第69話 王女の護衛であり、エレンの兄

 リヒト・アイスヒルクは王女の護衛であり、エレンの兄であるが、それと同時に王立学院の生徒であった。古今、学生というものの本分は勉学であり、授業を受けなければならないのである。


 というわけで本日は真面目に授業をこなす。


「まあ、護衛といっても二四時間体制で守る必要もないしな」


 この王立学院は貴族や大商人の子弟が通っているため、反王国的な思想を持つテロリストが侵入しないように厳重に警備されていた。学院中が柵に囲まれており、魔術的な装置の仕掛けも至る所に配置されているのだ。


 この学院を強襲するのは砦を強襲するようなもの、というのが警備責任者の弁である。無論、その堅固さにあぐらをかいていていいわけではないが、それでも二四時間体制で気を張っていれば俺も姫様も精神を摩耗させてしまうだろう。そうなれば肝心なときに力を出せないかもしれない。それは本末転倒だった。ゆえにある程度学院生活を楽しむのが護衛のコツ、とメイドのマリーは教えてくれた。護衛として先達である彼女の言葉は重い。


「まあ、今までずっと城の書庫でひとり寂しく勉強してきたからな」


 同年代の少年少女と一緒に学ぶというのはなかなか新鮮だった。


 例えば朝、王女のアリアと妹のエレンを迎えに行くというのもなかなか楽しい。

 学院生の中でも特別見目麗しいふたりの少女を朝の陽光とともに見るのは眼福であったし、他のものには見せない〝隙〟なども見せてくれるのだ。


 例えばアリアローゼは朝、粛々と目覚めるが、そのお供であるマリーの手伝いをする。化粧命のメイドさんの身支度を手伝うのだ。立場が逆だろう、と思うが、姉妹のように仲良く互いの髪を梳かし合う姿はなかなかに麗しい。メイドさんが自分の化粧にばかりかまけてたまに主に寝癖が残っているのは御愛嬌だろう。


 一方、我が妹はアリアとは対極だ。普段は折り目正しい優等生の癖に朝にはとことん弱い。低血圧と我が儘を爆発させる。本日も機械式目覚まし時計が鳴っているのに一向に目を覚まさず、仕方がないので俺が部屋に入って起こした。


 目覚めると「リヒト兄上様がいる……」と、とろんとした顔をして抱きつこうとしてくる。どうやら彼女の意識はまだエスターク城にあるようで、夢の中にいるようだ。そのままキスをしようとするのはいいが、衣服を脱ごうとするのは看過できないので胸元をしっかりと閉めるとほっぺを引っ張る。


「いひゃい……」


 痛覚によってここが王立学院であると思い出すと、朝の準備を始める。


 ――といっても彼女は筋金入りのご令嬢。城にいたときは身支度などしたことがない。毎朝、専属のメイドが数人がかりで整えてくれていた。


 なので髪を梳かしたり、顔を洗うのがとても下手くそであった。


「勉強や剣術は器用にこなすのにな」


 そのような感想を漏らすとエレンはこのように反論する。


「エスタークの城では少々過保護に扱われすぎましたが、箱入り令嬢はそろそろ卒業です」


「特待生(エルダー)は専属のメイドと一緒に住んでいいことになっているが、雇わないのか?」


「まさかせっかく学院にきたのですから、世間知らずも卒業しとうございます。自分でできることは自分でしないと」


 そう言うとネグリジェを脱ぎ始める。妹の裸身は見慣れていたが、ここは目を背けるのが紳士のたしなみだろう。


 ただ妹はそんな兄の心を知ってか知らずか、制服の着付けを頼んでくる。なんでも王立学院の制服は三ピースになっており、着付けが難しいのだそうな。俺は妹の制服の着付けを手伝う。


 朝日に照らされる妹の裸身はとても美しいが、性的な感情はわかない。当然か、俺たちは血の繋がった実の兄妹なのだから。


 制服を着替え終えると妹のエレンは寮の食堂に向かう。この学院は基本、全寮制であり、全生徒が寮生活を送っている。かくいう俺も下等生(レッサー)の寮に入っており、朝食を済ませてからここにやってきた。


 ちなみにこの学院は下等生(レッサー)も一般生(エコノミー)も同じ寮に住んでいるが、特待生(エルダー)だけは特別扱いされており、ひときわ立派な寮に住んでいた。

 寮の造りから調度品まで、まるで王侯貴族の住まいのようだった。無論、そこで出されるものもそれに準じる。


 本日のメニューは焼きたてのクロワッサンにジャガイモの冷製スープ。メインデッシュはボイルドエッグに厚切りベーコンだ。ボイルドエッグにはバターと卵黄をたっぷり使ったオランデーズソースがたっぷり掛けられている。


 下等生(レッサー)の寮もなかなかのものを食べさせてくれたが、手間と食材という意味では特待生(エルダー)には及ばない。ゆえに先ほど朝食を食べたばかりだというのに腹が鳴った。


 その姿を見ていてエレンはくすくす笑う。


「相変わらず食いしん坊ですね」


「まあな。よく義母上に食事禁止の罰を賜っていたから食えるときに詰め込む癖がついてしまったのかもしれない」


「本当、意地悪な母上です」


「しかし、その娘は優しかった。夕食抜きの罰を受けた俺にこっそり食事を差し入れしてくれた。あのときのパンは自分の夕食だったんだろう?」


「リヒト兄上様が飢えているというのに自分だけ食べられません」


「それはおまえが優しいからだ。おまえのような優しい娘を妹に持てて俺は幸せだよ」 


「兄上様……」


 頬を紅潮させるエレン。夢の世界の住人に逆戻りであるが、彼女を現実世界に戻すのはアリアローゼ主従。再びアリアはにっこりと俺の隣に座っていいか尋ねる。もちろん、構わなかったのでマリーは俺の隣の席を引くが、ひとりだけ反対するものがいた。


 いつの間にか夢の世界から戻っていた妹は「こほん」と咳払いをする。


「王女様、ご機嫌麗しゅう」


「アリアと呼んでください」


 どうやらお姫様は我が妹と仲良くしたいらしい。ただ、肝心のエレンにその気はないようで、アリアの愛称は使わない。


「〝アリアローゼ様〟、ご機嫌麗しゅう」


 アリアは少しだけ苦笑いすると、俺の隣に座っていいか妹に尋ねた。


「その席は空いているし、私に席の場所を決める権限はありません」


「ではここに」


 控えめに座るが、斜め対面に座っている妹は敵愾心を隠さない。せっかく、兄上様とふたりきりなのに、という表情を隠さない。いや、台詞にも出してしまっている。

 アリアは申し訳なさそうにするが、席を離れる気もないようだ。それどころかエレンの瞳をまっすぐに見つめる。


「先日から忙しなくてゆっくり話す機会に恵まれませんでした。リヒト様の妹ということはわたくしの妹も同義、どうかよろしくお願いいたします」


 握手まで求める王女様、とても気さくである。一方、エレンはその対極にあった。激発する。


「な、な、なんですって!? あなたが私の姉ですって!?」


「――のような存在です」


「それってリヒト兄上様のお嫁さんになるってことでしょう!」


「…………」


 アリアも否定すればいいものを沈黙を持って答える。


「兄上様のお嫁さんはすでに決まっています! この私です」


「おいおい、兄妹は結婚できないぞ」


「法律を変えるまで。というか兄上様、黙っていてください!」


 ぴしゃり、と俺の口に指を添え、黙らせる妹君。あまりの迫力に沈黙してしまう。


「一国の王女が無位無冠の若者に懸想をするなんてよくないことだと思います」


「無位無冠ではありません。リヒト様は王女の騎士です」


「私的な称号でしょう。今の兄上にはフォンの称号もありません」


「近いうちに正式な騎士に任命します」


「騎士でも王女とは釣り合わない。てゆうか、護衛と結婚するなんて聞いたことがない」


「わたくしとリヒト様はそういう関係じゃありませんよ」


 あくまで冷静にそのように告げるアリアは賢い。しかし我が妹は一度、頭に血が上ると見境がなくなる。妹はぷすーと頬袋を膨らませると、食器のトレイを持ち上げる。


「ご馳走様です! さあ、行きましょう、兄上様」


「いや、俺は姫様の護衛なんだが……」


 妹はぎろりとアリアを睨み付けるが、アリアは大人だった。小声で言う。


「わたくしにはマリーがいます。この場を収めると思って……」


 という提案をしてくれた。


「まったく、仕方ない妹だ。道すがら説教をするよ」


「……優しくお願いします。北部からわざわざ兄を追ってやってきたのですから」


 どこまでも優しい王女に感服すると、彼女の提案に従うことにした。自分のトレイを持ち上げると妹について行く。妹はそんな王女様にも感謝することなく、「ふん」と立ち去っていった。



 ――その光景を陰から見つめる黒い影。


 俺はその存在に気が付いていたが、あえて無視をした。その存在は姫様にではなく、俺に殺意を向けていたからだ。


 俺はこの学院でとても目立つ、とかく異性に好意を持たれるので、殺意の類いを向けられるのは珍しいことではない。


 先日もとある女生徒が俺に恋をしたのだが、その女生徒に恋をしていた男子生徒が俺に喧嘩を売ってきた。嫉妬による行動だったので遠慮せずに返り討ちにしたのだが、そのような手合いは日々増えていった。加速度的に敵が増えていくことを日々実感する。


 ゆえにあの陰もその手合いだろうとたかをくくった。


(姫様に被害が及ばないのならばどうでもいいさ)


 心の中でそのように纏めると、以後、陰を無視するのだが、その陰は今までの陰とは〝ひと味〟違うようだ――。



 王立学院の授業は午前七時から行われる。寮は敷地内にあるので苦ではないが、レベルの低い内容には辟易していた。


「ここでاللهبを代入し、الجليدを自乗させると、魔法の効果は何倍にも高まる」

 同級生たちは真面目にノートを取っているが、俺はノートを取らない。そのような知識、七歳のときに修めていたのだ。


 エスタークの広大な書庫にある本はすべて読み尽くしたと言っても過言ではない俺。特に魔法関係の書物はいくらでもそらんじることができた。俺は真面目にノートを取る同級生たちを観察したり、お姫様の横顔を鑑賞したり、窓の外を長時間眺め、時間を潰していたのだが、さすがは教師、俺の不遜な態度に気がついたようだ。


「新入生のリヒト・アイスヒルク、私の授業がそんなにつまらないかね

 つまりません、と心の中で回答するが、喧嘩を売る必要はないだろう。素直に謝ると、席を立つ。


「どこへ行く気かね」


「授業をサボって風景を見ていたので、自分を戒めたいです。廊下でバケツを持って立ってきます」


「ほう、しかし、そのようなことをすれば女性徒のファンが失望するのではないか?」


「興味ありません」


 と言ったがどうやら教師は風景よりも生徒を観察していたことを問題視しているようだ。俺が女生徒の品定めでもしていたと思っているのだろう。視線の半分は同性のはずであったが、色眼鏡で見ているものはなにごとも邪推するのだろう。要はこの教師、俺が女生徒にモテるのが気に入らないようだ。


 俺に悪意を持つ教師を観察する。


 ふくよかというよりもでっぷりとした体型、半分はげ上がった頭髪、顔の造形も人間よりもオークに近い。学生時代に遡っても美少年と呼ばれていた時期は皆無だろう。


 ただ、彼の場合はその容姿よりも偏屈で偏見に満ちた性格のほうが問題かもしれない。俺を外見だけで判断し、リア充であると判断、かつて自分が持っていなかったものをすべて持っていると決めつけ、疎んでいるようだ。


(端から見ればそうなのかもしれないが……)


 下駄箱にあふれる恋文、廊下を歩くと浴びせられる視線、それらはたしかに男ならば誰でも羨むものかもしれないが、逆に俺は皆が普通に持っていたものを持たずに育った。


 温かい家庭、心安らぐ場所、命の危険に怯えずに済む環境、子供時代に必要だったものを得ることができなかったのだ。


 ――あの教師と俺、どちらが幸せであるか、誰も論じることはできないだろう。

 そう思ったが、よそ見をしていたのは事実、俺は甘んじて罰を受けようと立ち上がったが、そんな俺に教師は宣戦布告する。


「ふ、聞き分けがいいふりをして女子に点数稼ぎかね。異性をたらし込む手管は主譲りかな」


「――なんだと」


 ぎろりと教師を睨む。


「おまえの主は母親は身分卑しい出でありながら、あっちのほうで陛下を籠絡し、妃になったと聞くが」


 アリアローゼの母親を侮辱した言葉なのは明白だった。彼女の母の出自はたしかに庶民であるが、そのような下劣なものいいは看過できなかった。


 王室不敬罪、という法律を思い出し、腰の剣に手をやりたい衝動に駆られるが、それはアリアに押さえられた。言葉でも行動でもなく、そのたたずまいで。


 彼女は自分と母親が侮辱されたにもかかわらず超然としていた。姿勢と視線をぴんとただし、まっすぐに教師を見つめていた。


 その気高い態度に教師は面食らっている。その高貴な態度に反アリアローゼ的なクラスメイトも飲まれていた。


 その姿を見て俺は、

(――俺なんかよりも姫様のほうが何倍も大人だな)

 そう思い、矛を収める。


 少なくとも武断的な方法で教師に泡を吹かせるのをやめた。俺は立ち上がると黒板の前に行く。


「な、なんだね、君は。わ、私と戦うというのかね!?」


 教師に暴行を働いたものは退学だぞ、と付け加えるが、このような男、斬る価値もなかった。俺は先ほどこの男が書いた魔術式に手を加える。


「たしかにここにこの式を代入すると、魔法の効果は自乗されますが、こうしたほうが――」


 すらすらと式を書き換えていく。教師が書いたものよりもシンプルかつ美しい魔術式を書いていく。


 その式を見ていた一部の生徒、特に特待生(エルダー)は「ほう……」と感嘆の言葉を漏らす。


 教師も鳩が豆鉄砲を食らったような顔で式を見る。冷や汗もかいている。


 それが答えだった。


 俺の書いた魔術式は教師が書いたそれよりも効率的で高出力だった。それも二倍どころか数倍も。その魔術式を見た教師は「有り得ない」を連呼していたが、少しでも素養があるものは「美しい」と口にした。


 俺の書いた魔術式はそれくらい洗練されており、理に適っていたのだ。


 クラスメイトたちは度肝を抜かれるが、教師は最後まで歯ぎしりしていた。


 教師は悔し紛れに「廊下に立っていろ」と言った。最初からそのつもりだったし、よそ見の罰は甘んじて受けるつもりだったので廊下に立つ。


 両手にバケツを持つとそれになみなみと水を注ぐ。とても重いが苦にならない。エスタークにいた頃はこれよりも重いものを毎日持っていたし、それに俺は〝罰として廊下に立たされる〟というシチュエーションに憧れていたのだ。


 少し嬉しそうに廊下に立った。そんな俺の表情を見て姫様も嬉しそうにする。どうやら彼女には俺の気持ちが手に取るように分かるらしい。


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