華乃子、働きに出る

華乃子、働きに出る-1

時は大正。帝都では路面電車が当たり前になった頃、人々の在りようもまた変わって来た。先祖から受け継いだ富を固持する者がいる他方で、農民や女性の社会進出が活発になり、街に活気が溢れだしてきた。


柳の植わった道なりにガス灯が並び、煉瓦で出来た建物がそびえ立つ街には、難しい顔をして着物を着て歩く者もいたが、大多数は、斬髪にスーツを着、山高帽を被った男性や、着物と違い、体の線が出るカラフルな洋装を身に纏ったモダンガール、それに艶やかな庇髪(ひさしがみ)や三つ編みにリボンを結わえ、海老茶色の袴を履いた女学生たちが占め、彼ら彼女らは、自由を謳歌し、議論し、談笑しながら、それぞれに見えるものを信じて歩いていた。


そんな時代に、既得権益を有し、帝都に大きな屋敷を構える家がいくつもあった。


そのうちの一軒。子爵、鷹村邸。


「華乃子(かのこ)! またお前は変なものを相手にしていただろう!」


パシンと父・一夜(いちや)が華乃子を叩(はた)く。華乃子には父が自分を叩く理由は分かっていたけど、原因は分からなかった。


「あやかしと慣れ合うのは止めなさいとあれほど言っただろう! どうして人間なのにあやかしと関わるんだ!」


「お父さま、華乃子はお腹が空いたと言ったあの子に、おにぎりをあげただけです。あの子もありがとうと言ってくれたし、何も悪いことはしていません……」


叩かれた頬を小さな手で覆い、華乃子は震える声で父に言った。


学校からの帰り道、祠の隣でおなかをすかせた少年が立っているのに出会った。華乃子はその子に乳母のはなゑに握ってもらったおにぎりを二つ、持って行ってあげただけだ。


「それが人間には見えない、あやかしだったんだ! どうしてお前はあやかしなんかに慈悲を掛けるんだ!」


「だって、お父さま。あの子が、お腹が空いたと言ったから……」


「良いか、華乃子。お前の口からあやかしの話は聞きたくない。この前は河童、その前は狐。金輪際あやかしと関わらないと誓うまで、華乃子を座敷牢に閉じ込めておけ!」


華乃子は河童も狐も見ていない。友達として親しくしていた人間の子の筈だった。しかし父親は華乃子にそう言い、華乃子を座敷牢に閉じ込めた。


鷹村の持つ座敷牢は半地下となっており、かつて鷹村の財産を盗んだと疑惑を持たれた下男が閉じ込められていたというもので、その下男は食事も着替えも与えられず、無念のまま亡くなったとされる、いわくつきの牢だ。牢の床から天井のすき間に小さな明り取りの格子嵌っており、そこからは冬の冷たい北風がひゅうひゅう吹き込んで寒かった。華乃子はその浪に閉じ込められて、しくしくと泣いた。


「お父さま、ごめんなさい。もうしませんから此処から出して……。お願い……」


どんなにすすり泣いても、母屋には聞こえない。華乃子は三日三晩、その座敷牢に閉じ込められていた。母屋では華乃子と血のつながらない弟妹が、継母の愛情を一身に受けていた。


「お前たちは華乃子の真似をしないでね。あれは出来損ないの人間。友達が出来ないのも当然だわ。わたくし、あの娘の母親だと言うだけで、近所の人に奇異の目で見られるのよ。悲しいわ。いっそのことあの子を別宅に移したらどうかしら。そうしたら近所の目も収まるでしょうし、わたくしたちも不快な思いをしなくて済むわ」


継母の案に、一夜は二つ返事で賛同した。


「では、はなゑだけつけて華乃子を引っ越しさせよう。ところでお前、また新しくドレスを買ったのか? 請求が来ていたが、頻繁過ぎやしないか」


一夜の渋い顔に継母は当然、といった表情をした。


「あら、わたくし、子爵夫人ですもの。身なりはきちんとしておきませんと。あなたも新調なさいますか?」


「要らん。この前新調したばかりだ。お前は私の受け継いだ財産を何だと思っている」


「華族なんですもの、使うべきところには使わなければ。貧乏くさいことを仰らないで」


そう言って息子と娘を連れて、継母は部屋を出て行った。後に残された一夜は、その後ろ姿を黙ったまま見つめていた。



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