第46話 六五五三五

 決闘に負けた上に、悪あがきをするヴォルグを見て、周囲の取り巻きも引き始めた。もはやこの食堂にやつの味方はいない。


「義によって助太刀する」


 中には義憤を感じ、そう申し出る生徒もいたが、それは丁重にお断りする。


「あの程度の輩、どうにでもなる」


「しかし、ヴォルグのやつは気が立っている。もはや《水球》ではない呪文を唱え始めているぞ」


 見ればやつの右手には赤いオーラが見えた。徐々に炎が取り巻いている。どうやら《炎嵐》の魔法を唱えようとしているようだ。たしかに室内で炎嵐の魔法とはもはや分別もつかないと見える。怒りで我を忘れているのだ。


 ならばこちらも〝少し〟本気を出すか。やつに遅れて呪文を詠唱する。高速、短縮詠唱だ。


 すると先ほどと同じように蒼いオーラを纏う。


「おい、炎嵐に水球で対抗するつもりか?」


 助太刀を買って出てくれた生徒が俺に問う。


「そのつもりだが?」


「そんなの無茶だ」


「まあ、そうだろうな」


 ただの〝学生〟の常識ならば、だが。


 しかし、俺はただの学生ではない。〝最強不敗の神剣使い〟にして、王女の護衛なのだ。


 そう心の中でつぶやくと、呪文の詠唱を終える。

 すると俺の周りに水球が現れる。


 先ほど作り出した水球よりも遙かに小さなものだった。


 ただ、それを見た他の生徒たちは、絶句する。

 皆、表情を固まらせる。


 有り得ないものを見ているかのような視線を俺に送ってくる。


 とある生徒はつぶやく。

「あ、有り得ない」

 と。


 なぜならば俺の作り出した水球はひとつではなかった。


 ふたつでもない。もちろん、みっつでもない。


 そのようなせせこましい数字ではなく、俺の周囲に現れた水球の数は、


「六五五三五個」


 であった。


 小粒とはいえ、絶対に有り得ない数の水球を生み出したのである。


 ヴォルグはうめくように叫ぶ。


「ば、馬鹿な、お、おれは夢でも見ているのか」


「これは現実だよ」


「あ、有り得ない。導師クラスの魔術師とてそのような数は無理だ。特待生(エルダー)だって無理なはず」


「ならば俺はそれ以上なのだろう。――いい加減、面倒だから、おまえの火遊びごと消させて貰うぞ」


 そう言い放つと相手の許可を取ることなく、水球を放つ。


 六五五三五の水球は、たしかな意思を持ってヴォルグに襲いかかる。


 彼は《炎嵐》の魔法で抵抗するが、それはマッチ棒で大河の流れを変えるようなものであった。彼の炎はあっという間に消火され、水球の群れに飲まれる。


 水の塊は濁流のようにヴォルグに襲いかかり、彼を吹き飛ばす。


水球の勢いは凄まじく、やつは身体を壁にめり込ませ、首を折ってて死ぬか、頭部挫傷で死ぬはずであった。


 しかし、俺にその意志はない――。


 このようなところで人を殺す道理がなかった。


二五六個の水球にあらかじめ先回りをさせていた俺は、それを展開させ、クッションを作る。ヴォルグが壁に叩き付けられないように配慮する。


 昔、妹が木から落ちたときの要領である。


 こうして命を救われたヴォルグであるが、感謝はしなかった。


 性格がねじ曲がっているからではない。

 気絶していたからである。


 壁に激突するのは避けられたが、それでも水球の威力は凄まじかったらしい。彼の意識を根こそぎ奪っていた。


 その姿を見て俺は愚痴をこぼす。


「やれやれ、いったい、誰がこの食堂を掃除すればいいのやら」


 見ればヴォルグが暴れ回ったゆえ、至る所に食べ物や食器が散乱していた。俺は細心の注意を払っていたから、すべてやつの責任である。


 途方に暮れる俺だが、食堂にいた生徒たちも途方に暮れていた。


 皆、「とんでもない下等生(レッサー)が入学してきたものだ」と度肝を抜かれていた。

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