拝啓、カスミソウを送った君へ。

月島文香

まだ知らない君と僕

1,いじめと僕

ぱしゃん。そんなのんきな音とは裏腹に、教室には当たり前のように沈黙が流れる。

そのわずか数秒の沈黙を、甲高いキーンとした声が破った。


「あーごめんね?まさかそんなところに人がいると思ってなくてさあ」


この言葉だけ聞けば、ただのじゃれあいのようにもとれるけど、

実際僕が見ている限りでは、そこに紛れもなく人はいるし、

そもそも机に人がいない?最初からそこにいたじゃないか。

クスクス、へらへらといった擬音語がついてきそうな笑いをしながら、

クラスのカースト上位の女子生徒は言う。

その言葉の前に水風船を投げられた当の本人は、ため息をつき、

水浸しになってる自分の机から何かを取り出す。

窓際から出口へ向かい、

少し立て付けの悪いドアからこの気まずい空間を出て行った。


「なんなのあいつー。つまらないなぁ。ね、みんなもそう思わない?」


その罵倒を切欠に、教室のにぎやかな雰囲気は取り戻される。

彼女に賛同する生徒もいれば、口をつぐむ生徒、

やりすぎなんじゃないかと口を出す生徒もいた。

そんな光景もすっかり日常化しているこのクラスは、僕は、

どれだけ馬鹿なことをしているのだろうか。それも認識しずらくなった冬の日。

僕はなぜか、例の女子生徒と廊下を歩いていた。


2,廊下のど真ん中で恋を自覚する

そんなことになった経緯の前に、まずこのクラスのいじめについて話をまとめよう。

主犯格はクラスのカースト上位の女子勢。

今年の秋のあたりに僕のクラスへ編入してきた少女が、いじめの被害者だ。

転校生の名前は、上城心結。日本人らしからぬ見た目と、

その近寄りがたい雰囲気で、一時的ではあるが彼女への男子の人気はとてもあった。

ところが、それが気に食わなかったらしい女子生徒たちは、

執拗に彼女をいじめ始めた。無視から始まり、ものを隠す、場所を教えないとか、

いじめやすく先生にばれにくいことばかりをしていた。

この間の水風船はちょっと度を越えてしまったと思ったらしい、

あれ以来一度も見ていない。

だれも止めなかったのかって?当然、止める人もいた。

でも、それも日に日に減っていった。助けても無駄だとという諦念、自分が標的になりたくないという自己防衛、いじめを助けなくなった人たちの理由は様々だろう。それでも、僕よりはよっぽど勇気がある人たちだと思う。僕はいじめが起きてから今の状態まで、一度も助けたことなんてないんだから。

さて、話を今に戻そう。

今日という日はすがすがしいほどに寒く、

ジャージを着ていても外での体育の授業は相当な地獄だった。

そこで、ジャージを隠された彼女はどうなるか?答えは簡単だ、風邪をひく。

だからって、僕と彼女が廊下で一緒に歩く理由にはならない。

…どうしてだろうか。よくよく考えれば、すぐにわかったことなんだけれど。

僕が一学期の最初のほうに、何でもいいやーと選んだ委員会。

それが、この状況の原因だった。残念なことに、僕は保健委員会を選んでいた。

体育の授業中に病人が出れば、それは当然僕に付き添いを頼まれるわけで。

こんな具合になったしまったと。

隣の上城さんを見れば、既に肌寒そうにしていて、

見てるこっちがいたたまれなかった。


「ね、ねぇ!僕のジャージ、着る?

 あ、その別に他意はなくて…ただ、寒そうだからさ。」


今まで何もしてこなかったのだ、これくらいしてもいいだろう。

上城さんは僕と身長差が結構あるけど、

むしろでかいほうがいいだろう、下は短パンなわけだし。

慌てて脱いで、上城さんのほうにジャージを差し出す。

僕汗臭くないかなとかどうでもいいことを思いつつ、彼女と目を合わせない。

だって恥ずかしい。

僕があれやこれやと焦っている間に彼女は無言でそのジャージを受け取ってくれた。

着ないで、ぎゅっと両手で抱え込んでいる。それは意味あるのか…?

あと少しで保健室だなと思いながら、なぜか汗ばんだ手を握っている。

不意に彼女の体がぐらりと廊下に倒れかけて、僕はとっさに肩を手で支えた。

やばい、近い。クラスの奴らに見られたらなんて言い訳しよう。

別のことを考えて必死に目の前の彼女を頭の中から追い出そうとする。

支えた彼女の体がびくっと反応してのがわかり、いたたまれなくて離れる。

その後のことは、よく覚えていない。ただ、保健室の前で別れる直前、


「……さっきは、ありがとう。この、…ジャージも…。」


とか細い声でお礼を言われたのは、やけに鮮明に覚えている。

何を言われたのか頭の中では追い付かなくて、数秒くらいぽかーんとしていた。

顔が熱くなったのは、きっと廊下へ教室の暖房が漏れ出て暑いせいなんだ。

まさか、そんなことってあるだろうか。今まで、助けてこなかったのに。


「僕、意外と最低だったんだな…。」


知らない間に一目惚れから始まった恋は、自覚も早かった。


3,放課後の保健室と教室と新聞部

その日の放課後。

結局その日教室に戻ってこなかった上城さんの荷物を、

担任にもっていってねとお願いされ、

果たして女子の荷物を勝手に触っていいものかと僕は百面相していた。

そんな面白い男子生徒の挙動を、

たまたま通りすがった女子生徒はネタのにおいを察し、声をかけた。


「そこの白石君、お困りかな?」


少し高めの、けれど不快にはならない程度の声のテンション。この声の持ち主は…


「なんだ、砂竹か。」


思わず反射的に出てしまったなんだ、という言葉に彼女は不満を持ったようで、


「なんだとは何よ、せっかく困ってたみたいだから声をかけてあげたのに。」

「あぁ、悪い悪い。丁度よかった。上城さんの荷物、持って行ってくれないか?」

「上城さん…例の転校生ちゃんのことかしら。

 いいわ、でもあんたも一緒に来なさい。どうせ頼まれたんでしょ?」

「もちろんそのつもりだよ。」


声をかけてきた女子生徒の名は、佐竹舞。隣のクラスの学級委員で、新聞部部長。

一年の頃はしばしばその活躍を間近で見てきた。よく舞と呼ばれ、面倒見がよく、周りのことをよく見ていて、その観察眼は相手の心を読めるのではないかと噂されるほどだ。こうして学年が上がった後もちょくちょく声をかけてくれるので、それとなく話す真柄にはなっていた。教室に入ってもらい、上城さんの席へ案内する。あの日に水浸しになった机は、今度は机の中にごみなんかが大量に入っている。舞と金城報告をしあいながら、そのごみも片づけ、荷網を作り上げていく。舞の手際の良さは普段から頼まれているからいいんだろう。


「しっかし転校生ちゃんは片付けが苦手なのかしら。

 こんなにゴミが入ってる机初めて見たわ。」

「上城さんが好きでやってるわけじゃないと思うけどね…」


誰もいない教室を出て、保健室へ向かう。舞は廊下を歩くたびに誰かに声をかけられている。本人曰く人脈はあって損はしないだろうと、たくさんの人と交流しているらしい。佐竹ちゃん、特定の子といるの珍しいねー!まさか彼氏?彼氏なのっ?なんて声をかけてくる男子生徒もいた。交わしている内容は様々だが、どれもジャンルが違う。改めて舞の知識の幅広さを実感した。保健室につき、中へ入る。


「お邪魔するわよー?あれ…先生いないみたいね。サボりかしら。」

「さすがにそれはないと思うけど…職員会議か何かじゃないかな?」


うちの保健室はどこにでもある一般的な保健室で、ソファや冷蔵庫、

コンロにはやかんが置かれてある。ベットはもちろんカーテン付きで、三つある。

そのうち、窓際のほうのベットで

顔色はまだ悪いものの、上城さんは寝息を立てて寝ていた。

まるで…


「人形みたいだ?」

「な、なんでわかるんだよ。」

「え、今のあたったの…ちょっとひくわよ…」

「自分から当てといてなんだその言い草。僕の気持ちにもなってくれよ。」

また、彼女に視線を戻す。

彼女は夢を見ているのか、心なしか表情がいつもと違う気がした。


 夢を、見ていた。

 夢だと自覚できたのは、

 目の前にいるのがかつて飼っていた犬と、幼いころの私だったから。

 あの子…そうだ、名前を決めて直後に、車にひかれて死んでしまった。

 目の前の私は、感情の赴くままに泣いている。声が聞こえるはずもないのに、

 本当に声が聞こえると思ってしまうくらいに、顔をぐしゃぐしゃにして、

 しゃっくりをして、涙を水分がなくなるんじゃないかと心配するくらいに、

 泣いていた。目の前にいる少女だった時は純粋だった、はず。

 今の私は、ロボットみたいだなと思う。

 ふわふわとする夢の独特の感覚に包まれながら今の自分は独りぼっちなんだと、

 そう、自覚する。だれも助けてくれはしないし、助けを求めてるつもりもない。

 ただ、私が我慢すればいいだけの話だから。

 目の前の私が、悲しそうにこちらも見る。

 そんなことをされても、答えは何一つ変わらない。

 ふわふわとした空間から、鮮明に音が、声が聞こえてきた。

 この夢はここまでかと、そうして、私は、目を覚ました。


そんなやりとりをしていれば、いつの間にか、彼女が起きてきていたようだ。


「ほら、あんたがうるさいせいで起きちゃったじゃない。」

「これ多分半分くらい舞のせいだと思うんだけど…?」


彼女は不思議そうにこちらを見つめ、きょとんとしている。

やましいことをしているわけじゃあないのに、

弁解するように僕はここに来た理由を上城さんに説明した。


「そう、なんですね…。わざわざありがとうございます。」


それ以上は会話をしないという風に、彼女は押し黙る。

荷物をベットの近くの椅子の上において、舞と一緒に保健室を出ようとする。


「はじめまして…になるはずだよね。初めまして、上城ちゃん。

 私は佐竹舞。隣のクラスで学級委員やらせてもらってるわ。

 で、一つ聞きたいことがあるんだけど…上城ちゃん、何か言いたいことない?」


「なにか…言いたいこと、ですか…?特に、何もないですけれど…」


その問答は、いじめの被害者としては間違っていて、

建前としては正しいものだった。


「本当に?あなたのクラスでいじめがあるって話を聞いたんだけど…。

 私の勘違いかしら?」

「…それは、本当ですよ…。そのうえで、話すことがないと私は言ってるんです。」


上城心結にとって、いじめというものは日常だった。幼い頃からの習慣のようなものであり、もはや異常を感じないほどに、彼女は慣れてしまっていた。慣れてしまったからこそ、自己完結し、選択肢助けを求めるということをしない。一度はそれを選んだこともあっただろう。その結果を、周りに迷惑をかけるということを、知っているからこそのアンサーであり、SOSをださない。四文字のSOSは、彼女の中から忘却されてしまっている。その答えに対し、少なからずも舞は動揺した。当然、誠も同じ心境である。それでも、限りなく冷静に、舞は結論をだす。


「とりあえず、いじめがあるのがわかったのなら今はいいわ。

 まあでも、

 あなた、自分が思っているより弱いってこと、忘れないほうがいいわよ。

 さ、行きましょ白石。またね、上城ちゃん。」

「え、ちょっと。待ってよ舞。上城さん、あいつ変とか思うかもしれないけど、

 普通にいいやつだから。じゃあね、また明日!」


保健室のドアへ向かい、そのまま出ていこうとしていく舞につられ、自分もベットの上の少女にフォローと挨拶をする。


「…またね、白石君…砂竹さん…」


ベットの上の少女は彼がぎりぎり聞こえるか聞こえないかの声で、

同じく挨拶を返す。

心の中で、葛藤する思いを抱えながら、彼女は帰る支度をし始めた。


 

 







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