第7話 束の間の別れ

 このようにして見事、俺の追放が決まる。

 ああ、清々した。自然と足取りも軽くなる。

 と、気分良く街道を歩いていると、後方から猛烈な勢いで馬車が近づいてくることに気が付く。


 咄嗟に追っ手かと身構えるが、追っ手ではないとすぐに気が付く。

 馬車の主が麗しの妹君だと判明したからだ。

 彼女は勢いよく馬車の扉を開けると、俺目掛けて突進してくる。


 兄の剣は止まって見えたが、妹の体当たりはとても速い。それでも避けられないわけではないが、あえて抵抗せず、彼女の好きなようにさせた。


 首に抱きつき、全体重を掛けてくるご令嬢。


「リヒト兄上様、リヒト兄上様!」


 涙ぐんでいるし、惜別の感情に溢れていたが、俺を止める気はないようだ。実の母親の殺意を目の前にしてしまえば、無理に止めることなどできないのだろう。


 鼻水まじりに俺を抱きしめてくる。しばし、それを許すと、彼女の感情が収まるのを待ち、言葉を懸ける。


「義母上の行動を見ていただろう。俺と彼女は同じ場所にいてはいけないんだ」


「……はい。それは分かります」


「じゃあ、お別れだ」


「それは嫌です。私も一緒に旅立ちます」


「エスターク家のお嬢様が?」


「幼き頃から剣を習っておりました。その技量はリヒト兄上様も知っているはず」


「もちろん、しかし、エレンが枕が変わると眠れないことも知っているよ。以前、伯母の家に遊びに行った時に、エレンは眠れなくて夜泣きして、夜中に家に戻ったことを忘れたか?」


「子供の頃の話です」


「一ヶ月前も、女中がお気に入りの枕を破いてしまって騒いでいたじゃないか」


「で、でも……」


「何が言いたいのかと言うと、城の外に出るという事はそういう事なんだ。鈍感に生きられなければならない。でも、エレン、おまえは繊細過ぎる。冒険者や傭兵にはなれない」


 自分のことを知り尽くしているエレンは反論できなかった。


「……お兄様と離ればなれになって生きていく自信がありません」


「離れても心は一緒だよ」


「……本当ですか?」


「本当だ」


「ならばその証拠を――」


 彼女は目をつむると、唇を差し出す。

 キスをせがんでいるようだ。

 その桃色の唇は蠱惑的であったが、往来で妹とキスをするのは憚られる。


 なので額に唇を寄せると、

「今はこれで我慢してくれ」

 と言った。


「……はい」


 と、納得するエレンが可愛らしかったので、彼女に希望を与える。


「俺はこれから旅に出る。冒険者になるか、傭兵になるか。それはまだ決めていないけど、もしも成功し、居を構えられるようになったら、エレンを呼ぶよ」


「本当ですか!?」


 ぱあっと顔を輝かせるエレン。

 その笑顔は向日葵(ひまわり)を連想させる。


「本当だ。そうしたら一緒に暮らそう」


「約束ですよ!」


「ああ」


 気軽に指切りげんまんをする。


 冒険者にしても傭兵にしても、それほど甘い世界ではない。ちゃんと食べられるようになるのに数年、居を構えられるようになるのに十年は必要だろう。


 かなりの年月を必要とするはず。そうなればエレンもいいお年頃。きっとどこかに嫁いでいるだろう。「リヒト兄上様と結婚したい!」と公言する彼女だが、兄妹の情愛など一時的なもの、大人になれば「そんな頃もあったわね」と、笑って思い出す日が来るはずであった。


 その時、エレンと笑って語り合えるような仲でありたい。

 にこやかに茶を飲める環境を作りたい。

 それがエスターク家を出る俺のささやかな望みだった。


 義理の兄や母は意地の悪い人間だったが、身内には甘い。俺がいなくてもエレンには良くしてくれるはず。


 それに家長である父親はなかなかの傑物。唯一の娘であるエレンを溺愛していたし、悪いようにはしないはずだ。


 そんな計算が働いて交わした約束だが、エレンは喜んでその約束を受け入れてくれた。


 彼女はそのまま馬車に戻ると、大人しくエスターク城に戻っていったが、後年、俺は後悔することになる。


 なぜならば、思ったよりも早く「拠点」を得ることになるからだ。数週間後には俺は安住の地を見つけ、そこで暮らすことになる。さらに後日、その噂を聞きつけたエレンが、花嫁道具をひっさげて引っ越してくることになるのだが、俺はまだその運命を知らない――。

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