、持ち場に戻ります」


 ジョンは殊勝に頭を下げた。


 しかし、ルッツは首を振る。


「だめだ、今すぐ持ち場に帰れ」


「先輩」


「俺の言い分の方が正しい。なあ、お前、調子に乗っているんじゃないのか? 若くして警部補になって――すました顔で仕事しているけど、本当は――本当はいつまでも昇進できない俺を見下しているんじゃないのか? 今だって、俺なら見逃してくれると思ったんだろう」


「そんなこと思っていません。どうしたんですか、先輩。勤務中ですよ」


「るせーーーっ! 何が勤務中だ、自分はオンナ追っかけてきてるくせによぉ!」


 ジョンの知るルッツはこんな風に声を荒げたりしない。


 気づくとルッツの身体の一部がどす黒く変色していた。


(怪異)


 第五の事件。マチアスが珍しくミランダに強気な態度で迫っていたとの証言。


(怪異が憑くと、欲望が剥き出しになるのか?)


 ゆらりと立ち上がったルッツは懐に手を入れると銃を出した。


 銃口はジョンに向いている。


「目障りなんだよ、お前。『ジャック』事件を解決するのはこの俺だ。なんて言ったって、この事件は――ああ、ああああ、ああああああ‼」


 ルッツが銃を取り落したので、ジョンは素早く部屋の隅に蹴り飛ばし、硬直するアンナの腕を引いた。


 もがき、苦しむルッツから、どろりと黒い粘性の化け物が現れる。


 シュッ、と空気を切り裂いて飛びかかってきた怪物に、ジョンはアンナを守るようにして伏せた。――あんな奴に襲われたら一撃で死ぬ。


 ルッツはうつろな目でジョンを見ていた。



「じょんはめざわり。じょんは――きえろ」



「ッ!」


 触手状に伸びた腕が鞭のようにしなる。


 ルッツはその場に崩れ落ちるようにして倒れた。


 アンナを引っ張りあげて立ち上がったジョンは、彼女を入り口の方へ突き飛ばす。攻撃はジョンの頬を掠め、焼けるような熱を感じた。


「アンナさん! 逃げて!」


 怪異の狙いは――宿主ルッツの矛先はジョンだ。


 化け物を外に出すわけにもいかない。


 だが、アンナは懐から取り出した銃で躊躇わず怪異を撃った。


 撃ったはいいが全弾外れた。一発はかすったかもしれないが、効果は薄いらしく、怪異はうねりながら形を変えてジョンに襲い掛かってくる。震えながらトリガーをガク引きしているアンナじゃだめだ。


「あ、れっ、弾っ……」


 アンナが震える手で弾倉マガジンを交換しているが――


「外へ逃げるんだ‼」


 ジョンは怒鳴る。

 ビクッとアンナは震える。


 怪異はアンナを目障りに思ったのか、首のように伸びた身体の一部をアンナの方に向けた。注意を逸らそうとジョンは椅子を投げる。


 ゼリーのごとき手ごたえのなさ。怪異がアンナの方へ動く。


「アンナさん!」


 ジョンはアンナの盾になるように身体を滑り込ませた。


(避けられない!)


 死を意識した刹那、ミントの香りがした。




「ごくろうさま、ジョン」




 いつの間にか側には煙草を咥えたカーティスが立っていて。



 もう一度ジョンが瞬きをした刹那、怪異には銃弾がめり込み、

 ――ジョンは床に転がっていた。




「ごめんごめん、遅くなっちゃったね」


 もがき苦しむようにのたうち回っていた怪異は蒸発するように消えた。


 軽い調子でカーティスが笑い、ジョンに片手を差し出す。


 一人だけ涼しい顔しやがって。手を借りながら複雑な気持ちで立ち上がる。


 イヴが入り口で壁に背中を預け、苦しそうに息をしているのは、おそらく時を止める能力を何度も使ったのだろう。ルッツは気絶。建物の中はぐちゃぐちゃで、銃痕やら、壁に空いた穴やら、割れた家具やガラス片などが転がる中、アンナがへたり込んで泣いていた。


 彼女の手に銃が握られている。


(アンナさんが撃ったのか?)


 カーティスやイヴの手を借り、壇場で怪異に向けて銃弾を撃ち込んだのだろうか。


「……お兄様なんて、大っ嫌い……っ」


「…………」


 呻くように呟いて泣くアンナと、ほろ苦い笑みを浮かべて背を向けたカーティス。


(……?)


 わずか十数秒の間に、兄妹の間に何があったのかはわからない。


 カーティスの咥え煙草の煙が静かに揺れていた。


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